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総務省幹部官僚違法接待問題と菅義偉首相の責任

「(長男は)今もう40(歳)ぐらいですよ。私は普段ほとんど会ってないですよ。私の長男と結びつけるちゅうのは、いくらなんでもおかしいんじゃないでしょうか。私、完全に別人格ですからね、もう」

これは、2月4日の衆議院予算委員会で、首相の長男が東北新社の社員として接待に同席していたことに対して、顔を強張らせながら、感情をあらわにして言い放った答弁である。

違法接待疑惑が明るみに出たのは、同日発売の週刊文春が報じた記事。昨年10月~12月にかけて4回、総務省の幹部官僚4人がそれぞれ個別に、東北新社から高級飲食店で接待を受け、お土産やタクシー券を手渡している場面が写真付きで報じられた。この時期は、飲食の自粛、不要不急の外出を控えるように、都知事が訴えていた時期とも重なる。その後の総務省の調査で、この4人が2015年以降、12回にわたって接待を受けており、そのすべての席に首相の長男が同席していたことが明らかになった。

国家公務員は、「国家公務員倫理法」で利害関係者からの金品の受領や接待を固く禁じられているが、衛星放送事業は総務省の許認可が必要であり、その事業を大きな柱とする東北新社が利害関係者にあたることを、監督官庁の担当局長が知らないはずがない。

国家公務員倫理法 第3条第3項

「職員は、法律により与えられた権限の行使に当たっては、当該権限の行使の対象となる者からの贈与等を受けること等の国民の疑惑や不信を招くような行為をしてはならないこと。」

週刊誌報道後国会での追及が始まったが、与党は4人の官僚のうち次期次官候補を含む上位2人の予算委員会出席を拒否、秋本情報流通行政局長と湯本審議官が答弁することになったが、信じられないような答弁が繰り返された。

「東北新社が利害関係者とは思っていなかった」

「東北新社の事業や衛星放送、CS・BSの話は出なかったと記憶している」

「東北出身者の集まりだった」、「忘年会だった」等々。

こうした虚偽答弁を覆すべく出てきたのが二発目の文春砲。秋本局長接待時の会話の録音テープが報道され、今までの答弁が虚偽であったことも明らかになった。

総務省は、2月4日の報道以来、省内調査を徹底的にやると言いながら、武田総務大臣は調査の途中にも拘らず、「行政がゆがめられたことは一切ない」と言い切るなど、身内の調査の甘さが図らずも露呈した。

上述の通り、今回の違法接待は極めて分かりやすい構図で、贈収賄の疑いも濃厚な国家公務員倫理法違反であるが、菅政権は早々に二人の更迭人事を行い、国会に出席させない戦術をとることが懸念され、更には4人の官僚の懲戒処分で終結を図ることも予想される。

しかし、この問題の核心は、何故幹部官僚がリスクを冒してまで易々と接待に応じていたかである。菅首相は、小泉政権時に総務副大臣となり、総務省人事の権限を握ったとされ、第一次安倍政権では総務大臣に就任、第二次安倍政権でも官房長官として総務省に絶大な影響力を持ってきた。そんな菅氏が総務大臣就任時、大臣の政務秘書官に当時定職がなかった25歳の長男を起用したのである。その後、菅氏と同郷である東北新社創業者に依頼して、同社に入社したとされ、いまでは40歳にして本社部長兼子会社「囲碁・将棋チャンネル」取締役を務める。こうした経緯を考えると、「自助」を重視する菅氏が、身内に対しては自分の地位と権力を使って「公助」する構図が浮かび上がる。「息子は別人格」などと、堂々と言える資格はないと考えるのが庶民の感覚である。

森友問題における佐川理財局長と同じく、総務官僚もまた父親の影響力を恐れて、息子の誘いを断ることができず、リスクを冒して接待に応じていた可能性は否定できない。

菅首相は、東北新社社長から個人献金として2012年~2018年の間で500万円受領しており、パーティー券も受領を肯定している。更には、会食も行っているが、時期については記憶が定かでない旨、曖昧な回答しかしていない。

この接待疑惑問題は、官僚の贈収賄や倫理問題だけではなく、首相という最高位の公務員の倫理、または犯罪が問われているといっても過言ではない。

菅首相には是非とも憲法第15条第2項を再認識してもらい、自身の責任を明らかにしてほしい。

「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」

2021年2月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

新刊「人新世の『資本論』」斎藤幸平著のご紹介

「人新世の『資本論』」紹介
――斎藤幸平著、集英社新書、2020年刊、1020円+税――
福田玲三

 地球は新たな年代に突入したとノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは言い、それを地質学的に「人新世」と、彼は名付けた。人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代という意味だ。
地質学の時代区分は1万年あるいは数十万年を単位としている。現地質時代は1万年以来続く新生代第4世紀の「完新世」だったから、それに継ぐものだろうか。
新聞で評判の本書を読了して目の覚める感銘と不朽の感動を覚えた。
以下に本書の荒筋を記す。
第1章
2016年に発効したパリ協定が目指したのは2100年までの気温上昇を産業革命以前と比較して2℃未満(可能であれば、1.5℃未満)に抑え込むことだ。
すでに1℃の上昇が生じているなかで、1.5℃未満に抑え込むためには、今すぐ行動しなければならない。具体的には、2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減させ、2050年までに純排出量をゼロにしなければならない。
もし現在の排出ペースを続けるなら、2030年には気温上昇1.5℃のラインを越え、2100年には4℃以上の気温上昇が危惧される。
気温上昇が4℃まで進めば、被害は壊滅的なものになり、東京の江東区、墨田区、江戸川区などは、高潮でほとんど冠水するといわれている。大阪でも淀川流域の大部分が冠水し、沿岸部を中心に日本全土で1000万人に影響するという予測もある。
世界規模で見れば、億単位の人々が現居住地からの移住を余儀なくされ、人類が必要とする食糧供給は不可能になる。こうした被害が恒常的に続くのだ。
第二次世界大戦後の経済成長とそれ伴う環境負荷の増大は、冷戦体制の崩壊後、さらに強まっている。このような時代が持続可能なはずがない。
これまでの南北問題も含め、資本主義の歴史を振り返れば、先進国の豊かな生活の裏側では、さまざまな悲劇が繰り返された。資本主義の矛盾がいまグローバル・サウス(世界化における南部問題)に凝縮されている。
グローバル・サウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイルは「帝國的生活様式」と呼ばれる。
グローバル・サウスの人々の生活条件の悪化は資本主義の前提条件であり、南北の支配従属関係は例外的事態ではなく、平常運転なのだ。
先進国の豊かさには、このように代償を遠くに転嫁して不可視化してしまうことが不可欠である。これは「外部化社会」と呼ばれ、絶えず外部性を作り出し、そこに負担を転嫁する。
ところが資本主義のグローバル化が地球の隅々まで及んだために、新たな収奪の対象となるフロンティアが消滅してしまった。
搾取の対象は人間の労働力だが、それは資本主義の一面で、もう一方の本質的な側面は地球環境だ。人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる略奪の対象にする。
このことが本書の基本的主張の一つだ(P.32)
そのような社会システムが無限の経済成長を目指せば、地球環境は当然危機的状況に陥る。
この帝國的生活様式は日常生活を通じて絶えず再生産されるが、その暴力性は遠くの地で発揮されるため不可視化され続ける。
それを見ないようにして、帝国的生活様式は一層強固になり、危機対応は先延ばしされた。
人類の経済活動が全地球を覆ってしまった「人新世」とは、そのような収奪と転嫁のために外部が消尽した時代だ。
この転嫁による外部性の問題点をマルクスは19世紀半ばに分析していた。
第一の転嫁方法は、環境危機を技術の発展で乗り越えようとする方法だが、例えば化学肥料の使用による農業の発展は大規模な環境問題を引き起こす。
第二の方法が空間的転嫁だだが、この試みは原住民の暮らしや生態系に大きな打撃を与え、矛盾を深める。
第三の方法が時間的転嫁だが、例えば森林の過剰伐採は気候変動を招き、将来世代に大きなツケを残す。
これらの方法による被害に周辺部が真っ先に晒される。そして資本主義より前に地球がなくなる。
第2章
資本主義は負荷を外部に転嫁することで経済成長を続けていく。
外部化がうまくいっている間は、先進国に住む私たちは環境危機に苦しむことなく豊かな生活を送ることができた。
そうしているうちに、後戻り不能点まで残された時間がわずかになった。
国連がSDGsを掲げ「緑の経済成長」を追及している。
これは現実逃避だ。経済成長か、それとも気温上昇1.5℃ 未満か、どちらかしかない。
このような現実逃避で帝国的生活は維持され、近い将来私たちはその報いを受ける。
第3章
経済成長を諦め脱成長を気候変動対策の本命としなければならない。
経済成長をしなくても既存の資源をうまく配分すれば、社会は今以上に繫栄できる。
世界全体が持続可能で公正な社会に移行しなければ地球は住めなくなり先進国の繫栄も脅かされる。
だが外部化と転嫁に依拠した資本主義では世界的な公正さを実現できない。
私たちが環境危機の時代に、自分だけが生き延びようとしても、時間稼ぎはできても、地球は一つしかないから、最終的には逃げ場がなくなる。
平等を軸に考えたとき「人新世」の時代における未来の選択肢が4つある。
1 気候ファシズム。経済成長と資本主義にしがみついて生き残ろうとする超富裕層。
2 野蛮状態。気候変動で環境難民が増え食糧生産が落ち大衆が反乱し万人の万人に対する闘争となる。
3 気候毛沢東主義。野蛮状態を避けるためにトップダウン型の気候変動対策をとり、自由民主主義の理念を捨て中央集権的な独裁国家が成立。
4 脱成長コミュニズム。民主主義的な相互扶助による公正で持続可能な未来社会。
最後の④手がかりは脱成長だ。資本は手段を択ばない。惨事に便乗し、最後まであらゆる状況に適応する強靭性を発揮し、環境危機を前にしても自ら止まらない。
気候危機対策は一つの目安として生活レベルを1970年代後半の水準まで落とすことを求めている
資本主義は70年代に深刻なシステム危機に陥り、この危機を越えるために新自由主義が導入されたが、民営化、規制緩和で格差が拡大した。
私たちの手で資本主義を止めて脱成長型のポスト資本主義に向けて大転換することだ。
資本主義の下で先進国で暮らす大多数の人々は依然として貧しい。米国の若年層は資本主義よりも社会主義に肯定的だ。
脱成長は平等と持続可能性を目指す。
第4章
「人新世」の環境危機をマルクスならばどのように分析するか。古びたマルクス解釈を繰り返さず、新しいマルクス像を提示しよう。
マルクスにとってコミュニズムとはソ連のような一党独裁と国営化の体制を指すものではなかった。彼にとってコミュニズムとは生産者たちが生産手段を共同で管理・運営する社会のことだった。
若年時代のマルクスは資本主義の発展が、生産力の上昇と過剰生産恐慌によって革命を準備してくれるとという楽観論を抱いていた。いわゆる「生産力至上主義」だ。
だが1848年の革命は失敗し1858年の恐慌も同じだった。恐慌を乗り越える資本主義の強靭さに、マルクスは認識を修正する。それは「資本論」刊行以後のことだった。
マルクスは誤解されていた。資本主義は生産力を引き上げ、将来の社会で豊かで自由な生活を送る準備をしてくれる、つまり「進歩史観」だ。
マルクスの「進歩史観」(いわゆる「史的唯物論」)には「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」の2つの特徴がある。
「生産力至上主義」は、生産が環境にもたらす破壊作用を完全に無視した。
マルクスの草稿やノートを大量に含む新たな全集の編集を通じて、晩期マルクスの環境保護的な資本主義批判に光が当たった。マルクスは「生産力至上主義」からはっきりと
決別していた。
「資本論」第1巻刊行以後、マルクスは「ヨーロッパ中心主義的な進歩史観」からも決別した。
晩期マルクスは大転換した。
第5章
経済成長のための「構造改革」が繰り返されることで、世界で最も裕福な資本家26人は貧困層38億人(世界人口の約半分)の総資産と同額の富を独占している。
第6章
欠乏を生んでいるのは資本主義だ。私財が公富を減らしていく。
資本主義発足以前、土地や水といった公富は潤沢だった。公富は電力や水だけではない。生産手段そのものも公富にしてゆく必要がある。労働者たちが共同出資して生産手段を共同所有し共同管理する組織が労働者協同組合だ。
労働者協同組合は労働者の自治・自律に向けた一歩として重要な役割を果たす。それが可能なのは、社長や株主の私有ではなく国営企業でもなく労働者たち自身による社会的所有だからだ。
脱成長コミュニズムは豊潤な経済を作る。
第7章
脱成長コミュニズムが世界を救う。
マルクスの脱成長の思想は150年近く見逃されてきた。今はじめて「人新世」の時代へと「資本論」が更新される。
脱成長コミュニズムの柱①――使用価値経済への転換
②――労働時間の短縮
3 ――画一的な分業の廃止
4 ――生産過程の民主化
⑤――働集約型産業の重視(ケア労働など)
くだらない仕事の軽視(マーケティング、広告、金融業、保険業など)
第8章
マルクスが進歩史観を完全に捨て脱成長を受け入れるようになった背景にはグロ-バル・サウスへのまなざしがあった。
気候変動を引き起こしたのは先進国の富裕層だが、その被害を受けるのはグローバル・サウスの人々と将来世代だ。この不公平を解消すべきだというのが気候正義だ
晩期マルクスのグローバル・サウスから学ぶ姿勢は21世紀にますます重要性を増している。資本主義が引き起こす環境危機はグローバル・サウスにおいて、その矛盾が激化しているからだ。
バルセロナの気候非常宣言(2020年1月)は気候正義を革命のテコにしようとしている。バルセロナの運動は国境を越えて広がっている。
「資本主義の超克」、「民主主義の刷新」、「社会の脱炭素化」という三位一体のプロジェクトの着地点は相互扶助と自治に基づいた脱成長コミュニズムだ。
おわりに
フィリピンのマルコス独裁を打倒した革命(1986年)やシュワルナゼ大統領を辞任させたグルジア革命(2003年)は、3.5%の非暴力的な市民の不服従がもたらした社会変革の一例だ。
地球の未来は本書を読んだあなたが3.5%のひとりとして加わるかどおうかにかかっている。                            (以上)

新聞掲載の広告によれば、本書は2021新書大賞第1位で20万部を突破!とある。20万人といえば日本の大学生総数の1割弱に当たり、頼もしいことだ。
たまたま当会ニュース読者の深田哲士氏(鳥取県・『象徴としての日本国憲法』著者)が本書の愛読者と知った。同好の有志の拡大を期待している。

2021年2月20日 | カテゴリー : ⑤図書紹介 | 投稿者 : 管理人

「夫婦別姓」と「子の氏」

(弁護士 後藤富士子)

1 離婚後は「選択的父母同姓」
 戸籍法第6条は「戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。」と定めている。だから、夫婦と子は同じ「氏=姓」になる。これが「入籍」という現象である。そして、婚姻時に夫の氏を称するために96%の女性が改姓しているという。
 一方、離婚の場合にどうなるか。戸籍の問題では、まず改姓した妻が夫を筆頭者とする戸籍から出ることになり、自分を筆頭者とする単独の戸籍を編製するのが一般的である。氏は旧姓に戻ることもできるが、離婚時の氏を続称することもできる。民法改正前は、必ず復氏しなければならなかったが、離婚に際し子の親権者になるのは母が多く、必然的に子の氏も変更しなければならなくなる。子どもが小学校高学年以上になると、氏の変更は両親の離婚を世間に周知させるようなもので、そのために不登校になった子もいる。そこで、子の福祉に配慮して、「離婚の際に称していた氏を称する」ことができるようになったのである(民法第768条1項、2項)。すなわち、離婚の場合、原則は「父母別姓」であるが、選択的に「父母同姓」が民法で認められている。とはいえ、父の氏と母の氏が同じでも、戸籍の上では、子は「父の氏」から「母の氏」に変更することになり、「氏の変更」の家事審判が必要となる。
 なお、「親権」と「氏」の問題は、戸籍上は別個の問題である。改姓した母を親権者として母が旧姓に戻る場合でも、子を父の戸籍に残しておくことはできる。戸籍の子の欄に「親権者:母」と記載されるが、「氏」を同じくする父の戸籍に残るのである。
 ところで、離婚による絶対的単独親権制は、子を巡って離婚紛争を熾烈で消耗なものにしている。 (さらに…)

2021年2月10日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 後藤富士子

国会と司法が試されるとき

「桜を見る会前夜祭」で、安倍前首相の事務所が会費を補填していたことが、東京地検特捜部の捜査で明らかになった。そもそも都内一流ホテルで会費5,000円、領収書は参加者個人にホテルが発行、明細書も何ももらっていないなど、信じがたい国会答弁を繰り返してきた前首相だが、すべてが虚偽であったことが白日の下にさらされつつある。こうした国会や国民を馬鹿にした答弁を繰り返してきた前首相がとる戦術が、「秘書が独断でやったことで、知らなかった」であることは容易に想像できる。そして、検察は「政治資金規正法も公職選挙法も不起訴」とする方向との報道も取りざたされる。果たしてそれでいいのか。国会は国民の負託を受けた国権の最高機関であるが、国会及び国民は行政の最高権力者の嘘に1年近く騙され続けてきたのである。

野党は国会で安倍前首相の証人喚問を要求しているが、菅首相もまた同罪であることから、前首相の負の遺産を見事に継承し、国会を愚弄した答弁を続けるだけで、全く信用できない存在。

しかし、かつてはリクルート事件で中曽根元首相、佐川急便事件で竹下元首相が証人喚問されたこともあり、自民党政権時代であっても、首相経験者の証人喚問の実績がある。自民党議員もこの1年間騙されてきたこと、そしてモリ・カケ・サクラ・定年延長など、数々の政治の私物化疑惑のある安倍前首相の証人喚問に応じることは、国会議員の矜持を示す時でもある。行政監視機関としての国会の機能が試されている。

そして検察・裁判所の対応である。かつて政界のドンと言われた金丸信が、5億円の闇献金問題が明るみになったが、東京地検特捜部は金丸に事情聴取もせずに略式起訴し、東京地裁が20万円の略式命令をしたことから、その刑罰の軽さに関して司法が世論の大反発を受けたことがあった。その反発を受け、その後検察は脱税で金丸を逮捕・起訴せざるを得なくなった。今回安倍前首相を不起訴にするような判断は決して許されるものではない。

安倍前首相は9月に体調不良で突然辞任したが、最近はすこぶる元気だったとのこと。現役首相で前夜祭問題の真相が発覚することを恐れたための辞任とも推測される。安倍前首相には、議員辞職という形で政治責任を取ってほしいものである。

2020.11.29 栁澤

2020年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

「統一修習」を「法科大学院」に置き換える ――「司法試験」「判事補」の再定義

(弁護士 後藤富士子)

1 「検察事務官」から「検事正」が誕生
 検察事務官から出発した岡田博之氏(61歳)が、今年9月14日付で盛岡地検検事正に就任した。出身地旭川市の高校を卒業後、旭川地検の検察事務官に採用され、視野を広げようと旭川大学経済学部の夜間部に通った。内部試験により、1993年に副検事、2001年に検事となり、東京地検刑事部副部長や名古屋地検公安部長を経て、昨年11月から神戸地検姫路支部長を務めた(ニュース・弁護士ドットコム9月29日)。
 私は、「検事」になるには、〈司法試験 → 統一修習修了〉のルートしかないと思い込んでいたが、誤りである。検察庁法によれば、検察官の種類は、検事総長、次長検事、検事長、検事、副検事の5種であり(3条)、等級に1級と2級があり、副検事は2級である(15条2項)。そして、3年以上副検事の職にあって政令で定める考試を経た者は2級検事になれるし(18条3項)、2級検事になると、1級検察官(検事総長、次長検事、検事長)の任命資格として「司法修習生の修習を終えた者」とみなされる(19条3項)。すなわち、「統一修習」という障壁は、大昔から決壊していたのである。
 一方、 (さらに…)

2020年11月2日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 後藤富士子

菅首相は日本学術会議が推薦した会員候補6名の任命拒否を直ちに撤回せよ

日本学術会議(以下学術会議)が会員候補として推薦した105名のうち、6名が政府に任命拒否された事実が10月1日明らかになった。学術会議会員の定数は210名、任期が6年。3年ごとに半数が入れ替わることになっており、次の会員候補は学術会議が推薦し、首相がその推薦に基づき任命することになっている。

今回の問題における日本学術会議法(以下「法」という)の関係条文は次の通りである。

第1条第2   日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。

第3    日本学術会議は、独立して左の職務を行う。(以下略)

第5条    日本学術会議は、左の事項について、政府に勧告することができる。(以下略)

第7条第2項 会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する

第17      日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする

(さらに…)

2020年10月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

護憲勢力の歴史的勝利を祝う

さる8月28日午後2時、安倍晋三首相の辞意表明がテレビで伝えられ衝撃が走った。ついで午後5時からの記者会見で安倍首相は持病再発のためとして辞任の意向を表明した。第2次安倍政権は、2012年12月26日の発足から約7年8カ月で幕をとじる。
記者会見で「改憲の機運が高まらなかった理由は」と聞かれ、首相は「国民的な世論が充分盛り上がらなかったのは事実で、それなしに進めることはできないと痛感してる」と答えた。選挙の度に公約に掲げて信任されたから「改憲は国民に支持された」と強弁していた首相が、初めて国民の支持を得られなかったことを認めた。
(さらに…)

2020年9月2日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 福田 玲三

コロナの夏に憲法を考える―「主権」と「自治」

(弁護士後藤富士子)

1 「主権」というとき、その主体が誰かによって「国家主権」と「国民(人民)主権」に区分される。
 日本は、第二次世界大戦で負けるまで、他国を武力侵略して植民地化した経験はあっても、他国によって自国が植民地化されることはなかった。敗戦によっても他国の植民地になることはなかったが、沖縄問題や日米安保体制・地位協定にはっきり刻印されているように、「独立国家」は見せかけにすぎない。
 一方、「国民主権」についていえば、戦前は絶対主義的天皇制であり、「主権在民」を叫べば「国体の変革を企てる」という理由で、治安維持法により殺人的な弾圧を受けた。「主権在民」は日本国憲法によって初めてもたらされたのである。 (さらに…)

2020年8月19日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

国旗・国歌の強制は憲法19条違反、思想・良心の自由を守れ!

「生徒自ら曲を選び、練習してきた合唱は取りやめになった。どうせ歌うなら『君が代』ではなく、思い入れのあるそっちを歌わせたかった」

これは今年3月、卒業生を見送った都立高校教諭の正直な思いである。

2020年7月20日付東京新聞に、次のような記事が掲載された。

「都立学校の今年3月の卒業式について調査したところ、コロナ禍の影響で、感染防止を優先し、保護者・在校生の出席なし、式次第は卒業証書授与など必要最低限として時間短縮が図られた。ただし、東京都教育委員会(都教委)が2月28日に発した文書には、「国歌斉唱を行う方針に変更ありません」とあり、結果的に都立学校253校すべてが「君が代」を斉唱していた」

(さらに…)

2020年8月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

「法の理想」を指針として――「共同監護」を創造するために

(弁護士  後藤富士子)

1 「単独親権」から「共同親権」への法の進化
 民法818条は「父母の共同親権」を定めている。家父長的「家」制度をとっていた戦前の民法が「家に在る父」(一次的)または「家に在る母」(二次的)の単独親権制を定めていたのと比較すると、革命的転換であった。その根拠になったのは、「個人の尊厳と両性の本質的平等」を謳った日本国憲法24条である。「個人の尊厳」という点から親権に服する子は未成年者に限定され、親権は未成熟子の監護教育を目的とする子のための制度であることが明らかにされた。また、「両性の本質的平等」という点で「父母の共同親権」とされている。すなわち、戦後の日本の出発点は、家父長的「家」制度を廃止し、「単独親権」から「父母の共同親権」へ進化したのである。換言すれば、「父母の共同親権」は、まさに「法の理想」であったのだ。 (さらに…)

2020年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子
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