福田玲三
さる7月に実施された参院選で参政党は改選14議席を獲得して躍進したが、その憲法構想案は、新聞各紙の論評によれば、専門家の検証に耐えない稚拙な、古めかしいものである。
そもそも近代の憲法は国家権力の暴走を縛るための規範として制定されている。したがって戦後の日本国憲法も前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し」と記し、第2章で「戦争の放棄」を、第3章で「国民の権利と義務」を規定して発足している。
ところが参政党案では、前文に「天皇は、いにしえより国をしらすこと悠久であり、国民を慈しみ、その安寧と幸せを祈り、国民もまた天皇を敬慕し、国全体が家族のように助け合って暮らす。」と記述し、さらに本文冒頭第1条から3条まで天皇について規定し、第1条1項は「日本は、天皇のしらす君民一体の国家である。」としている。「しらす」とは「統治なさる」という敬語であり、現行憲法の、天皇は「国政に関する権能を有しない。」とする現行憲法に背き、戦前の天皇制への回帰を明言している。
ついで、同党案の第3章「国民の生活」第9条「教育」の項目では、「尊重」すべきものの筆頭に「教育勅語」を置いている。教育勅語の主眼は「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ好運ヲ扶翼スベシ」であり、大事変が起こったときは天皇を守るために一身を捧げよ、つまり、死ねということだ。天皇の神聖性と忠君愛国を国民に刷り込み、戦死を美化する道具でもあった。
さらに、参政党案の第4章「国まもり」は第20条で「自衛のための軍隊を保持する」と、現行憲法の「戦争の放棄」に反し、「自衛」を隠れ蓑にして「戦争」を予定している。
そして、現行憲法が「国民の権利」について、第10条から第40条まで31条にわたって保障しているのに、参政党案は第3章「国民の生活」として第7条から第14条までの8条しかない。すなわち現行憲法の「基本的人権の享有」(11条)、「個人の尊重と幸福追求権」(13条)、「法の下の平等」(14条)、「国家賠償請求権」(17条)、「奴隷的拘束及び苦役からの自由」(18条)、「思想及び良心の自由」(19条)、「信教の自由」(20条)、「表現の自由」(21条)、「居住、移転、職業選択の自由」(22条)、「婚姻における個人の尊厳」(24条)、「労働者の団結、団体交渉、団体行動の権利」(28条)、「財産権」(29条)、「抑留・拘禁の要件」(34条)、「拷問及び残虐刑の禁止」(36条)、「自白の証拠能力」(38条)、「刑事補償」(40条)など、重要な規定が参政党案では軒並み欠落している。
そもそも参政党は「日本人ファースト」を党是としており、外国人差別の姿勢が顕著だ。同党案第19条「外国人と外国資本」は「外国人の参政権は、これを認めない。帰化した者は、三世代を経ない限り、公務に就くことができない。帰化の条件は、国柄の理解及び公共の安全を基準に、法律で定める。」と厳しい条件を課している。
もっとも同党案第21条「領土等の保全」で「外国の軍隊は、国内に常駐させてはならない。」、「外国の軍隊の基地、軍事及び警察施設は、国内に設置してはならない。」としているのは評価できよう。
同党案は国権主義的な姿勢が強く、地方自治規定にそれは現れている。現行憲法は第95条で「一の地方公共団体に適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会はこれを制定することができない」としており、日本政府が現在、沖縄県民の声を無視しているのは違憲であるものの、参政党案には、そもそも、これに相当する条文はない。
参政党が掲げる稚拙な憲法構想案は、現行憲法の廃止を予定している。
このような、大日本帝国憲法への回帰を求める極右政党が今後も現れ、与党と連立を組む事態もあり得ると考えなけれならない。
とくに優先順位の高い重要な争点については、有権者が候補者の考え方をよく調べてから投票することが一層大事になってくる。
なお、参政党の「新日本国憲法(構想案)」の全文は下記URLで参照されたい。
(2025年8月13日)