「完全護憲の会」会員求める期待と願い

札幌市 小久保 和孝

 「完全護憲の会」を知ったのは2015年の秋頃であったろうか。「日本国憲法が求める国の形」のパンフレットを手にした時であった。

 読み終わった時、私の中に二つの大きな夢というか希望が沸き起こった。

 その一つはパンフレット55頁の「日本国憲法が求める国の形」作成の過程を見たときである。新しい憲法(昭和憲法)が制定された時、当時の文部省は国民学校(小学校)憲法の時間を持つことを奨励し、「新しい憲法のはなし」を出版した。この準教科書は小学生ばかりか広く国民各層に読まれ、新しい憲法発布時の“憲法の掲げる国の形と理念”に対する熱狂的な共感と支持が更に深まり拡がっていった。

 「平和主義、平和国家」、「主権在民」、「基本的人権」この三つの言葉は日常生活の合言葉にさえなっていった。そして未だ消えない血と餓と焼土の残る中で、国民の中に「文化国家建設」への夢と希望が膨らみ拡がっていった。

 この後、憲法について多くの学術書、一般図書が出版されたが、国民的話題となる憲法関係のみるべき一般人向けの図書はなかった。

 1950年6月、朝鮮戦争が起こった。そして「G・H・Q」のマッカーサーが発した一連の日本政府に対する書簡によって共産党機関紙「赤旗」が発行停止され、報道関係、一般企業さらに官公庁、学校まで共産主義者とその同調者とみられる一万数千人余が「レッド・パージ」として解雇、追放された。憲法の保障した法のもとでの平等・思想・良心の自由は占領法規の武力を背景とする超憲法的力により「新しい憲法」は事実上停止されてしまった。ここから現在に続く「逆コース」の時代が始まる。そればかりか、七万五千人の「警察予備隊」が創設され、再軍備の種が蒔かれた。

 1951年、それ迄国内で「全面講和」か「単独講和」か、で国民を二分した戦後“米よこせ”デモに続く国民的大闘争は、G・H・Qの後押しを得た時の総理大臣吉田茂は、全面講和を支持した南原東京大学総長を「曲学阿世の徒」であるとまで罵倒し、国会の多数派を背景にしてアメリカ中心の「片面講和」に押し切っていく。同年9月サンフランシスコで、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアの3か国を除くアメリカ主導の連合国48か国と日本とにより講和条約が調印された。同時に連合国側にさえ全く秘密裏に用意された「日米安全保障条約」が米国代表と別室で日本側は吉田首相ただ一人の調印で締結された。以降、日本には占領期間中の通称「ポツダム勅令」と呼ばれる超憲法法規は講和後表向きには撤廃されたが、その内実は「安保条約」に基づく「日米行政協定」を中心とする条約ならざる国家間約定と各種「特別法」として温存再生され、現在も続いている。そのため、我が国には「憲法体制」と「安保条約体制(行政協定)」との二つの法体系が並列して存在することになった。

 以降、益々日本の現実は、あるべき憲法体制から多数派国会議員を持つ権力政党の手による各種法令により次第に乖離していく。

 「集団的自衛権」の行使は「違憲」とする歴代法制局の見解を引き継いだ長官は更迭され、国会では「特定秘密保護法」に続き「共謀罪」法案が強行採決されてゆく

 「現行憲法」は占領下で占領軍に強制されたものであると主張する「改憲派諸勢力」は、公然と「憲法改正」を叫び、昭和憲法を卑しめ否定している。

 憲法学会では「逆コース」以降の危機的状況に、有志の学者達が憲法についての一般国民向けの各種書籍を出版するようになっていった。その中で憲法の理念と現実との乖離を直視しつつ憲法を解説した長谷川正安著「日本の憲法」は、この種の本としてはかなり多くの人々に読まれ、1953年発刊以降改訂を進めつつ第三版まで刊行が進んだ。この岩波書店新書版は、日本の現実が次第に憲法から離れ、「安保体制」の法体系寄りになりつつあることは解説されていても、「憲法のめざす国の形」を具体的に展望する目的は持っていないかに思える。私はパンフレット「日本国憲法が求める国の形」55頁をみて最初に浮かんだのは、この長谷川正安著「日本の憲法」であった。

 「日本国憲法が求める国の形」(追補・シリーズ1)このパンフレットは発刊後、会員と読者との声を反映しつつ、「憲法の求める国の形」を益々具体的に展望し、会の実践活動方針の役割を担ってゆき、版を重ねる毎にロマン豊かな刊行物になってゆくのだろうと思っていた。例えば16頁から20頁にわたるこのパンフレットの(第9条関係)“違憲自衛隊を合憲の国連軍に”の記述は、憲法前文の立場に立つ極めて壮大な展望に満ちた、国際性豊かな実戦活動方針になっている。

 ただ、このパンフレットは毎年改定されるのか、2~3年おきになるかは会の発展と力量によるのかなーと想像していた。

 これが一つの夢、希望であった。

 「完全護憲の会」設立趣意書の最後は「当面の活動」である。そこには“我々の使命と日本国憲法の理念を広く世間に普及する。憲法に違反する政治の実態を究明し、順次発表する”と締め括られている。

 二つ目の夢・希望はパンフレット76頁「完全護憲の会」設立趣意書の頁を再度読み進めるなかで、次から次へと色々の事が想起され、今後活動が目に浮かんで来た。

 先ず始めの「現状の認識」、「われわれの使命」そして「当面の活動」をみて、この会は新しい憲法(昭和憲法)下の“明確に政治団体”を宣言したものである。しかし「完全護憲の会」は一つの結社である。結社には多様な人々が集まってくるはずである。多様な人々が集まるのは力である。

 例えば本会の性格について、政治団体であるとしても実践活動の主要な姿を思い浮かべるその内容はまた多様である。ある人は「出版機関」と捉えるであろう。一方ある人は「学術団体」「研究会」「勉強会」と考えているかも知れない。また政治団体である以上、主要な活動の性格から「啓蒙団体」と捉える人もいるだろう。また社会の屏息状態からの護憲派の「サロン」でありたいと願う人もあろうかと思う。しかし、「完全護憲の会」設立趣意書は、これらいづれか一方にも陥らない事を“自戒”しているかに思えた。

 さて憲法と国家についてだが、文章になった憲法法典がなくともブリティッシュ・キングダム(大英帝国)の様に「成文憲法典」が存在するかの如く成り立っている国がある。その一方で近代国家で最も早く憲法典を持ち、結果として奴隷解放の南北戦争(シビル・ウォー)を体験し民主政治の原則とも云える「人民の、人民による、人民のための政治」を、とのリンカーンの演説を生み出した国アメリカもある。

 しかし、この国はその地域に三百万乃至六百万人も居住していたとされる先住民族(ネイティブ・アメリカン)を感染症の持ち込みも加わり、二十万余まで剿滅しつつ成立していく「移民国家」であった。そして、その先住民を不毛の「居留地」に押し込め、初期の「条約」を「タテ」に外国人扱いとしている。そればかりか、憲法理念に全く反する「白色人種至上主義者」の南部地域における暴力を許し、内戦の目的となった当のその黒色人種を、国の半分では久しく全く憲法の外にしてしまっていた。

 また、ソビエト社会主義共和国連邦は堂々たる成文憲法典を高々と掲げながら、全く異なった国になってしまった例もある。

 1919年、第一次世界大戦でドイツ連邦共和国が成立した。そしてワイマールで開かれた国民議会で制定した自由主義的民主主義共和国建設を目標とした憲法を制定、そこには「国民主権」普通選挙の承認に加え、「生存権の保障」三権分立基調など二十世紀「民主主義憲法」の典型とされた憲法であったが、そのめざした国とは違った方向に国を進めてしまい、「ホロコースト」まで起こしたナチス政権を作ってしまった。

 第二次世界大戦は、米、英、中、後にソ連も加わった「ポツダム宣言」を我が大日本帝国が受け入れて1945年8月15日に終わった。それは同時に「大日本帝国憲法(明治憲法)」の消滅を意味していた。

 そこで改めて「憲法」とは一体何なのか教科書的、一般的理解を、私自身が確認するためにと、手元の電子辞書を引いてみた。その辞書名は「カシオEX・word」である。

 ブリタニカ国際大百科事典「憲法の項目」を以下少し長くなるが、この小論に敢えて次に引用する。

 「憲法の話には、およそ法ないし掟の意味と国の根本秩序に関する法規範の意味と二義があり、聖徳太子の「十七条憲法」は前者の例であるが、今日は一般には後者の意味で用いられる。後者の意味での憲法はおよそ国家のある所に存在するが(実質憲法)、近代国家の登場とともにかかる法規範を一つの法典(憲法典)として制定することが一般的となり(形式憲法)、しかも、フランス人権宣言16条にうたわれているように、国民の権利を保障し、権力分立制を定める憲法のみを憲法とする観念が生まれた(近代的意味の憲法)。

(1)17世紀以降この近代的憲法原理の確立過程は政治闘争の歴史であった。憲法の制定、変革という重大な憲法現象が政治そのものである。比較的安定した憲法体制にあっても、社会諸勢力の違いや階級の対立は、重大な憲法解釈の対立とともに政治的、イデオロギー的対立を必然的に伴っている。したがって憲法は政治の基本的ルールを定めるものであるとともに、社会諸勢力の経済的、政治的、イデオロギー的闘争によって維持、発展、変革されてゆくという二重の構造を持っている。(2)憲法の改正が、通常の立法手続きでできるか否かにより、軟性憲法と硬性憲法との区別が生まれるが、今日ではほとんどが硬性憲法である。近代的意味での成文硬性憲法は、国の法規範創設の最終的源である(授権規範性)とともに、法規範創設を内容的に枠づける(制限規範性)という特性を持ち、かつ一国の法規範秩序の中で最高の形式的効力を持つ(最高法規制)。日本国憲法98条第1項は憲法の最高法規制を明記する。-中略-なお、下位規範による憲法規範の簒奪を防止し、憲法の最高法規制を確保することを、憲法の保障という。と出ている。

 以上が引用全文である。少し長くなったが、この後に憲法の変動、成文憲法、不文憲法の解説が続く。

 以上の辞書的知識をベースとして現行「日本国憲法」を捉えると、それ自体が社会諸勢力との経済的、政治的、イデオロギー的闘争そのものになる。そこで「完全護憲の会」に集う人々の日本国憲法観を文章で示したのがパンフレット「日本国憲法が求める国の形」「完全護憲の会」設立趣意書の76頁「日本国の憲法の理念」に集約されているとみられる。これは単に日本国憲法の理念を示したのみでなく、「完全護憲の会」の「実践的政治団体」としての「マニフェスト」であり行動指針でもある。私の第二の夢希望は大きく膨らんだ

 ひょっとするとこの会が未だ日本では例を見ない全く“新しい学習する政党”に発展していくのではないか?との夢・希望であった。

 ドイツでは「草の根住民活動」から始まった「環境保護運動」は政党「緑の党」を出現させた。

 第二次世界大戦後、多くの国で国民的争点での闘いは全有権者の1%内外の差が多く、

トランプが選挙人当選者数で勝利となるケースもある。

 1960年5月から6月に最高潮に達した「安保改定反対」の国民的大運動は、憲法の規定により改定条約は「自然成立」となる。しかし日本では今後国民の深層意識にかかわる二極大闘争は当面起こりそうもない、否、支配層がそれを避けている。

 もし起きるとすれば、それは事あるごとに強化、実体化されつつある「天皇制」をめぐるものであろう。あと一つは「米軍基地撤廃闘争」が、沖縄から本土に移り全国運動になる時である。現在は国民の深層意識の中では国家権力保持派は「勝っている」との思い込みから国民的争点にはしようとはしていない。しかし、現行の天皇制が守れそうもないと判断したとき、国民的争点として打って出てくる危険性が常に存在している。しかし我が国の「代議制民主主義」は議員と有権者意識とは益々乖離を深めていきそうである。無党派層の増大がその傾向を物語っている。そこで多分、我が国では国民の意識しない間に“国の形”がいつの間にか変わってしまっている、そんな時代になっているのではないかと推断出来そうである。否、現代は刻々その進行形の時代だと。

そこで「完全護憲の会」設立趣意書「会員資格」を見ると“会員たることを秘することを求め得る”とあるのは「青年法律家協会(青法協)」の轍を踏まないとの深重さの上に、更に会員が国家権力機関である自衛隊員、治安機関の警察、行政機関の職員まで拡大されることを予想しているかである。この項は会の壮大な展望を秘めている。

 次の「完全護憲の会」設立趣意書の「当面の活動」はすばらしい表現であるが、どこかにもう少し具体的指針を示すべきではなかったかと思う。例えば戦争体験の集積と継承(特に学徒出陣者の戦争体験及び空爆戦災被災者記録の発掘と継承)の様に。

 次に完全護憲の会「会則」であるが、(目的)の第3条はあまりにも月並みである。ここに仮称“会員実践当面の活動の指針とかの項”を掲げるのも一つの方法かと思う。(会員)に二種類の区分が存在することが第4条に出ているが、この表現ではイメージが湧かず判りづらい様に思う。“賛助会員”の後に( )して会報等読者などとの文言を追加しては如何かと思った。

 私は会員が学習活動閉じ籠ってしまわないためにも、会則等に掲げるのではなく、次の規範と義務を負うべきだと考える。

(1) 一年に一人は会員を拡大する。
(2) 一年に三人の賛助会員(刊行物・会報等読者)を拡大する。
(3) 常に身の回りに憲法問題を語り合える仲間を持つ努力をする。

 ところで次の「完全護憲の会」設立趣意書「会計」には入会金は一千円とする、としか記されていない。この後に“費用は会員で適宜、分担する”とあるが、内容がつかめない。会と名のつく会にはすべて月又は年会費が規定され、会費納入が会員規範となっている。しかし我が会則には会費規定がない。これは会費納入以上の「内なる規範」を課しているかに思えてならない。

 会の基本的運営資金は「完全護憲の会」設立趣意書「会計」に“会員で適宜分担する”とあるが、その内容は活動の中で得る、つまり会発刊のパンフレット等の普及販売等の活動によって得ることを想定しているからではなかろうか。

 「完全護憲の会は個人加盟」の全く新しい「学習する政治団体」である。その実践活動は結果として政治闘争であり、有権者の獲得競争でもある。

(2021.6.2 記)
(素原稿完成 2021.3.15)
(素原稿末尾改訂 2021.3.16)

総務省幹部官僚違法接待問題と菅義偉首相の責任

「(長男は)今もう40(歳)ぐらいですよ。私は普段ほとんど会ってないですよ。私の長男と結びつけるちゅうのは、いくらなんでもおかしいんじゃないでしょうか。私、完全に別人格ですからね、もう」

これは、2月4日の衆議院予算委員会で、首相の長男が東北新社の社員として接待に同席していたことに対して、顔を強張らせながら、感情をあらわにして言い放った答弁である。

違法接待疑惑が明るみに出たのは、同日発売の週刊文春が報じた記事。昨年10月~12月にかけて4回、総務省の幹部官僚4人がそれぞれ個別に、東北新社から高級飲食店で接待を受け、お土産やタクシー券を手渡している場面が写真付きで報じられた。この時期は、飲食の自粛、不要不急の外出を控えるように、都知事が訴えていた時期とも重なる。その後の総務省の調査で、この4人が2015年以降、12回にわたって接待を受けており、そのすべての席に首相の長男が同席していたことが明らかになった。

国家公務員は、「国家公務員倫理法」で利害関係者からの金品の受領や接待を固く禁じられているが、衛星放送事業は総務省の許認可が必要であり、その事業を大きな柱とする東北新社が利害関係者にあたることを、監督官庁の担当局長が知らないはずがない。

国家公務員倫理法 第3条第3項

「職員は、法律により与えられた権限の行使に当たっては、当該権限の行使の対象となる者からの贈与等を受けること等の国民の疑惑や不信を招くような行為をしてはならないこと。」

週刊誌報道後国会での追及が始まったが、与党は4人の官僚のうち次期次官候補を含む上位2人の予算委員会出席を拒否、秋本情報流通行政局長と湯本審議官が答弁することになったが、信じられないような答弁が繰り返された。

「東北新社が利害関係者とは思っていなかった」

「東北新社の事業や衛星放送、CS・BSの話は出なかったと記憶している」

「東北出身者の集まりだった」、「忘年会だった」等々。

こうした虚偽答弁を覆すべく出てきたのが二発目の文春砲。秋本局長接待時の会話の録音テープが報道され、今までの答弁が虚偽であったことも明らかになった。

総務省は、2月4日の報道以来、省内調査を徹底的にやると言いながら、武田総務大臣は調査の途中にも拘らず、「行政がゆがめられたことは一切ない」と言い切るなど、身内の調査の甘さが図らずも露呈した。

上述の通り、今回の違法接待は極めて分かりやすい構図で、贈収賄の疑いも濃厚な国家公務員倫理法違反であるが、菅政権は早々に二人の更迭人事を行い、国会に出席させない戦術をとることが懸念され、更には4人の官僚の懲戒処分で終結を図ることも予想される。

しかし、この問題の核心は、何故幹部官僚がリスクを冒してまで易々と接待に応じていたかである。菅首相は、小泉政権時に総務副大臣となり、総務省人事の権限を握ったとされ、第一次安倍政権では総務大臣に就任、第二次安倍政権でも官房長官として総務省に絶大な影響力を持ってきた。そんな菅氏が総務大臣就任時、大臣の政務秘書官に当時定職がなかった25歳の長男を起用したのである。その後、菅氏と同郷である東北新社創業者に依頼して、同社に入社したとされ、いまでは40歳にして本社部長兼子会社「囲碁・将棋チャンネル」取締役を務める。こうした経緯を考えると、「自助」を重視する菅氏が、身内に対しては自分の地位と権力を使って「公助」する構図が浮かび上がる。「息子は別人格」などと、堂々と言える資格はないと考えるのが庶民の感覚である。

森友問題における佐川理財局長と同じく、総務官僚もまた父親の影響力を恐れて、息子の誘いを断ることができず、リスクを冒して接待に応じていた可能性は否定できない。

菅首相は、東北新社社長から個人献金として2012年~2018年の間で500万円受領しており、パーティー券も受領を肯定している。更には、会食も行っているが、時期については記憶が定かでない旨、曖昧な回答しかしていない。

この接待疑惑問題は、官僚の贈収賄や倫理問題だけではなく、首相という最高位の公務員の倫理、または犯罪が問われているといっても過言ではない。

菅首相には是非とも憲法第15条第2項を再認識してもらい、自身の責任を明らかにしてほしい。

「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」

2021年2月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

国会と司法が試されるとき

「桜を見る会前夜祭」で、安倍前首相の事務所が会費を補填していたことが、東京地検特捜部の捜査で明らかになった。そもそも都内一流ホテルで会費5,000円、領収書は参加者個人にホテルが発行、明細書も何ももらっていないなど、信じがたい国会答弁を繰り返してきた前首相だが、すべてが虚偽であったことが白日の下にさらされつつある。こうした国会や国民を馬鹿にした答弁を繰り返してきた前首相がとる戦術が、「秘書が独断でやったことで、知らなかった」であることは容易に想像できる。そして、検察は「政治資金規正法も公職選挙法も不起訴」とする方向との報道も取りざたされる。果たしてそれでいいのか。国会は国民の負託を受けた国権の最高機関であるが、国会及び国民は行政の最高権力者の嘘に1年近く騙され続けてきたのである。

野党は国会で安倍前首相の証人喚問を要求しているが、菅首相もまた同罪であることから、前首相の負の遺産を見事に継承し、国会を愚弄した答弁を続けるだけで、全く信用できない存在。

しかし、かつてはリクルート事件で中曽根元首相、佐川急便事件で竹下元首相が証人喚問されたこともあり、自民党政権時代であっても、首相経験者の証人喚問の実績がある。自民党議員もこの1年間騙されてきたこと、そしてモリ・カケ・サクラ・定年延長など、数々の政治の私物化疑惑のある安倍前首相の証人喚問に応じることは、国会議員の矜持を示す時でもある。行政監視機関としての国会の機能が試されている。

そして検察・裁判所の対応である。かつて政界のドンと言われた金丸信が、5億円の闇献金問題が明るみになったが、東京地検特捜部は金丸に事情聴取もせずに略式起訴し、東京地裁が20万円の略式命令をしたことから、その刑罰の軽さに関して司法が世論の大反発を受けたことがあった。その反発を受け、その後検察は脱税で金丸を逮捕・起訴せざるを得なくなった。今回安倍前首相を不起訴にするような判断は決して許されるものではない。

安倍前首相は9月に体調不良で突然辞任したが、最近はすこぶる元気だったとのこと。現役首相で前夜祭問題の真相が発覚することを恐れたための辞任とも推測される。安倍前首相には、議員辞職という形で政治責任を取ってほしいものである。

2020.11.29 栁澤

2020年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

菅首相は日本学術会議が推薦した会員候補6名の任命拒否を直ちに撤回せよ

日本学術会議(以下学術会議)が会員候補として推薦した105名のうち、6名が政府に任命拒否された事実が10月1日明らかになった。学術会議会員の定数は210名、任期が6年。3年ごとに半数が入れ替わることになっており、次の会員候補は学術会議が推薦し、首相がその推薦に基づき任命することになっている。

今回の問題における日本学術会議法(以下「法」という)の関係条文は次の通りである。

第1条第2   日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。

第3    日本学術会議は、独立して左の職務を行う。(以下略)

第5条    日本学術会議は、左の事項について、政府に勧告することができる。(以下略)

第7条第2項 会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する

第17      日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする

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2020年10月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

国旗・国歌の強制は憲法19条違反、思想・良心の自由を守れ!

「生徒自ら曲を選び、練習してきた合唱は取りやめになった。どうせ歌うなら『君が代』ではなく、思い入れのあるそっちを歌わせたかった」

これは今年3月、卒業生を見送った都立高校教諭の正直な思いである。

2020年7月20日付東京新聞に、次のような記事が掲載された。

「都立学校の今年3月の卒業式について調査したところ、コロナ禍の影響で、感染防止を優先し、保護者・在校生の出席なし、式次第は卒業証書授与など必要最低限として時間短縮が図られた。ただし、東京都教育委員会(都教委)が2月28日に発した文書には、「国歌斉唱を行う方針に変更ありません」とあり、結果的に都立学校253校すべてが「君が代」を斉唱していた」

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2020年8月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

「法の理想」を指針として――「共同監護」を創造するために

(弁護士  後藤富士子)

1 「単独親権」から「共同親権」への法の進化
 民法818条は「父母の共同親権」を定めている。家父長的「家」制度をとっていた戦前の民法が「家に在る父」(一次的)または「家に在る母」(二次的)の単独親権制を定めていたのと比較すると、革命的転換であった。その根拠になったのは、「個人の尊厳と両性の本質的平等」を謳った日本国憲法24条である。「個人の尊厳」という点から親権に服する子は未成年者に限定され、親権は未成熟子の監護教育を目的とする子のための制度であることが明らかにされた。また、「両性の本質的平等」という点で「父母の共同親権」とされている。すなわち、戦後の日本の出発点は、家父長的「家」制度を廃止し、「単独親権」から「父母の共同親権」へ進化したのである。換言すれば、「父母の共同親権」は、まさに「法の理想」であったのだ。 続きを読む

2020年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子

河井夫妻事件を法と正義に基づき裁いてほしい

河井克行前法務大臣と妻の案里参議院議員が、通常国会閉会後の6月19日、案里氏の参議院選挙における公職選挙法違反容疑で逮捕された。多額の現金を選挙区広島県の首長や自治体議員、支援者など、100名近い人に配ったことが報道されており、現に受領したことを公表して、辞職した人もいる。時期的に見て、選挙協力依頼の為と誰もが推測できる。自民党から1.5億円の多額の資金を提供されていたこともわかっており、お金は余るほどあったことは間違いない。

検察は、今のところ現金をもらった収賄側の首長や議員などは起訴しない方針と言われる。これを聞いて思い出したのが、志布志事件である。

17年前の2003年、鹿児島県議選で鹿児島県警が捏造し、鹿児島地検が加担した志布志事件。数万円の金銭のやり取りや焼酎等飲食接待を捏造して、立候補して当選した中山信一県議と妻が贈賄、志布志地区の住民11名が収賄罪に問われ、長期の拘留による人質司法で6名が自白し、これを唯一の証拠に検察が起訴。鹿児島地裁の公正・正当な判断で無実となった公選法違反事件。こんなちっぽけな事件で収賄したとされる住民が起訴されたのに、河井事件での収賄側は不起訴。志布志事件で、身に覚えのない罪で苦しんだ方から見れば、許容できるものではない。常習賭博麻雀容疑で告発されていた、検察NO.2の東京高検検事長だった黒川弘務氏も不起訴となり、検察の判断に首を傾げざるを得ない。日本の刑事司法の正義はいったいどこにあるのか?

検察庁法改悪案には、国民がSNSで大きな声を上げ、巨悪追及に対する検察への期待感が示された。河井事件で中途半端な追及は決して許されない。

1.5億円の政治資金の原資と使途を含めて、検察と裁判所は、法と正義に基づいて、公正に裁いてもらいたい。

2020.07.12

柳澤 修

2020年7月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

「法曹養成制度」としての「法科大学院」――日本の弁護士はなぜ「統一修習」にしがみつくのか?

(弁護士 後藤富士子)

1 「司法試験」と「法曹養成」の関係
 日本では、法科大学院が創設された前後を通じて、司法試験は司法修習生採用試験であり、法曹養成の基本は「統一修習」に委ねられている。それは、司法試験受験資格として体系的な法学教育を受けたことを要件としないことからも明らかである。ちなみに、法曹養成制度として法科大学院が創設されたにもかかわらず、統一修習制度を維持したために、司法試験を法曹資格試験とすることができず、移行期の旧試験、その後の予備試験というバイパスを設けたことによって、法曹養成制度としての法科大学院の存在意義は決定的に減殺されることになった。現状をみると、法科大学院は、司法修習生に採用されるためには「無駄」でしかなくなっている。翻って、法科大学院を法曹養成の基本制度にするなら、統一修習を廃止しなければならなかったのだ。 続きを読む

2020年7月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子

通常国会を閉会していいのか

戦後最大の国難というべき「新型コロナ禍」が進行中のなか、野党が国会延長を要求するものの、政府・与党は6月17日に閉会する予定である。

自民党の改憲草案では、自然災害等を想定した緊急事態条項の中で、「議員任期の延長」を盛り込んでいるが、これは国会が緊急事態時にその機能を発揮することを想定しているからではないのか。そうであるならば、今が正に新型コロナの第二波の感染や経済危機の拡大が予想される非常事態の時であり、国権の最高機関たる国会は開いていなければならない。にもかかわらず、政府は補正予算で10兆円の予備費を積んで、後は政府がやりたい放題にやるという態度が見え透いている。

一次・二次の補正予算では、持続化給付金やGo・Toキャンペーンの不透明な事務委託が明るみになったが、この問題も国会閉会とともに何ら改善されることなく執行される可能性がある。

2017年の通常国会後、野党は憲法に則って臨時国会の開会を要求したにもかかわらず、政府・与党はこれに応じず、やっと開会したと思ったら即解散するという暴挙に出た経緯がある。

安倍政権の国会軽視は目に余るものがあるが、今回もこれを踏襲することには激しい怒りを感じざるを得ない。

2020.06.12 柳澤 修

2020年6月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

三権分立を破壊する検察庁法改悪を許してはならない

新型コロナ禍で国民生活が大打撃を受ける最中、安倍政権がとんでもない法案を強引に成立させようとしています。

国家公務員の定年延長に関する法改正案が10本の束ね法案として国会に提出されましたが、その中に検察庁法の改悪案が含まれており、内閣委員会で審議されることになりました。政府は検察官も一般職の公務員であることを唯一の理由に束ねたと言っていますが、まさに火事場泥棒的な姿勢に他なりません。

検察官は被告人を起訴できるという特別な権限を有し、一般公務員とは全く違う存在。だからこそ、検察庁法という特別法でその身分を定めているのであり、他法案と束ねること自体がおかしいのに加え、委員会への法務大臣の出席なしの審議。これでまともな審議ができるわけがありません。

この法案ができた端緒は、東京高検黒川検事長の定年延長が1月末に突然閣議決定されたこと。2月8日が退官日で、直前に送別会も予定されていたとのこと。こんな人事を法務省が決められるはずがなく、官邸が無理筋を通したのは間違いありません。国家公務員法の定年延長規定を検察官にも適用したという無理筋がゆえに、定年延長決定過程を明らかにする文書もなかなか出てこず、ようやく出てきた文書には日付もない。作成日のわかる記録(プロパティ)も出せないと言い張り、挙句に法務省内の決裁は口頭で行ったというのです。したがって黒川検事長の定年延長は違法状態にあり、彼の決裁事項はすべて無効となる可能性もあります。

この定年延長を後付けで正当化しようとするのが、今回提出された検察庁法改悪案。その内容は次の通り。

1.検察官の定年を65歳とする。(検事総長は既に65歳となっているためそのまま)

2.63歳で役職定年とする。ただし、検事総長、次長検事、検事長は内閣、検事正は法務大臣が必要と認めたときは最長3年間、当該役職にとどまれる。

現在の検察官の定年は63歳なので、65歳にするのは時代の趨勢で全く問題ありませんが、2番目の項目が極めて問題です。検察官は、政権の汚職事件等に向き合うことがままあります。ロッキード事件では闇将軍と言われた田中角栄元首相の逮捕、リクルート事件では竹下内閣総辞職を招くなど、検察捜査が政権に大きな打撃を与えることもありました。これを可能としたのは、検察官が政治権力に拘束ざれず、独立性が保たれていたからにほかなりません。

その独立性を損なう恐れがあるのがこの改悪案です。高齢化社会となり、人間誰でもより長く高待遇で働きたいのは本能のようなもの。時の権力者に気に入られて、恣意的に同役職で定年延長されれば、その権力者に対してある種忖度が生まれるのは人間の性(さが)。官僚の幹部人事権を官邸が一手に握り、その結果忖度官僚がはびこっている現状を見れば一目瞭然でしょう。

この改悪案に対しては、検事総長を経験した松尾邦弘氏をはじめ検察OB14名が改悪反対の意見書を提出したほか、弁護士会も反対表明しています。中でも検察OBの意見書には、安倍政権の勝手な法解釈変更や国会軽視の姿勢を、フランスのルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家なり」との中世独裁国家にたとえ、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性をはらんでいると危惧しています。

まともな常識を備えているならば、当然にこの法案への危機感を持つと思うのですが、与党で反対表明しているのは自民党の石破茂氏ほか数名の議員のみ。政権に全く逆らえない与党の病巣もまた深刻。

コロナ禍の最中、街頭デモや集会ができない中で、数百万人の国民がツイッターで反対の声を上げ、法案を批判しています。心ある議員はこの国民の声を真摯に受け止め、不要不急の検察庁法改悪案に反対していただきたい。

2020.05.16 柳澤

2020年5月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa