国会と司法が試されるとき

「桜を見る会前夜祭」で、安倍前首相の事務所が会費を補填していたことが、東京地検特捜部の捜査で明らかになった。そもそも都内一流ホテルで会費5,000円、領収書は参加者個人にホテルが発行、見積書も何ももらっていないなど、信じがたい国会答弁を繰り返してきた前首相だが、すべてが虚偽であったことが白日の下にさらされつつある。こうした国会や国民を馬鹿にした答弁を繰り返してきた前首相がとる戦術が、「秘書が独断でやったことで、知らなかった」であることは容易に想像できる。そして、検察は「政治資金規正法も公職選挙法も不起訴」とする方向との報道も取りざたされる。果たしてそれでいいのか。国会は国民の負託を受けた国権の最高機関であるが、国会及び国民は行政の最高権力者の嘘に1年近く騙され続けてきたのである。

野党は国会で安倍前首相の証人喚問を要求しているが、菅首相もまた同罪であることから、前首相の負の遺産を見事に継承し、国会を愚弄した答弁を続けるだけで、全く信用できない存在。

しかし、かつてはリクルート事件で中曽根元首相、佐川急便事件で竹下元首相が証人喚問されたこともあり、自民党政権時代であっても、首相経験者の証人喚問の実績がある。自民党議員もこの1年間騙されてきたこと、そしてモリ・カケ・サクラ・定年延長など、数々の政治の私物化疑惑のある安倍前首相の証人喚問に応じることは、国会議員の矜持を示す時でもある。行政監視機関としての国会の機能が試されている。

そして検察・裁判所の対応である。かつて政界のドンと言われた金丸信が、5億円の闇献金問題で裁判所から20万円の略式命令を受けたことから、その刑罰の軽さに関して司法が世論の大反発を受けたことがあった。その反発を受け、その後検察は脱税で金丸を逮捕する事例があった。今回安倍前首相を不起訴にするような判断は決して許されるものではない。

安倍前首相は9月に体調不良で突然辞任したが、最近はすこぶる元気だったとのこと。現役首相で前夜祭問題の真相が発覚することを恐れたための辞任とも推測される。安倍前首相には、議員辞職という形で政治責任を取ってほしいものである。

2020.11.29 栁澤

菅首相は日本学術会議が推薦した会員候補6名の任命拒否を直ちに撤回せよ

日本学術会議(以下学術会議)が会員候補として推薦した105名のうち、6名が政府に任命拒否された事実が10月1日明らかになった。学術会議会員の定数は210名、任期が6年。3年ごとに半数が入れ替わることになっており、次の会員候補は学術会議が推薦し、首相がその推薦に基づき任命することになっている。

今回の問題における日本学術会議法(以下「法」という)の関係条文は次の通りである。

第1条第2   日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。

第3    日本学術会議は、独立して左の職務を行う。(以下略)

第5条    日本学術会議は、左の事項について、政府に勧告することができる。(以下略)

第7条第2項 会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する

第17      日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする

会員の選出方法は、1983年の法改正までは投票制であったが、同年の法改正により現在の形となった。推薦・任命にかかわる法解釈について、当時の中曽根康弘首相は国会で、「政府が行うのは形式的任命にすぎません」と答弁。更に丹羽兵助総理府総務長官も、「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない。その通りの形だけの任命をしていく」と答弁しており、これが今日に至るまで政府の公式見解であり、法解釈は変わっていないはずである。

ところが菅首相は10月5日の内閣記者会インタビューで、自らが主体的に判断して任命拒否したことを認めたのである。

 インタビュー要旨は次の通り。

「(退任する)会員が後任を指名することが可能な仕組みだ。推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲して良いのか考えた。それぞれの時代の制度の中で、法律に基づいて任命を行っているという考え方は変わっていない」と強調。

6人は安全保障関連法や特定秘密保護法等の制定に反対してきたこと、任命拒否は(憲法で保障される)学問の自由の侵害ではないかとの質問に対しても、

「6人の見解と任命拒否の判断は全く関係ない、学問の自由とは全く関係ない」と断言。

拒否の具体的理由を問うと、

「個別の人事には答えられない」という常套句で、明言しなかった。

学術会議は、第2次世界大戦に科学が協力したことを反省し、1949年に設立された団体で、法第3条の通り、政治等の干渉を受けない独立した機関として位置付けられた。その独立性を保つために、法第1条第2項の「所轄」に管理・監督は含まれず、歴代政権は人事に手を付けることがなかったのである。

今回の任命拒否問題発覚後、ここに至る伏線があることが判明した。安倍政権下の2018年、内閣府が内閣法制局に「推薦者を拒否できるか」との問い合わせを行っており、法制局は憲法第15条の「公務員の選定・罷免は国民の権利」を持ち出して「拒否できる」旨回答していたのである。しかし、この内閣法制局の見解は公表されていなかった。更に1年遡った2017年の前回推薦時には、学術会議は官邸から定員を上回る候補者推薦を求められ、これに応じていた。また、2016年と2018年には、欠員の補充会員推薦に際しても複数の候補の提出を求められ、本命が拒否されたため、欠員のままとしていることも明らかになった。政府も学術会議もこの事実を公表せず、問題化することもなかったのである。

さて、今回の任命拒否のどこに問題があるのかを整理すると、大きな憲法問題が浮かび上がってくる。

第23条 学問の自由は、これを保障する。

学術会議は学術研究者を会員とする独立機関であり、政治の介入は学問の自由を阻害するもので、決して許されない。学術会議に要求される政府への勧告にも、政権への忖度が波及し、大きな影響が出る。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

今回任命拒否にあった学者6名はすべて人文・社会科学系の学術研究者で、安保法制や秘密保護法等に疑義を唱えた方たち。首相は口が裂けても言えないはずだが、政権批判する学者を排除する意図は誰の目にも明らか。言論・表現の自由を否定する行為であり、学術研究者の萎縮を招く。

第41条 国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。

日本学術会議法は国会の審議・採決によってできた法律であり、その法解釈についての明確な国会答弁がある。政府が勝手に変更することは国会への冒とく行為である。また、かつて「法の番人」と言われ、法的安定性を守るべき内閣法制局が、今や「政権の門番」に成り下がっているのは、極めて由々しき事態である。

安倍政権は集団的自衛権を認める安保法制を強行採決し、直近では検察庁法を違法に解釈変更するなど、目を覆うばかりの憲法軽視、法律無視を繰り返してきた。そして今回、学術の分野まで触手を伸ばしてきた。安倍政権を踏襲するというスローガンで首相についた菅政権もまた、同じ道を歩むことが今回の問題で明らかになったのである。

菅首相は長期間官房長官を勤め、その間手に入れた人事権という強力な武器を持ち、その使い方と効果を熟知している。就任早々から、政権の意に沿わない官僚は排除する旨、明言もしている。その人事権をフルに活用して、表では携帯電話料金値下げやGoT0キャンペーンなど、大衆受けする政策で人気を保ちながら、裏では憲法軽視、法律無視の政策を強引に進め、危険な独裁者になる可能性がある。日本は、既に中国や香港の現状を他人事として見過ごすことはできない状況になっている。国民はしっかりと監視し、大きな声を上げていく必要がある。

その第一歩が、「菅首相は日本学術会議が推薦した会員候補6名の任命拒否を直ちに撤回せよ」ではないか。

2020.10.06 栁澤

2020年10月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

国旗・国歌の強制は憲法19条違反、思想・良心の自由を守れ!

「生徒自ら曲を選び、練習してきた合唱は取りやめになった。どうせ歌うなら『君が代』ではなく、思い入れのあるそっちを歌わせたかった」

これは今年3月、卒業生を見送った都立高校教諭の正直な思いである。

2020年7月20日付東京新聞に、次のような記事が掲載された。

「都立学校の今年3月の卒業式について調査したところ、コロナ禍の影響で、感染防止を優先し、保護者・在校生の出席なし、式次第は卒業証書授与など必要最低限として時間短縮が図られた。ただし、東京都教育委員会(都教委)が2月28日に発した文書には、「国歌斉唱を行う方針に変更ありません」とあり、結果的に都立学校253校すべてが「君が代」を斉唱していた」

というのである。これを受けた、冒頭の高校教諭の嘆きであった。

2月27日に安倍首相が唐突に3月2日からの一斉休校を要請したことから、各学校は休校を余儀なくされ、卒業式も簡素化が図られたのであるが、最も感染者が多発していた東京都の教育委員会が、このような非常識な文書で「君が代」斉唱を強制していたとは。

都教委は、児童生徒の命や健康よりも、国家主義的思想を優先し、それを受けた学校現場の教師たちは、飛沫感染を心配して戸惑うのだが、懲戒処分を恐れて、いわば思考停止状況に追い込まれ、都教委の命令に従ってしまったのだ。

国旗掲揚、国歌斉唱の学校現場への強制は、1999年8月に「国旗及び国歌に関する法律」(以下「国旗・国歌法」)が成立・施行された以降、より強化されてきた。

「国旗・国歌法」成立前後の学校現場への強制の主な経緯は、次の通りである。

1985年~ :文部省が「徹底通知」(1985年)や「学習指導要領」改訂(1989年)

により、公立学校における国旗掲揚・国歌斉唱の強制化が始まる。

1999年2月:広島県立世羅高校長が、卒業式での国旗・国歌の取扱い問題を苦に自殺。

「国旗・国歌法」成立のきっかけとなる。(法的基盤があれば、校長は悩む

ことはなかったという、自民党などの積極派の意向が強まる)

1999年4月:東京都日野市の小学校入学式で、音楽教師が国歌のピアノ伴奏の職務命令を

拒否、教育委員会が教師を戒告処分、教師は処分を憲法違反として公訴。

1999年8月:「国旗・国歌法」成立・施行。日の丸・君が代が初めて法的根拠を有する

但し、小渕首相は「学校現場で強制するものではない」と発言していた。

2003年10月:都教委が「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことを命じる通達。

従わない教職員を懲戒処分することを明確化。

2006年12月:教育基本法改正、道徳教育と愛国心を教育の目標として定める

2011年6月:大阪府「国旗国歌条例」成立、2016年施行。懲戒処分の明確化

2020年2月:コロナ禍の中で、都教委が都立学校に国旗・国歌強制指示

「国旗・国歌法」施行を挟んだ30数年間で、国旗・国歌の学校現場への強制が進み、1999年の日野市事案のほか、東京、大阪を中心に懲戒処分を受ける教職員が多数出て、彼らは憲法19条違反を根拠に処分取消しを求めて公訴してきた。

憲法第19条は次の通り定めている。

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(内心の自由も含むと解される)

 

公訴を受けて、裁判所はどう判断してきたのか。

都立学校の教職員が、卒業式等において「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務」がないことの確認などを求めた訴訟の、第一審東京地裁判決が2006年9月に出た。

「国旗・国歌の強制は憲法19条の思想・良心の自由を侵害するもの」

画期的な判決であったが、控訴審で完全否定される。「日野市『君が代』伴奏拒否訴訟」で最高裁が2007年に「校長の職務命令は憲法19条に違反しない」との判断を示した以降は、すべての訴訟で憲法19条違反に当たらないという判決が続いた。

「国旗・国歌法」施行後、特に強制化が強まり、全国の教職員の懲戒処分者数は、2012年度には265人に達したが、最高裁判決の影響もあり、2013年度以降は減少している。反対勢力は力を失い、学校現場での「思想及び良心の自由」は失われつつある。

さて、国旗・国歌の学校現場への強制問題の本質はどこにあるのか。

「日の丸・君が代」は、かつての軍国主義日本のシンボルであり、侵略の旗印としての役割を果たしてきた。特に「君が代」の歌詞は、「君=天皇」と解され、国民主権となった新憲法下ではふさわしくない、というのが一般的によく言われる問題である。

それでは「日の丸・君が代」に代わる新たな国旗・国歌であれば強制してよいのかというと、やはりこれも否である。

国旗・国歌の強制とは、国家権力がそれを利用して国民の国家への帰属意識を高め、その結果権力への求心力が高まり、国家の権力体制への批判や反対を少なくする効果がある。これの行き着く先は、「全体主義国家」に他ならない。戦前の軍国主義日本は、まさに国旗・国歌や教育勅語を大いに利用して、天皇を神とまで崇める「全体主義国家」を創り上げた。

この過去の教訓を、新憲法下の民主主義日本は、決して忘れてはならない。

新憲法下では、憲法19条の「思想・良心の自由」とともに、憲法13条で保障された「個人として尊重」されると定めている。

国家への帰属意識に関して、これを国家が国旗・国歌を利用して高めることがあってはならず、すべて個人の自由意思に基づくべきものである。

2020.08.05 柳澤

2020年8月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

「法の理想」を指針として――「共同監護」を創造するために

(弁護士  後藤富士子)

1 「単独親権」から「共同親権」への法の進化
 民法818条は「父母の共同親権」を定めている。家父長的「家」制度をとっていた戦前の民法が「家に在る父」(一次的)または「家に在る母」(二次的)の単独親権制を定めていたのと比較すると、革命的転換であった。その根拠になったのは、「個人の尊厳と両性の本質的平等」を謳った日本国憲法24条である。「個人の尊厳」という点から親権に服する子は未成年者に限定され、親権は未成熟子の監護教育を目的とする子のための制度であることが明らかにされた。また、「両性の本質的平等」という点で「父母の共同親権」とされている。すなわち、戦後の日本の出発点は、家父長的「家」制度を廃止し、「単独親権」から「父母の共同親権」へ進化したのである。換言すれば、「父母の共同親権」は、まさに「法の理想」であったのだ。 続きを読む

2020年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子

河井夫妻事件を法と正義に基づき裁いてほしい

河井克行前法務大臣と妻の案里参議院議員が、通常国会閉会後の6月19日、案里氏の参議院選挙における公職選挙法違反容疑で逮捕された。多額の現金を選挙区広島県の首長や自治体議員、支援者など、100名近い人に配ったことが報道されており、現に受領したことを公表して、辞職した人もいる。時期的に見て、選挙協力依頼の為と誰もが推測できる。自民党から1.5億円の多額の資金を提供されていたこともわかっており、お金は余るほどあったことは間違いない。

検察は、今のところ現金をもらった収賄側の首長や議員などは起訴しない方針と言われる。これを聞いて思い出したのが、志布志事件である。

17年前の2003年、鹿児島県議選で鹿児島県警が捏造し、鹿児島地検が加担した志布志事件。数万円の金銭のやり取りや焼酎等飲食接待を捏造して、立候補して当選した中山信一県議と妻が贈賄、志布志地区の住民11名が収賄罪に問われ、長期の拘留による人質司法で6名が自白し、これを唯一の証拠に検察が起訴。鹿児島地裁の公正・正当な判断で無実となった公選法違反事件。こんなちっぽけな事件で収賄したとされる住民が起訴されたのに、河井事件での収賄側は不起訴。志布志事件で、身に覚えのない罪で苦しんだ方から見れば、許容できるものではない。常習賭博麻雀容疑で告発されていた、検察NO.2の東京高検検事長だった黒川弘務氏も不起訴となり、検察の判断に首を傾げざるを得ない。日本の刑事司法の正義はいったいどこにあるのか?

検察庁法改悪案には、国民がSNSで大きな声を上げ、巨悪追及に対する検察への期待感が示された。河井事件で中途半端な追及は決して許されない。

1.5億円の政治資金の原資と使途を含めて、検察と裁判所は、法と正義に基づいて、公正に裁いてもらいたい。

2020.07.12

柳澤 修

2020年7月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

「法曹養成制度」としての「法科大学院」――日本の弁護士はなぜ「統一修習」にしがみつくのか?

(弁護士 後藤富士子)

1 「司法試験」と「法曹養成」の関係
 日本では、法科大学院が創設された前後を通じて、司法試験は司法修習生採用試験であり、法曹養成の基本は「統一修習」に委ねられている。それは、司法試験受験資格として体系的な法学教育を受けたことを要件としないことからも明らかである。ちなみに、法曹養成制度として法科大学院が創設されたにもかかわらず、統一修習制度を維持したために、司法試験を法曹資格試験とすることができず、移行期の旧試験、その後の予備試験というバイパスを設けたことによって、法曹養成制度としての法科大学院の存在意義は決定的に減殺されることになった。現状をみると、法科大学院は、司法修習生に採用されるためには「無駄」でしかなくなっている。翻って、法科大学院を法曹養成の基本制度にするなら、統一修習を廃止しなければならなかったのだ。 続きを読む

2020年7月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子

通常国会を閉会していいのか

戦後最大の国難というべき「新型コロナ禍」が進行中のなか、野党が国会延長を要求するものの、政府・与党は6月17日に閉会する予定である。

自民党の改憲草案では、自然災害等を想定した緊急事態条項の中で、「議員任期の延長」を盛り込んでいるが、これは国会が緊急事態時にその機能を発揮することを想定しているからではないのか。そうであるならば、今が正に新型コロナの第二波の感染や経済危機の拡大が予想される非常事態の時であり、国権の最高機関たる国会は開いていなければならない。にもかかわらず、政府は補正予算で10兆円の予備費を積んで、後は政府がやりたい放題にやるという態度が見え透いている。

一次・二次の補正予算では、持続化給付金やGo・Toキャンペーンの不透明な事務委託が明るみになったが、この問題も国会閉会とともに何ら改善されることなく執行される可能性がある。

2017年の通常国会後、野党は憲法に則って臨時国会の開会を要求したにもかかわらず、政府・与党はこれに応じず、やっと開会したと思ったら即解散するという暴挙に出た経緯がある。

安倍政権の国会軽視は目に余るものがあるが、今回もこれを踏襲することには激しい怒りを感じざるを得ない。

2020.06.12 柳澤 修

2020年6月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

三権分立を破壊する検察庁法改悪を許してはならない

新型コロナ禍で国民生活が大打撃を受ける最中、安倍政権がとんでもない法案を強引に成立させようとしています。

国家公務員の定年延長に関する法改正案が10本の束ね法案として国会に提出されましたが、その中に検察庁法の改悪案が含まれており、内閣委員会で審議されることになりました。政府は検察官も一般職の公務員であることを唯一の理由に束ねたと言っていますが、まさに火事場泥棒的な姿勢に他なりません。

検察官は被告人を起訴できるという特別な権限を有し、一般公務員とは全く違う存在。だからこそ、検察庁法という特別法でその身分を定めているのであり、他法案と束ねること自体がおかしいのに加え、委員会への法務大臣の出席なしの審議。これでまともな審議ができるわけがありません。

この法案ができた端緒は、東京高検黒川検事長の定年延長が1月末に突然閣議決定されたこと。2月8日が退官日で、直前に送別会も予定されていたとのこと。こんな人事を法務省が決められるはずがなく、官邸が無理筋を通したのは間違いありません。国家公務員法の定年延長規定を検察官にも適用したという無理筋がゆえに、定年延長決定過程を明らかにする文書もなかなか出てこず、ようやく出てきた文書には日付もない。作成日のわかる記録(プロパティ)も出せないと言い張り、挙句に法務省内の決裁は口頭で行ったというのです。したがって黒川検事長の定年延長は違法状態にあり、彼の決裁事項はすべて無効となる可能性もあります。

この定年延長を後付けで正当化しようとするのが、今回提出された検察庁法改悪案。その内容は次の通り。

1.検察官の定年を65歳とする。(検事総長は既に65歳となっているためそのまま)

2.63歳で役職定年とする。ただし、検事総長、次長検事、検事長は内閣、検事正は法務大臣が必要と認めたときは最長3年間、当該役職にとどまれる。

現在の検察官の定年は63歳なので、65歳にするのは時代の趨勢で全く問題ありませんが、2番目の項目が極めて問題です。検察官は、政権の汚職事件等に向き合うことがままあります。ロッキード事件では闇将軍と言われた田中角栄元首相の逮捕、リクルート事件では竹下内閣総辞職を招くなど、検察捜査が政権に大きな打撃を与えることもありました。これを可能としたのは、検察官が政治権力に拘束ざれず、独立性が保たれていたからにほかなりません。

その独立性を損なう恐れがあるのがこの改悪案です。高齢化社会となり、人間誰でもより長く高待遇で働きたいのは本能のようなもの。時の権力者に気に入られて、恣意的に同役職で定年延長されれば、その権力者に対してある種忖度が生まれるのは人間の性(さが)。官僚の幹部人事権を官邸が一手に握り、その結果忖度官僚がはびこっている現状を見れば一目瞭然でしょう。

この改悪案に対しては、検事総長を経験した松尾邦弘氏をはじめ検察OB14名が改悪反対の意見書を提出したほか、弁護士会も反対表明しています。中でも検察OBの意見書には、安倍政権の勝手な法解釈変更や国会軽視の姿勢を、フランスのルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家なり」との中世独裁国家にたとえ、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性をはらんでいると危惧しています。

まともな常識を備えているならば、当然にこの法案への危機感を持つと思うのですが、与党で反対表明しているのは自民党の石破茂氏ほか数名の議員のみ。政権に全く逆らえない与党の病巣もまた深刻。

コロナ禍の最中、街頭デモや集会ができない中で、数百万人の国民がツイッターで反対の声を上げ、法案を批判しています。心ある議員はこの国民の声を真摯に受け止め、不要不急の検察庁法改悪案に反対していただきたい。

2020.05.16 柳澤

2020年5月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

「社会は存在する」とジョンソン英首相

(弁護士 後藤富士子)

 朝日新聞5月9日の「多事奏論」によれば、ジョンソン英首相は、コロナに感染して自己隔離中の3月末、ビデオメッセージで「今回のコロナ危機で、すでに証明されたことがあると思う。社会というものは、本当に存在するのだ」と締めくくった。医療崩壊を避けるために退職した医師や薬剤師らに復職を呼びかけたところ、2万人が応じ、さらに75万人もの市民がボランティアに名乗りを上げてくれたことに感謝して。 続きを読む

2020年5月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子

「法の支配」と「在野精神」――『私が愛する世界』を読んで

(弁護士 後藤富士子)

1 米最高裁判事ソニア・ソトマイヨール
 2009年、オバマ大統領により最高裁判事に任命されたソニア・ソトマイヨールは、初のヒスパニック系で、しかも女性。2018年10月に邦訳刊行された『私が愛する世界』は、彼女が連邦地裁判事に任命されるまでの回顧録である。 続きを読む

2020年5月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子