自衛隊による靖国神社集団参拝の危うさ

柳澤 修

 今年1月9日、陸上自衛隊の小林弘樹・陸上幕僚副長(陸将)が東京・九段の靖国神社を陸自幹部らと集団で参拝したことが分かった。その後昨年5月17日に、海上自衛隊の練習艦隊司令官・今野泰樹海将補はじめ、一般幹部候補生課程を修了した初級幹部ら165人が集団参拝したことも判明した。

1974年の事務次官通達では「神祠(しんし)、仏堂、その他宗教上の礼拝所に対して部隊参拝すること」などを「厳に慎むべきである」としている。

しかし、防衛省は陸自の集団参拝について調査結果を発表し、「おのおのの自由意思に基づき私人として行った私的参拝」と認定。上記の次官通達に違反しないとした。同じく海自の集団参拝について酒井良海・海上幕僚長は、「研修の合間に個人が自由意思のもとで私的に参拝した」とし、「問題視することもなく、調査する方針もない」と会見で述べた。

 結果的に、陸自幹部が公用車を使って参拝したことが問題視され、参拝した幹部3人が訓戒の処分を受けたが、集団参拝自体は事務次官通達違反とはしていないのだ。

 最も強力な暴力装置としての自衛隊幹部の思考に恐ろしさを禁じ得ない。事務次官通達以前に、日本国憲法20条を何ら理解していないことに恐ろしさを感じる。

憲法20条

  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政 治上の権力を行使してはならない。

 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

防衛省や制服組幕僚幹部は、「私人」を強調するが、上意下達が最も徹底された組織である自衛隊にあって、上からの命令や計画は至上であり、自由意思が許される範囲は極めて少ない。現にいずれの集団参拝も厳密な計画があったのだ。それにも関わらず、正々堂々と「私人」だの「自由意思」だのと都合のいい言葉を持ち出して、参拝を正当化するのはもってのほかである。

こうした防衛省・自衛隊の傲慢さは、安倍政権以降の、集団的自衛権の容認や敵基地攻撃能力の保有など、憲法無視の政治が大いに影響を与えている。アメリカ一辺倒の外交・軍事政策により台湾有事などを盛んに煽り、「新しい戦前」に対処するには、軍国主義の精神的支柱として国民を戦争に動員する役割を果たした靖国神社がもってこいの存在なのだ。

 また、靖国神社と自衛隊の緊密な関係は、4月1日から第14代宮司に元海将であった大塚海夫氏が就任することからも証明された。

前記したように、自衛隊は現在の日本で最も強力な暴力装置である。「文民統制が徹底されているから心配ない」と考えるのは、もしかしたら甘い考えかもしれない。制服組の幹部がこうした憲法認識しか持っていない組織には、大いなる危険が存在するのではないか。

こんな考えが杞憂であってくれればそれに越したことはないのだが。

(2024年3月21日)

いまこそ自民党政治に「ノー」を突きつけなければならないときだ

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」

日本国憲法前文には、先の大戦で自国民300万人以上の人命を奪い、アジア太平洋諸国・地域に対しては、それ以上の甚大な人命を奪ったことを深く反省する意味で、冒頭の文言を謳(うた)い、憲法9条で非武装・戦争放棄を高らかに掲げている。戦後60数年間は、東西冷戦期にありながら、曲がりなりにもこの平和憲法の下、戦火にまみえることなく、平和国家としての地位を保ってきた。

しかし、戦前回帰的な思考が強い安倍晋三が首相をつとめた2006年~2007年の第一次、2012年~2020年の第二次安倍政権は、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を可能とする安保法制、愛国心などを教育目標に掲げ、加害の歴史を消し去る歴史教育を進めるための教育基本法などの改悪を行い、更には未達に終わったものの、憲法9条改悪による戦争放棄条項削除までも画策するなど、戦争のできる国へと、強引な政策を推し進めた。

そして現政権を率いる岸田文雄は、安倍政権を踏襲して右翼的思考を強め、敵基地攻撃能力の保有、防衛費のGDP2%以上への引き上げ、武器輸出の緩和など、憲法9条を蔑(ないがし)ろにする政策を次々に打ち出し、より戦争のできる国へと突き進んでいる。長期間外務大臣を経験したにもかかわらず、外交はアメリカ一辺倒で、地政学的に最も重要な中国との友好的な関係を築こうとする気配も見えない。アメリカと一緒になって「台湾有事」を煽り、中国を仮想敵国とみなす愚策は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」を起こしかねない環境を作り出しており、正に「新しい戦前」になってきている。

岸田の思考回路には、未だに安倍晋三の影が付きまとい、代表も決められない自民党内最大右派で、最大派閥の安倍派の力も影響している。

こうした状況下、岸田政権を襲ったのが、その安倍派の裏金問題である。二階派、岸田派からも裏金問題が発覚し、岸田は自らが率いた岸田派を解散し、安倍派、二階派も解散。この問題の根源が派閥の存在にあるかのようなすり替えを行った。検察捜査も国民の期待に反して、安倍派を中心とした派閥の幹部議員は誰も立件されず、逆に開き直りとも思われる発言も相次ぐ有様である。岸田も「丁寧な説明」を「促す」と繰り返すばかりで、自ら進んで指導力を発揮する姿勢が全く見られない。もはや自民党には自浄能力は期待できず、このような党に政治を任せることは、これ以上許されない。

折から2月16日から税金の確定申告が始まったが、裏金を作り、それを使っていた、あるいは貯めこんでいた議員には、その分の税金を課されることもなく、ただ政治資金収支報告書を訂正するだけである。裏金を作った罪、税金を払わない罪は免除されてしまう。企業や個人が裏金を作って脱税したら、税務署が黙っていないのとは対照的である。

岸田政権の支持率が20%を割り込む中、自民党に代わる政権を樹立しないと、平和国家日本は風前の灯火となる。国民は平和を守っていくために、自民党政治に一日も早く「ノー」を突きつける決断をしなければならない。

2024年2月19日  柳澤 修

2024年2月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

平野文書」は真実か?(第4回)

連載の第2回でも触れたが、平野は1993年に出版した『平和憲法の水源――昭和天皇の決断』(以下、『水源』と略す)の中で、憲法調査会の高柳賢三会長から「幣原さんから聞いた話を一つ書いてくれませんか」と頼まれたという話を書いている。その時、高柳は、憲法調査会が1958年、高柳を団長とする渡米調査団を派遣した際、マッカーサーとホイットニーから会見を拒否されたことを、以下のように語ったとされている。

=========<引用開始>==============

「マッカーサーもたいした男です。彼は有力な大統領候補でした。そのためには日本の軍事協力が必要だから、日本の戦争放棄はマイナスです。にもかかわらず、彼でしかやれないことをやったのですから。またそれをやらした最後の鍵は天皇だったと思う。

私はアメリカへ行ってけんもほろろの扱いを受けた。ホイットニーにさえも相手にされなかった。そのとき私は気がつきました。天皇陛下だということです。

天皇は何度も元帥を訪問されている。恐らく二人の間には不思議な友情が芽生えていた。固いつながりができていた。天皇は提言された。むしろ懇請だったかもしれない。決して日本のためだけでない。世界のため、人類のために、戦争放棄という世界史の扉を開く大宣言を日本にやらせて欲しい。こんな機会はまたとない。今こそ日本をして歴史的使命を果たさせる秋ではないか。天皇のこの熱意が元帥を動かした。もちろん幣原首相を通じて口火を切ったのですが、源泉は天皇から出ています。いくら幣原さんでも、天皇をでくの坊にするといっただいそれたことが一存でできる訳はありませんよ。だから元帥は私から逃げたのです。うっかり話が真実にふれる恐れがある。私たちはそのためだけでアメリカまで行ったのですから。そうなると天皇に及ぶことになる。天皇は政治から超越するということになったのですから、元帥はその御立場を顧慮してのことでしょう。天皇とマッカーサーはそれほどまで深い同志的結合があった。私にはそう思われた。天皇陛下という人は、何も知らないような顔をされているが、実に偉い人ですよ」

==========<引用終わり>============

なんと、高柳は、マッカーサーが会見を拒否した理由は、マッカーサーと天皇の間の秘密、すなわち、天皇が幣原を通じて、日本に戦争放棄をやらせてほしいと提言、むしろ懇請した、という「真実」が露呈することを恐れたからだ、と話したというのである。これは事実であろうか。また、天皇とマッカーサーとの間に、「不思議な友情が芽生えていた」とか、「固いつながりができていた」というのは本当だろうか。天皇はマッカーサーの連合国最高司令官在任中に11度会見しているが、46年1月24日の幣原=マッカーサー会談の時点では、まだ1度しか会っていない。腰に手を当ててリラックスした姿勢のマッカーサーの隣で、モーニング姿で直立不動の姿勢をとる天皇の写真が撮られた1945年9月27日の第1回会見である。「不思議な友情が芽生え」たり、「固いつながりができていた」り、「深い同志的結合があった」りするはずがないのである。

実は、高柳を団長とする憲法調査会渡米調査団がマッカーサーに会えなかった真相については、高柳自身が『日本国憲法制定の過程Ⅰ 原文と翻訳』の「序にかえて」の中で次のように述べている。

=========<引用開始>==============

駐米日本大使館では渡米調査団のために、ホイットニー准将と手紙を交換していたのであるが、迎えに来た大使館員からマッカーサー元帥との会見は拒否されたとの報告を受けて吃驚したのであった。何故われわれ渡米調査団に対しマッカーサーが会見を拒否したのであるか。私は大使館とホイットニーとの往復文書を仔細に検討した結果、その理由を知りえたのである。すなわち、前述のように、日本では、改憲論者によって、マッカーサー草案を日本政府に押しつけたということが改憲論の論拠の一つとしてしきりに主張されており、またウォード博士のこれを支持するような論文が、アメリカでも発表されていた。しかし、マッカーサー草案を日本に示したのは日本政府に対する命令ではなく、勧告であって、日本政府は説得によって、この勧告に従うことになったと考えていた司令部関係者は、マッカーサー草案押しつけ論は心外なことと感じていた。そして彼等は、憲法調査会が渡米調査団を送ってきたのは、この押しつけ論を実証的に裏付けるような証拠を集めにきたものと感じていたため、会見拒否という処置に出たのであることはほぼ明白となった。そこで私はこの誤解をときほぐすために、マッカーサー元帥とホイットニー准将の2人に手紙を送り、渡米調査団は何らそういう政治的意図できたのではなく、どこまでも客観的に、学問的に歴史的事実を究明するためにきたのであることを詳細に説明した。この手紙によって、マッカーサー元帥、ホイットニー准将の誤解がとけ、マッカーサー元帥も自分に知っていることは何でもお話しようという率直な態度に変化し、この2人の重要な証人もいろいろな質問に詳細に答えてくれた。(中略)それがため渡米調査の目的も大部分達成できたのである。

==========<引用終わり>============

つまりマッカーサーとホイットニーは、日本の改憲論者によって高唱されている「押しつけ憲法」論に利用されるのを恐れて会見を拒否したのであるが、誤解が解けてからは率直な態度で質問に答えてくれた、というのが真相である。天皇との秘密が漏れるのを恐れた、などという荒唐無稽な話ではないのである。これにより、高柳の発言に関する平野の記述が全くの作り話であることは明白となったと言えよう。ちなみに高柳は1967年に亡くなっているので、平野が93年に『水源』を書いた時には「死人に口なし」と思ったのであろうが、高柳が生前に書き残していた文章により、平野の嘘が露見することになったのである。いずれにせよ、平野は平気で作り話を書く人間であることが明らかになったと言えよう。高柳が語ったことにされている「天皇をでくの坊にする」という表現も、平野自身が1964年の『世界』の論文(?)で使っている表現である。

高柳はまた、『水源』の中で、以下のように語ったことにされている。

=========<引用開始>==============

「幣原さんとマッカーサーの話し合いは3時間に及んだそうですが、通訳抜きだから正味ですよね。(中略)とにかく第3次世界大戦は絶対にやってはならない。これは物理的に明らかです。やったら人間の歴史は一巻の終わりだ。理屈もへちまもない。これほどはっきりした現実はない。このことはみんなわかっている。わかってはいるが、さてどうしたらとなると誰もわからない。

その絶望の底から第9条は生まれた。直接には天皇を残すためのギリギリの限界状況の中で生じた発想でしょうが、とにかくこうなれば誰かが自発的に戦争をやめると言い出すしかない。それが突破口です。幣原さんは天皇を救い、同時に世界を救った。マッカーサーの命令という形でなかったら、あんなことはできる訳はありませんが、それをさせたのは幣原さんです」

==========<引用終わり>============

これは「平野文書」で、幣原が語ったことと概ね一致している。高柳のセリフが嘘であることはもはや明白であるが、仮に「平野文書」の幣原の話が事実だとしたなら、幣原が話した内容を今度はわざわざ高柳の口を通して語らせる必要も理由も全く考えられない。事実とフィクションをごちゃまぜにして、貴重な事実の価値を貶める理由などどこにもないからである。しかし、「平野文書」の話がフィクションだからこそ、平野はさらに別のフィクションを事実として語ることによって、「平野文書」の信憑性を高めようとしたのだろうが、かえって藪蛇であったといえよう。もちろん読者にとっては嘘を見破る根拠がまた一つ増えただけであるが。

ともあれ、『水源』にはフィクションが山のように含まれている。否、フィクションの合い間にところどころ事実が散りばめられているというのが実態であろう。『水源』には、1945年9月27日、昭和天皇が初めてマッカーサーとの会見に向かう場面の描写があるが、天皇の乗った車は、なんと途中で、「朕は鱈腹食ってるぞ。汝臣民飢えて死ね」というプラカードを掲げた食糧デモ隊と遭遇した、というのである。つまり8か月後の46年5月19日に起きた食糧メーデーのプラカード事件に遭遇したというのだから、天皇の乗った車はタイムマシーンでもあったらしい。さらに、マッカーサーとの会見を終えた天皇は、「今日は一つ大きな山を越えた……そうした心の安らぎがあった。(……)目まぐるしく走馬燈のように移り変わる数々の追想が、天皇の胸をよぎるのであった」と書いており、小説の登場人物の心理を作者が知っているのと同じように、平野には天皇の胸中までもが手に取るように読めたらしい。

もちろん、平野が胸中を読めるのは天皇だけではない。幣原が1月24日にマッカーサーと会見する前夜、「先生は、まんじりともせず沈思黙考を続けられた」として、その「沈思黙考」の内容が延々と24頁にわたって(幣原の1人称で)語られたあと、「気がつくと、ガラス戸の外には薄明りがぼっと射し込んできた。長い冬の夜も間もなく明ける。/「少し眠っておこう」/首相は、寝床にすべり込んだ」と結ばれる。さらに、翌日の幣原=マッカーサー会見の様子も、芝居の舞台のように、両者の会話が12頁にわたって詳細に展開されている。これらが、「平野文書」でいう51年2月下旬の一日、2時間ほどの間に幣原から聞いた内容ではなく、平野の創作であることは明白だと言えよう。先にも述べたように、以上の事実は、「平野文書」自体が事実ではない、すなわち、平野の創作であることを推測させるのに十分であろう。いずれにせよ、「平野文書」を歴史の事実などと考えてはならないことはこれでほぼ論証できたのではないだろうか。

2023年8月28日 稲田恭明

 

2023年8月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 管理人

「平野文書」は真実か?(第3回)

前回、「平野文書」が平野による創作であると推定する根拠を一つ取り上げた。しかし根拠はこれだけではない。「平野文書」によると、「天皇陛下は憲法についてどう考えておられるのですか」という平野の問いに対して、幣原は次のように答えたことになっている。

=========<引用開始>==============

僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案を持って天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。僕は元帥と会うときは何時も二人切りだったが、陛下のときには吉田君にも立ち会って貰った。しかし心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、と言われた。

==========<引用終わり>============

幣原が「マッカーサーの草案」(GHQ草案)を持って天皇に拝謁した日というと、『昭和天皇実録』から見て、46年2月22日以外にはあり得ない。幣原がマッカーサーと会見し、マッカーサーから天皇制を維持するためにはGHQ草案を受け入れるしかないと説得された翌日で、この日午前の閣議でその時の様子を報告した後、午後2時すぎから天皇に拝謁して「1時間以上にわたり」奏上を行っている。ここで幣原はGHQ草案を提出し、前日のマッカーサーとの会談内容を報告し、受諾が不可避の情勢となっていることを説明したはずである。天皇が言下に「徹底した改革案を作れ」などと言うはずがない。「徹底した改革案」はすでにGHQによって作られており、問題は日本政府がそれを受け入れるか否か、受け入れない場合は天皇制存続の保障がない、という状況なのである。ここにも平野の嘘が露呈している。なお、吉田はこの日の午後、松本とともにGHQに赴き、ホイットニーと面会しているので、吉田と一緒に拝謁したというのも誤りである。

「平野文書」第2部によれば、幣原は自由党、進歩党、社会党、共産党など憲法改正案に「全部目を通してみた」が、「満足できるものは一つもなかった」ので、「一体、戦争と平和とは何か、ということを色々考えてみた」結果、軍備全廃の考えに至った、ということを述べている。しかし、幣原が「天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案すること」を考えついたという、45年暮れから46年正月にかけて「風邪をひいて寝込んだ」時期(遅くとも公務に復帰する1月16日以前)に憲法改正案を出していた政党はなく、自由党が「憲法改正要綱」を発表するのは46年1月21日、進歩党の「憲法改正案要綱」は2月14日、社会党の「憲法改正要綱」に至っては2月23日にようやく発表されている。共産党は「新憲法構想の骨子」こそ45年11月11日と早い時期に発表していたが、完全な草案の形で公表するのは46年6月28日のことである。もちろん、幣原が回想して平野に語った時期は51年2月下旬とされているから、幣原が前後関係を間違えて語った可能性が絶無ではないが、これは軍備全廃という画期的な提案を思いつくきっかけになる出来事であるから、きっかけと結果の前後関係を間違えるというのはおかしな話である。

幣原はまた、自分の提案を聞いたマッカーサーが、最後には「非常に理解して感激した面持ちで」握手を求めたが、最初は、「アメリカの戦略に対する将来の考慮」と「共産主義者に対する影響」の2点をめぐって躊躇した、と語ったと平野文書は言う。「日本が非武装となることは、アメリカの期待を裏切ることであり、アメリカを失望させることである」から、その点でマッカーサーはかなり躊躇した、とも幣原は語ったことになっている。しかし、アメリカの対日占領政策が日本の再軍備と経済復興に転換するのは東アジアにおける冷戦構造が明確化してくる1948年ごろからであって、初期の対日政策が非軍事化と民主化にあったことは間違いないところであり、1946年初頭の時点で、当時の現実そのものである日本の非武装がアメリカの期待を裏切るとか、マッカーサーを躊躇させるということはあり得ない。さらに、幣原は「日米親善は必ずしも軍事一体化ではない」とも語ったことになっているが、無条件降伏して占領軍の従属化にあった当時の日本の首相である幣原からこうした言葉が出てくるとは考え難い。

幣原はまた、「世界平和は正しい世界政府への道以外には考えられない」とし、「国際連盟は空中分解したが、やがて新しい何らかの国際的機関が生れるであろう。その機関が一種の世界同盟とでも言うべきものに発展し…」と、国連のさらなる発展に期待する発言をしたことになっている。しかし、先にも述べたように、幣原は『外交五十年』の中で、国際連盟はもちろん国際連合にも全く期待しておらず、非常に悲観的な見方を示している。その幣原が「新しい国際的機関」に期待するとは思われない。さらに、平野文書によれば、「若し或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それに依って脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう」と幣原が語ったことになっているが、これは、「遠方の、痛くも痒くもない他人のために血を流したり、財産を投げ出したりすることは、これは特殊の事情がない限り、人情として行われることではない」(『外交五十年』)という幣原自身の言葉と矛盾するように思われる。

2023年8月27日 稲田恭明

2023年8月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 管理人

憲法14条「法の下の平等」は未だ達せられず

2023年2月27日、大阪地裁で、聴覚支援学校に通学していた井出安優香さん(当時11歳)が、2018年に重機にはねられて死亡した事故の損害賠償訴訟の判決があった。両親は健常者と同水準の逸失利益を求めていたが、判決は全労働者の平均賃金の85%というものであった。聴覚障害というハンデを、裁判官は差別の対象としたのだ。

憲法14条第1項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と謳う。この条項後段には、確かに障害の有無云々は記されていないが、本旨は前段の「すべて国民は平等」でなければならない。まだ11歳で無限の可能性があり、労働環境がリモートワークの普及など、こちらも無限に改善する可能性がある今日、聴覚障害があるからと言ってなぜ15%減額しなければならないのか。こうした判決がまかり通る限り、日本では障碍者差別がなくならないし、男女の経済的差別もなくならない。何よりも、障害を持つ子供たちの自己否定感の増幅にもなりかねない。

アメリカ同時多発テロで亡くなった方の遺族への補償を扱った映画「ワース 命の値段」が今公開されているが、命の値段は収入の高低で決まるものではないことが語られる。お金を右から左に動かして大金を稼ぐ人と、20人の命を救った消防士のどちらの命が高いかなんて、誰も決められないのだ。

「過去の裁判よりも高くしてあげたよ」的な裁判官の思考回路は、今の世の中では通用しないと言いたい。

2023年3月2日 柳澤 修

2023年3月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

政治と反社会的宗教団体の関係を徹底解明せよ

2022年12月10日、「法人等による寄附の不当勧誘の防止等に関する法律」(被害者救済新法)が、自民・公明・立憲民主・維新・国民民主の賛成多数で可決・成立した。7月4日、安倍晋三元首相が銃撃され、その容疑者が統一教会(※)に恨みを持ち、広告塔的存在の安倍元首相が狙われたことが発覚。その後、統一教会への多額の寄付が原因で信者や家族が悲惨な状況に追い込まれた実態が多数明らかになったことから、被害者救済新法の制定を野党が迫り、急遽臨時国会の大きなテーマとなり成立したものである。与野党妥協の産物としてできたことから、①マインドコントロール状態と自由な意思の認定、②被害者家族の取消権の範囲、③寄付金額の上限規制など不十分な部分が多く、被害者や家族、弁護士などからは骨抜きで実効性がないとの批判もあるが、附帯決議にある「新法の適用外となる被害者」を含めた被害者救済に必要な措置を、政府は早急に進めなければならない。

※世界基督教統一神霊協会(統一教会)は、2015年に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に名称変更したが、実態は変わらないことから、本稿では「統一教会」と表記する。

さて、今回の銃撃事件をきっかけにあぶりだされた統一教会に関する問題は、大きく分けると次の二点になる。

1.憲法で「信教の自由」が保障されていることを利用して、正体隠しの勧誘や高額寄付を募るなど、「公共の福祉」に反する行為を繰り返し、困窮などの被害者を多数出していたこと。

2.国や地方の議員に接触して選挙応援等で支援し、自らの思想に基づく政策の実現を図ろうとし、議員は結果的に反社会的集団の広告塔となり、政策実現にも関与した疑いがあること。

上記「1」については、冒頭に記した「被害者救済新法」を制定するほか、文科省が宗教法人法に基づき質問権を行使し、正体隠しの勧誘やマインドコントロール下の多額寄付、宗教二世、合同結婚式、養子縁組斡旋、多額寄付金の韓国への送金などの問題を調査しており、宗教法人法上の認証取消も視野に入れている。銃撃事件の容疑者は信者ではなかったものの、多くの宗教二世は憲法が保障する信教の自由を親に制限され、幸福追求の権利も奪われていたことは許しがたく、早急な救済が求められる。

「2」の政治との関係、特に自民党と統一教会の癒着の構造は何も解明されていない。自民党現職国会議員の約半数が何らかの接点があり、その結果、政策に何らかの影響があったのではないかとの疑問は残されたままである。にもかかわらず岸田政権は、各議員の自主点検と称する曖昧な調査結果を公表しただけで収束させる構えである。

憲法20条1項及び3項は、信教の自由と政教分離について次の通り規定している。

第1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

第3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

統一教会は、その傘下にいくつもの団体を作り、反共や伝統的な家族観を訴えて巧みに議員に近づき、選挙応援をする代わりに、その思想の実現を政治家に託してきた。特に、長期政権に君臨した安倍元首相の政治思想と一致するところが大きく、国家の政策に何らかの影響があったとも考えられる。来春設置される「こども家庭庁」の名称が、当初の「こども庁」から急遽変更された経緯などが典型である。逆に韓国の徴用工補償に最も強く反発していた安倍氏が、真逆の思想(アダム国家とエバ国家)をとなえる統一教会になぜ接近していたのか。統一教会票を差配していた事実も前議員から証言されており、選挙の為なら手段を選ばない姿も垣間見える。だが、岸田首相は本人が死亡したので調査できないと拒否している。

その他、細田博之衆議院議長の細田派会長時代の関わり、下村博文元文科大臣の名称変更問題への関与、萩生田光一政調会長の密接な関係など、何ら解明されないままである。

憲法20条における政教分離主義は、「創価学会と公明党」に見られるように、宗教団体が政治に関わってはならないという解釈ではないとされるが、統一教会のような反社会的宗教団体と政治が結びつくことは、全く論外で許されない。

統一教会と政治家の関係で明らかになったのは、政治家は「来る者拒まず」、即ち票になる、あるいは選挙応援してくれる団体ならば、見境なく受け入れてしまうという危険な体質である。「関係団体との認識がなかった」という言い訳ばかりが聞こえてきたが、関係団体の運営資金と人は、統一教会が提供しているのであり、言い訳は通用しない。我々国民は、反社会的団体に関わった政治家には、選挙でNOを突きつけなければならない。

2022年12月26日 柳澤 修

2022年12月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

軍事費倍増、法相発言を憂う 時事短歌2首

                              曲木 草文

軍事費の倍増結局シワ寄せは 福祉教育庶民のふところ

救いなし金にも票にもならんとぞ 死刑のはんこ押すだけ大臣

2022年11月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 曲木 草文

アベの国葬は”国葬を見る会“と通称すべし!

アベによる“桜を見る会”は、国費を使っての、極めてプライベートな宴会に過ぎませんでした。が、この度の国葬もほぼ同じものだと断じてよいと考えます。

もし仮に、アベが国葬に相応しい人物であるとするならば、世の中には国葬にすべき人々が数え切れないほど現れて、我が国では毎日々々国葬をし続けなくてはならないと思います。いいえ、国民は全て国葬としなくては、釣り合いが取れなくなってしまうとさえ申せましょう。

敢えて乱暴な書き方をしておりますが、同じく銃撃によって殺害された“中村哲さん”などは、アベなどよりも遥かに国葬に相応しい人物でありましたし、もしもその様な形のトータルな判断基準を設定した上で、アベを国葬にするというのであれば、実際に我が国は、年がら年中国葬を繰り返さなくてはならなくなってしまうでしょう。

いずれにしても、今回のアベの国葬は、我が国の歴史における重大なる汚点となるしかないものと断言させていただきます!

勿論、今回の国葬を決めたのは岸田総理でありますし、その意味ではアベの罪ではありません。ましてや彼は悲劇的な死を遂げておりますので、私自身も死者を鞭打つつもりはないのです。が、しかし、死んだからと言って生前の罪がすべて帳消しになる訳もなく、その様な罪に対しては、きちんとケジメを付けることこそが、国家なる存在が示すべき公正な態度と考えます。

であるにも拘わらず、今回の国葬は、正に彼が仕出かした罪の数々を隠蔽し、更にはこれまでの与党政治の悪しき部分を洗い流してしまいたいという思惑が見え々々の形で執り行われようとしているものなのです!

アベという人物は、自己満足するために、徹底的に政治を私物化してまいりました。その為に手段を選ばぬやり方は、どこか統一協会的な手法に似ております。例えば、自らの命令に逆らえぬ者達のみを人事的に配置して、組織全体を牛耳ってしまおうとするやり方とかが、実によく似ております。

その手の事柄を、きちんと検証する時間があれば、この国の闇を暴き、一気にこの閉塞した状況から抜け出す切っ掛けを作り出すこともできると信じます。

だからこそ、アベの国葬などさせてはならないのです。それがマネーロンダリングならぬ、悪質政治のロンダリングを意図するものであることが明らかだからです!

国葬をすることによって、何もかもが水に流されてしまうことは、私だって思いたくありません。ですが、この国の歴史においては、暫々その様なことが起こるのです・・・。

岸田内閣の仕切りにより、感動的なセレモニーへと演出された国葬が、多くの日本人にどの様な感覚の変化を生じさせるか?私には予想し切れません・・・。多分、その為の演出は、念入りに検討されている筈です。それこそ徹底的に!

そもそも国葬とは誰のためにするものなのでしょうか?今一度乱暴な決めつけを記すことをお許し下さい・・・。それは“現行経済の為”だと思います。宗教以上にカルト化しつつある、現行の経済システムの為にです!

その様な意味からも、アベの国葬などしてはならないのです。そして、それが一部の人々の極めてプライベートな欲求に過ぎないことを知らしめる為に、アベの国葬は“桜を見る会”ならぬ“国葬を見る会”であると強調したいのです!

2022年8月30日  川村茂樹

2022年9月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

安倍元首相の国葬に反対する。

     前川平氏(元文科省次官)は東京新聞(7月17日)「本音のコラム」で「国葬には反対だ」と要旨、次のように書く。

 岸田首相が挙げた国葬の理由は、どれもこれも理由になっていない。「憲政史上最長」の在任期間は、国葬に値しない。「国内外から幅広い哀悼、追悼の意」というが、多くは外交辞令だ。「日米機軸の外交」は歴代首相に当てはまる。「日本経済の再生」は事実に反する。「暴力に屈せず、民主主義を守り抜く決意を示す」というが、安倍氏追悼がなぜ民主主義を守る決意表明なのか。

 私は前川氏の意見に賛成だ。

 当会の会員ブログに投稿した柳澤修氏は、

「安倍氏については、……モリ・カケ・サクラ問題では説明責任を果たさず、安保法制や秘密保護法、共謀罪など、戦前回帰的な政策を強行したことも分断の切っ掛けとなった。外交的成果も、トランプ大統領とプーチン大統領と個人的な繋がりを深めただけで、実は何もないのである。逆に最も気を配るべき極東の隣人、中国・韓国・北朝鮮との関係は、悪化したとしか思えない。……

 安倍首相名の「桜を見る会招待状」を営業ツールに使い、多額の資金を集めていたジャパンライフの詐欺被害者と、旧統一教会により家庭を崩壊された銃撃事件の容疑者は、つながる部分もある。」

 私はこの批判に賛成だ。

 その上で、私はもう一つの問題を挙げる。それは戦後最悪といわれる日韓関係の真因だ。

 懸案の徴用工訴訟で、日本政府は「徴用工をめぐる問題は日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決したことを確認しており、韓国大法院の判決は国際法違反であり、戦後の国際秩序への重大な挑戦だ」と一貫してはねつけている。

 これに対して、韓国大法院(2012年)は、日韓請求権協定(1965年)は、「サンフランシスコ講和条約に基づき両国間の財政的・民事的債権債務関係を政治的に合意により解決するためのものであり、日本の植民地支配に対する賠償を求めたものではない」と位置づけ、「請求権協定で放棄した請求権に、不法な支配による損害の賠償は含まれていない」との結論を導いている。

 つまり、日韓請求権協定は日本の植民地支配に対する賠償を求めたものではないから、今改めて、その分の損害賠償を請求するということだろう。この言い分は筋が通っており、日本はこの韓国大法院の判決を尊重すべきだ。この言い分を認めない者は、植民地支配時代への痛切な反省が欠けている。

 安倍晋三首相は2018年11月の衆議院予算委員会で「政府では『徴用工』という表現ではなく、『旧朝鮮半島出身の労働者』と言っている。(原告の)四人はいずれも『募集』に応じたものだ」としたうえで、「あり得ない判決で、国際裁判も含め、あらゆる選択肢を視野に入れ、毅然と対応する」と語った。(『歴史認識 日韓の溝』19頁)

 朝鮮半島からの労働者動員は、1937年に日中戦争勃発によって不足した労働力を補うための政策だった。1939年に「募集」という形で始まり、1942年からは「官斡旋」の制度により、1944年からは「徴用=強制動員」によった。

 原告の四人は1944年以前に来日しているから徴用工ではない、と日本政府はいう。

 だが、1939年から敗戦までに朝鮮半島から動員された労働者は数十万人と推計されており、募集であれ、官斡旋であれ、必要な人員を集めるのは容易でなく、実態は強制連行だったという証言が多い。

 安倍内閣は2014年1月、教科書検定基準を改定し、それを受けて菅内閣は2021年4月、教科書における「強制連行」の表現を不適切とした。

 2002年9月、安倍氏は監房副長官として小泉純一郎首相に随行し、2004年5月ふたたび小泉訪朝に同行し、このときの強硬姿勢で「拉致の安倍」の名を挙げ、総理への道を開いた。その後、2020年9月に総理を辞任するまで16年間、拉致問題で何らの実績もあげぬまま、他方で、上記のように、朝鮮半島から数十万人の実質的強制連行の歴史の抹消に専念した。

 今日、戦後最悪の日韓関係を招いた真因はここにある。拉致問題は被害者家族にとっては痛切な事件であるが、同じ思いを朝鮮半島の数十万の被害者家族も抱いたのだ。その規模は4桁違う。

 村山富市首相が「植民地支配と侵略」につきアジア諸国にお詫びを表明して以後、この謙虚で初々しい態度は、橋本竜太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と9次の内閣に引き継がれたが、安倍晋三の8年8ヶ月にわたる内閣の間に、傲慢で、強面、厚化粧の態度に一変した。

 この変貌が、戦後最悪の日韓関係をもたらしており、安倍元首相の罪過は深い。

 安倍元首相は、「森友学園」問題で実直な公務員の死を招き、元統一教会との結びつきで凶行者を生んだ不徳の政治家だ。衆参両院でウソの証言を118回重ねながら、「信なくば立たず」と公言する二重人格者だ。

 このような不徳の政治家を国葬で遇すれば、現世代は恥を千載に残すだろう。

 安倍元首相国葬案を廃棄させよう。

 2020年5月「検察庁法改正案」は、ツイッター900万件の抗議で断念させた前例がある。

 故人の不慮の死は静かに悼めばよい。

2022年7月22日
福田玲三

2022年7月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 管理人