国家・政府が戦争を選択するということ

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国家・政府が戦争を選択するということ
ウクライナ・ロシア戦争、ハマス・イスラエル戦争の現実から
日本国憲法・9条を考える

           草野 好文(完全護憲の会会員)
(かながわ憲法フォーラム会員)

はじめに

 ロシアの軍事侵攻によるウクライナ・ロシア戦争開始から3年、ハマスのイスラエル急襲によるハマス・イスラエル戦争から約1年半、両者ともようやく停戦の機運が出てきたものの、この間、両戦争による死者は民間人含めて数十万人に上る。ガザは廃墟と化した。
遠い外国の地での戦争とは言え、連日のように伝えられる凄惨な戦争の現実を目の前にして、私たちは改めて戦争をしてはならない、一日も早い停戦を、との思いを強くしていると思う。だが、その一方で、政権政党である自民党の有力政治家たちからは、「台湾有事は日本の有事」、「今日のウクライナは明日の日本」などと危機を煽り、沖縄南西諸島への「敵基地攻撃能力」を有するミサイルを配備し、戦争抑止を名目にしながら戦争への準備を推し進めている。
私たちは今、現実に進行している「二つの戦争」を前にして、日本が如何なる選択をすべきかを迫られていると言える。とりわけ、日本国憲法擁護・9条擁護を掲げる護憲派は、現在進行形のこの「二つの戦争」に対して、単に反戦を訴え、一日も早い停戦を訴えるだけでは決定的に不十分と言えよう。何故なら、この「二つの戦争」の現実を踏まえてもなお、9条護憲を主張し国民を説得できるのかが問われているからである。
ここであらかじめお断りしておかなければならないことがある。それは、ハマス(イスラム抵抗運動)は国家・政府なのか、という問題である。イスラエル・アメリカを始め西欧各国はおしなべてハマスをテロ組織とみなし、国際的にもパレスチナの国家・政府とはみなされていない。むしろヨルダン川西岸地区を実効支配するファタハ(パレスチナ解放運動)がパレスチナ自治政府として国際的に認められ、国連においては国に準じる組織として扱われている。
しかし私は本稿において、ハマスをパレスチナ国民の大多数によって支持されたガザの統治者であり政府であるとの認識を前提にして論を進める。1その際、ハマスの政治路線・軍事路線を批判的に検討することになるが、決してハマスの批判が目的ではない。1948年のパレスチナの地へのイスラエル建国以来、長年にわたってあまりにも悲惨・苛酷な状況におかれたパレスチナ・ガザ市民の心情を考えれば、これまで遠い外国のこととして無関心であった私にそれを批判する資格はない。それに私がもしガザの一市民であったとしたら、私もまた多くのガザ市民同様ハマスを支持し、もしくはハマスの一員となっていたかも知れないからである。
問題は私たち自身、日本国民が同様の境遇におかれた場合、どのような選択が求められているか、ということである。現に進行している悲惨な「二つの戦争」を直視して、このような場合でも日本国民の選択は絶対に戦争はしない、武力をもっては戦わない、それゆえ戦争放棄を誓った9条を守ろうと言い得るのか、護憲派は試されているのではないだろうか。

「二つの戦争」の起点と要因

私は冒頭、「ロシアの軍事侵攻によるウクライナ・ロシア戦争開始から3年、ハマスのイスラエル急襲によるハマス・イスラエル戦争から約1年半」と表現したが、これはマスコミ等で表現され、一般に定着したものでわかりやすいため用いたものである。
しかし、戦争はその起点をどこに取るかによってその評価も変わってくる。戦争はある日突然始まったかのように見えるが、そこに至るまでの背景があり原因があって引き起こされるものである。
本稿において私がこのことにこだわるのは、戦争当事者のどちらが悪でどちらが正義であるかを判別することが目的ではなく、始まってしまった戦争をどうしたら防ぐことができたのか、どうすべきだったのかの教訓を導き出すためである。

ハマス・イスラエル戦争
ハマス・イスラエル戦争の場合、2023年10月7日、ハマスの戦闘部隊が突如イスラエルを急襲し、約1200人もの人々を殺害、人質約250人余を連れ去ったまさにテロ行為と言える残虐な行為である。しかし、ハマス・イスラエル戦争の場合、大もとをたどれば前述したように戦争はすでに1948年のイスラエル建国以来始まっていたのである(この時期、ハマスはまだ結成されていなかったが)。しかもそれは建国時だけにとどまらなかった。
1947年、国連が「パレスチナ分割決議」を採択。パレスチナの地をユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人)の二国に分割するというものである。これを受けてイスラエルは翌年建国を宣言。これに反発したパレスチナ周辺のアラブ諸国がイスラエルを攻撃、四次にわたる中東戦争が行われた。
イスラエルはその圧倒的な軍事力でアラブ諸国との四次にわたる中東戦争を勝ち抜き、その過程で国連が定めたパレスチナ人領をも占領下におき、かつイスラエル人を植民させ、先住民であるパレスチナの人々を追い出し迫害し続けたのである。こうした苛酷なイスラエルの占領統治に対するパレスチナ民衆の怒りが爆発し1987年「第一次インティファーダ」と言われる反イスラエル・反占領の民衆蜂起が起こった。この年、ハマスが結成されるのである。
1993年、米クリントン政権の仲介によるイスラエルとパレスチナ解放機構との「オスロ合意」によってパレスチナ暫定自治政府が発足。しかし、この「オスロ合意」を推進したイスラエルのラビン首相が暗殺され、後継のイスラエル政権はさらなるパレスチナ人への迫害とユダヤ人の暴力的な入植を推し進めた。
一方、こうしたイスラエルのパレスチナ人迫害に対して、イスラエルとの二国家共存を維持するためにイスラエルに対する融和姿勢を取る暫定自治政府を主導するファタハに対して、イスラエル建国を絶対に認めないとするハマスは激しく反発。ファタハとの武力衝突に発展、結果としてハマスはガザを武力制圧しガザの統治者となった。
これに対してイスラエルは、ガザへの大規模攻撃を繰り返す。ハマスはロケット砲や自爆テロで対抗、際限のない武力衝突の連鎖が続いてきたのである。こうした長い戦争の延長線上に、2023年10月のハマス戦闘部隊のイスラエル急襲が引き起こされたのである。
こうして見ると、ハマスの大規模武力急襲は民間人を殺害し拉致した残虐な戦争犯罪ではあるが、いわゆるテロではなく、戦闘行為そのものと言えよう。

ウクライナ・ロシア戦争
ウクライナ・ロシア戦争の場合、2022年2月24日、大国ロシアが突然小国ウクライナに軍事侵攻を開始した。まさに国連憲章・国際法違反の侵略行為である。2この事実は揺るがない。しかし、その後のアメリカを始めNATO諸国の対応やロシアの主張を含めて考えると、この戦争もとんでもなく複雑な背景を持つことが次第に明らかになってきた。
もちろん、戦争当事者の言い分にはプロパガンダの偽情報、偽旗作戦ありで、真偽のほどは戦後時間が経ってみないと定まらないものがあるが、それでも重要ないくつかのほぼ確定した事実を積み重ね総合して見れば、かなりの程度この戦争の背景や開戦の動機が見えてくる。それは単にロシアが領土的野心で突然一方的にウクライナを軍事侵略した、というものではないことは確かである。この点で日本のマスコミ含めた西側の報道は、一方に偏ったものであり、この戦争の背景や真の原因を見えなくさせていると言える。
1991年、ソビエト連邦崩壊によって、それまでソ連邦の一員となっていた15カ国もの国々が独立を宣言した。ウクライナもその一つである。ソ連はロシア連邦となった。これと機を一にして、冷戦期NATO(北大西洋条約機構)と対峙してきたソ連を中心とした軍事同盟としてのワルシャワ条約機構(WTO)も解体された。第二次大戦以降続いてきた東西冷戦の終結である。ロシアは欧州の一員として迎え入れられる機運まであったのである。
冷戦の一方の陣営が崩壊し、その軍事同盟としてのワルシャワ条約機構が解体したのであるから、他方NATOの存在する意味はなくなったはずである。しかし、NATOは解体されなかった。NATOを主導するアメリカの世界一極覇権戦略の結果である。そしてソ連解体以降、アメリカはロシアに対してNATOの「東方拡大」はしないと約束していた。3
だが、ソ連邦時代に抑圧されていた東欧諸国は、その経験ゆえにロシアを信用せず、旧ワルシャワ条約機構加盟国であったチェコ、ポーランド、ハンガリーを始め、NATOの集団的自衛権の庇護を求め次々とその一員となることを選んだ。NATOの盟主であるアメリカは、「東方不拡大」の約束はなかったとしてこれらの国々を受け入れていった。
これに対してロシアのプーチン大統領は、着々とロシア包囲網が形成されてゆく事態に幾度となく警告を発するとともに、約束を守らないアメリカ・NATOに対する不信を強めていった。
決定的だったのは2014年のマイダン革命と言われるウクライナの民主化運動――実際は途中からウクライナ右翼民族主義者(ロシアは第二次大戦中彼らがドイツ・ナチと協力したことからネオナチと規定)による武器が用いられる暴力革命となる――による選挙で選ばれた親露政権を打倒し親欧米政権を樹立させたことである。(この政変にはアメリカ・オバマ政権のヌーランド国務次官補が深く関与したことが知られている。)
この政変の結果、新たに登場したポロシエンコ政権は公用語としてロシア語の禁止、NATO加盟促進などの反露政策を推進した。これに反発したのがロシア系住民が多数を占めるウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州、ルガンスク州)であった。当初は自治権拡大要求であったが、ポロシエンコ政権の弾圧(ドンバス地方におけるロシア語話者系住民虐殺)によって次第に尖鋭化し武装闘争の内戦に発展する。その結果、2014年5月、両州はドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を宣言する。
この内戦を収束させようと調印されたのが2014年9月にウクライナ、ロシア連邦、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国が調印した「ミンスク合意」(ミンスク議定書)であったが、この合意は守られず内戦は継続した。
2015年2月、ドイツとフランスの仲介により「ミンスク2」が調印された。この「ミンスク合意2」は国連安全保障理事会でも決議されたものである。しかし、これも守られなかった。
2019年、ウクライナ大統領選で当選したゼレンスキー大統領は、東部2州に大幅な自治権を与えるとしたミンスク合意に不満を表明、2021年10月にはウクライナ軍が親露派武装勢力に対してドローン攻撃を開始したことなどによって破られた。
この事態はミンスク合意を仲介したドイツの前メルケル首相の「ウクライナが防衛力を強化する『時間を確保する』ものだった」との発言などを含めて考えると、西側の独仏含めた計画されたものであったようである。4加えてゼレンスキー政権のNATO加盟促進がロシアを刺激し挑発することとなった。

ハマスとウクライナ両政府の選択

ハマスの選択
ハマスは1987年12月に結成された。イスラエルの苛酷な占領統治に抗議するパレスチナ民衆の大規模な民衆蜂起(インティファーダ・人々は石つぶてで武装したイスラエル軍に立ち向かったと言われる)が起こった年である。
翌年(1988年)、ハマスは「ハマス憲章」5を発表。このハマス憲章はハマスの綱領とも言うべきもので、ハマスの思想・路線が記されているが、その第1条「イスラーム抵抗運動にとって、イスラームはこれの行動指針である。」に見られるように、イスラム教の教えを指針とする、極めて宗教色の強いものである。いわば、ハマスがガザの政府であるとすれば、政教一致とも言うべきなのかも知れない。そこにはハマスの軍事路線に通じるジハード(聖戦)、武力闘争の正当性も言及されている。6しかし、私にはイスラム教についての知識もなく、これ以上ハマス憲章に立ち入って論じることはできないので、ウィキペディアなどの簡略なハマスの政治・軍事路線の解説に依拠してハマスの選択について見ていくこととする。
しかし、私の検索能力では、ハマスの組織構成全体を示すデータにたどり着けなかった。それゆえ以下の記述は部分的でやや不確かなものになることをお許し願いたい。
ハマスの組織は政治局の下に社会奉仕組織ダアワと軍事組織イッズッディーン・アル=カッサーム旅団によって構成されているとのことである。7
これに寄れば、政治局がガザの行政府としての役割を担っているようであるが、国家の構成要素である議会も司法機関も設置はされていないようである。いわば、行政府が全てを担っているということになる。
ハマスは自爆テロを繰り返すテロ組織としてのイメージで語られるが、ガザにおいてハマスは、予算の大半を教育、医療、福祉などの社会福祉活動にまわし、ガザ市民の生活を支えてきたのである。
しかし一方で、ハマスの軍事路線、武力でイスラエルを打倒する方針は変わらなかった。軍事力で圧倒的に劣るハマスは、2000年代に入ると自爆テロによるイスラエル市民への攻撃を繰り返した。この時期、ハマスにとって自爆攻撃は、たとえテロと言われようとイスラエルのガザを含めたパレスチナ市民への残虐な攻撃に対する抗議声明であり、無関心な世界へのアピールだったのであろう。
しかしながら、こうした自爆攻撃は、イスラエル市民のハマスとハマスを支持するパレスチナ市民への憎しみを増大させ、イスラエル政府のさらなる攻撃を激化させるものとなった。
こうした際限なき暴力・武力衝突が繰り返されるなかで引き起こされたのが、2023年10月7日のハマスの大規模なイスラエル武力侵攻であった。即ち、ハマス政府の選択であった。

ウクライナの選択
ロシア・プーチン政権のウクライナへの軍事侵攻は、たとえNATOによる東方拡大があり、ウクライナ・ゼレンスキー政権の挑発があったとしても、決して許されるものではない。まして、軍事侵攻の結果としてのウクライナ領土の併合など、第二次世界大戦の悲惨な結果から人類が獲得した世界規範、国際法の原則を踏みにじるものである。その意味で、プーチン・ロシアの罪は後世まで問われ続けなければならない。
しかし、だからと言って、この戦争の原因をつくったもう一方のNATOやウクライナ・ゼレンスキー政権のロシア挑発が問われなくていいはずはないのである。
ロシアの軍事侵攻は当初、瞬く間にウクライナの首都キーウを攻略するかの勢いであった。しかし、ウクライナ軍の反撃によって、戦線はウクライナ東部で膠着した。だが、この局面に至る以前、開戦後わずか5日後にウクライナ・ゼレンスキー政権はロシアとの停戦協議に応じていたのである。2022年3月31日付東京新聞によれば、「ウクライナの『NATO非加盟』で一定前進」8とあり、その他の情報も含めると、停戦協議はほぼ合意寸前までに至っていたとのことである。ウクライナ政府の最初の選択であった。
しかしながら、この停戦協議は突如中断させられた。この停戦協議を中断させたのは、米英欧のウクライナ政府への強烈な軍事・経済支援圧力であった。
同時に、この時期、ウクライナ国民のロシアへの憎しみを一気に爆発させるような事件が起こった。「ブチャの虐殺」である。
ウクライナ首都近郊の都市・ブチャを占領したロシア軍が撤退した後、ブチャの大通りには無惨にも手足を縛られ殺された何体もの遺体が放置されていたのである。その映像は衝撃的であった。ウクライナ国民世論はロシア軍の蛮行に怒り沸騰、進行しつつあった停戦交渉を中断させる大きな要因となった。ロシアは、この事件についてロシア軍の仕業ではなく、ウクライナがでっち上げたものとの声明を出している。はたしてロシアなのか、ウクライナのでっち上げなのか、現時点では真相不明であるが、進展しつつあった停戦交渉を打ち切らせるのには絶妙なタイミングであったことは押さえておきたい。
そして2022年4月9日、イギリスのジョンソン首相が突如ウクライナを電撃訪問、「欧州はウクライナとともにある」として強力な軍事・経済支援を約束するとともに、ロシアとの停戦協議を中断させたのである。
ジョンソン首相の電撃訪問を受けて、米英欧NATOの全面的支援を受けられると判断したゼレンスキー大統領は停戦交渉の中断、占領された自国領土の奪還を掲げ、ロシアとの戦争継続を決断したのである。ウクライナ政府の戦争継続選択であった。

「二つの戦争」から得られる教訓

ハマス・イスラエル戦争、ウクライナ・ロシア戦争とも、ようやく停戦機運が出てきたとはいえ、依然として戦争は継続中である。しかし、現時点でも、二つの戦争の要因とその結果を踏まえれば、どうすればこの戦争を防ぐことができたのか、どうすれば良かったのか、の一定の教訓を導き出すことができる。

ハマス・イスラエル戦争の場合、2023年10月のハマスによるイスラエルへの武力侵攻以降に限って見れば、軍事力に勝るイスラエル側の受けた被害は当初のイスラエル市民1200人と拉致・人質とされた外国人含む市民250人余であり、その後の交戦によって失われたイスラエル軍とイスラエル市民の数は、ハマス・ガザ市民の死者数より圧倒的に少ない。そして、報道に見られるように、ガザはイスラエル軍の攻撃によって廃墟と化し、人々は難民となってテント生活を強いられている。そのテント生活も爆撃を受けているあり様である。イスラエルはガザ市民への集団虐殺を通じて、ガザ市民のガザ地区からの追放を企図していると言える。
報道によれば、ガザ市民の死者数は今年(2025年)3月で5万人を超え、内1万5千人は子どもだという。イスラエルの戦争犯罪は明白である。イスラエル建国以降、パレスチナ市民のインティハーダ含めた反イスラエル闘争で失われた命の総数は、データがないので不明だが、今回のハマス・イスラエル戦争で失われた命より圧倒的に少ないのではないだろうか。
こうして見ると、ハマス政府の戦争継続選択がいかに壊滅的被害をガザ市民とガザ自治区の領土に与えたかがわかる。しかしハマスは、こうした結果をもたらしたことが自分たちの選択の結果であるとは認めない。すべてはイスラエルに責任があるというのであろう。
前述したように、本稿はハマスの選択を批判することが目的ではなく、また、その資格もない。問題は私たち自身、日本国民が同様な立場・状況におかれた場合、どのような選択をするのか、ということである。
私は、イスラエル建国以来、80年近い暴力と武力闘争の際限のない闘争の結果、現在のイスラエルとパレスチナの力関係を直視するならば、どんなに屈辱的でも、理不尽でも、イスラエルとパレスチナの2国家共存を認めた「オスロ合意」に立ち返り、戦争継続を選択すべきではなかった、と考える。
したがって、日本国民としては、日本の国土が廃墟と化し、国民の多くが、しかも子どもたちまでもが命を失う現実を直視するならば、武力による紛争の解決をめざすべきではないと考える。
しかし、現在の国民世論は、日本政府とマスコミによる扇動と宣伝の結果もあって、だから攻められないように、戦争抑止のために日米軍事同盟と軍事力を強化すべきだという声が多数となっている。きわめて危険な状況である。この状況がいかに戦争を抑止するものではなく、逆に戦争を誘発するものであるか、ということについては後述する。

ウクライナ・ロシア戦争の場合、2022年2月のロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、明白な国際法違反の侵略行為である。これは揺るがない事実であり、後世まで問われ続けなければならないものである。
このロシア・プーチン政権の軍事侵攻による戦争選択は、プーチン大統領の個人的な思想と野心の結果としての要素も大きいと思われるが、何より重大なのは、現在のロシアがかたちばかりの民主主義国家であり、プーチン大統領率いる専制国家であることによる、と私は考える。国内に民主主義がなければ、国民の声は抑圧され、独裁者の一存で戦争は開始されてしまうのである。
開戦直後、ロシア国内にあった市民の反戦デモやウクライナ侵攻を批判する放送局やキャスターなどが弾圧され、沈黙を強いられたのである。ここに専制国家の対外的な侵略性と危険性があると言える。
他方、民主主義国家における軍産複合体による好戦性と侵略性にも注意が必要である。民主主義と人権を掲げながら武力侵攻し戦争を開始するからである。現に第二次大戦後の大きな国家間戦争の多くは、イラク戦争やベトナム戦争に見られるように、民主主義国アメリカの関与によるものであった。
今回のウクライナ・ロシア戦争もNATOを介したアメリカ軍産複合体の関与は疑いようがない。まさに現代における大きな国家間戦争は、前述した専制国家の存在と軍産複合体に支配された民主主義国家の存在によって引き起こされているのであり、これが戦争の二大要因となっているのである。
ウクライナは、アメリカ・ロシア戦争の代理戦争を強いられていると言えよう。
問題はウクライナ政府の選択である。先に見たように、ウクライナ・ゼレンスキー政権は、開戦直後にロシアとの停戦協議に応じ、合意に達しつつあったのである。これはこの後の戦争の悲惨な展開を見るならば、正しい選択であった。
しかし、その停戦協議の進行を阻止すべく突如キーウを訪問したジョンソン首相の説得に、ウクライナ政府は応じてしまった。米英欧NATOの全面的支援を受けられると判断したゼレンスキー大統領は、停戦交渉を中断、ロシアとの戦争継続を選択したのである。
その結果が3年半余の戦争の継続である。この間、ウクライナの失われた国民の命は、朝日新聞(2025年2月24日)によれば、ウクライナ兵士46,000人、民間人12,654人、行方不明者62,948人、住宅の被害は200万軒という。ロシア側兵士の死者数は95,026人とのこと。ロシア側に奪われた領土も東部2州にとどまらず、さらに拡大した。政府の判断一つで、これほどの被害が生じるのである。ウクライナ政府の戦争継続選択が誤りであったことは明らかと言えよう。
しかし、ウクライナ・ロシア戦争で私たち日本国民が注目しなければならないことは、この戦争の大きな要因の一つとなった、ウクライナ政府のNATO軍事同盟への加盟促進路線である。
ウクライナにしてみれば、信用ならないロシアの干渉を防ぐために、侵略抑止のためにNATO軍事同盟への庇護を求めたいに過ぎない、との思いであろう。それを支持したウクライナ国民の気持ちは、NATO加盟によって抑止力が高まり、戦争は起こらないと期待したに違いない。
しかし、ウクライナ政府とウクライナ国民の抑止力強化路線は、他方のロシアにとっては、次々と押し寄せるNATOの東方拡大が、ついに国境を接する隣国ウクライナにまで及んできたことに、危機感をつのらせたのである。
よく知られているように、第二次大戦後の東西冷戦時代、ソ連が同盟国キューバに軍事基地を建設し始めた。アメリカ本土の目と鼻の先に敵基地が建設されようとしたのである。当時の米政権・ケネディ大統領はこれに猛然と反発、核戦争寸前にまで至ったと言われる。幸いにもこの時は、ソ連のフルシチョフ首相がキューバへの基地建設を取りやめ、事なきを得たとのことである。
この事例のように、一方の軍事力強化による抑止力強化は、他方にとっては脅威なのである。いくら自分たちが戦争抑止のためだと言ったところで、敵視された相手国にとっては脅威以外の何者でもないのである。
これを今日の日本を取り巻く東アジア情勢に当てはめてみるべきである。
前述したように、「台湾有事は日本の有事」、「今日のウクライナは明日の日本」などと危機を煽り、沖縄南西諸島への「敵基地攻撃能力」を有するミサイルを配備し対峙することが、いかに危険なことかわかろうというものである。中国や北朝鮮にしてみれば、目と鼻の先に敵基地攻撃を有するミサイル基地が設置され、それに包囲されるのである。黙って見ているであろうか、当然にもそれに対抗する抑止力を高めるであろう。
まして中国も北朝鮮も、先に述べた如く民主主義のない専制独裁国家である。しかも、核保有国である。ウクライナ・ロシア戦争の教訓からすれば、専制国家を必要以上に追い込んではならないということである。独裁政権は追い込まれれば必ず暴発する。ロシアのように。
専制国家の内政の問題は、その国の国民の粘り強い変革に委ねるべきなのである。とりわけ台湾問題は、日中国交回復・日中平和条約締結によって、中国は一つであることを認めた経緯からすれば、中国の内政問題として対応すべきであろう。
アメリカの扇動に乗って、「台湾有事は日本の有事」などとして中国と戦争することなど、あってはならない。日本の自滅への道である。
「今日のウクライナは明日の日本」は別の意味で真実を言い当てている。それは日米同盟という軍事同盟にすがり、軍備増強に走り、中国・北朝鮮包囲網のミサイルを配備して前線で対峙している状況であり、いざ、戦争が勃発した場合は、戦場は沖縄諸島のみならず、日本列島全体に及ぶのである。
しかし、戦争の一番の当事者であるアメリカは戦場にはならない。まさにウクライナがそうであるように、日本はアメリカ軍産複合体の代理戦争を引き受け、その犠牲の全部を引き受けるのである。現在の日本政府の軍備増強による抑止力強化路線は、日本の破滅への道であることを肝に銘じよう。これが「二つの戦争」の重要な教訓の一つである。

あらためて日本国憲法・9条を考える

戦争は国家・政府が引き起こす
戦争は誰が引き起こすのか。日本国憲法前文は「日本国民は、……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意し……」と、明確に戦争が政府の行為によって引き起こされることを明示している。
それゆえ憲法は、政府に再び戦争を引き起こさせないように、戦争放棄の9条を定めた。戦争の惨禍をなめ尽くした当時の日本国民の圧倒的多数は、こぞってこれを歓迎し受け入れた。
しかし戦後80年となる現在、憲法9条が存在しないかのような現実が日本を覆っている。
戦後の高度経済成長時代を通じて、ほぼ一貫して政権を独占してきた自民党政府によって再軍備が進められ(自衛隊創設は米占領軍の指示によってではあるが)、歴代内閣の解釈改憲によって、今や米軍とともに戦う自衛隊となり、「敵基地攻撃」を有するミサイルを配備して中国・北朝鮮と対峙している。これが憲法9条が定めた戦争放棄の日本の現実である。しかし悲しいかな、この現実は自民党政府が勝手に進めたものではない、曲がりなりにも戦後民主主義国家となった日本国民が追認・選択した結果でもあるのである。
こうした現実の上に、それでもまだ政府の戦争選択に対する規制力を持っている憲法条文、とりわけ戦争放棄を定めた9条の改憲をめざす動きが国会において進んでいる。
先の衆院選において自公与党が過半割れし、いったんはその危機が遠のいたかの様相であるが、内実は野党の維新、国民民主は改憲推進派であり、立憲民主も改憲派が多数を占めていると見られる。当面は大災害時の国会機能を維持するためとして、議員任期の延長問題を焦点にしているが、これはこれで、内閣に国会の議決を経ることなく法律と同等の権限を有する政令で対処させる緊急事態条項の一部であり、内閣独裁を招く恐るべき改憲案である。また、戦争準備の一環でもある。

国家・政府の戦争選択は壊滅的な被害をもたらす
前述した「二つの戦争」に見られるように、とりわけガザの惨状に見られるように、国家・政府の戦争選択はその国の国民と国土に壊滅的な被害をもたらすことである。ウクライナ・ロシア戦争の場合、軍事力に勝るロシアが優勢を保っているから今のところ核兵器は使われていないが、もし、NATOの全面参戦となりロシアが劣勢に陥ったら、ウクライナへの原爆投下だって起きかねない。あろうことか、プーチン大統領はこの戦争の当初から、核を行使するとの脅しをかけている。そうなれば、NATOとロシアの核戦争となり、第三次世界大戦にまで発展、人類の破滅にまで至りかねないのである。

国家・政府の戦争と個人・集団の武力闘争の違い
私は、「二つの戦争」の惨状の教訓から、いかなる理不尽な武力侵攻や武力攻撃があったとしても、国家・政府としては反撃も含めて、絶対に戦争を選択すべきではないという結論に至っている。とりわけ、ガザの惨状から得られる教訓である。
この結論が、ただちに多くの国民の同意を得られないであろうことは理解している。何のための「専守防衛」かとも思うであろう。あまりにも屈辱的であり、祖国を守る勇気のない、日本民族の一員としての誇りもない、臆病者の結論と思われるであろう。そしてそれはその通りだと思う。
しかし、それがどうしたというのだ。ガザのような惨状となっても政府の選択した戦争を死ぬまで戦うべきだとは、多くの国民は望まないはずである。
核戦争の時代、国民の大半が死に、日本列島に50余基もある原発が破壊され、残った美しい国土は放射能に汚染されて人間が住めなくなるのである。それでも国家を守るため、勇気をもって戦え、と言えようか。
日本国憲法は、国家を守るために戦えなどとは言っていない。徹底して個人の尊厳を守れと言っている。憲法11条において「基本的人権は侵すことのできない永久の権利」であるとし、13条においては「すべて国民は個人として尊重される」とした上で、第10章最高法規97条おいて「基本的人権は…侵すことのできない永久の権利…」と再び言及し、そして98条において「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」としており、徹底して個人としての人権の不可侵性と国権への規制を高らかに宣言しているのである。ここに日本国憲法の民主主義憲法としての真髄があるのである。(自民党改憲草案がこれを嫌い、全文削除としたのはこのためである。)
戦争は個人や一部の集団の武力衝突によるものではなく、それが小規模の戦争の萌芽であったとしても、決して国家・政府が戦争を選択しない限り引き起こされない。戦争は個人や一部の集団の武力衝突とは決定的な違いがあるのである。
理不尽な侵略によって、大切な肉親を無惨にも虐殺された人々が、怒りと憎しみに燃えて武力闘争に立ち上がり反撃するのは、人間の生存本能であり抑えられるものではない。しかしこの武装闘争は、国家を守るためのものではない。これに対して国家・政府の選択する戦争は、何よりもまず国家・政府を守るものとして選択される。
個人や一部集団の武力闘争は、明確にその個人・集団に属する成員の自律意志によるものである。これに対して国家・政府が引き起こす戦争は、戦う意志のない者、戦うべきでないと考える者、自身で考えることのできない未来を背負う子どもたち、国民すべてを巻き込むものである。それゆえ、国家・政府の選択には、先を見通す理性が必要なのである。個人や集団の武力闘争との決定的な違いである。しかし、国家・政府が自ら国民の命を最優先する理性を発揮することはないであろう。国家・政府に理性的選択をさせるためには、、国民世論の力が必要なのである。
国家・政府には、全国民を統治するという統治者としての本性がある。個人は国家に従属すべしという国家主義である。国民の命を最優先するのではなく、国家の存亡こそが何より優先される。ここに国家のために戦って死ぬ崇高な英雄伝説がつくられる。
NHKのテレビ番組だったと思うが、ロシア・プーチン大統領が、息子や夫を戦場で亡くした遺族たちを前にして、辛そうな顔つきで「息子さんは祖国のために戦った英雄なのです」という趣旨の発言をしていたが、こんな言説に騙されてはならない。こんな言説は戦場に赴くことのない権力者と幸運にも生き残った者たちの言説だからである。
しかし、最愛の息子や夫を亡くした遺族にしてみれば、彼らの死を無駄死にであったとは思いたくない。それは痛いほどわかろうというものである。それゆえこうした英雄伝説は連綿と受け継がれてゆく。日本の靖国神社もその一つである。

戦争は始まってからでは止められない
前述した「二つの戦争」の教訓に基づけば、私たち日本国民の選択は、あらためて憲法前文の精神と9条の非武装・不戦の定めに従うべきである。
しかし日本国民の多数は、9条は自衛権までも否定していない、ゆえに自衛のための「専守防衛」に徹した最小限の軍事力が必要だという見解である。この見解は、9条を変えるべきではないとする護憲派の一部の見解でもある。
憲法9条の原理的な解釈に基づく護憲派は、この世論の現実も直視しなければならない。9条改憲を阻止するためには、9条は変えるべきではないが「専守防衛」は必要だとする国民多数の意志と共同することなくしては、その目的を達することができないからである。
そのためには、護憲派は、護憲的「専守防衛」派の多くの国民と共同し、「専守防衛」に明確な歯止めを設ける取り組みを強化する必要がある。少なくとも先の安倍政権が強行した集団的自衛権行使を容認した違憲の安保法制の廃止、「敵基地攻撃能力」を有するミサイル配置を容認した岸田内閣の「安保三文書」などの廃止をめざし、沖縄南西諸島に配備した「敵基地攻撃能力」を有するミサイルの撤去などを掲げ、国民的合意を作り上げなければならないと考える。
報道によれば、政府は台湾有事を念頭に、沖縄先島諸島12万人の本土への避難計画をまとめ、2026年度中にこの避難訓練を実施するとのことである(朝日新聞 2025年3月28日)。
なんと言うべきか、これほどあからさまに政府の戦争準備計画が進められているのである。自然災害ならともかく、ミサイルが飛び交う戦場とされた島々から、12万人もの人々を避難させるなど、机上の空論でしかない。それでもこうした避難計画を堂々と発表するのは、国民を戦争へと誘導する思想動員であり、「台湾有事」には必ず日本が参戦するという日本国家・政府の明確な意思表示である。まさに戦争は国家・政府が引き起こすのである。
日本政府が先島諸島に「敵基地攻撃能力」を有するミサイルを配置し、中国・北朝鮮に敵対しなければ、「台湾有事」が起こったとしても、流れ弾や流れミサイルがわずかに着弾することがあるかも知れないが、無防備の平和な島々が中国・北朝鮮のミサイル攻撃の標的にされることはない。軍事的に意味のないことだからである。これは分かり切ったことである。要は、日本政府が中国・北朝鮮を敵視し、アメリカの要請に従ってミサイルを配置しなければ、住民避難の計画など必要がないのである。

戦争を準備している時ではない、大災害に備えよ

目白押しの大災害想定
日本は自慢にはならないが、その地理的条件ゆえにまれに見る災害大国である。
一昔前までは「災害は忘れた頃にやってくる」と言われたが、各地の豪雨被害に見られるように、近年は毎年のようにやってくる。大地震に限って見ても、この30年の間に、阪神淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)、北海道胆振東部地震(2018年)、能登半島地震(2024年)と10年を待たずにやってくる。
昨年8月の南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)には肝を冷やしたであろう。確実に起きるとされる南海トラフ地震が発生したら、その被害は西は九州から東の関東沿岸地域にまで及ぶのである。しかも、この南海トラフ地震は東日本大震災同様、原発震災となる可能性もはらんでいる。さらに相模トラフ巨大地震、首都直下型地震も想定されている。その上、富士山の大爆発までもが警戒されているのである。
災害が起きるたびに被災した人々が、学校や公民館を避難所とした光景が報道される。どういうわけか、阪神・淡路大震災以外、人口密度の少ない地方で起こっている。これが
南海トラフ巨大地震や首都直下地震が現実のものになったらと思うと、絶望的である。30年前とほとんど変わらないと言われるお粗末な避難所だが、いったいどれだけの人たちがこの避難所に入れるというのだろう。考えるだけでも恐ろしい。
そしてさらに、自然災害ではないが人災とも言える大災害もある。最大の人災は原発事故災害であるが、そこまでは行かないけれど放置すれば全国至る所で発生することになる、高度経済成長時代に敷設された上下水道、橋梁、トンネル、高速道路等の老朽化による崩壊がある。、国民生活に不可欠なインフラの更新が不可欠となっている。これらの更新にも巨額の予算が必要である。

「防災庁」に常設の災害救助隊を
これほど頻繁に大災害が発生し、今後さらに巨大な災害が確実に予測されているというのに、歴代政権を担ってきた自民党政府は、ほとんど小手先の対策のみで抜本的対策は立ててこなかった。そんな中、石破政権が「防災庁」の設置に踏み出したのは画期的である。いまのところ、石破政権の唯一の功績と言える。この防災庁は今後「防災省」に発展させ、予算もここに大きく配分すべきである。9
この「防災省」に必要なのは、何よりも災害救助の専門部隊の常設である。これまでこの役割を担ってきたのは、自衛隊である。数々の災害救助の実績と経験がある。しかし、自衛隊による災害派遣は自衛隊の本務ではないとされている。それはそうであろう。いざ「有事」となれば、自衛隊は災害よりも国家を守るための戦争が優先されるのである。
このように自衛隊の本務ではないとされる災害救助隊を「防災省」に吸収し常設とすれば、どんなに心強いことか。

防衛軍事予算を縮小し、災害・インフラ更新、福祉・教育に
国家予算に占める防衛軍事費は、2025年度の場合、8兆6691億円、予算総額115兆5415億円に占める割合は約7%と巨額である。ちなみに国家予算総額115兆円中国債の利払いが28兆円、約4分の1を占めているのであるから(これ自体おかしな話であるが)、残りの4分の3の実際に使える予算の防衛費の割合は約10%弱となり、いかに大きな負担であるかがわかる。
今年度の防衛軍事費はGDP比はまだ2%には届いていないが、前岸田内閣がバイデン政権と取り交わした約束では、2023~27年度の総額は43兆円、GDP比2%に達するという。戦後長い間、「専守防衛」の観点から、GDP比1%を維持してきたタガが外れているのである。その上今度は、トランプ政権がGDP比3%にせよと圧力をかけてきている。すべては米軍事産業の武器売り込みのためである。米軍産複合体の餌食である。このままでは軍事費増大によって削られるのは先の高額医療費問題に見られるように、福祉関連費なのである。

これまで見てきたように、日本が直面する真の最大の危機は、自然の脅威の大災害なのであり、「台湾危機」などではない。戦争の準備のため、アメリカ軍事産業の武器購入のために貴重な国家予算を使うべきではない。防衛軍事予算を可能な限り縮小し、災害、インフラ更新、福祉・教育、食糧安全保障のための農業再生(特に主食の米)に回すべきである。そしてこれは、高齢化・人口減少社会となる日本の内需拡大、国内産業の創出、復活・再生にもつながるはずである。

(最後にこれは経済学を知らない私の疑問的蛇足であるが、先に本文中で「おかしな話」として触れた、国家予算の4分の1を占める国債の利払い費(借金の利子)の巨額さである。国債は国民から借り上げた借金であるから、当然返済しなければならないし、返済までの間、その利子を払わなければならないのは理解できる。しかし、国債の全部が国民一人一人の個人によって購入されてはいまい。多くは大手市中銀行による購入なのではないか。そうであれば、この国債による借金は、主要には金融機関の営利のためのものではないかと思わざるを得ない。
そこで経済学を知らない私は、国家予算編成において国債という借金ではなく、政府が日銀にお札を刷ってもらい、大災害などのための特別予算として財政出動する道があるのではないか、と考える。
そんなことをしたらハイパーインフレーションが起こり大変なことになるとか、日銀の独立性もわきまえないのかとの批判くらいは聞かずともわかるが、はたして本当にコントロールできないほどのインフレがこれによって起きるのか、理論的にはあり得ても、実際の富裕層国民や企業が保有する現金は市場に出回らず、蓄積されていることを想定すると、現実にはこの批判が妥当ではないことになる。また、日銀の独立性だが、この間の安倍政権と日銀との関係を考えると、危険ではあるがこれも当てはまらないのではないか。
軍拡予算とは異なって、大災害に限定した特別な財政出動は可能ではないかと考えるのだが、いかがであろうか。識者のお説を賜りたい。) 続きを読む

生活保護費引き下げ違法訴訟の早期決着を

去る2025年1月29日、福岡高裁は国が生活保護費を2013年~2015年にかけて減額したのは、生活保護法などに違反するとして、一審福岡地裁判決を変更し、減額処分を取り消す判決を下した。その理由として、デフレ調整が一般世帯を対象にした家計調査に基づいている点について、「一般世帯と受給世帯では食事などの支出割合の違いが顕著」とし、デフレ調整を実施した判断の違法性を認めた。

直近の2月28日松山地裁判決でも取消判決が下され、その理由として、国が一般世帯に対して実施した家計調査をもとに物価の下落に関する調整を行ったことについて「生活保護を受給している世帯の消費実態とは異なるデータを用いていて、統計などの客観的数値との合理的な関連性や専門的な知見との整合性を欠いている」と指摘した。

国は物価変動率に合わせて支給額を変動する「デフレ調整」を踏まえ、食費や光熱費など「生活扶助」の基準額を最大10%引き下げ、約670億円を削減していた。こうした国の政策が、地方自治体へのプレッシャーとなり、群馬県桐生市では10年間に利用者が半減し、かつ満額支給されていなかった事例(現在市の第三者委員会が調査中、2025年2月朝日新聞)も見られる。

憲法25条は、国民の生存権と、国の生存権保障義務を明確に定めており、生活保護法も憲法に基づき規定されている。この憲法を軽んじる国や自治体の対応は許される者ではない。

同一訴訟は全国で31件あり、一審地裁判決は30件中19件で原告勝訴。二審高裁は5件中名古屋高裁と福岡高裁の2件が原告勝訴。大阪高裁2件と仙台高裁1件は原告敗訴となっており、いずれも上告されている。

地裁・高裁・最高裁で審理が続くが、こうした憲法に抵触する訴訟は、いち早く最高裁が判例となる判決を出すべきではないか。裁判官はあくまで自分の判断で判決を下すべきだが、同種の訴訟においては、救われる者と救われない者が生まれるべきではない。最高裁が直ちに憲法25条の趣旨に基づいて判断を下すべきではないかと思料する。もし最高裁が受給者たる原告の訴えを棄却することがあれば、人権の最後の砦は崩壊する。

(2025年3月3日  栁澤 修)

崩壊する国民皆保険制度

渡辺眞知子(カンパーランド長老キリスト教会 海老名 シオンの丘教会員)

2023年6月マイナンバー法等の一部改正法案が可決、成立し、国民皆保険制度のもとで発行・交付が義務付けられている健康保険証は、任意取得のマイナンバーカード(以下マイナカード)と一体化されることになった。2024年12月2日からは現行保険証の新規発行が停止され、マイナカードを持たない被保険者には、資格確認書が発行される。資格確認書の有効期限は保険者によって1年から5年と異なるが、当面職権により交付される。

 

マイナカードの有効期限は10回目の誕生日(未成年者は5回目)までだが、カードに付いているICチップの電子証明書の有効期限は年齢を問わず5回目の誕生日までで、共に自治体に出向いての更新手続きが必須である。手続きを怠れば保険証としての利用ができず「無保険」状態になり、国民皆保険制度は脅かされ、国民の生存権(憲法25条)は棄損される。

 

マイナカードに保険証機能をひも付けたマイナ保険証の利用登録者は、2万ポイント付与のキャンペーン効果もあり2024年11月末で7,874万人、マイナカード保有者の82.6%となった。が、この間深刻なトラブルが続出し、ずさんな個人情報管理が明らかになったことにより、マイナ保険証の利用率は2024年11月時点で18.52%と低迷している。

 

今回の深刻なトラブルは単なる人為的ミスではなく、制度ごとに異なる個人を特定する仕組みを、そのまま強引にマイナカードに紐付けたことにより起こった。銀行口座の「氏名」は「カタカナ」表記で、マイナンバーに登録されている氏名は「漢字」のみ、戸籍は漢字表記で読み仮名がない。住民票を編成した住民基本台帳の氏名表記は自治体によって異なり、フリガナがあるとは限らない、等々である。

政府は急きょ戸籍法を改正し、これまで記載がなかった氏名の「読み仮名」を必須とした。改正戸籍法は2025年5月に施行され、全国民が施行後1年以内に、氏名の「読みカナ」を本籍地の市区町村に申請する必要がある。1年以内に届け出がなければ、読みカナは職権で記載される。山崎は「ヤマザキ」「ヤマサキ」、小山は「コヤマ」「オヤマ」の読みがあるように職権でどこまで正確に記載できるのか、作業は膨大であり正確さは担保されていない。

政府はトラブルの総点検をすると言うが、それぞれの仕組みを変更せず総点検をしたところで、トラブルは発生し続ける。発行数8千万を超えるマイナカードの29分野にわたる点検作業は自治体に過大な負担を強いている。

 

「マイナンバー」のルーツである「国民総背番号制」(1960年代後半~)は、1988年に頓挫し、2002年開始の住基ネットは、住民票コードを附番する市区町村が次々に離脱したため2015年に新規カード発行が停止されている。

 

国が個人番号を付番し、地方自治体の判断でシステムから離脱できないようにしたのがマイナンバー制度である。健康保険証とマイナカードの一体化により、任意取得のマイナカードは事実上義務化され、「デジタル改革関連法」(2021.5)が進める全国民の個人情報の一元管理と、個人データを政府が自由に利活用できる体制が整えられた。

 

マイナカードのような国民ID(身分証明書)と健康保険証を一体化している国は、先進7カ国(G7)の中では日本だけであり、世界では共通番号から分野別番号への移行が主流である。米国では社会保障番号(SSN:Social Security Number)でのなりすまし等の被害が深刻化し、国防総省は2012年に国家安全保障対策上のリスク回避のためSSNから離脱し、独自の分野別番号への一斉転換・利用に踏み切った。また独、仏では行政分野ごとに異なる番号を用いて行政事務が行われている[i]

 

マイナンバー制度を強力に推進してきたのは財界である。マイナカードには12桁のマイナンバー(個人番号)とは別に、カード裏面のICチップに搭載された電子証明書のシリアル番号が存在する。このシリアル番号はマイナンバーと同じように個人を特定できるが、マイナンバーのように厳しい利用制限はなく民間企業にも開放されている。大手メディアが保険証廃止について「いったん立ち止まれ」と報道する中、経済同友会代表幹事は当時の岸田首相に「健康保険証廃止の期日を守れ」と要求した。 医療ビッグデータの利活用は世界中で進められており、経産省の調査報告書[ii]によれば、デジタルヘルスケアにおける市場規模は2016年で約25兆円、2025年には約33兆円になると推計されている。

高齢者や障害を持つ人等マイナカードの取得や管理が難しい人への対処方法は、未だに示されていない。マイナ保険証の本人確認は、「暗証番号」又は「顔認証」で行われるが、視覚障害を持つ人は、顔認証はできず暗証番号の入力は困難である。施設で暮らす人の健康保険証は施設側で一元管理されることが多いが、マイナ保険証は情報漏洩等のリスクがあり施設側も二の足を踏んでいる。

 

また、1年以上保険料を未納した場合に発行される短期保険証は廃止され、保険料未納者が3カ月間だけ3割負担で医療を受けることはできなくなった。2023年度の短期保険証利用者は37.8万世帯で、今後これらの人々の医療へのアクセスは困難を極める。加えて健康保険証の代わりになる資格確認書がいつまで発行されるのかは不透明で、不安は払拭できていない。

 

昨年12月、政府は医療や金融等幅広い分野での個人情報の利用拡大を議論する「データ利活用制度・システム検討会」の初会合を開いた。EUの個人情報保護法(GDPR)のように、個人が特定されない権利を明記した個人情報保護制度のない日本では、個人情報が企業の儲けに使われる可能性は払拭できない。

強引なマイナ保険証推進政策により国民の健康と命が犠牲になることなく、世界に誇る国民皆保険制度が存続していくようにと、私は祈り続ける。

 

 

[i] 「諸外国における共通番号制度を活用した行政手続のワンスオンリーに関する取組等の調査研究」報告書(概要版)2022年5月 アクセンチュア株式会社

https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/f8a3c045-6c82-4abf-b0bf-cf18bdb79c38/bd85d67f/20220512_policies_mynumber_summary_01.pdf

 

[ii] 第1回新事業創出WG事務局説明資料 2021.1.29 (経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課)

https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/kenko_iryo/shin_jigyo/pdf/001_03_00.pdf

 

「絶対的単独親権制」を撃つ―違憲判決を求めて

(弁護士 後藤富士子)

1 離婚後の「単独親権制」―手続の強制結合
 親の「子育て」は、父母各自に固有の自然権であるところ、憲法24条1項・2項により父母の平等が定められている。それに伴い、民法818条3項では、婚姻中は父母の共同親権とされている。
 一方、「夫婦」が「父母」であっても「離婚の自由」は保障されており、離婚の合意が得られない場合には、離婚に抵抗する配偶者に対し裁判所が離婚を強制できる(民法770条)。しかるに、離婚後は父母どちらか一方の「単独親権」とされている(民法819条)。しかも、離婚と単独親権者指定は同時決着させるべきとされ、同一の手続において処理されている。
 しかしながら、「子育て」の意欲も能力もある親であっても、「離婚」により親権を喪失するとなると、「離婚事件」でありながら、真の紛争は離婚ではなく、「子育て」ができなくなることを回避することに収斂していく。父母どちらも「子育て」の意欲も能力もある場合でも、どちらか一方が親権を喪失するのであり、それ自体が理不尽であるだけでなく、「離婚紛争」が長期化して「子育て」に悪影響を及ぼす。また、単独親権者を指定する家裁の実務では、調査官調査により、現に子の身柄を確保している親の監護が子の福祉に反するか否かを判断基準にするから、「現状維持」の結論になり、結果として子の福祉に反する親を親権者に指定することもある。
 このような有害無益な司法手続をやめるには、親子関係の問題は親子法の中で、婚姻関係の問題は婚姻法の中で解決する手続にすればよいのである。すなわち、手続の結合を外すことであり、そのためには単独親権制を止めれば足りる。そうすると、現行の民法766条は、婚姻法(離婚法)ではなく、親子法の条文になるはずである。

2 親の「子育て」と「親権」「監護」
 親の「子育て」は、人為的な法制度よりも前に、原初的に形成されるものであるから、「親権」「監護」を含みながらも、それよりも広範囲なものである。ちなみに、アメリカでは、まさに「子育て」を意味する「parentig」という語が使われている。この用語にすれば、社会学的実態に即した「同居親」と「別居親」という区別になり、「監護親」と「非監護親」、「親権者」と「非親権者」という父母間の差別的対立を排除できる。
 すなわち、「単独親権制」は、紛争を解決するためには有害な障壁になっている。「単独親権制」を止めるだけで、離婚後も父母のどちらも「子育て」することが前提となる。したがって、父母各自ができることをやるという「パラレル・ペアレンティング」(並行的親業)が家事事件手続のテーマになり、「二者択一の対決」から「二者共存の調整」の手続に変更される。これこそ家事司法の面目躍如というべきであり、「子の最善の利益」を実現する手続になる。

3 子の権利主体性
 「単独親権制」を前提とする手続は、「子の監護に関する事項」がテーマでありながら、当の子を手続の当事者とはせず、専ら大人が観念的な「子の福祉」を弄んでいる。
 すなわち、「子育て」について父母を「二者択一の闘争」に投げ込み、その狭間で子に著しいストレスを与える。このような家事司法制度と実務運用は、もはや児童虐待というべき域に及んでいる。それは、憲法24条2項で保障されるべき「個人の尊厳」を脅かすだけでなく、「児童の権利条約」の基本理念と相容れない。

4 結論
 離婚後の単独親権制を定める民法819条は、憲法24条2項で保障される「個人の尊厳」および「両性の本質的平等」に反するゆえに無効である。

(2024年10月4日)

2024年10月4日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

志位和夫『共産主義と自由』を読む  

合田寅彦(2024・9・6)

新聞広告を目にして講演録である上記の書を買い求めた。読み進めている途中、なぜだか北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海道五十三次」の浮世絵が頭に浮かんでいた。どちらも、身分社会の厳しい言わば自由にほど遠いと思われがちな江戸時代にあって、平和な庶民の姿を描いている。そこに権力者の姿はどこにもない!そんなイメージが頭をかすめながら同時にマルクスの『資本論』を基に語る志位氏の「おとぎ話」に聞き入る民青諸君の素直な顔を活字の向こうに思い浮かべていた。九十を目前にしたさび付いた頭脳の私に良い刺激を与えてくれた本書に感謝しないわけにはいかない。

若き日のマルクスは「ヘーゲルの弁証法」と「フォイエルバッハの唯物論」を学ぶ中で彼独自の「資本制社会における人間疎外(労働疎外)」を深く認識し(「経済学哲学手稿」)、かの有名な「フォイエルバッハに関するテーゼ11」で「かつて哲学者は歴史をさまざま解釈してきたが、肝心なことは変革することである」(おぼろげな私の記憶)と言いきったのだ。

さて、志位氏の講演を聞いた民青諸君はそこから何を会得したのであろうか。自分たちの日頃の活動(共産主義社会実現に向けての)に自信なり可能性なりを感じ取れたとしたら、それは志位氏のどこのどのような言辞がそれにあたるのだろうか。彼の講演が「おとぎ話」でないとの認識に立つのであれば、だが。

19世紀中葉のヨーロッパ(イギリス)は10歳程度の子供が平気で12時間もの労働をさせられていた社会であった。マルクスはエンゲルスの力や当時の『児童労働調査委員会報告・証言』を借り受け、そのあたりのことを「資本論」(第一巻)で克明に記述している。「資本制社会の崩壊」がまさしく人間解放の実現そのものであったのだ。だからこそ労働者の国際的団結が必要であった。マルクスの第一インターナショナル、レーニンの第二インターナショナル、ルクセンブルグの第三インターナショナル、トロツキーの第四インターナショナルはそのような社会革命のイメージを、労働疎外に身を置く労働者の国際的連帯に描いたのだ。

現実には、日本ばかりか世界中の労働運動が壊滅的状況にある。ではそれに代わる市民運動はどうか。すでにべ平連のような市民運動もなければ、残念なことに「日米安保破棄!」の一大国民運動もない。日米軍事同盟批判を口にする政党は「共産党」と弱小「社会党」と「れいわ」しかない。

では志位氏は、「おとぎ話」としてではなく、どのような社会認識に立って望ましい「共産主義社会での自由」を現実社会と結び付けて民青諸君に語ろうとしているのか。私にはそれがまったく見えない!

「共産主義社会の自由」があたかもコロナウイルスのように個人の価値観とは関係なく資本制社会に蔓延するものであれば、そのウイルスを肯定的に扱えばすむことだが、そんな都合の良いことはあり得ない。そうであれば、仮に共産主義が実現したとして、「志位氏の語る自由」はそれまでに身に刷り込まれた庶民の「個人所有の価値観」とどこでどう折り合いをつけるというのか。かつてのロシアのように強権により弾圧するのであれば別だが。資本制社会が崩壊すれば必然的に解決するものではなかろう。文学者であらずとも、人間がそんな単純な存在でないことくらい志位氏であれば分かろうものを。講演の中でその部分を志位氏は全く触れていない。来るべき「共産主義社会」にあって「政治権力」は存在するのかどうか。旧来の彼ら個人所有者に対し(当然抵抗はあろう)、かつてのロシア革命の自営農民弾圧のようなことをしないとの前提にたてば、でのことだが。

私なりに共産主義社会実現のイメージを考えてみたい。かつてのように、革命的労働者による政権奪取はありえない。なにしろ労働組合がないのだから。力による実現は不可能だという認識の上に立って。

考えられることは、貧困家庭を抱え込んだ「大まかな生活協同体」(財産の共有にまでいけばなお良い)がそれこそ全国津々浦々に誕生し、よい結果を生んでいることが大多数の国民の目にしかと認識されたときであろう。共産党員であればこそ、自分たちの間だけでもそれに似た生活共同体があっていいと思うが、どこにもない。かの「ヤマギシ会」の生みの親・山岸巳代蔵にその考え(ヤマギシズム)があったらしいが。

志位氏は現実に共産党という革新政党の指導者であるにもかかわらず、彼の言辞からそうした「共産・共有」のイメージがどこにも感じられない。かつてのフランス革命の合言葉「自由・平等・友愛」の「友愛」がここで言う「共有」にあたる。その「共有」の観念抜きに「共産主義的自由」があたかもそれ自体独り歩きするなどとは、「幻想」に過ぎないではないか。つまり、志位氏の講演が「おとぎ話」であるということだ。

以下がもう一つの志位氏批判の核心だ。あるべき共産主義社会の「自由」を語る前に、その「共産」を頭に冠する日本共産党という政治組織に果たして「人間の思考の自由」はあるのか。

結党以来100余年の日本共産党がこれまでにどれだけの数の党員を「反党分子」として除名してきたか。「権力の回し者」が仮にその中にしたとしても・・・。

未来社会を築こうとしてきた党であってみれば、その未知の社会へのイメージが多様であることはむしろ「財産」であろうに、文学者をはじめ多くの思想家を異分子として排除してきたのではなかったか。己の組織に多様な思考の自由がなく、どうして「党がイメージする未来の人間社会」に「自由がある」と語ることができるのか。近 しい共産党員が数名いる。みなさん「善人の塊」のような人たちばかりだ。ただし党の任務に縛り付けられている見るからに可哀そうな「市会議員の
某」一人を除けばだが。傍観していて滑稽である。とはいえ、その地域共産党員皆さんの口にする言葉はすべて「コピーされたもの」との印象を抱くものばかりだ。「共産主義社会での人間の自由」を語る前に、「おのが党の言論の自由がどれほど狭められているか」をこそ党員各位は自覚すべきであろう。

親の自然権としての「子育て」

(弁護士 後藤富士子)

1 「ペアレンティング」という概念
 アメリカでは、そもそも日本の民法で定められている「親権」に相当する語はなく、いわば財産管理権を除く「監護権」=「custody」が法律用語となっている。したがって、日本で「共同親権」というのは、「joint-custody」と英訳されるのが一般的である。
 これに対し、社会学や教育学の文献あるいは大衆向けの書物では、「parentig」という語が使われている。この意味は、「子育て」「育児」「親業」である(ランダムハウス英和辞典参照)。
 ちなみに、『離婚後の共同子育て』(エリザベス・セイアー&ジェフリー・ツィンマーマン著・青木聡訳)の原題は「The Co-Parentig Survival Guide」である。また、『離婚と子ども』の著者である棚瀬一代教授(当時)も「ペアレンティング」という語を用いているし、離婚後の「共同子育て」に関し「パラレル・ペアレンティング」=「並行的親業」を提唱していた。
 ところで、「ペアレンティング」という概念は、専ら「親の作為」を意味しているところ、それは法律上の「権利」といえるのだろうか。日本の民法で定められている「親権」「監護権」が親の権利であることに鑑みれば、「ペアレンティング」が親の権利であることに疑いをはさむ余地はないと思われる。
 むしろ、「パラレル・ペアレンティング」が「共同子育て」の一形態とされることに照らせば、民法が定める「親権」「監護権」の内実が空洞化しているように思われてならない。その根本原因は、「子育て」という現実的・実際的な内実と乖離して、離婚により片親から親権を剥奪する単独親権制にある。さらに、それを埋め合わせるために、親権者とならなかった親が、「子育て」からは程遠い「面会交流」を家事事件手続により追求しても、結果は虚しい。

2 「親権」と「後見」の根本的差異
 近代法の親子関係の中核は、親が子を哺育・監護・教育する職分であり、民法はこれを「親権」として規定する。親と子は、血縁的関係者の中でも最も緊密なものであるから、両者の関係は親権に尽きない。習俗的・倫理的にそうであるだけでなく、法律の上にも現れる(例えば相続)。しかし、広い意味での親子の法律的関係のうちで、親権すなわち親の子を哺育・監護・教育する職分を中核として特別の取扱をすることが、近代法の特色である。
 ここで「職分」とされるのは、他人を排斥して子を哺育・監護・教育する任に当たりうる意味では権利であるにしても、その内容は、子の福祉をはかることであって、親の利益をはかることではなく、またその適当な行使は子および社会に対する義務だとされることである。この点で国家の監督が問題になるし、その意味では「親権」と呼ぶことがすでに不適当と考えられている。
 また、その「職分」の内容を包括的なものとせず、場合によっては分離しうるものとすることも考えられている。それは、親権の内容を包括的な単一のものとするときは、おのずから親権者の支配的色彩が強くなることを恐れ、内容を具体的な権利の集合とみようとするのである。しかし、子の健全な育成をはかるという職分の内容を具体的に列挙することは不可能である。
 そして、このような近代法の特色を前提とし、「親権」と「後見」の区別を認めず、すべて後見として、父母があるときは父母が後見人となるイギリスの制度が検討される。実際、日本でもこのような制度を採用すべしという主張があった(中川善之助)。これに対し、我妻栄は、「自然の愛情を基礎とし、それによってある程度の保障のある親権と、そうしたもののない後見とにおいて、その内容の区別(国家の監督の強弱)を認める必要がないかどうかが検討されなければならない。」としたうえで、「私はまだ差別の抹消に踏み切る確信をもてない。」と吐露している(有斐閣:法律学全集23『親族法』:平成6年8月30日初版第42刷発行/317頁)。
 このように、「親権」と「後見」の根本的差異は、親子であることによって生まれる「自然の愛情」を基礎とできるか否かにかかっている。このことは、親の「子育て」が、人為的な法制度よりも前に、原初的に形成されるものであることを認めている点で、「自然権」と呼ぶのに相応しいと思われる。

3 親の「子育て」と憲法
 ドイツ基本法6条2項は、「子の養育および教育は、両親の自然の権利であり、かつ、何よりもまず両親に課せられている義務である。その実行に対しては、国家共同社会がこれを監視する。」と定めている。そして、1982年11月3日、連邦憲法裁判所は、離婚後の親の単独配慮(1979年、「親権」は「親の配慮」に改正)を定めたドイツ民法(BGB)1671条4項1文は、前記基本法に抵触するゆえ無効であるとする違憲判決を下している(日弁連法務研究財団『子どもの福祉と共同親権』所収/鈴木博人「ドイツⅠ」143頁参照)。このように、ドイツでは、子の養育および教育が「両親の自然の権利」と憲法で明記されている。
 一方、前項で検討したように、日本においても、親の「子育て」は「自然権」と考えられる。そして、「自然権」は基本的人権であるから、憲法に根拠があるはずである。
 まず、婚姻中の父母の共同親権を定めた民法818条3項は、日本国憲法24条に基づくものである。同条2項は、婚姻や離婚等家族に関する事項について、「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」としている。そして、1項では、特に婚姻に限って「夫婦が同等の権利を有することを基本」とする旨を定めている。そうすると、婚姻中は父母の共同親権であることは、同条1項2項で重複して保障しているにすぎず、離婚後は単独親権を絶対的に強制する法律は、同条2項に抵触すると言わなければならない。
 しかるに、そのような議論-絶対的単独親権制違憲論-が日本の司法界で低調なのは、親の「子育て」についての権利性が理解・認識されていないからである。結局、戦後の民法改正レベルでは、「男女平等」という点で「家父長」制が否定されただけで、「個人の尊厳」という理念が顧みられず、「家」制度の廃止は不発に終わったのであろう。だから、民法の家族法全面改正から77年経過しようとも、「法律婚優遇」という国家権力による権威主義的政策によって「家」制度は生き延びている。

(2024年9月25日)

2024年9月25日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

Q&A 志位和夫『共産主義と自由』を読む  

合田寅彦(2024・9・6)

新聞広告を目にして講演録である上記の書を買い求めた。読み進めている途中、なぜだか北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海道五十三次」の浮世絵が頭に浮かんでいた。どちらも、身分社会の厳しい言わば自由にほど遠いと思われがちな江戸時代にあって、平和な庶民の姿を描いている。そこに権力者の姿はどこにもない!そんなイメージが頭をかすめながら同時にマルクスの『資本論』を基に語る志位氏の「おとぎ話」に聞き入る民青諸君の素直な顔を活字の向こうに思い浮かべていた。九十を目前にしたさび付いた頭脳の私に良い刺激を与えてくれた本書に感謝しないわけにはいかない
若き日のマルクスは「ヘーゲルの弁証法」と「フォイエルバッハの唯物論」を学ぶ中で彼独自の「資本制社会における人間疎外(労働疎外)」を深く認識し(「経済学哲学手稿」)、かの有名な「フォイエルバッハに関するテーゼ11」で「かつて哲学者は歴史をさまざま解釈してきたが、肝心なことは変革することである」(おぼろげな私の記憶)と言いきったのだ。

さて、志位氏の講演を聞いた民青諸君はそこから何を会得したのであろうか。自分たちの日頃の活動(共産主義社会実現に向けての)に自信なり可能性なりを感じ取れたとしたら、それは志位氏のどこのどのような言辞がそれにあたるのだろうか。彼の講演が「おとぎ話」でないとの認識に立つのであれば、だが。
19世紀中葉のヨーロッパ(イギリス)は10歳程度の子供が平気で12時間もの労働をさせられていた社会であった。マルクスはエンゲルスの力や当時の『児童労働調査委員会報告・証言』を借り受け、そのあたりのことを「資本論」(第一巻)で克明に記述している。「資本制社会の崩壊」がまさしく人間解放の実現そのものであったのだ。だからこそ労働者の国際的団結が必要であった。マルクスの第一インターナショナル、レーニンの第二インターナショナル、ルクセンブルグの第三インターナショナル、トロツキーの第四インターナショナルはそのような社会革命のイメージを、労働疎外に身を置く労働者の国際的連帯に描いたのだ。
現実には、日本ばかりか世界中の労働運動が壊滅的状況にある。ではそれに代わる市民運動はどうか。すでにべ平連のような市民運動もなければ、残念なことに「日米安保破棄!」の一大国民運動もない。日米軍事同盟批判を口にする政党は「共産党」と弱小「社会党」と「れいわ」しかない。

では志位氏は、「おとぎ話」としてではなく、どのような社会認識に立って望ましい「共産主義社会での自由」を現実社会と結び付けて民青諸君に語ろうとしているのか。私にはそれがまったく見えない!
「共産主義社会の自由」があたかもコロナウイルスのように個人の価値観とは関係なく資本制社会に蔓延するものであれば、そのウイルスを肯定的に扱えばすむことだが、そんな都合の良いことはあり得ない。そうであれば、仮に共産主義が実現したとして、「志位氏の語る自由」はそれまでに身に刷り込まれた庶民の「個人所有の価値観」とどこでどう折り合いをつけるというのか。かつてのロシアのように強権により弾圧するのであれば別だが。資本制社会が崩壊すれば必然的に解決するものではなかろう。文学者であらずとも、人間がそんな単純な存在でないことくらい志位氏であれば分かろうものを。講演の中でその部分を志位氏は全く触れていない。来るべき「共産主義社会」にあって「政治権力」は存在するのかどうか。旧来の彼ら個人所有者に対し(当然抵抗はあろう)、かつてのロシア革命の自営農民弾圧のようなことをしないとの前提にたてば、でのことだが。

私なりに共産主義社会実現のイメージを考えてみたい。かつてのように、革命的労働者による政権奪取はありえない。なにしろ労働組合がないのだから。力による実現は不可能だという認識の上に立って。
考えられることは、貧困家庭を抱え込んだ「大まかな生活協同体」(財産の共有にまでいけばなお良い)がそれこそ全国津々浦々に誕生し、よい結果を生んでいることが大多数の国民の目にしかと認識されたときであろう。共産党員であればこそ、自分たちの間だけでもそれに似た生活共同体があっていいと思うが、どこにもない。かの「ヤマギシ会」の生みの親・山岸巳代蔵にその考え(ヤマギシズム)があったらしいが。
志位氏は現実に共産党という革新政党の指導者であるにもかかわらず、彼の言辞からそうした「共産・共有」のイメージがどこにも感じられない。かつてのフランス革命の合言葉「自由・平等・友愛」の「友愛」がここで言う「共有」にあたる。その「共有」の観念抜きに「共産主義的自由」があたかもそれ自体独り歩きするなどとは、「幻想」に過ぎないではないか。つまり、志位氏の講演が「おとぎ話」であるということだ。
以下がもう一つの志位氏批判の核心だ。あるべき共産主義社会の「自由」を語る前に、その「共産」を頭に冠する日本共産党という政治組織に果たして「人間の思考の自由」はあるのか。
結党以来100余年の日本共産党がこれまでにどれだけの数の党員を「反党分子」として除名してきたか。「権力の回し者」が仮にその中にしたとしても・・・。
未来社会を築こうとしてきた党であってみれば、その未知の社会へのイメージが多様であることはむしろ「財産」であろうに、文学者をはじめ多くの思想家を異分子として排除してきたのではなかったか。己の組織に多様な思考の自由がなく、どうして「党がイメージする未来の人間社会」に「自由がある」と語ることができるのか。近くは松竹某氏の除名があったではないか。笑止千万と言うに等しい。
私の地域にごく親しい共産党員が数名いる。みなさん「善人の塊」のような人たちばかりだ。ただし党の任務に縛り付けられている見るからに可哀そうな「市会議員の某」一人を除けばだが。傍観していて滑稽である。とはいえ、その地域共産党員皆さんの口にする言葉はすべて「コピーされたもの」との印象を抱くものばかりだ。「共産主義社会での人間の自由」を語る前に、「おのが党の言論の自由がどれほど狭められているか」をこそ党員各位は自覚すべきであろう。

Fazıl Say ~ Nâzım Oratoryosu Live「ナーズムオラトリオ」ライブ動画のご紹介

原爆で紙切れのように燃やされ灰になった7才の少女。10年経っても7才のまま。。。とあるから1955年にナーズム氏が書いた詩に(1963年に亡命先ロシアで死亡)、今のトルコ政府の依頼で、今人気のトルコ出身のピアニストであり作曲家のサイ氏が曲を書き、自らピアノを弾く。1時間半の大曲オラトリオには神の登場はなく、平和を願う人間の祈り、魂の叫びで原爆を投下したアメリカを糾弾するオラトリオらしいオラトリオになって、現代人の心を揺さぶる。演奏終了後の数千人の聴衆の拍手、歓声に唯一の被爆国日本もしっかりせねばと叱咤された。

ファジール・サイさんの演奏はYouTubeにたくさんアップされていますが、この曲はトルコ語(アルファベットだけで大丈夫です)で検索しないと見つかりません。

この動画には、YouTubeの自動翻訳で日本語字幕を表示させられますが、詩のコンピューター翻訳はダメですね。

古いものですが、ナームズ・ヒクメット氏の詩集はAmazonで手に入ります。

自衛隊による靖国神社集団参拝の危うさ

柳澤 修

 今年1月9日、陸上自衛隊の小林弘樹・陸上幕僚副長(陸将)が東京・九段の靖国神社を陸自幹部らと集団で参拝したことが分かった。その後昨年5月17日に、海上自衛隊の練習艦隊司令官・今野泰樹海将補はじめ、一般幹部候補生課程を修了した初級幹部ら165人が集団参拝したことも判明した。

1974年の事務次官通達では「神祠(しんし)、仏堂、その他宗教上の礼拝所に対して部隊参拝すること」などを「厳に慎むべきである」としている。

しかし、防衛省は陸自の集団参拝について調査結果を発表し、「おのおのの自由意思に基づき私人として行った私的参拝」と認定。上記の次官通達に違反しないとした。同じく海自の集団参拝について酒井良海・海上幕僚長は、「研修の合間に個人が自由意思のもとで私的に参拝した」とし、「問題視することもなく、調査する方針もない」と会見で述べた。

 結果的に、陸自幹部が公用車を使って参拝したことが問題視され、参拝した幹部3人が訓戒の処分を受けたが、集団参拝自体は事務次官通達違反とはしていないのだ。

 最も強力な暴力装置としての自衛隊幹部の思考に恐ろしさを禁じ得ない。事務次官通達以前に、日本国憲法20条を何ら理解していないことに恐ろしさを感じる。

憲法20条

  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政 治上の権力を行使してはならない。

 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

防衛省や制服組幕僚幹部は、「私人」を強調するが、上意下達が最も徹底された組織である自衛隊にあって、上からの命令や計画は至上であり、自由意思が許される範囲は極めて少ない。現にいずれの集団参拝も厳密な計画があったのだ。それにも関わらず、正々堂々と「私人」だの「自由意思」だのと都合のいい言葉を持ち出して、参拝を正当化するのはもってのほかである。

こうした防衛省・自衛隊の傲慢さは、安倍政権以降の、集団的自衛権の容認や敵基地攻撃能力の保有など、憲法無視の政治が大いに影響を与えている。アメリカ一辺倒の外交・軍事政策により台湾有事などを盛んに煽り、「新しい戦前」に対処するには、軍国主義の精神的支柱として国民を戦争に動員する役割を果たした靖国神社がもってこいの存在なのだ。

 また、靖国神社と自衛隊の緊密な関係は、4月1日から第14代宮司に元海将であった大塚海夫氏が就任することからも証明された。

前記したように、自衛隊は現在の日本で最も強力な暴力装置である。「文民統制が徹底されているから心配ない」と考えるのは、もしかしたら甘い考えかもしれない。制服組の幹部がこうした憲法認識しか持っていない組織には、大いなる危険が存在するのではないか。

こんな考えが杞憂であってくれればそれに越したことはないのだが。

(2024年3月21日)

2024年3月21日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : o-yanagisawa

「共同親権」は日本国憲法とともに

                        (弁護士 後藤富士子)

1 「共同親権」は、日本国憲法とともにやって来た
 憲法24条の家族観は、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」を基本理念としている。そのため、昭和22年の民法改正で家族法が抜本的に見直されている(「第4編親族」全部改正)。「共同親権」制もその一つである。戦前は「単独親権」制であり、第一次的に「家ニ在ル父」、第二次的に「家ニ在ル母」が親権者とされていた。つまり「家父長」制である。
 しかし、戦後の民法改正では、「男女平等」という点で「家父長」制が否定されたにしても、「個人の尊厳」という点で「家」制度の廃止は不徹底であった。というより、「個人の尊厳」という理念は顧みられなかったのかもしれない。「夫婦同姓の強制」や未婚・離婚の「単独親権」強制は、その典型と思われる。その根底にあるのは「法律婚の優遇」であり、それによって「家」制度が温存されたように見える。

2 「婚姻関係」と「親子関係」の峻別
 現行民法で、「共同親権」は「父母の婚姻中」に限定されている。離婚後は、父母どちらかの「単独親権」とされている。憲法で父母は夫婦として「同等の権利を有する」とされているのに、離婚後は「単独親権」になるのは何故なのか?「夫婦」でなくなるからなのか?父母が合意できるならいいけれど、「親権者でなくなる」「親権を喪失する」ことをどちらも受容できない場合、「単独親権」を強制する法律は、憲法の平等原則にすら反するのではないか?
 考えてみると、同じ人物が「夫婦」か「父母」かで異なる扱いを受けるなんて、まるでトリックである。これは、「婚姻関係」と「親子関係」が法律上峻別されているせいであろう。
 ちなみに、民法では、婚姻法(第4編第2章)の中に親子関係を直接律する規定はなく、「離婚後の子の監護に関する事項の定め等」(766条)の1箇条があるのみである。一方、第4編第4章「親権」には、「子の監護に関する事項」についての規定がない。「親権」の概念が「子の監護・教育」とされているうえ(820条)、「監護権」だけを喪失・停止させることはできないとされている(834条、834条の2、835条参照)。
 それでは、離婚前の別居段階ではどうなるのか? 法律上は夫婦の共同親権である。しかるに、「親権」の枢要部分である「監護」について民法に規定がないため、766条が準用ないし類推適用されている。その内容は、「監護者指定」「面会交流その他の交流」「養育費」「その他の子の監護について必要な事項」と広範囲である。しかし、同条は、離婚後の単独親権を前提としているから、どこまでいっても矛盾を免れない。しかも、同条4項では「監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない」とされている。
 そうすると、離婚後について「親権と監護権の分属」は法律上の根拠があるのに対し、離婚前の「単独監護者指定」は脱法というほかない。また、妻が子どもを連れ去って夫の親権行使を妨げていることも、違法(821条居所指定、820条監護教育)というほかない。
 このような矛盾・違法を克服するには、父母の離婚によって親子関係が変動しない、つまり、離婚後も共同親権にすれば足りる。換言すると、離婚後の単独親権制は、法律上峻別された「婚姻関係」と「親子関係」を結合するものであった。だから、ドイツの民法改正では、この「結合」を外したのである。

3 「女性差別撤廃条約」と「子どもの権利条約」
 昭和60年に発効した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」16条1項(d)は、「子に関する事項についての親(婚姻をしているかいなかを問わない。)としての同一の権利及び責任」を確保することを求めている。この規定からすれば、未婚・離婚の「単独親権」制は撤廃されるべきはずである。
 また、平成6年に発効した「児童の権利に関する条約」18条は「父母の共同責任」として「児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う」ことを締約国に求めている。ここでも、「父母」の婚姻関係は問われない。ちなみに、ドイツの民法改正は、「子どもの権利条約」の批准に伴うものであった。
 日本は、いずれの条約も批准して発効しているのに、未婚・離婚を含む「父母の共同親権」を原則とする法改正はされなかった。去る3月8日、漸く、離婚後の「共同親権」を認める民法改正案が閣議決定され、国会で審議されるところへ漕ぎ着けた。日本国憲法施行から77年、「女性差別撤廃条約」発効から39年、「子どもの権利条約」発効から30年である。

4 「単独親権」制は、「DV防止法」「児童虐待防止法」の代替措置ではない
 離婚後も父母双方が親権をもつ「共同親権」の民法改正について、DVや児童虐待の被害者や支援者が懸念を表明している。離婚前のDVや虐待の「立証が困難」であり、法改正は「被害者を守る制度を先に確立し、確実に運用されてからだ」という。
 しかしながら、「DV防止法」や「児童虐待防止法」は、被害者を守るための法律ではないのか。また、婚姻中でさえ、親権喪失・停止の審判ができる。それらを活用せずに、離婚後の単独親権制にすべてを代替させるが如き議論こそ、日本国憲法や「女性差別撤廃条約」「子どもの権利条約」を無視してきた元凶ではないか。それは、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という理念に希望をもたない人の思想である。でも、私は、熱烈に希望をもっている。

(2024年3月18日)

2024年3月18日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子