参政党の台頭とその危険性:排外主義的ポピュリズムと憲法否定の構造

2025年7月の参議院選挙において、参政党が「日本人ファースト」を掲げて大幅に議席を伸ばし、比例区では野党で2番目の得票するまで躍進した。この結果は、日本の政治における排外主義的ポピュリズムの台頭を象徴するものであり、同党の政策・主張には民主主義の根幹を揺るがす危険性が潜んでいる。特に、外国人排斥的な言説の拡散、憲法の基本理念の否定、そして事実に基づかないフェイク的主張による世論操作は、批判的検討を要する。本稿では、参政党の主張の具体的内容を分析し、その問題点を憲法的・社会的観点から論じる。

  1. 「日本人ファースト」政策の排外主義的構造

参政党は「日本人ファースト」をスローガンに掲げ、外国人労働者や移民・難民の受け入れに強く反対する姿勢を示している。彼らの主張によれば、「外国人が優遇されている」「外国人による犯罪が増加している」といった懸念があるとされるが、これらは統計的根拠に乏しく、むしろフェイクに近い言説である。

法務省の統計によれば、外国人による刑法犯の検挙件数は全体の数パーセントに過ぎず、近年は減少傾向にある。

技能実習制度により来日する外国人は、厳しい労働環境に置かれ、しばしば人権侵害の対象となっている。彼らが「優遇」されているという主張は、実態と著しく乖離している。

政府が政策と推進するインバウンドについて、一部の観光地で住民に不便が生じているとされるが、観光業や周辺産業に多大な貢献をしており、外国人はあくまでお客様である。

こうして冷静に見れば、参政党の言説は事実に基づかない、不安や恐怖を煽ることで支持を集める典型的な排外主義的ポピュリズムであり、社会的分断を助長する危険性がある。

  1. 憲法観と民主主義の否定

参政党が公表した新憲法草案(創憲案)には、現行憲法の根幹を否定する内容が含まれている。特に問題となるのは、以下の点である。

・国民主権の否定:草案では「国家の主権は天皇にある」とする記述があり、現行憲法第1条の「主権が国民に存する」との理念を否定している。

・基本的人権の制限:草案では「人権は国家の秩序を乱さない範囲で保障される」とされ、現行憲法第11条・第97条の「侵すことのできない永久の権利」との理念と矛盾する。

・表現の自由の制限:草案では「国家の名誉を傷つける表現は禁止される」とされ、現行憲法第21条の表現の自由を著しく制限する可能性がある。

これらの創憲案は、戦後日本が築いてきた立憲民主主義の根幹を否定するものであり、極めて危険な思想的背景を持つ。参政党は「日本の伝統を取り戻す」と称しているが、その実態は近代憲法の理念を否定し、国家主義的統制を強化する方向にある。

(参政党憲法草案https://sanseito.jp/new_japanese_constitution/

  1. 科学・教育政策における反知性主義

参政党は教育政策においても独自の主張を展開しており、「自国の歴史を誇りに思える教育」「グローバリズムに対抗する教育」などを掲げている。しかし、その内容はしばしば歴史修正主義的であり、科学的根拠に基づかない主張が散見される。ワクチンや医療に関する陰謀論的言説を拡散し、科学的コンセンサスを否定する姿勢が見られる。歴史教育においては、戦前の日本の行為を正当化するような記述が推奨されており、国際的な歴史認識と乖離している。教育勅語まで明記されており、あきれるしかない。

このような反知性主義的傾向は、民主社会における合理的議論の基盤を損ない、教育の政治的利用による思想統制の危険性を孕んでいる。

  1. 支持拡大の背景とメディア戦略

参政党の支持拡大には、巧妙なメディア戦略がある。YouTubeやSNSを活用し、感情に訴える短い動画やキャッチコピーで若年層や政治的無関心層にアプローチしている。特に以下の点が注目される。

・「既存政党は信用できない」「真実を隠している」といった陰謀論的言説により、既存政治への不信感を煽る。

・「日本を守る」「子どもたちの未来を守る」といった抽象的で感情的なメッセージにより、政策の具体性を欠いたまま支持を集める。

このような手法は、政治的内容の検証を困難にし、感情的同調による支持を生み出す。民主主義においては、政策の内容とその実現可能性に基づく理性的判断が求められるが、参政党の戦略はその逆を行っている。

  1. 参政党の台頭が示す民主主義の危機への対応

参政党の躍進は、日本社会における政治的不満や不安の受け皿として機能した結果である。しかし、その主張には事実に基づかないフェイク的言説、憲法理念の否定、排外主義的ポピュリズム、反知性主義的傾向が含まれており、民主主義の根幹を揺るがす危険性がある。

今後、参政党の主張に対しては、メディア・教育・市民社会が連携して事実に基づく批判的検証を行い、理性的な政治的議論を回復する必要がある。民主主義は、単なる多数決ではなく、人権・法の支配・理性に基づく公共的討議によって支えられる制度である。参政党の台頭は、その制度の脆弱性を示す警鐘であり、私たち一人ひとりがその意味を深く考えるべき時に来ている。

2025年8月7日  栁澤 修

 

2025年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

韓国大統領の「非常戒厳」宣布に学ぶ「緊急事態条項」に関わる自民党改憲案の危険性

12月3日夜、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が、突然「非常戒厳」を宣布。軍隊が国会議事堂周辺に出動するという事態が発生し、実際に議事堂周辺で非常戒厳に反対する人たちとの小競り合いも起き、騒然となった。国会はすぐに非常戒厳の解除要求を行い賛成多数で議決。宣布から6時間後に大統領が解除を表明し、大事には至らなかったが、民主主義の危機が現出したのである。

韓国憲法第77条は次の通り大統領の権限として非常戒厳を定めている。

1.大統領は、戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において、兵力を以つて軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序を維持する必要があるときは、法律の定めるところに依り、戒厳を宣布することができる。

2.戒厳は、非常戒厳及び警備戒厳とする。

3.非常戒厳が宣布されたときは、法律が定めるところに依り令状制度、言論・出版・集会・結社の自由、政府又は裁判所の権限に関して、特別の措置を取ることができる。

4.戒厳を宣布したときは、大統領は、遅滞なく国会に通告しなければならない。

5.国会が在籍議員過半数の賛成に依り戒厳の解除を要求したときは、大統領は、これを解除しなければならない。

尹大統領は非常戒厳宣布の理由として、

「北朝鮮の脅威や『反国家勢力』から韓国を守り、自由な憲法秩序を守るため」

だと説明したが、本当の理由は、外部からの脅威ではなく、本人が政治的に追い詰められているからだというのが、間もなくはっきりした。今年4月の総選挙で与党「国民の力」は野党勢力に大敗北し、国会で法案も通すことができずレームダック状態となっていた。「戦時·事変又はこれに準ずる国家非常事態」では全くなかったのである。恐ろしいのは、政敵などの主だった政治家の逮捕を目論んでいたこと。これから大統領には厳しい処罰が下されることは間違いない。憲法77条第5項の「国会の過半数の賛成で解除できる」が働き、事なきを得たのであるが、与党が多数で解除できなかったケースを考えると空恐ろしい事態となっていたのではないか。

さて、日本においても改憲論議が進行しており、国民の過半数が改憲を是認している状況も世論調査結果で報道されている。自民党の改憲案には「緊急事態条項」の新設も含まれ、9条改憲より国民が受入れ易いだろうとの思惑も聞かれる。

自民党の緊急事態条項案は次の通りである。

第73条の2

大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

② 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

(※内閣の事務を定める第73条の次に追加)

第64条の2

大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の三分の二以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。

(※国会の章の末尾に特例規定として追加)

ここで問題なのは「大地震その他の異常かつ大規模な災害」の定義である。自民党は東日本大震災のような自然災害を想定していると言うが、それが極めて危険な論理であることは、韓国の今回の非常戒厳でも証明されている。権力者は「災害」をより広くとらえて、自分に都合のいいように解釈する可能性があるのだ。

東日本大震災はあれだけの大災害であったが、緊急事態条項が必要な場面があったとは言えないし、日本全国に被害があったわけではない。議員任期については、元々参議院の緊急集会が現憲法に定められている。こうしてみると、いわゆる立法事実がないのである。にもかかわらず、非常事態が発令され、内閣が勝手に政令を制定して、言論を封殺することも十分に考えられる。内閣の独走が始まるのである。コロナ禍においても議論されたが、首相が勝手に臨時休校を決めてしまうような我が国の現状では、絶対に憲法にうたうべき条項でないことを、韓国の事例で学ぶべきだ。

2024年12月10日

柳澤 修

2024年12月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

素朴な疑問と眠れない恐怖とおびえない決意

籠池氏が6月19日に、夜も9時から翌朝まで、家宅捜索を受けた。
この、夜中の訪問に戦慄をおぼえたのは私だけであろうか。
一晩を通して人の自由を拘束する権限を大阪地検特捜部は持っていたのか。なぜ、昼に行わなかったのか。
こうした捜索は常々、夜中に行われているのだろうか? 続きを読む

2017年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : きくこ

南シナ海の問題

南シナ海の問題

南シナ海問題で仲裁裁判所が先月、中国の南シナ海支配権を否定する裁定を下した。ほとんど全ての新聞が「中国完敗」あるいは「無法、不法の中国」とあおっている。果たしてそうか。
この「常識」に対する異色の反論がある。

「戦後世界の海洋秩序を形づくる大きな契機は、1945年、米国大統領トルーマンの『大陸棚宣言』にはじまる。その後『大陸棚に関する条約』を経て、82年採択の『海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)』で領海、接続水域、排他的経済水域、大陸棚、公海等の海洋秩序に関する包括的な『概念』になった。すなわち、現在われわれが海洋秩序という時、前提としているのは、米国による戦後世界構築の一環に位置づけられる秩序概念である。しかし、中国は主権については『歴史的主権』概念に立って発想し、主張していることに留意する必要がある。ちなみに、国連海洋法条約を米国は批准していない。
問題の核心は何か。中国は、戦後世界の米国単独覇権に異議申立てをし、新たな秩序形成に向けての決意を示しているのだ。これが、いまわれわれが目にしている『中国をめぐる言説』の背景に存在する構図である」(木村知義・ジャーナリスト、『週刊金曜日』7月29日号)。
目の覚める指摘だ。日本の大手メディアがあほらしくなる。 続きを読む

2016年9月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 福田 玲三

死を奨励した異常な社会

「死ぬ、死ね、死んだ」
「死の五段活用」とはすごい指摘だ。

これは9/7の東京新聞で見つけた記事によるもので、河北新報「声の交差点」から、仙台の83才の方の投稿。
戦争中にヒットした軍歌「露営の歌」は1番から5番まで「死ぬ、死ね、死んだ」とまるで「死の五段活用」だと述べられ、こうしてまで死を当然視させたものは何だったのだろうと疑問を呈している。

非常に興味深いお話。至る所に死が蔓延している。生を軽んじ、後ろめたいものとしている。こんな社会は異常、というより、もはや社会ではあり得ない、と思う。でもあり得たんだから恐ろしい。

少し前のこちらのブログ (「米食い虫」的差別は違憲 )に言及された、麻生氏の発言(「90才になって老後が心配とか、わけのわかんないこと言っている人がこないだテレビに出ていた。『オイ、いつまで生きているつもりだよ』と思いながら見ていました」)も、同根の発想か。

これとは対照的な、むのたけじ、101才の力強い演説(戦争をなくさなければ現代の人類は死ぬ資格がない)には感動した。 続きを読む

私と憲法 追稿

製錬所のある島
福田玲三

晴着の人を満載しただるま船は対岸の岡山県玉島に向かった。冬の陽はきらめき、海は手の切れるほど澄んでいた。

社宅の奥さんたちは、上方歌舞伎の玉島にくる今日を楽しみにしていた。テレビもラジオもない時代だ。製錬所の高い煙突から出る煙は、島の土をむき出しにし、工員たちは濡れ手拭いを鼻にあて、溶鉱炉の回りを走り回っていた。奥さんたちの出かけたあとの静かな社宅で、母はつくろいものをしていた。母は一度も芝居見物に行ったことがなかった。紅も白粉もつけず、油の代わりに水で髪を整えていた。
翌朝、夜の明けぬうちに、泣き止まぬ長女の鈴江をねんねこに背負い、母は暗い浜辺に出た。若死にした母の兄(私の伯父)の子供が、京都に出て苦労しているという。自分が家出して大阪で仕事を探しているとき、月々心遣いを送って励ましてくれた兄、そしていまは親のない子。
「親代わりに、できるだけのことをしてやろう。それが兄への恩返しだ」身を切る潮風にびんのほつれをなぶらせながら、その思いが身体を暖めるのだった。背中の子をあやしながら、海につき出た棧橋を踏んで行った。橋げたの間を流れる潮の音が、暗い海面から聞こえてくる。ひき返そうとしたとき、下駄が滑って片膝ついた母の背中のねんねこから、すっぽりと子が抜けて厳寒の空に飛んだ。間一髪、娘の着物のはしをつかんで引きよせ、しっかり抱いて、濡れた棧橋に膝をついたまま、母の動悸はしばらく収まらなかった。
海は、黒い無気味なうねりをくり返し、時に上がる飛沫は刺すようだった。わずかな風のためか、夜明けの青い星がまたたいていた。そして夜が白々と明けたころ、母はあやまちのなかった喜びに、大きな痣(あざ)のできた膝の痛みも忘れ、人の動きはじめた社宅にそっと帰ってきた。

数日後、何におびえたのか鰯の大軍が、浜辺におしよせ、世界大戦後の不況を予告するかのように、海は暗く染まった。母は社宅の奥さんたちと、砂浜で飛び跳ねる鰯を、バケツ一杯とってきた。これで何日か副食代が浮くはずだ。
その夜、親子三人の食事を取りながら、母は、きりつめておくった郵便小為替はもう着いているだろうかと、京都の暗い下宿の電燈の下で、淋しい食事をしている甥の姿を思い、ふと涙ぐんだ。「温かいうどんでも食べておくれ。郷里から都会に出ていったどれだけ多くの若者が結核に倒れて田舎に帰ってきたことだろう。お前も、しっかり気をつけておくれ」母は給仕に横を向いたときに涙をぬぐい、日曜日に、スケッチブックと4B鉛筆をもって写生に出かけることを楽しみにしている、この夫の給金を――スケッチブックには、島影に憩う舟や、空に舞う鳶、赤子を背負った子守りなど、森羅万象が画かれていた――勝手に自分の身内のために使っては、夫にも子供にも申し訳ないと、改めて心に誓うのだった。甥の暮しの足しを送るために、母は一切のわが身のおごりを慎んだ。

2016年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 福田 玲三

「米食い虫」的差別は違憲

「米食い虫」的差別は違憲

「沖縄戦を生きた障害者」(NHKテレビ2、8月16日)をたまたま見ると、沖縄戦中、同島の障害者は、役に立たない「米食い虫」と呼ばれ、生きるのさえ白眼視されたという。
さる7月26日未明に相模原市「津久井やまゆり園」で発生した殺傷事件にかかわる植松容疑者は、最近、「殺害した自分は救世主だ」と自負しているという(8月17日『朝日』夕刊)。
和光大の最首名誉教授によれば、「彼は被害者の家族には謝罪している。個人の倫理としては殺人を認めない。しかし、生産能力がない者は『国家の敵』や『社会の敵』であり、そうした人たちを殺すことは正義だと見なす。誰かが国家のために始末しなくてはならないと考えている。確信犯だ」(『東京新聞』7月30日)。
安倍首相は外国で起こったテロにはすぐに許されないと声明を出すが、国内で起こったテロをどう思っているのか、明らかでない。
麻生副首相は北海道の小樽市で行なった講演で、経済政策などについて語った際、「90才になって老後が心配とか、わけのわかんないこと言っている人がこないだテレビに出ていた。『オイ、いつまで生きているつもりだよ』と思いながら見ていました」などと述べた。批判を受けてすぐ取り消したが、「死んでもらいたい」という本心はそのままではないか。
石原元都知事も1999年9月、重度障害者施設を視察後、「ああいう人(入所者)ってのは人格あるのかね」と不謹慎な発言した。
障害者殺傷事件の植松容疑者は事件前、大島衆院議長にあてた手紙の中で、「安倍普三様のお耳に」「安倍普三様にご相談頂ける」ようとに二度も首相の名を挙げている。これは意味深長だ。障害者の殺傷に首相の支持を期待しているからだ。
安倍首相と菅官房長官の沖縄への対応を見ていると、甚大な犠牲を強いた「(沖縄)県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という沖縄海軍陸戦隊大田司令官の遺言に何らの考慮も払っていない。弱者に冷酷なこの首相が強化した軍隊が、国民を守るとは思えない。彼らが守るのは昔は国体、いまは特権階級だけだろう。
これらの政治家はいずれも「米食い虫」的差別を意識に秘めている。
だが、日本国憲法は第25条で、①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めねばならない」と定めており、国民の間に差別を認めず、すべての人に生きる権利を保障している。
国は違憲の軍事費をけずり、あまねく国民の基本的生活擁護に、それを充当しなければならない。

2016年8月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 福田 玲三

『布施杜生』の紹介

先ごろ、戦争体験を語るよう私が求められたが、抜き差しならぬところに追い込まれた戦地の体験を語るよりも、戦争の危機を警告して非情に弾圧された人たちの実情を伝える方が、適切だろうとの思いが私にある。
その悲劇の最も痛ましい例として作品「布施杜生(ふせもりお)」(『国鉄詩人』2015年秋号掲載)を紹介したい。

布施杜生(ふせもりお)

ゆき・ゆきえ

布施杜生という珍しい名前の人がいる
父は戦前からの左翼弁護士布施辰治で
トルストイ(杜翁)の非戦論と人道主義に感銘し
その一字をもらって三男につけた

杜生は一風変わった娟(けん)介な人で
ドモリでもあり
自分の名前のことで 小ブル的センチメンタリズムと
猛烈に父をけなし
京都大学の学生時代に学生結婚の問題で
父と袂(たもと)を分かった

野間宏の小説「暗い絵」に
彼をモデルにした木山省吾が書かれている
「深見進介は …… 木山省吾の横に立ったまま、木山省吾の汚い見すぼらしいよれよれの夏の学生服を着けた、薄い肉のない、何処か身体が或る箇所に不治の病気を持っているような頚筋を見つめながら、意味のない言葉を云った。少し尖った大きな耳の後に、項の毛がちぢれて垢のついているような木山省吾の頚に目をやり、彼は右ポケットの煙草を探った。」
「『信じんね、俺は。』木山省吾が強く云った。そして胸幅の狭い栄養のよくない虚弱そうな上半身を右に向け、漸く伸び出した髪の毛が羽毛の伸び始めた牝鶏の尻尾のように滑稽に見える頭を左右に振った。」
「病的な何処かに腐敗したものの感じを抱かせるにかかわらず、また何処かのんびりした所のある表情、軽快な機智などの全くない知性、言語反応の遅鈍な頭脳、極めて鈍い挙動、木山省吾はこうした外貌を持ちながら、しかし対人関係に於て極めて鋭敏な神経を持つているのである。彼自身、肉体的の欠陥を持ち、常に苦悩の連続の生活をしている故に、特に他の者の心の苦しみをじっと見抜く眼を持っている。そして彼は他人の苦しみを見抜いた時、それに対してこの上なく細心な心使いをするのである。」

杜生は京都帝国大学文学部哲学科で
田辺元教授に師事したが
やはりこの学生結婚の問題で田辺教授にも反対され
京大を退学する

それより先
京大に入学して二年目
春日庄次郎らが組織した日本共産主義者団の
活動に彼は参加し
「京大ケルン」関係者一同とともに逮捕され
京都山科未決監に収容され
一〇ヵ月後に執行猶予で出所している

出所の翌年
京大退学の元となった
団の同志松本歳枝と東京で結婚し
出版社、ついで業界新聞社に勤める

その年の大晦日
栄養不良の皺だらけの女の子が逆子で生まれ
病弱なこの乳飲み子をかかえた
窮乏のきわみの生活のなかで
杜生は詩歌、小説の創作に没頭する

長女誕生の翌年九月、治安維持法違反の嫌疑で再検挙され
その二年後の昭和一九年二月四日
京都拘置所内独房で衰死
愛児は杜生検挙の二ヵ月後に急逝

中野重治、野間宏監修の
布施杜生遺稿集『獄中詩・鼓動』が
昭和五三年、永田書房から二五〇〇円で刊行された
石田嘉幸に頼んで その古書を五一七円で手に入れた

古書には刊行の栞(しおり)がついていて
「布施杜生のこと」を
中野重治、野間宏、松本歳枝が書いている
中野も野間も杜生の人柄を丁寧に書いているが
一番衝撃的なのは松本歳枝による
杜生検挙のときの記録だ

「布施は将来に明るい展望をもっていた。(一)詩歌集。(二)長編小説。(三)論理学序説。(四)民族史の概念及び方法。これらは近い将来彼が必ずなし遂げるべきはずの、彼の労作の四つのプランであった。」
「それは昭和17年の9月中旬位だったろうか。正確な日は想い出せない。何しろ前の晩はかなり風雨が強く嵐のようだった。嵐ではなく、早い野分けが通り過ぎたのかも知れない。ドンドン、ドンドン、突然激しく玄関の戸を叩く音。
『何だろう』
二人は同時に身を起こした。カーテンを少し引いて硝子戸越しに庭の方を覗いてみたが、外は風もやんでまだ深い暁闇につつまれ静かであった。無気味な予感がスーと走る。間をおいて、ドンドンと又ひつこく繰返してくる。」
「男どもは総勢で六、七名位いた。彼等は警視庁特高課の私服刑事だった。」
「彼等は前と後に別れ、杜生を真中に挟んで、ぞろぞろと動き出した。玄関の上り間口の柱のところまできて、ガチャリと杜生に手錠がかかった。と、突然
『俺は行きたくない!俺は行けないんだあ――』
びっくりする大声で杜生は叫んだ。そして柱にしがみつき、オンオンと声を挙げて泣き出した。一瞬たじたじとなって刑事どもはお互いの顔を見合わせたが妙に白けた気分で沈黙した。
『なに大丈夫ですよ。そう四、五日で帰れますからね……』
年輩の刑事が困惑しきって、幼児をなだめるように、柱から彼を引き離そうとした。
『いやだよ!俺はいま行けないんだ!』
杜生は地だんだ踏んで癇癪玉を破裂させて、もっともっと大声を張り上げて泣き叫んだ。
『仕様がねえなあ……』
誰かが云うと、他の者も薄ら笑いを噛み殺した。やがて、きりがないと云う顔で、背後にいた男が、手荒くドーンと杜生の背中を押した。そして、罪人を引き立てるように彼を家の外へ引きずり出した。」

「いやだよ!」
杜生の叫びは いま私の身体のなかで
改憲をねらう人たちに
的をしぼって 響きわたる

<付記>
もし、戦争の実相を知りたいと願う若い読者がいるなら、私は東史郎『わが南京プラトーン―一召集兵の体験した南京大虐殺―』(青木書店、1996年刊、定価2060円)をお勧めしたい。筆者、東氏は京都府出身、昭和12年京都第16師団に入隊、南京攻略戦などに参加、昭和14年除隊。この間、行軍「日誌」を書き続け、それを帰国直後に清書したものが本書。
本書の「まえがき」は次のように始まっている。
『わしは……、機関銃で……むごいことをした』
病床から、やせた腕をしっかりとのばし、私をつかみながら、元機関銃中隊隊員の老兵は悔恨と懺悔の涙にかきくれていた。」
「その老兵は、私の手を握って離さなかった。涙がとめどなく流れ、彼の頬をいく本もの光る筋となって止まなかった。

天皇陛下の「生前退位」に賛同を

最近、天皇陛下の「生前退位」の話題が良く目につく。

右のほうから「絶対反対」の論調が聞かれるが、左からは音沙汰なしである。

このままでは「生前退位」が吹っ飛んでしまう。

護憲派としては「生前退位」に諸手を挙げて賛同すべきである。

かつて「女帝」の問題が上がったこともある。

私は「女帝大賛成」と言っていた。

護憲派の多くは「非武装中立、天皇制反対」である。

私も同じ立場だ。

だからと言って天皇制を論じないというのは誤りだ。積極的にかかわって、より良い制度にしなければならない。

天皇制の何がいけないのか。護憲派の中に「身分制度」という人が多い。

私は「天皇の神格化」と思っている。

護憲派の言うように、直ちに天皇制をなくすことは無理である。

でも、「神様」でなくすることは可能だ。まずは「万世一系=男系」を破ること。「女帝」推進である。

そして「生前退位」だ。生前退位が認められれば天皇は国家公務員の「天皇職」になる。

皇族から「定年制」の話が出たこともあるらしい。

これも、国家公務員の「職」レベルの話になる。身分制度でもなくなる。

「象徴」として居て戴いていいのでは。多くの国民も望んでいるのだから。

私達も声を上げよう。「生前退位」賛成と。