Q&A 志位和夫『共産主義と自由』を読む  

合田寅彦(2024・9・6)

新聞広告を目にして講演録である上記の書を買い求めた。読み進めている途中、なぜだか北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海道五十三次」の浮世絵が頭に浮かんでいた。どちらも、身分社会の厳しい言わば自由にほど遠いと思われがちな江戸時代にあって、平和な庶民の姿を描いている。そこに権力者の姿はどこにもない!そんなイメージが頭をかすめながら同時にマルクスの『資本論』を基に語る志位氏の「おとぎ話」に聞き入る民青諸君の素直な顔を活字の向こうに思い浮かべていた。九十を目前にしたさび付いた頭脳の私に良い刺激を与えてくれた本書に感謝しないわけにはいかない
若き日のマルクスは「ヘーゲルの弁証法」と「フォイエルバッハの唯物論」を学ぶ中で彼独自の「資本制社会における人間疎外(労働疎外)」を深く認識し(「経済学哲学手稿」)、かの有名な「フォイエルバッハに関するテーゼ11」で「かつて哲学者は歴史をさまざま解釈してきたが、肝心なことは変革することである」(おぼろげな私の記憶)と言いきったのだ。

さて、志位氏の講演を聞いた民青諸君はそこから何を会得したのであろうか。自分たちの日頃の活動(共産主義社会実現に向けての)に自信なり可能性なりを感じ取れたとしたら、それは志位氏のどこのどのような言辞がそれにあたるのだろうか。彼の講演が「おとぎ話」でないとの認識に立つのであれば、だが。
19世紀中葉のヨーロッパ(イギリス)は10歳程度の子供が平気で12時間もの労働をさせられていた社会であった。マルクスはエンゲルスの力や当時の『児童労働調査委員会報告・証言』を借り受け、そのあたりのことを「資本論」(第一巻)で克明に記述している。「資本制社会の崩壊」がまさしく人間解放の実現そのものであったのだ。だからこそ労働者の国際的団結が必要であった。マルクスの第一インターナショナル、レーニンの第二インターナショナル、ルクセンブルグの第三インターナショナル、トロツキーの第四インターナショナルはそのような社会革命のイメージを、労働疎外に身を置く労働者の国際的連帯に描いたのだ。
現実には、日本ばかりか世界中の労働運動が壊滅的状況にある。ではそれに代わる市民運動はどうか。すでにべ平連のような市民運動もなければ、残念なことに「日米安保破棄!」の一大国民運動もない。日米軍事同盟批判を口にする政党は「共産党」と弱小「社会党」と「れいわ」しかない。

では志位氏は、「おとぎ話」としてではなく、どのような社会認識に立って望ましい「共産主義社会での自由」を現実社会と結び付けて民青諸君に語ろうとしているのか。私にはそれがまったく見えない!
「共産主義社会の自由」があたかもコロナウイルスのように個人の価値観とは関係なく資本制社会に蔓延するものであれば、そのウイルスを肯定的に扱えばすむことだが、そんな都合の良いことはあり得ない。そうであれば、仮に共産主義が実現したとして、「志位氏の語る自由」はそれまでに身に刷り込まれた庶民の「個人所有の価値観」とどこでどう折り合いをつけるというのか。かつてのロシアのように強権により弾圧するのであれば別だが。資本制社会が崩壊すれば必然的に解決するものではなかろう。文学者であらずとも、人間がそんな単純な存在でないことくらい志位氏であれば分かろうものを。講演の中でその部分を志位氏は全く触れていない。来るべき「共産主義社会」にあって「政治権力」は存在するのかどうか。旧来の彼ら個人所有者に対し(当然抵抗はあろう)、かつてのロシア革命の自営農民弾圧のようなことをしないとの前提にたてば、でのことだが。

私なりに共産主義社会実現のイメージを考えてみたい。かつてのように、革命的労働者による政権奪取はありえない。なにしろ労働組合がないのだから。力による実現は不可能だという認識の上に立って。
考えられることは、貧困家庭を抱え込んだ「大まかな生活協同体」(財産の共有にまでいけばなお良い)がそれこそ全国津々浦々に誕生し、よい結果を生んでいることが大多数の国民の目にしかと認識されたときであろう。共産党員であればこそ、自分たちの間だけでもそれに似た生活共同体があっていいと思うが、どこにもない。かの「ヤマギシ会」の生みの親・山岸巳代蔵にその考え(ヤマギシズム)があったらしいが。
志位氏は現実に共産党という革新政党の指導者であるにもかかわらず、彼の言辞からそうした「共産・共有」のイメージがどこにも感じられない。かつてのフランス革命の合言葉「自由・平等・友愛」の「友愛」がここで言う「共有」にあたる。その「共有」の観念抜きに「共産主義的自由」があたかもそれ自体独り歩きするなどとは、「幻想」に過ぎないではないか。つまり、志位氏の講演が「おとぎ話」であるということだ。
以下がもう一つの志位氏批判の核心だ。あるべき共産主義社会の「自由」を語る前に、その「共産」を頭に冠する日本共産党という政治組織に果たして「人間の思考の自由」はあるのか。
結党以来100余年の日本共産党がこれまでにどれだけの数の党員を「反党分子」として除名してきたか。「権力の回し者」が仮にその中にしたとしても・・・。
未来社会を築こうとしてきた党であってみれば、その未知の社会へのイメージが多様であることはむしろ「財産」であろうに、文学者をはじめ多くの思想家を異分子として排除してきたのではなかったか。己の組織に多様な思考の自由がなく、どうして「党がイメージする未来の人間社会」に「自由がある」と語ることができるのか。近くは松竹某氏の除名があったではないか。笑止千万と言うに等しい。
私の地域にごく親しい共産党員が数名いる。みなさん「善人の塊」のような人たちばかりだ。ただし党の任務に縛り付けられている見るからに可哀そうな「市会議員の某」一人を除けばだが。傍観していて滑稽である。とはいえ、その地域共産党員皆さんの口にする言葉はすべて「コピーされたもの」との印象を抱くものばかりだ。「共産主義社会での人間の自由」を語る前に、「おのが党の言論の自由がどれほど狭められているか」をこそ党員各位は自覚すべきであろう。

Fazıl Say ~ Nâzım Oratoryosu Live「ナーズムオラトリオ」ライブ動画のご紹介

原爆で紙切れのように燃やされ灰になった7才の少女。10年経っても7才のまま。。。とあるから1955年にナーズム氏が書いた詩に(1963年に亡命先ロシアで死亡)、今のトルコ政府の依頼で、今人気のトルコ出身のピアニストであり作曲家のサイ氏が曲を書き、自らピアノを弾く。1時間半の大曲オラトリオには神の登場はなく、平和を願う人間の祈り、魂の叫びで原爆を投下したアメリカを糾弾するオラトリオらしいオラトリオになって、現代人の心を揺さぶる。演奏終了後の数千人の聴衆の拍手、歓声に唯一の被爆国日本もしっかりせねばと叱咤された。

ファジール・サイさんの演奏はYouTubeにたくさんアップされていますが、この曲はトルコ語(アルファベットだけで大丈夫です)で検索しないと見つかりません。

この動画には、YouTubeの自動翻訳で日本語字幕を表示させられますが、詩のコンピューター翻訳はダメですね。

古いものですが、ナームズ・ヒクメット氏の詩集はAmazonで手に入ります。

朝鮮人追悼碑の撤去に抗議する

                       福田玲三

 群馬県高崎市の県立公園にある朝鮮人の追悼碑は、戦時中に強制連行されて死亡した朝鮮人を悼むために、2004年に建てられた。

 碑の建立は県議会が全員一致で賛同し、場所を提供し、「宗教的・政治的な行事はしない」との条件がついた。設置許可は10年間で、14年に再度、県に許可を得る必要があった。

 碑文は戦後50年の村山首相談話(1995年)や日朝平壌宣言(02年)などを踏まえ、外務省や県と調整を重ねてきめた。当初案にあった「強制連行」との記述は「労務動員」に変えた。

 ところが、朝鮮人追悼を疑問視する「日本女性の会 そよ風」が12年ごろから「反日的だ」と主張し始めた。碑の前で行った追悼式で「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などと発言した人がいたことを問題視した。

 14年に県は050612年の追悼式で「強制連行」などと発言したことが政治的発言に当たるとし、設置条件に反する行為があったと認定。碑の設置を不許可にした。

 「追悼碑を守る会」は14年、この処分を違法として提訴。前橋地裁は「政治的行事をしたからといって公園の効用を喪失したとはいえない」として「不許可は違法」としたが、東京高裁は「中立的な性格を失い前提を失った」として、処分を「適法」とした。

 この高裁判決が22年に最高裁で確定し、県は234月、撤去命令を出した。24年になって、県は129日から代執行で撤去を開始した。山本一太知事は、碑の目的は日韓・日朝友好だと認めたうえで、「碑を公園に置いて置くことは公益に反する」と説明している。

 いま、事の経緯を振り返ってみれば、12年末に第2次安倍晋三内閣が発足し、その後14年から20年まで安倍内閣が続き、この間、政府は加害責任の否認に努めた。群馬県議会が04年に全員一致で碑の建立に賛成し、20年後にその撤去に逆転した。この変化は正しく、「新しい戦前」を象徴している。

 戦時期、内地の労働力不足を補うための朝鮮人動員は70万人を超えており、それは「強制的」「拉致同然」だった。安倍政権は、北朝鮮による二十人前後の日本人拉致を前面に掲げ、その事実を隠した。日本人被害者家族にとって痛切なことは朝鮮人家族にとっても同じだ。日本人拉致被害者の救出は、まず数十万人の朝鮮人強制連行の非を詫びたうえで始めなければ軌道に乗らない。

 朝鮮人追悼碑を撤去する動きは、群馬県だけでなく、奈良県、長野県、福岡県でも起きており、これを煽るものは戦争挑発者といえる。

 憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに」し、そのためには、「不断の努力」が必要だと諭している。「表現の自由」も保障されねばならない。日本政府が犯した加害の歴史を抹殺してはならない。   (202424日)

 

沖縄県主催シンポジウム「日米地位協定の改定に向けて」に参加しました。

沖縄県主催シンポジウム「日米地位協定の改定に向けて」に参加しました。参加者500人(主催者数字)、パネラーの顔が確認できない程遠い広い会場が満席でした。

先ず、玉城沖縄県知事による「他国地位協定調査」の報告。
数年かけて調査したもの(資料1欧州 資料2オーストラリア・フィリッピン 資料3韓国)を、限られた時間の中で、早口で一気に熱意を込めて報告されました。この上記資料1、2、3は沖縄県ホームページの地位協定ポータルサイトからダウンロードできます。項目別に比較でき、日本がどれほど酷い状況にある明白です。
次にzoomでレオナルド・トリカリコ氏のお話。
トリカリコ氏は元イタリア空軍参謀長、現NATO第5戦術空軍司令官で、伊米地位協定交渉のイタリア側担当者だった。「条文を変えたわけではなく、国民の怒りの声をバックに、少しずつ運用の改善を実現して来た。」ことを強調されていました。
最後は、パネルディスカッション。

玉城知事以外の登壇者が若い。最年長のフリージャーナリスト布施祐仁氏でも48才。平和問題というと高齢者ばかりという現実を見ているので、ここに惹かれてこのシンポジウムを申し込んでいます。

川名晋史教授(40代半ば)は「他の学問は外国の先例がある。このテーマ日本独自の問題。孤独になる。若い研究者もいる。このように多くの人が関心を持っていることは彼らの励みなる。」と。

沖縄出身の三宅千晶弁護士(30代)は、この若さで日米合同委員会担当官僚とやり合ってきた。開示請求拒否の理由がアメリカのノーだと言われ、ノーの文書を見せろ、文書ではないメールだった、メールを見せろ、メールもなし、で黒塗りがいっぱいあったけれど開示はされたそう。日本の官僚はアメリカの意向を確認せず、忖度なのかサボりなのかアメリカがダメだと言ってるからダメなんだと門前払いして来たのかもしれない。トリカリコ氏が言ったように国民が怒りの声を上げ続けなければ何も変わらないということだろう。

このシンポジウムを企画コーディネートを担当した猿田佐世氏も40代、新外交イニシアティブ(ND)の代表です。彼女の企画、コーディネートは宣伝、参加申込み受付、申込者への前日の確認メール、当日の現場設営、運営、マスコミ取材手配、終了後のアンケート回収(配布されたアンケート用紙のQRコードでスマホで答えてくれ、「手書きを入力するのが大変なんです」とアナウンスしていた)までの一切を請負っているよう。玉城知事は当日朝の飛行機で上京したそう。

知事は「沖縄の基地は今も増えている」と。日米安保条約は全土基地方式であり、つまり、米軍の占領状態であり、日本の許可なしに何時でも、何処にでも基地にできうる。今は宿舎需要ではあるか、不動産屋に基地用地求むという広告が出ており、地主がOKならすぐに米軍基地になると。

最後に、フィリッピンがアセアン加盟国であり、アセアン諸国と連携してフィリッピンに有利な地位協定に成功しているということから、沖縄はどう考えているかという質問に対し、知事は、アメリカが沖縄の基地能力の一部を移転する計画があるグアム、ハワイ、オーストラリア、サイパン、テニアン、北マリアナ諸島と連携していきたいと。

安保も地位協定も日米関係の問題なのに、沖縄だけに頑張らせているようで心が痛みます。政府が沖縄側に立ちアメリカと交渉する覚悟がありさせすれば、辺野古の裁判も違う結果になったはず。沖縄県外の国民が声を上げてこなかったのが原因ではないかと確認させられるセミナーでした。

終了後、猿田ND代表の声と思うが、今日の500人が10人に伝えてくれれば5,000人に、5人でも2,500人に届く。よろしくと言ってました。

ウ・ロ戦争1年 戦争を憂う 時事短歌1首

                          曲木草文

戦場に逝きし夫の帰り待つ 若妻の記事厳寒ウクライナ

  (ウクライナ・ロシア戦争1年。朝日新聞1面ルポ記事2023/2/24より)

2023年2月28日 | カテゴリー : ⑦戦争 | 投稿者 : 曲木 草文

「ミサイル」より「核シェルター」 ――世界の核シェルター事情

(弁護士 後藤富士子)

 核シェルターは、戦争時の各種攻撃を避けて生き延びるために人間が一時的に利用する空間であり、世界で多くは地下に設置され、収容人数が数千人規模のものから一般家庭用の小型のものまで様々ある。世界各国では、核ミサイルの脅威への備えの重要性を認識し、核シェルターの整備を政府主導で進めている。人口当たりの核シェルターの普及率は、スイス・イスラエルで100%、ノルウェー98%、アメリカ82%、ロシア78%、イギリス67%、シンガポール54%であるが、日本は僅か0.02%で無いに等しい。
 スイスは「シェルター精神」を持つことで有名であり、1962年のキューバ危機を受けて、翌63年に全戸に核シェルターの設置を義務付ける連邦法が成立している。2012年に法改正され国民の自宅設置義務はなくなったが、自治体に代価を支払い、最寄りの公共シェルターに家族全員分のスペースを確保する必要がある。こうした政策により30万基以上の核シェルターが設置され、人口約800万人の114%、国民全員以上の収容が可能となっている。 続きを読む

2023年1月24日 | カテゴリー : ⑦戦争 | 投稿者 : 後藤富士子

攻められたらどうする? ――国民の「いのち」と「くらし」を守る

(弁護士 後藤富士子)

 第22回大佛次郎論壇賞を受賞した、板橋拓己東京大学教授の『分断の克服 1989-1990 統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦』に関する朝日新聞記事(12月21日)によれば、ゲンシャー外相は、旧ソ連を含む「全ヨーロッパ的平和秩序」が持論だった。統一にあたっては、東ドイツ領域にNATOを拡大させず、NATOとワルシャワ条約機構がともに軍事同盟から政治同盟へと転換し、協調的な関係を結びながら全欧安保協力会議(CSCE:現OSCE=欧州安保協力機構)へ収められて解消する、そんな「和解型」の構想を描いていた。
 そこで、ゲンシャー外相の構想が実現していれば、ロシアのウクライナ侵攻は防げたか?と問われ、板橋教授は「構想が完全に実現する可能性は低かっただろう」としながらも、「実現していれば侵攻はなかっただろう」という。つまり、「外交による平和」といっても、その外交自体が、目先の実現可能性は低い「構想」を実現することにほかならない。そして、このような外交なしに憲法9条を護ることもできないように思われる。
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2022年12月27日 | カテゴリー : ⑦戦争 | 投稿者 : 後藤富士子

「安保3文書」「敵基地攻撃」を憂う  時事短歌4首

                      曲木草文

隣国を敵意むき出し名指しして 相手どう見る「専守防衛」
どこまでも「専守防衛」言いわけに 着手と見たら先制攻撃
誰がどう見極め判断するのやら 着手と見たら敵基地攻撃
反撃の反撃までは考えず ミサイル合戦戦場日本

2022年12月10日 | カテゴリー : ⑦戦争 | 投稿者 : 曲木 草文

米欧の二重基準について   

福田玲三

 193ヵ国で構成される国連総会は32日、ロシアを非難し、ウクライナからの即時撤退を求める決議案を141ヵ国の賛成で採択した。反対はロシア、北朝鮮など5ヵ国。棄権は中国、インド、南ア、キューバなど35ヵ国。無投票がギニア、モロッコなど12ヵ国。

 ついで、国連総会の緊急特別は三月二十四日、ウクライナへの人道支援とロシアの侵攻の責任を示した決議案を賛成140ヵ国、反対5ヵ国、棄権38ヵ国、無投票10ヵ国で採択した。

 さらに、国連総会は四月七日、ロシアのウクライナ侵攻を巡る緊急特別会合で、人権理事会(47ヵ国)におけるロシアのメンバー資格を停止する決議案を、日本、米欧など93か国の賛成で採択した。反対はロシア、中国、キューバなど24ヵ国、棄権はインド、ブラジル、南アなど58ヵ国、無投票は18ヵ国で、賛成以外は100にのぼった。

 これまで採択された三回の決議案のうち、賛成国は第1回で141ヵ国、第2回で140ヵ国に比べ、第3回では93ヵ国に激減した。ウクライナの首都郊外でロシア軍による虐殺の疑いが報じられた後のことだった。これにはマスメディアも衝撃をうけ、「棄権58ヵ国 温度差も」(朝日新聞)あるいは「ロシア追放決議 国連を分断」(東京新聞)の見出しで、その激減を報じた。

 米欧はこれまでベトナム、イラク、アフガンで、民主主義を口実にした侵略を重ね、いずれも相手国に甚大な被害を残したまま、撤退している。その恥ずべき過去を反省することなく、今回のウクライナ戦でロシア軍の行為を一途に非難する二枚舌を、アフリカ、アジア、中南米の諸国は知っているから、米欧の煽動に乗らないのだ、乗れないのだ。それが西側の宣伝に冷淡になり、国連の分断にまで行きついている。この世界の現実に注視すべきではないか。

 ワシントン発の情報を、日本のマスコミはいつまで無批判に拡散し続けるのだろうか。419日)

 

2022年4月20日 | カテゴリー : ⑦戦争 | 投稿者 : 管理人

防衛費倍増を批判する

 ロシアのウクライナ侵攻を受け、政府・自民党は防衛費の大幅増を目指している。政府が検討する敵基地攻撃能力の保有を視野に、自民党安全保障法調査会は現在の国内総生産(GDP)1%程度から2%へ引き上げる案を今後の論点整理として示した。2%なら米国と中国に次ぐ規模になる。(東京新聞44日)

 日本は今重大な岐路にさしかかっている。一発即発の危機をあおりながら防衛費倍増の道に進むか、隣国との相互理解を深めて平和の道に進むかだ。

 前者の道に進めば、絶えず隣国への敵意と憎悪をあおり、仮想敵国との軍備拡大競争に走らざるを得ない。軍備の拡大は、抑止力の確保を口実にして行われるが、常に相手の出方を伺いながら、戦々恐々としてくらしつつ、かならず戦争の暴発をまねいたことは、歴史の教えるとおりだ。

 戦争になれば、交戦両国は、甚大な人的物的な加害を競い、非人道的な惨状を眼前に展開しつつも、もはや後戻りできない。戦争に敗北すればもちろん、勝利しても、莫大な犠牲を払い、核戦争を予測すれば、交戦両国民は生き残れないかもしれない。 

 後者の道を選択する場合には、日本は過去におかした加害の歴史を反省することから始まるだろう。日本は中国の全土を侵略し、膨大な犠牲を強いた。そしてまた朝鮮を植民地支配したあげく、無謀な太平洋戦争に敗北し、その結果、朝鮮半島は南北に分断され、同胞相争う禍根を招いている。その罪を償うためには、長い年月にわたり誠意を示さなければならない。それは日本の次世代へ、負担ではなく、幸福をもたらすものだ。

 すなわち、二度とアジアの隣国と戦争をしないという幸福をまねくのだ。絶対に、戦争を開始してはならない。それがこの度のウクライナ戦争の教訓だ。日々のニュースは交戦両国の被害をなまなましく伝えている。この戦争は両国に何も利益を与えていない。戦争しないで平和に話し合う可能性はあったはずだ。どこかに両国の間に真意の誤解があったはずだ。

 日中国交回復50周年を今秋むかえるに当り、中国、韓国、北朝鮮と相互理解を深めることを提案したい。かつて、アジアの共産化を防ぐと米国の開始したベトナム戦争は、米国の敗北に終わった、その後、両国は平和に共存している。何も戦争をする必要はなかったのだ。

 敵意をあおり戦争を開始し、人殺しに血道をあげる努力に代えて、相互理解を図り、平和を守る努力こそ、最も人類に相応しい選択だ。  福田玲三(414日)

2022年4月15日 | カテゴリー : ⑦戦争 | 投稿者 : 管理人