「検察官調書」(検察官捜査)は必要か?

(弁護士 後藤富士子)

1 私の「被疑者取調」修習
私は、この20年程、刑事事件をやっていないが、ダイナミックなアメリカの司法に比べて日本の司法は、なぜかくも「澱んだ」というか「乾涸びた」というか、要するに「つまらない」のかと考えて、40年以上前の経験を思い出している。
私は、1979年に東京地検で検察修習をした。自分としては、それがスタンダードと疑わなかったし、指導担当の検事からも文句を言われなかったから、特段の問題意識をもたなかったが、今振り返ると、弁護士になってからの被疑者接見と殆ど同じ取調をしていたことに気が付いた。まず「どうしてこの場にいるのか?」を聞くが、これは弁護人の接見でも同じである。つまり、「警察官調書の確認」ではなく、被疑者とオリジナルに面接聴取する。そして、最後に「勾留の執行状況に不便がないか?」を必ず聞いていた。これも、弁護人の役割である。
たとえば、最初の質問で、別件で取調検事(新米の女性で、庁舎の3階にいた)から被害者に謝罪に行くように言われ、謝罪に行く途中に本件を起こして私の面前に居ることが判明した。それで、私が調書を作成して指導検事に伝えたところ、3階にいる当該検事が早速降りてきて、「私に責任がある」というようなことを言う。本件を引き取られては被疑者に不利益になるので、そうならないようにした(「関係ないでしょ」と言ったような気がする)。少し言語障害がある男性(「美容院」と「病院」の区別が解り難いなど)だった。最初に指導検事が修習生(私)の取調に同意を求めた際、「嫌だ」と言ったが、面食らった指導検事が押し切ったのである。彼は、私が3階の女性検事と年恰好が同じだったから拒否したのだ、ということが理解できた。 続きを読む

2021年8月24日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

「法律婚」神話と「戸籍」の物神化

(弁護士 後藤富士子)

1 「選択的夫婦別姓」や「同性婚」の主張は、「事実婚」の不利益を甘受したくないとして、あくまで「法律婚」の待遇を求めている。それは、自己のアイデンティティーを国家の保護の下に置こうとする一方、「事実婚」差別を置き去りにする。まるで「名誉白人」になろうとするように。
そこで、「法律婚」と「事実婚」に共通する「婚姻」とは何か?を検討してみよう。
民法第739条1項は「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。」とし、第2項は「前項の届出は、当事者双方及び成年の証人2人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。」と定め、第740条は「婚姻の届出は、第731条から第737条まで及び前条第2項の規定その他の法令の規定に違反しないことを認めた後でなければ、受理することができない。」としている。これが「法律婚」の成立に必要な要件である。但し、婚姻の「効力」として定められている「夫婦同姓の強制」(第750条)も「婚姻届出の受理」(その他の法令の規定に違反しないこと)というゲートの前に「要件」に転化する。考えてみれば、まことに奇怪な法律である。要件と効果がトートロジーで、まるで「山手線」ではないか。
一方、憲法第24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定めている。 続きを読む

日本国憲法の「司法の型」

(弁護士 後藤富士子)

1 「三権分立」と司法
 立憲主義の大黒柱の一つである「三権分立」は誰でも知っているだろう。国家作用を立法・司法・行政の三権に分け、それぞれを担当する者を相互に分離独立させ、相互に牽制させて人民の政治的自由を保障しようとする自由主義的な統治組織原理。ロックやモンテスキューが唱道した。
 しかし、現実の「三権分立」制は、国により異なっている。たとえば、アメリカの大統領制はほぼ完全な三権の分立を認めているが、イギリスの議院内閣制はむしろ立法・行政の融合を示している。また、フランス・ドイツなどの「大陸法系」の諸国では、行政裁判制度により行政権の司法権からの独立を強調するのに対し、「英米法系」の諸国は、これを認めない。
 戦前の大日本帝国憲法も一応三権の分立を認めていたが、天皇の統治権総攬の原則によって統合されていた。戦後の日本国憲法では、立法権は国会に、行政権は内閣に、司法権は裁判所に分属させているが、議院内閣制であり、裁判所の法令審査権を認めている。また、旧憲法で認められていた行政裁判は、現行憲法では「終審として」は認めていない。議院内閣制という点で日本の三権分立制はイギリスとアメリカの中間だと言われることがあるが、そのことに何の意味もない。むしろ重要なのは、戦後の司法は、「大陸法系」の行政裁判が排除されている点で「英米法系」に転換されたこと、そして、裁判所の法令審査権を認める点で完全に「アメリカ型」になったということである。 続きを読む

2021年5月7日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

護憲勢力の歴史的勝利を祝う

さる8月28日午後2時、安倍晋三首相の辞意表明がテレビで伝えられ衝撃が走った。ついで午後5時からの記者会見で安倍首相は持病再発のためとして辞任の意向を表明した。第2次安倍政権は、2012年12月26日の発足から約7年8カ月で幕をとじる。
記者会見で「改憲の機運が高まらなかった理由は」と聞かれ、首相は「国民的な世論が充分盛り上がらなかったのは事実で、それなしに進めることはできないと痛感してる」と答えた。選挙の度に公約に掲げて信任されたから「改憲は国民に支持された」と強弁していた首相が、初めて国民の支持を得られなかったことを認めた。
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2020年9月2日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 福田 玲三

コロナの夏に憲法を考える―「主権」と「自治」

(弁護士後藤富士子)

1 「主権」というとき、その主体が誰かによって「国家主権」と「国民(人民)主権」に区分される。
 日本は、第二次世界大戦で負けるまで、他国を武力侵略して植民地化した経験はあっても、他国によって自国が植民地化されることはなかった。敗戦によっても他国の植民地になることはなかったが、沖縄問題や日米安保体制・地位協定にはっきり刻印されているように、「独立国家」は見せかけにすぎない。
 一方、「国民主権」についていえば、戦前は絶対主義的天皇制であり、「主権在民」を叫べば「国体の変革を企てる」という理由で、治安維持法により殺人的な弾圧を受けた。「主権在民」は日本国憲法によって初めてもたらされたのである。 続きを読む

2020年8月19日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

国旗・国歌の強制は憲法19条違反、思想・良心の自由を守れ!

「生徒自ら曲を選び、練習してきた合唱は取りやめになった。どうせ歌うなら『君が代』ではなく、思い入れのあるそっちを歌わせたかった」

これは今年3月、卒業生を見送った都立高校教諭の正直な思いである。

2020年7月20日付東京新聞に、次のような記事が掲載された。

「都立学校の今年3月の卒業式について調査したところ、コロナ禍の影響で、感染防止を優先し、保護者・在校生の出席なし、式次第は卒業証書授与など必要最低限として時間短縮が図られた。ただし、東京都教育委員会(都教委)が2月28日に発した文書には、「国歌斉唱を行う方針に変更ありません」とあり、結果的に都立学校253校すべてが「君が代」を斉唱していた」

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2020年8月5日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : o-yanagisawa

「法の理想」を指針として――「共同監護」を創造するために

(弁護士  後藤富士子)

1 「単独親権」から「共同親権」への法の進化
民法818条は「父母の共同親権」を定めている。家父長的「家」制度をとっていた戦前の民法が「家に在る父」(一次的)または「家に在る母」(二次的)の単独親権制を定めていたのと比較すると、革命的転換であった。その根拠になったのは、「個人の尊厳と両性の本質的平等」を謳った日本国憲法24条である。「個人の尊厳」という点から親権に服する子は未成年者に限定され、親権は未成熟子の監護教育を目的とする子のための制度であることが明らかにされた。また、「両性の本質的平等」という点で「父母の共同親権」とされている。すなわち、戦後の日本の出発点は、家父長的「家」制度を廃止し、「単独親権」から「父母の共同親権」へ進化したのである。換言すれば、「父母の共同親権」は、まさに「法の理想」であったのだ。 続きを読む

2020年8月4日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

「夫婦別姓」と「子の姓」――韓国の「父姓優先主義」廃止論

(弁護士 後藤富士子)

 「選択的夫婦別姓」論者は、「アイデンティティー」に拘るが、私にはそういう気持が全く湧かない。なぜか?と自問してみると、私の旧姓「松浦」だって、私の「父の姓」であり、拘る理由がない、というに尽きる。もっといえば、「富士子」という名だって、親が適当につけたもので、「アイデンティティー」などと大袈裟な感覚はない。どんな氏名であれ「私は私」というところか。 続きを読む

三権分立を破壊する検察庁法改悪を許してはならない

新型コロナ禍で国民生活が大打撃を受ける最中、安倍政権がとんでもない法案を強引に成立させようとしています。

国家公務員の定年延長に関する法改正案が10本の束ね法案として国会に提出されましたが、その中に検察庁法の改悪案が含まれており、内閣委員会で審議されることになりました。政府は検察官も一般職の公務員であることを唯一の理由に束ねたと言っていますが、まさに火事場泥棒的な姿勢に他なりません。

検察官は被告人を起訴できるという特別な権限を有し、一般公務員とは全く違う存在。だからこそ、検察庁法という特別法でその身分を定めているのであり、他法案と束ねること自体がおかしいのに加え、委員会への法務大臣の出席なしの審議。これでまともな審議ができるわけがありません。

この法案ができた端緒は、東京高検黒川検事長の定年延長が1月末に突然閣議決定されたこと。2月8日が退官日で、直前に送別会も予定されていたとのこと。こんな人事を法務省が決められるはずがなく、官邸が無理筋を通したのは間違いありません。国家公務員法の定年延長規定を検察官にも適用したという無理筋がゆえに、定年延長決定過程を明らかにする文書もなかなか出てこず、ようやく出てきた文書には日付もない。作成日のわかる記録(プロパティ)も出せないと言い張り、挙句に法務省内の決裁は口頭で行ったというのです。したがって黒川検事長の定年延長は違法状態にあり、彼の決裁事項はすべて無効となる可能性もあります。

この定年延長を後付けで正当化しようとするのが、今回提出された検察庁法改悪案。その内容は次の通り。

1.検察官の定年を65歳とする。(検事総長は既に65歳となっているためそのまま)

2.63歳で役職定年とする。ただし、検事総長、次長検事、検事長は内閣、検事正は法務大臣が必要と認めたときは最長3年間、当該役職にとどまれる。

現在の検察官の定年は63歳なので、65歳にするのは時代の趨勢で全く問題ありませんが、2番目の項目が極めて問題です。検察官は、政権の汚職事件等に向き合うことがままあります。ロッキード事件では闇将軍と言われた田中角栄元首相の逮捕、リクルート事件では竹下内閣総辞職を招くなど、検察捜査が政権に大きな打撃を与えることもありました。これを可能としたのは、検察官が政治権力に拘束ざれず、独立性が保たれていたからにほかなりません。

その独立性を損なう恐れがあるのがこの改悪案です。高齢化社会となり、人間誰でもより長く高待遇で働きたいのは本能のようなもの。時の権力者に気に入られて、恣意的に同役職で定年延長されれば、その権力者に対してある種忖度が生まれるのは人間の性(さが)。官僚の幹部人事権を官邸が一手に握り、その結果忖度官僚がはびこっている現状を見れば一目瞭然でしょう。

この改悪案に対しては、検事総長を経験した松尾邦弘氏をはじめ検察OB14名が改悪反対の意見書を提出したほか、弁護士会も反対表明しています。中でも検察OBの意見書には、安倍政権の勝手な法解釈変更や国会軽視の姿勢を、フランスのルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家なり」との中世独裁国家にたとえ、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性をはらんでいると危惧しています。

まともな常識を備えているならば、当然にこの法案への危機感を持つと思うのですが、与党で反対表明しているのは自民党の石破茂氏ほか数名の議員のみ。政権に全く逆らえない与党の病巣もまた深刻。

コロナ禍の最中、街頭デモや集会ができない中で、数百万人の国民がツイッターで反対の声を上げ、法案を批判しています。心ある議員はこの国民の声を真摯に受け止め、不要不急の検察庁法改悪案に反対していただきたい。

2020.05.16 柳澤

「社会は存在する」とジョンソン英首相

(弁護士 後藤富士子)

 朝日新聞5月9日の「多事奏論」によれば、ジョンソン英首相は、コロナに感染して自己隔離中の3月末、ビデオメッセージで「今回のコロナ危機で、すでに証明されたことがあると思う。社会というものは、本当に存在するのだ」と締めくくった。医療崩壊を避けるために退職した医師や薬剤師らに復職を呼びかけたところ、2万人が応じ、さらに75万人もの市民がボランティアに名乗りを上げてくれたことに感謝して。 続きを読む