完全護憲の会・会員ブログ


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「検察官調書」(検察官捜査)は必要か?

(弁護士 後藤富士子)

1 私の「被疑者取調」修習
 私は、この20年程、刑事事件をやっていないが、ダイナミックなアメリカの司法に比べて日本の司法は、なぜかくも「澱んだ」というか「乾涸びた」というか、要するに「つまらない」のかと考えて、40年以上前の経験を思い出している。
 私は、1979年に東京地検で検察修習をした。自分としては、それがスタンダードと疑わなかったし、指導担当の検事からも文句を言われなかったから、特段の問題意識をもたなかったが、今振り返ると、弁護士になってからの被疑者接見と殆ど同じ取調をしていたことに気が付いた。まず「どうしてこの場にいるのか?」を聞くが、これは弁護人の接見でも同じである。つまり、「警察官調書の確認」ではなく、被疑者とオリジナルに面接聴取する。そして、最後に「勾留の執行状況に不便がないか?」を必ず聞いていた。これも、弁護人の役割である。
 たとえば、最初の質問で、別件で取調検事(新米の女性で、庁舎の3階にいた)から被害者に謝罪に行くように言われ、謝罪に行く途中に本件を起こして私の面前に居ることが判明した。それで、私が調書を作成して指導検事に伝えたところ、3階にいる当該検事が早速降りてきて、「私に責任がある」というようなことを言う。本件を引き取られては被疑者に不利益になるので、そうならないようにした(「関係ないでしょ」と言ったような気がする)。少し言語障害がある男性(「美容院」と「病院」の区別が解り難いなど)だった。最初に指導検事が修習生(私)の取調に同意を求めた際、「嫌だ」と言ったが、面食らった指導検事が押し切ったのである。彼は、私が3階の女性検事と年恰好が同じだったから拒否したのだ、ということが理解できた。 (さらに…)

2021年8月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子

「法律婚」神話と「戸籍」の物神化

(弁護士 後藤富士子)

1 「選択的夫婦別姓」や「同性婚」の主張は、「事実婚」の不利益を甘受したくないとして、あくまで「法律婚」の待遇を求めている。それは、自己のアイデンティティーを国家の保護の下に置こうとする一方、「事実婚」差別を置き去りにする。まるで「名誉白人」になろうとするように。
 そこで、「法律婚」と「事実婚」に共通する「婚姻」とは何か?を検討してみよう。
 民法第739条1項は「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。」とし、第2項は「前項の届出は、当事者双方及び成年の証人2人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。」と定め、第740条は「婚姻の届出は、第731条から第737条まで及び前条第2項の規定その他の法令の規定に違反しないことを認めた後でなければ、受理することができない。」としている。これが「法律婚」の成立に必要な要件である。但し、婚姻の「効力」として定められている「夫婦同姓の強制」(第750条)も「婚姻届出の受理」(その他の法令の規定に違反しないこと)というゲートの前に「要件」に転化する。考えてみれば、まことに奇怪な法律である。要件と効果がトートロジーで、まるで「山手線」ではないか。
 一方、憲法第24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定めている。 (さらに…)

「単独親権制」は、なぜ廃止されないのか?

(弁護士 後藤富士子)

1 民法の「親権」についての条文の冒頭に「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」と規定されている(第818条1項)。ところが、父母が未婚や離婚で「婚姻中」でない場合には「成年に達しない子は、父又は母の単独親権に服する。」と規定されている(第819条)。
 なぜ、父母が「婚姻中」でないと単独親権になるのか、合理的な理由が思い浮かばない。むしろ、憲法第14条が禁止する、「社会的身分」により「社会的関係」において差別するものではないか。また、憲法第24条2項に定められた、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した」法律という点でも、明らかに反している。

2 「親権」は、戦前の民法にも規定があった。戦前は家父長的「家」制度であり、「戸主」(「家に在る父」または「家に在る母」)の単独親権であった。
 ところが、「家」制度は日本国憲法第24条に抵触するので、廃止された。「親権」についていえば、婚姻中は「父母の共同親権」となり、未婚や離婚の場合の単独親権についても「父母のどちらか」という点で、性に中立となった。問題は、単独親権者を決める方法である。まず、父母の協議によるが、協議がまとまらなければ、家庭裁判所が決めることになった。 (さらに…)

2021年5月13日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 後藤富士子

日本国憲法の「司法の型」

(弁護士 後藤富士子)

1 「三権分立」と司法
 立憲主義の大黒柱の一つである「三権分立」は誰でも知っているだろう。国家作用を立法・司法・行政の三権に分け、それぞれを担当する者を相互に分離独立させ、相互に牽制させて人民の政治的自由を保障しようとする自由主義的な統治組織原理。ロックやモンテスキューが唱道した。
 しかし、現実の「三権分立」制は、国により異なっている。たとえば、アメリカの大統領制はほぼ完全な三権の分立を認めているが、イギリスの議院内閣制はむしろ立法・行政の融合を示している。また、フランス・ドイツなどの「大陸法系」の諸国では、行政裁判制度により行政権の司法権からの独立を強調するのに対し、「英米法系」の諸国は、これを認めない。
 戦前の大日本帝国憲法も一応三権の分立を認めていたが、天皇の統治権総攬の原則によって統合されていた。戦後の日本国憲法では、立法権は国会に、行政権は内閣に、司法権は裁判所に分属させているが、議院内閣制であり、裁判所の法令審査権を認めている。また、旧憲法で認められていた行政裁判は、現行憲法では「終審として」は認めていない。議院内閣制という点で日本の三権分立制はイギリスとアメリカの中間だと言われることがあるが、そのことに何の意味もない。むしろ重要なのは、戦後の司法は、「大陸法系」の行政裁判が排除されている点で「英米法系」に転換されたこと、そして、裁判所の法令審査権を認める点で完全に「アメリカ型」になったということである。 (さらに…)

2021年5月7日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

<本の紹介>『労働組合とは何か』木下武男著(岩波新書・新刊、900円+税)

 福田玲三  

 新聞広告に『人新生の「資本論」』著者斎藤幸平氏の推薦「労働組合は死んだ。だが、その再生こそ民主主義再建には必要だ。必読の一冊」とあった。それに惹かれて読んでみて、内容は期待を超えた。
  本書は3部に分かれている。第1は労働組合の歴史、第2は労働組合の目的、機能、方法であり、第3は労働組合の未来だ。
 第1には、歴史編1「ルーツを探る」2「職業別労働組合の時代」3「よるべなき労働者たち」4「アメリカの経験」5「日本の企業別組合」がある。
 第2には、分析編1「労働組合の機能と方法」2「ユニオニズムの機能」がある。
第3には、分析編3「日本でユニオニズムは創れるのか」がある。
労働組合の目的は労働条件の向上であり、労働者の競争を規制する機能でこれを実現し、その機能を3つの方法を使って果たす。これが「本当の労働組合」である。
一時期、総評による華々しい労働運動の高揚は次の3つの運動でもたらされた。  第1は春闘の展開、第2は官公労の運動、第3は国民的政治課題の運動である。(187p.)
 しかし1956年に定着した春闘の陰で労使関係の地殻変動が進行した。大企業労働者の企業主義的統合と、それを基盤とした労働組合の労使協調への転成だ。1975年は戦後労働組合運動の最大の転換点となる。
 この年、労働運動側は2つの歴史的敗北をなめた。1つは春闘の敗北。政府と日経連の提起した「賃上げ自粛」に民間大企業労組がつぎつぎに賛同した。今1つは公労協のスト権ストの敗北である。
 1973年と79年の2度のオイルショックを経て、労働戦線の統一を旗印に、労使協調的な組合がついに一国のナショナル・センターの主導権を獲得するにいたった。すなわち1989年に総評が解散し、企業別労働組合主義の連合が結成された。
 日本における労働運動の解体はくい止めなければならない。そのためには戦後労働運動の負の歴史、企業別組合主義と完全に決別することだ。労働運動の衰退の淵に立って、そして過去の歴史と断絶した地点から、あらたなユニオニズム(産業別の本当の労働組合)を展望することだ。(205p.)
 1992年、バブルの崩壊とともに、かつてない悲惨な3つの現象(貧困・過重労働・雇用不安)が生まれた。
 日本的労使関係は、年功賃金・終身雇用・企業別組合を3本柱にしている。このうち年功賃金と終身雇用の慣行を経営側が廃棄した。
    すなわち、2000年代に入ると経営者側は、終身雇用制を捨て、希望退職の名目で従業員の大リストラをはかった。他方で期限を区切った非正社員を大々的に雇用した。労働市場には職を求める者たちであふれている。
 日本的雇用慣行の賃金と雇用の保障は、企業に居ることによって受けることができる。そのため退路を断たれた従業員たちに、経営側は長時間労働を課す絶大な指揮命令権と、単身赴任や人員削減などの専断的人事権を持つことができる。(221p.)
 「逃げられない世界」は、過酷な加害システムとして働く者を傷つけ、過労死・過労自死や「引きこもり」を生む。
 ユニオニズムの創造は、転職可能な労働市場をつくることで、この加害システムを打ちこわすだろう。
 ユニオズムの創造によって、家族形成可能な賃金や企業による人格的な支配のない労働、転職可能な横断的な労働市場での雇用保障、これらを日本社会で実現できる。(223p.)
 日本の労働組合は大企業労働者や公務員など比較的恵まれた労働者のところにある。それとは逆の下層労働者が、しかも産業別労働組合を立ち上げる貴重な挑戦が日本にある。関西における生コンクリートを運ぶ労働者たちだ。彼らが産業別労働組合を切り開いた道筋は、日本のユニオニズム創造が不可能ではないことを教えている。
 生コン労働者は1965年に関西地区生コン支部を結成し、この労働組合が産業別労働組合に成長してゆく。 1980年に東京生コン支部が結成され、全国的には77年に運輸一般の全国セメント生コン部会が確立し、全国指導部をもつ業種別部会へと発展した。
 この関生型運動の広がりは経営側を震撼させた。弾圧は82年から始まった。関西での不当逮捕につづいて東京でも「恐喝罪」として東京生コン支部の3名を逮捕した。
 2005年、またしても弾圧。「強要未遂」「威力業務妨害」として武健一委員長を始め7名の支部役員が逮捕された。武委員長は第一次弾圧では拘留はニ三日だったが、第二次では一年におよんだ。
 2017年12月、貯蔵出荷基地から生コン企業に輸送する運賃値上げのストライキを関生が行った。これに対して2018年7月から11月まで、のべ89名が逮捕され、71名が起訴された。いずれも組合員の要求が「恐喝未遂」、ストライキが「威力業務妨害」とされた。
 ふりかえれば、1897年設立の「労働組合期成会」による職業別組合を日本に移植する試みは挫折した。ついで戦前、産業別組合を確立する運動は1921年の川崎・三菱造船所の争議敗北で終わった。戦後、全日本自動車産業労働組合による産業別組合をめざす志は1953年の日産争議の敗北でついえた。
 そして1965年に結成された関生支部は70年代に日本に一般組合を形成する運動のなかで成長し、幾多の試練をへて今、産業別組合として存在する。このことは、「本当の労働組合」を確立する4回目の挑戦において勝利したことを意味する。
 だが、その勝利は危うい。産業別組合であるがために弾圧される。この危機を見過ごしてはならない。支配的な企業別組合のあり方もまた問われている。(249p.)
 流動的労働市場で働く「非年功型労働者」を下層労働者と呼ぶならば、そのような労働者は「下層」であるがゆえに、ユニオニズム創造の主役になる資格をもっている。現に欧米の産業別組合・一般組合は下層労働者によって構成されている。
 今の日本で起きている多くの人の離職、転職、泣き寝入り、パワハラ離職、パワハラによる引きこもりなどは反抗に行きついていない。しかし集団的反抗の門口にあると見てよい。
 自然発生的な運動エネルギーの大きな蓄積と旧来型労働組合の守旧性、このあいだの巨大なギャップこそが現局面の焦点である。(277p.)
 2000年以降の経験の蓄積は「非年功型労働者」につぎの論法を受け入れさせている。①会社にいても生活は良くならない、②転職しても変わらない、③それならユニオンで闘う以外にない。
 戦後すぐの労働運動は燎原の火のようにひろがった。それは企業別組合というあだ花を咲かせた。今は形を変えユニオニズムが芽生え、花咲く時代を迎えようとしている.火の勢いは自覚的意思で結ばれた活動家集団の勢力いかんにかかっている。
 今、ユニオン運動を支える労働者、学生、退職者などのボランチアがたくさんいる。さらに多くの人々がこの流れに合流するならば、ユニオニズムの創造と日本社会の根本的な変革は可能であろう。(278p.)

 以上が本書の荒筋で、当面する労働社会の局面を見事に分析している。この局面をとらえ社会を根本的に変革する運動の過程に、立ち会いたい願いに筆者は燃えている。   

「完全護憲の会」会員求める期待と願い

札幌市 小久保 和孝

 「完全護憲の会」を知ったのは2015年の秋頃であったろうか。「日本国憲法が求める国の形」のパンフレットを手にした時であった。

 読み終わった時、私の中に二つの大きな夢というか希望が沸き起こった。

 その一つはパンフレット55頁の「日本国憲法が求める国の形」作成の過程を見たときである。新しい憲法(昭和憲法)が制定された時、当時の文部省は国民学校(小学校)憲法の時間を持つことを奨励し、「新しい憲法のはなし」を出版した。この準教科書は小学生ばかりか広く国民各層に読まれ、新しい憲法発布時の“憲法の掲げる国の形と理念”に対する熱狂的な共感と支持が更に深まり拡がっていった。

 「平和主義、平和国家」、「主権在民」、「基本的人権」この三つの言葉は日常生活の合言葉にさえなっていった。そして未だ消えない血と餓と焼土の残る中で、国民の中に「文化国家建設」への夢と希望が膨らみ拡がっていった。

 この後、憲法について多くの学術書、一般図書が出版されたが、国民的話題となる憲法関係のみるべき一般人向けの図書はなかった。

 1950年6月、朝鮮戦争が起こった。そして「G・H・Q」のマッカーサーが発した一連の日本政府に対する書簡によって共産党機関紙「赤旗」が発行停止され、報道関係、一般企業さらに官公庁、学校まで共産主義者とその同調者とみられる一万数千人余が「レッド・パージ」として解雇、追放された。憲法の保障した法のもとでの平等・思想・良心の自由は占領法規の武力を背景とする超憲法的力により「新しい憲法」は事実上停止されてしまった。ここから現在に続く「逆コース」の時代が始まる。そればかりか、七万五千人の「警察予備隊」が創設され、再軍備の種が蒔かれた。

 1951年、それ迄国内で「全面講和」か「単独講和」か、で国民を二分した戦後“米よこせ”デモに続く国民的大闘争は、G・H・Qの後押しを得た時の総理大臣吉田茂は、全面講和を支持した南原東京大学総長を「曲学阿世の徒」であるとまで罵倒し、国会の多数派を背景にしてアメリカ中心の「片面講和」に押し切っていく。同年9月サンフランシスコで、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアの3か国を除くアメリカ主導の連合国48か国と日本とにより講和条約が調印された。同時に連合国側にさえ全く秘密裏に用意された「日米安全保障条約」が米国代表と別室で日本側は吉田首相ただ一人の調印で締結された。以降、日本には占領期間中の通称「ポツダム勅令」と呼ばれる超憲法法規は講和後表向きには撤廃されたが、その内実は「安保条約」に基づく「日米行政協定」を中心とする条約ならざる国家間約定と各種「特別法」として温存再生され、現在も続いている。そのため、我が国には「憲法体制」と「安保条約体制(行政協定)」との二つの法体系が並列して存在することになった。

 以降、益々日本の現実は、あるべき憲法体制から多数派国会議員を持つ権力政党の手による各種法令により次第に乖離していく。

 「集団的自衛権」の行使は「違憲」とする歴代法制局の見解を引き継いだ長官は更迭され、国会では「特定秘密保護法」に続き「共謀罪」法案が強行採決されてゆく

 「現行憲法」は占領下で占領軍に強制されたものであると主張する「改憲派諸勢力」は、公然と「憲法改正」を叫び、昭和憲法を卑しめ否定している。

 憲法学会では「逆コース」以降の危機的状況に、有志の学者達が憲法についての一般国民向けの各種書籍を出版するようになっていった。その中で憲法の理念と現実との乖離を直視しつつ憲法を解説した長谷川正安著「日本の憲法」は、この種の本としてはかなり多くの人々に読まれ、1953年発刊以降改訂を進めつつ第三版まで刊行が進んだ。この岩波書店新書版は、日本の現実が次第に憲法から離れ、「安保体制」の法体系寄りになりつつあることは解説されていても、「憲法のめざす国の形」を具体的に展望する目的は持っていないかに思える。私はパンフレット「日本国憲法が求める国の形」55頁をみて最初に浮かんだのは、この長谷川正安著「日本の憲法」であった。

 「日本国憲法が求める国の形」(追補・シリーズ1)このパンフレットは発刊後、会員と読者との声を反映しつつ、「憲法の求める国の形」を益々具体的に展望し、会の実践活動方針の役割を担ってゆき、版を重ねる毎にロマン豊かな刊行物になってゆくのだろうと思っていた。例えば16頁から20頁にわたるこのパンフレットの(第9条関係)“違憲自衛隊を合憲の国連軍に”の記述は、憲法前文の立場に立つ極めて壮大な展望に満ちた、国際性豊かな実戦活動方針になっている。

 ただ、このパンフレットは毎年改定されるのか、2~3年おきになるかは会の発展と力量によるのかなーと想像していた。

 これが一つの夢、希望であった。

 「完全護憲の会」設立趣意書の最後は「当面の活動」である。そこには“我々の使命と日本国憲法の理念を広く世間に普及する。憲法に違反する政治の実態を究明し、順次発表する”と締め括られている。

 二つ目の夢・希望はパンフレット76頁「完全護憲の会」設立趣意書の頁を再度読み進めるなかで、次から次へと色々の事が想起され、今後活動が目に浮かんで来た。

 先ず始めの「現状の認識」、「われわれの使命」そして「当面の活動」をみて、この会は新しい憲法(昭和憲法)下の“明確に政治団体”を宣言したものである。しかし「完全護憲の会」は一つの結社である。結社には多様な人々が集まってくるはずである。多様な人々が集まるのは力である。

 例えば本会の性格について、政治団体であるとしても実践活動の主要な姿を思い浮かべるその内容はまた多様である。ある人は「出版機関」と捉えるであろう。一方ある人は「学術団体」「研究会」「勉強会」と考えているかも知れない。また政治団体である以上、主要な活動の性格から「啓蒙団体」と捉える人もいるだろう。また社会の屏息状態からの護憲派の「サロン」でありたいと願う人もあろうかと思う。しかし、「完全護憲の会」設立趣意書は、これらいづれか一方にも陥らない事を“自戒”しているかに思えた。

 さて憲法と国家についてだが、文章になった憲法法典がなくともブリティッシュ・キングダム(大英帝国)の様に「成文憲法典」が存在するかの如く成り立っている国がある。その一方で近代国家で最も早く憲法典を持ち、結果として奴隷解放の南北戦争(シビル・ウォー)を体験し民主政治の原則とも云える「人民の、人民による、人民のための政治」を、とのリンカーンの演説を生み出した国アメリカもある。

 しかし、この国はその地域に三百万乃至六百万人も居住していたとされる先住民族(ネイティブ・アメリカン)を感染症の持ち込みも加わり、二十万余まで剿滅しつつ成立していく「移民国家」であった。そして、その先住民を不毛の「居留地」に押し込め、初期の「条約」を「タテ」に外国人扱いとしている。そればかりか、憲法理念に全く反する「白色人種至上主義者」の南部地域における暴力を許し、内戦の目的となった当のその黒色人種を、国の半分では久しく全く憲法の外にしてしまっていた。

 また、ソビエト社会主義共和国連邦は堂々たる成文憲法典を高々と掲げながら、全く異なった国になってしまった例もある。

 1919年、第一次世界大戦でドイツ連邦共和国が成立した。そしてワイマールで開かれた国民議会で制定した自由主義的民主主義共和国建設を目標とした憲法を制定、そこには「国民主権」普通選挙の承認に加え、「生存権の保障」三権分立基調など二十世紀「民主主義憲法」の典型とされた憲法であったが、そのめざした国とは違った方向に国を進めてしまい、「ホロコースト」まで起こしたナチス政権を作ってしまった。

 第二次世界大戦は、米、英、中、後にソ連も加わった「ポツダム宣言」を我が大日本帝国が受け入れて1945年8月15日に終わった。それは同時に「大日本帝国憲法(明治憲法)」の消滅を意味していた。

 そこで改めて「憲法」とは一体何なのか教科書的、一般的理解を、私自身が確認するためにと、手元の電子辞書を引いてみた。その辞書名は「カシオEX・word」である。

 ブリタニカ国際大百科事典「憲法の項目」を以下少し長くなるが、この小論に敢えて次に引用する。

 「憲法の話には、およそ法ないし掟の意味と国の根本秩序に関する法規範の意味と二義があり、聖徳太子の「十七条憲法」は前者の例であるが、今日は一般には後者の意味で用いられる。後者の意味での憲法はおよそ国家のある所に存在するが(実質憲法)、近代国家の登場とともにかかる法規範を一つの法典(憲法典)として制定することが一般的となり(形式憲法)、しかも、フランス人権宣言16条にうたわれているように、国民の権利を保障し、権力分立制を定める憲法のみを憲法とする観念が生まれた(近代的意味の憲法)。

(1)17世紀以降この近代的憲法原理の確立過程は政治闘争の歴史であった。憲法の制定、変革という重大な憲法現象が政治そのものである。比較的安定した憲法体制にあっても、社会諸勢力の違いや階級の対立は、重大な憲法解釈の対立とともに政治的、イデオロギー的対立を必然的に伴っている。したがって憲法は政治の基本的ルールを定めるものであるとともに、社会諸勢力の経済的、政治的、イデオロギー的闘争によって維持、発展、変革されてゆくという二重の構造を持っている。(2)憲法の改正が、通常の立法手続きでできるか否かにより、軟性憲法と硬性憲法との区別が生まれるが、今日ではほとんどが硬性憲法である。近代的意味での成文硬性憲法は、国の法規範創設の最終的源である(授権規範性)とともに、法規範創設を内容的に枠づける(制限規範性)という特性を持ち、かつ一国の法規範秩序の中で最高の形式的効力を持つ(最高法規制)。日本国憲法98条第1項は憲法の最高法規制を明記する。-中略-なお、下位規範による憲法規範の簒奪を防止し、憲法の最高法規制を確保することを、憲法の保障という。と出ている。

 以上が引用全文である。少し長くなったが、この後に憲法の変動、成文憲法、不文憲法の解説が続く。

 以上の辞書的知識をベースとして現行「日本国憲法」を捉えると、それ自体が社会諸勢力との経済的、政治的、イデオロギー的闘争そのものになる。そこで「完全護憲の会」に集う人々の日本国憲法観を文章で示したのがパンフレット「日本国憲法が求める国の形」「完全護憲の会」設立趣意書の76頁「日本国の憲法の理念」に集約されているとみられる。これは単に日本国憲法の理念を示したのみでなく、「完全護憲の会」の「実践的政治団体」としての「マニフェスト」であり行動指針でもある。私の第二の夢希望は大きく膨らんだ

 ひょっとするとこの会が未だ日本では例を見ない全く“新しい学習する政党”に発展していくのではないか?との夢・希望であった。

 ドイツでは「草の根住民活動」から始まった「環境保護運動」は政党「緑の党」を出現させた。

 第二次世界大戦後、多くの国で国民的争点での闘いは全有権者の1%内外の差が多く、

トランプが選挙人当選者数で勝利となるケースもある。

 1960年5月から6月に最高潮に達した「安保改定反対」の国民的大運動は、憲法の規定により改定条約は「自然成立」となる。しかし日本では今後国民の深層意識にかかわる二極大闘争は当面起こりそうもない、否、支配層がそれを避けている。

 もし起きるとすれば、それは事あるごとに強化、実体化されつつある「天皇制」をめぐるものであろう。あと一つは「米軍基地撤廃闘争」が、沖縄から本土に移り全国運動になる時である。現在は国民の深層意識の中では国家権力保持派は「勝っている」との思い込みから国民的争点にはしようとはしていない。しかし、現行の天皇制が守れそうもないと判断したとき、国民的争点として打って出てくる危険性が常に存在している。しかし我が国の「代議制民主主義」は議員と有権者意識とは益々乖離を深めていきそうである。無党派層の増大がその傾向を物語っている。そこで多分、我が国では国民の意識しない間に“国の形”がいつの間にか変わってしまっている、そんな時代になっているのではないかと推断出来そうである。否、現代は刻々その進行形の時代だと。

そこで「完全護憲の会」設立趣意書「会員資格」を見ると“会員たることを秘することを求め得る”とあるのは「青年法律家協会(青法協)」の轍を踏まないとの深重さの上に、更に会員が国家権力機関である自衛隊員、治安機関の警察、行政機関の職員まで拡大されることを予想しているかである。この項は会の壮大な展望を秘めている。

 次の「完全護憲の会」設立趣意書の「当面の活動」はすばらしい表現であるが、どこかにもう少し具体的指針を示すべきではなかったかと思う。例えば戦争体験の集積と継承(特に学徒出陣者の戦争体験及び空爆戦災被災者記録の発掘と継承)の様に。

 次に完全護憲の会「会則」であるが、(目的)の第3条はあまりにも月並みである。ここに仮称“会員実践当面の活動の指針とかの項”を掲げるのも一つの方法かと思う。(会員)に二種類の区分が存在することが第4条に出ているが、この表現ではイメージが湧かず判りづらい様に思う。“賛助会員”の後に( )して会報等読者などとの文言を追加しては如何かと思った。

 私は会員が学習活動閉じ籠ってしまわないためにも、会則等に掲げるのではなく、次の規範と義務を負うべきだと考える。

(1) 一年に一人は会員を拡大する。
(2) 一年に三人の賛助会員(刊行物・会報等読者)を拡大する。
(3) 常に身の回りに憲法問題を語り合える仲間を持つ努力をする。

 ところで次の「完全護憲の会」設立趣意書「会計」には入会金は一千円とする、としか記されていない。この後に“費用は会員で適宜、分担する”とあるが、内容がつかめない。会と名のつく会にはすべて月又は年会費が規定され、会費納入が会員規範となっている。しかし我が会則には会費規定がない。これは会費納入以上の「内なる規範」を課しているかに思えてならない。

 会の基本的運営資金は「完全護憲の会」設立趣意書「会計」に“会員で適宜分担する”とあるが、その内容は活動の中で得る、つまり会発刊のパンフレット等の普及販売等の活動によって得ることを想定しているからではなかろうか。

 「完全護憲の会は個人加盟」の全く新しい「学習する政治団体」である。その実践活動は結果として政治闘争であり、有権者の獲得競争でもある。

(2021.6.2 記)
(素原稿完成 2021.3.15)
(素原稿末尾改訂 2021.3.16)

2021年5月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 管理人

総務省幹部官僚違法接待問題と菅義偉首相の責任

「(長男は)今もう40(歳)ぐらいですよ。私は普段ほとんど会ってないですよ。私の長男と結びつけるちゅうのは、いくらなんでもおかしいんじゃないでしょうか。私、完全に別人格ですからね、もう」

これは、2月4日の衆議院予算委員会で、首相の長男が東北新社の社員として接待に同席していたことに対して、顔を強張らせながら、感情をあらわにして言い放った答弁である。

違法接待疑惑が明るみに出たのは、同日発売の週刊文春が報じた記事。昨年10月~12月にかけて4回、総務省の幹部官僚4人がそれぞれ個別に、東北新社から高級飲食店で接待を受け、お土産やタクシー券を手渡している場面が写真付きで報じられた。この時期は、飲食の自粛、不要不急の外出を控えるように、都知事が訴えていた時期とも重なる。その後の総務省の調査で、この4人が2015年以降、12回にわたって接待を受けており、そのすべての席に首相の長男が同席していたことが明らかになった。

国家公務員は、「国家公務員倫理法」で利害関係者からの金品の受領や接待を固く禁じられているが、衛星放送事業は総務省の許認可が必要であり、その事業を大きな柱とする東北新社が利害関係者にあたることを、監督官庁の担当局長が知らないはずがない。

国家公務員倫理法 第3条第3項

「職員は、法律により与えられた権限の行使に当たっては、当該権限の行使の対象となる者からの贈与等を受けること等の国民の疑惑や不信を招くような行為をしてはならないこと。」

週刊誌報道後国会での追及が始まったが、与党は4人の官僚のうち次期次官候補を含む上位2人の予算委員会出席を拒否、秋本情報流通行政局長と湯本審議官が答弁することになったが、信じられないような答弁が繰り返された。

「東北新社が利害関係者とは思っていなかった」

「東北新社の事業や衛星放送、CS・BSの話は出なかったと記憶している」

「東北出身者の集まりだった」、「忘年会だった」等々。

こうした虚偽答弁を覆すべく出てきたのが二発目の文春砲。秋本局長接待時の会話の録音テープが報道され、今までの答弁が虚偽であったことも明らかになった。

総務省は、2月4日の報道以来、省内調査を徹底的にやると言いながら、武田総務大臣は調査の途中にも拘らず、「行政がゆがめられたことは一切ない」と言い切るなど、身内の調査の甘さが図らずも露呈した。

上述の通り、今回の違法接待は極めて分かりやすい構図で、贈収賄の疑いも濃厚な国家公務員倫理法違反であるが、菅政権は早々に二人の更迭人事を行い、国会に出席させない戦術をとることが懸念され、更には4人の官僚の懲戒処分で終結を図ることも予想される。

しかし、この問題の核心は、何故幹部官僚がリスクを冒してまで易々と接待に応じていたかである。菅首相は、小泉政権時に総務副大臣となり、総務省人事の権限を握ったとされ、第一次安倍政権では総務大臣に就任、第二次安倍政権でも官房長官として総務省に絶大な影響力を持ってきた。そんな菅氏が総務大臣就任時、大臣の政務秘書官に当時定職がなかった25歳の長男を起用したのである。その後、菅氏と同郷である東北新社創業者に依頼して、同社に入社したとされ、いまでは40歳にして本社部長兼子会社「囲碁・将棋チャンネル」取締役を務める。こうした経緯を考えると、「自助」を重視する菅氏が、身内に対しては自分の地位と権力を使って「公助」する構図が浮かび上がる。「息子は別人格」などと、堂々と言える資格はないと考えるのが庶民の感覚である。

森友問題における佐川理財局長と同じく、総務官僚もまた父親の影響力を恐れて、息子の誘いを断ることができず、リスクを冒して接待に応じていた可能性は否定できない。

菅首相は、東北新社社長から個人献金として2012年~2018年の間で500万円受領しており、パーティー券も受領を肯定している。更には、会食も行っているが、時期については記憶が定かでない旨、曖昧な回答しかしていない。

この接待疑惑問題は、官僚の贈収賄や倫理問題だけではなく、首相という最高位の公務員の倫理、または犯罪が問われているといっても過言ではない。

菅首相には是非とも憲法第15条第2項を再認識してもらい、自身の責任を明らかにしてほしい。

「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」

2021年2月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

新刊「人新世の『資本論』」斎藤幸平著のご紹介

「人新世の『資本論』」紹介
――斎藤幸平著、集英社新書、2020年刊、1020円+税――
福田玲三

 地球は新たな年代に突入したとノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは言い、それを地質学的に「人新世」と、彼は名付けた。人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代という意味だ。
地質学の時代区分は1万年あるいは数十万年を単位としている。現地質時代は1万年以来続く新生代第4世紀の「完新世」だったから、それに継ぐものだろうか。
新聞で評判の本書を読了して目の覚める感銘と不朽の感動を覚えた。
以下に本書の荒筋を記す。
第1章
2016年に発効したパリ協定が目指したのは2100年までの気温上昇を産業革命以前と比較して2℃未満(可能であれば、1.5℃未満)に抑え込むことだ。
すでに1℃の上昇が生じているなかで、1.5℃未満に抑え込むためには、今すぐ行動しなければならない。具体的には、2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減させ、2050年までに純排出量をゼロにしなければならない。
もし現在の排出ペースを続けるなら、2030年には気温上昇1.5℃のラインを越え、2100年には4℃以上の気温上昇が危惧される。
気温上昇が4℃まで進めば、被害は壊滅的なものになり、東京の江東区、墨田区、江戸川区などは、高潮でほとんど冠水するといわれている。大阪でも淀川流域の大部分が冠水し、沿岸部を中心に日本全土で1000万人に影響するという予測もある。
世界規模で見れば、億単位の人々が現居住地からの移住を余儀なくされ、人類が必要とする食糧供給は不可能になる。こうした被害が恒常的に続くのだ。
第二次世界大戦後の経済成長とそれ伴う環境負荷の増大は、冷戦体制の崩壊後、さらに強まっている。このような時代が持続可能なはずがない。
これまでの南北問題も含め、資本主義の歴史を振り返れば、先進国の豊かな生活の裏側では、さまざまな悲劇が繰り返された。資本主義の矛盾がいまグローバル・サウス(世界化における南部問題)に凝縮されている。
グローバル・サウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイルは「帝國的生活様式」と呼ばれる。
グローバル・サウスの人々の生活条件の悪化は資本主義の前提条件であり、南北の支配従属関係は例外的事態ではなく、平常運転なのだ。
先進国の豊かさには、このように代償を遠くに転嫁して不可視化してしまうことが不可欠である。これは「外部化社会」と呼ばれ、絶えず外部性を作り出し、そこに負担を転嫁する。
ところが資本主義のグローバル化が地球の隅々まで及んだために、新たな収奪の対象となるフロンティアが消滅してしまった。
搾取の対象は人間の労働力だが、それは資本主義の一面で、もう一方の本質的な側面は地球環境だ。人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる略奪の対象にする。
このことが本書の基本的主張の一つだ(P.32)
そのような社会システムが無限の経済成長を目指せば、地球環境は当然危機的状況に陥る。
この帝國的生活様式は日常生活を通じて絶えず再生産されるが、その暴力性は遠くの地で発揮されるため不可視化され続ける。
それを見ないようにして、帝国的生活様式は一層強固になり、危機対応は先延ばしされた。
人類の経済活動が全地球を覆ってしまった「人新世」とは、そのような収奪と転嫁のために外部が消尽した時代だ。
この転嫁による外部性の問題点をマルクスは19世紀半ばに分析していた。
第一の転嫁方法は、環境危機を技術の発展で乗り越えようとする方法だが、例えば化学肥料の使用による農業の発展は大規模な環境問題を引き起こす。
第二の方法が空間的転嫁だだが、この試みは原住民の暮らしや生態系に大きな打撃を与え、矛盾を深める。
第三の方法が時間的転嫁だが、例えば森林の過剰伐採は気候変動を招き、将来世代に大きなツケを残す。
これらの方法による被害に周辺部が真っ先に晒される。そして資本主義より前に地球がなくなる。
第2章
資本主義は負荷を外部に転嫁することで経済成長を続けていく。
外部化がうまくいっている間は、先進国に住む私たちは環境危機に苦しむことなく豊かな生活を送ることができた。
そうしているうちに、後戻り不能点まで残された時間がわずかになった。
国連がSDGsを掲げ「緑の経済成長」を追及している。
これは現実逃避だ。経済成長か、それとも気温上昇1.5℃ 未満か、どちらかしかない。
このような現実逃避で帝国的生活は維持され、近い将来私たちはその報いを受ける。
第3章
経済成長を諦め脱成長を気候変動対策の本命としなければならない。
経済成長をしなくても既存の資源をうまく配分すれば、社会は今以上に繫栄できる。
世界全体が持続可能で公正な社会に移行しなければ地球は住めなくなり先進国の繫栄も脅かされる。
だが外部化と転嫁に依拠した資本主義では世界的な公正さを実現できない。
私たちが環境危機の時代に、自分だけが生き延びようとしても、時間稼ぎはできても、地球は一つしかないから、最終的には逃げ場がなくなる。
平等を軸に考えたとき「人新世」の時代における未来の選択肢が4つある。
1 気候ファシズム。経済成長と資本主義にしがみついて生き残ろうとする超富裕層。
2 野蛮状態。気候変動で環境難民が増え食糧生産が落ち大衆が反乱し万人の万人に対する闘争となる。
3 気候毛沢東主義。野蛮状態を避けるためにトップダウン型の気候変動対策をとり、自由民主主義の理念を捨て中央集権的な独裁国家が成立。
4 脱成長コミュニズム。民主主義的な相互扶助による公正で持続可能な未来社会。
最後の④手がかりは脱成長だ。資本は手段を択ばない。惨事に便乗し、最後まであらゆる状況に適応する強靭性を発揮し、環境危機を前にしても自ら止まらない。
気候危機対策は一つの目安として生活レベルを1970年代後半の水準まで落とすことを求めている
資本主義は70年代に深刻なシステム危機に陥り、この危機を越えるために新自由主義が導入されたが、民営化、規制緩和で格差が拡大した。
私たちの手で資本主義を止めて脱成長型のポスト資本主義に向けて大転換することだ。
資本主義の下で先進国で暮らす大多数の人々は依然として貧しい。米国の若年層は資本主義よりも社会主義に肯定的だ。
脱成長は平等と持続可能性を目指す。
第4章
「人新世」の環境危機をマルクスならばどのように分析するか。古びたマルクス解釈を繰り返さず、新しいマルクス像を提示しよう。
マルクスにとってコミュニズムとはソ連のような一党独裁と国営化の体制を指すものではなかった。彼にとってコミュニズムとは生産者たちが生産手段を共同で管理・運営する社会のことだった。
若年時代のマルクスは資本主義の発展が、生産力の上昇と過剰生産恐慌によって革命を準備してくれるとという楽観論を抱いていた。いわゆる「生産力至上主義」だ。
だが1848年の革命は失敗し1858年の恐慌も同じだった。恐慌を乗り越える資本主義の強靭さに、マルクスは認識を修正する。それは「資本論」刊行以後のことだった。
マルクスは誤解されていた。資本主義は生産力を引き上げ、将来の社会で豊かで自由な生活を送る準備をしてくれる、つまり「進歩史観」だ。
マルクスの「進歩史観」(いわゆる「史的唯物論」)には「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」の2つの特徴がある。
「生産力至上主義」は、生産が環境にもたらす破壊作用を完全に無視した。
マルクスの草稿やノートを大量に含む新たな全集の編集を通じて、晩期マルクスの環境保護的な資本主義批判に光が当たった。マルクスは「生産力至上主義」からはっきりと
決別していた。
「資本論」第1巻刊行以後、マルクスは「ヨーロッパ中心主義的な進歩史観」からも決別した。
晩期マルクスは大転換した。
第5章
経済成長のための「構造改革」が繰り返されることで、世界で最も裕福な資本家26人は貧困層38億人(世界人口の約半分)の総資産と同額の富を独占している。
第6章
欠乏を生んでいるのは資本主義だ。私財が公富を減らしていく。
資本主義発足以前、土地や水といった公富は潤沢だった。公富は電力や水だけではない。生産手段そのものも公富にしてゆく必要がある。労働者たちが共同出資して生産手段を共同所有し共同管理する組織が労働者協同組合だ。
労働者協同組合は労働者の自治・自律に向けた一歩として重要な役割を果たす。それが可能なのは、社長や株主の私有ではなく国営企業でもなく労働者たち自身による社会的所有だからだ。
脱成長コミュニズムは豊潤な経済を作る。
第7章
脱成長コミュニズムが世界を救う。
マルクスの脱成長の思想は150年近く見逃されてきた。今はじめて「人新世」の時代へと「資本論」が更新される。
脱成長コミュニズムの柱①――使用価値経済への転換
②――労働時間の短縮
3 ――画一的な分業の廃止
4 ――生産過程の民主化
⑤――働集約型産業の重視(ケア労働など)
くだらない仕事の軽視(マーケティング、広告、金融業、保険業など)
第8章
マルクスが進歩史観を完全に捨て脱成長を受け入れるようになった背景にはグロ-バル・サウスへのまなざしがあった。
気候変動を引き起こしたのは先進国の富裕層だが、その被害を受けるのはグローバル・サウスの人々と将来世代だ。この不公平を解消すべきだというのが気候正義だ
晩期マルクスのグローバル・サウスから学ぶ姿勢は21世紀にますます重要性を増している。資本主義が引き起こす環境危機はグローバル・サウスにおいて、その矛盾が激化しているからだ。
バルセロナの気候非常宣言(2020年1月)は気候正義を革命のテコにしようとしている。バルセロナの運動は国境を越えて広がっている。
「資本主義の超克」、「民主主義の刷新」、「社会の脱炭素化」という三位一体のプロジェクトの着地点は相互扶助と自治に基づいた脱成長コミュニズムだ。
おわりに
フィリピンのマルコス独裁を打倒した革命(1986年)やシュワルナゼ大統領を辞任させたグルジア革命(2003年)は、3.5%の非暴力的な市民の不服従がもたらした社会変革の一例だ。
地球の未来は本書を読んだあなたが3.5%のひとりとして加わるかどおうかにかかっている。                            (以上)

新聞掲載の広告によれば、本書は2021新書大賞第1位で20万部を突破!とある。20万人といえば日本の大学生総数の1割弱に当たり、頼もしいことだ。
たまたま当会ニュース読者の深田哲士氏(鳥取県・『象徴としての日本国憲法』著者)が本書の愛読者と知った。同好の有志の拡大を期待している。

2021年2月20日 | カテゴリー : ⑤図書紹介 | 投稿者 : 管理人

「夫婦別姓」と「子の氏」

(弁護士 後藤富士子)

1 離婚後は「選択的父母同姓」
 戸籍法第6条は「戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。」と定めている。だから、夫婦と子は同じ「氏=姓」になる。これが「入籍」という現象である。そして、婚姻時に夫の氏を称するために96%の女性が改姓しているという。
 一方、離婚の場合にどうなるか。戸籍の問題では、まず改姓した妻が夫を筆頭者とする戸籍から出ることになり、自分を筆頭者とする単独の戸籍を編製するのが一般的である。氏は旧姓に戻ることもできるが、離婚時の氏を続称することもできる。民法改正前は、必ず復氏しなければならなかったが、離婚に際し子の親権者になるのは母が多く、必然的に子の氏も変更しなければならなくなる。子どもが小学校高学年以上になると、氏の変更は両親の離婚を世間に周知させるようなもので、そのために不登校になった子もいる。そこで、子の福祉に配慮して、「離婚の際に称していた氏を称する」ことができるようになったのである(民法第768条1項、2項)。すなわち、離婚の場合、原則は「父母別姓」であるが、選択的に「父母同姓」が民法で認められている。とはいえ、父の氏と母の氏が同じでも、戸籍の上では、子は「父の氏」から「母の氏」に変更することになり、「氏の変更」の家事審判が必要となる。
 なお、「親権」と「氏」の問題は、戸籍上は別個の問題である。改姓した母を親権者として母が旧姓に戻る場合でも、子を父の戸籍に残しておくことはできる。戸籍の子の欄に「親権者:母」と記載されるが、「氏」を同じくする父の戸籍に残るのである。
 ところで、離婚による絶対的単独親権制は、子を巡って離婚紛争を熾烈で消耗なものにしている。 (さらに…)

2021年2月10日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 後藤富士子

国会と司法が試されるとき

「桜を見る会前夜祭」で、安倍前首相の事務所が会費を補填していたことが、東京地検特捜部の捜査で明らかになった。そもそも都内一流ホテルで会費5,000円、領収書は参加者個人にホテルが発行、明細書も何ももらっていないなど、信じがたい国会答弁を繰り返してきた前首相だが、すべてが虚偽であったことが白日の下にさらされつつある。こうした国会や国民を馬鹿にした答弁を繰り返してきた前首相がとる戦術が、「秘書が独断でやったことで、知らなかった」であることは容易に想像できる。そして、検察は「政治資金規正法も公職選挙法も不起訴」とする方向との報道も取りざたされる。果たしてそれでいいのか。国会は国民の負託を受けた国権の最高機関であるが、国会及び国民は行政の最高権力者の嘘に1年近く騙され続けてきたのである。

野党は国会で安倍前首相の証人喚問を要求しているが、菅首相もまた同罪であることから、前首相の負の遺産を見事に継承し、国会を愚弄した答弁を続けるだけで、全く信用できない存在。

しかし、かつてはリクルート事件で中曽根元首相、佐川急便事件で竹下元首相が証人喚問されたこともあり、自民党政権時代であっても、首相経験者の証人喚問の実績がある。自民党議員もこの1年間騙されてきたこと、そしてモリ・カケ・サクラ・定年延長など、数々の政治の私物化疑惑のある安倍前首相の証人喚問に応じることは、国会議員の矜持を示す時でもある。行政監視機関としての国会の機能が試されている。

そして検察・裁判所の対応である。かつて政界のドンと言われた金丸信が、5億円の闇献金問題が明るみになったが、東京地検特捜部は金丸に事情聴取もせずに略式起訴し、東京地裁が20万円の略式命令をしたことから、その刑罰の軽さに関して司法が世論の大反発を受けたことがあった。その反発を受け、その後検察は脱税で金丸を逮捕・起訴せざるを得なくなった。今回安倍前首相を不起訴にするような判断は決して許されるものではない。

安倍前首相は9月に体調不良で突然辞任したが、最近はすこぶる元気だったとのこと。現役首相で前夜祭問題の真相が発覚することを恐れたための辞任とも推測される。安倍前首相には、議員辞職という形で政治責任を取ってほしいものである。

2020.11.29 栁澤

2020年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa
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