100歳の「護憲」歩みは続く 戦争を体験 福田玲三さんの訴え

戦後80年近くがたち、戦争を知る世代が減る中、護憲活動を続けている100歳の男性がいる。東京都品川区の福田玲三(れいぞう)さん。戦争体験から、9条を守るだけではない「完全護憲」を訴える。93歳でフルマラソンを完走し、遅咲きの高齢ランナーとしても知られ、今も毎日歩く。死ぬまで護憲。歩みは止まらない。 (宮本隆康)

◆「戦争犯罪を忘れない」

 「日本の戦争犯罪を忘れることが、新しい戦前の一番の兆候だと思う。忘れさせようとすることは戦争に向かっていること」。昨年12月、東京都文京区のホール。100歳を記念した講演で、緊張が高まるアジア情勢などに懸念を示した。
講演会を終え、会場を後にする福田玲三さん=東京都文京区で
 岡山県出身。大阪外国語学校(現大阪大外国語学部)でフランス語を学んでいたが、2年の時に学徒動員で徴兵された。南方戦線に送られたが、一緒に出航した船は魚雷で沈没。戦地では空襲に襲われるなどしながら命を永らえ、インドネシアで終戦を迎えた。「演習で1人や2人死んでも構わん」。上官の言葉が忘れられない。「『死は鴻毛(こうもう)よりも軽し』という軍人勅諭通り、命は本当に軽視されていた」。終戦の日は泣いたが、翌日には「軍が嫌いだったから、うれしくなった」という。
 「戦争で負けたことがないから、負けるということを分かっていなかった。自分は男兄弟3人で、1人が徴兵されれば近所に顔が立つという雰囲気。息子5人が戦死した女性が泣いていても、戦争が良くないという考えには至らない時代」
 現地で捕虜になり、帰国したのは終戦から2年後。国鉄労組に就職し、占領軍統治下で起こった国鉄をめぐる下山、三鷹、松川の三大事件に遭遇し、被告の支援にあたった。当時、憲法に思い入れはなかったが、1984年の退職後に関わった労働運動の雑誌編集で憲法擁護論者の元官僚と出会う。やがて、第2次安倍晋三内閣発足後の改憲の動きに危機感を感じる。
 憲法を守りたい。戦争体験者や志を同じくする人たちと2014年、「完全護憲の会」を立ち上げた。数人の仲間と月1回の勉強会を重ね、政治課題を憲法に照らして評論する冊子も年2回発行している。

◆「戦争準備進んでいる」

 憲法の多くの条項の大切さを説く。「戦前は天皇主権だったが国民主権。一兵卒の犠牲は軽かったが基本的人権を尊重。禁句だった平和を尊重した。厳重に統制していた言論の自由も認めた」と戦前と比較する。「9条だけ守ろうとしても外堀を埋められたら守り切れない」。だから「完全護憲」なのだという。
 最近の反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や南西諸島の防衛力強化に懸念を抱いている。「戦争の準備がどんどん進んでいる。憲法の利点を生かして戦争に反対すべきだ」

◆93歳で「ホノルル」完走 今も現役ランナー

ホノルルマラソンのコース途上で=2016年12月、福田さん提供
 福田さんは50代半ばでマラソンを始め、今も現役ランナーとして大会に出場している。
 もともと休日に多摩川の岸辺などを軽く走っていたが、56歳の時に東京女子マラソンを見て「戦前はマラソンは特別な人がするものだったが、自分にも走れるのでは」と思い立った。2年後にフルマラソンを4時間18分で初完走した。
 これまで各地の大会で十数回のフルマラソン完走を果たした。93歳の時にはホノルルマラソンで完走。その後は、10キロや5キロの大会に出場を続けている。
 近年はつえを使うようになったが、雨や風が強い日も毎日1時間のウオーキングは欠かさない。
 「家に一日中いると、うつになる。歩けば気分がさわやかになるし、自信がつく。ご飯がおいしく、よく眠れる。たぶん犬の散歩と同じじゃないか。これをやっている限り長生きが続く気がする」と笑った。(東京新聞2024.2.8)

ホノルルマラソンの報告 2016年12月    

福田玲三

前々夜

  12月のホノルル・マラソンを控え、11月13日に多摩水道橋往復の練習をした。朝6:42に大田区(徳富)蘇峰公園前の集合住宅を出て、JR京浜線の線路に沿って南下、蒲田駅前7:48、タイヤ公園8:05、ここで娘婿の大野君と落ちあい、京浜線を離れて多摩川大橋に出て、川の都側の河川敷を約15キロさかのぼって、多摩水道橋を12:18に折り返し、神奈川県側の河川敷を、途中3度ほど小公園のベンチで息を抜きながら、多摩川大橋に到着17:06、タイヤ公園17:37、ここで大野君と別れ、そのあとは何度も小公園のベンチで休みながら19:36帰宅。45キロ足らず、ほぼ13時間近くかかった。10年前、80歳代の頃は、それでも12時間ほどだったのに。 続きを読む

サボテンの開花と肥料

saboten20150530-01自宅と会社にサボテンの鉢をおいている。同じ株の株分けしたものを会社に持って行ったものだ。

でも、違う品種かと思うくらい違い、会社のものは花もついていない。昨年は開花していた株なのにである。

このサボテンは、冬の間は完全に水を切らないと花が咲かない。そのため、両方とも、冬の間は完全に水を切り、体も赤くなり耐えていた。

3月頃から水を与え始めたがこの違いだ。

違う要素はたった一つ。自宅のものは水しか与えなかったが、会社のものは他の鉢植えとsaboten20150530-03同じように薄い液肥が入っていた。

おかげで元気になり、命の危険を感じないので花がつかないようだ。アロエなどもこの傾向が強く、新しい土に植え替えたりすると花が咲かなくなる。厳しい環境で生きる種類の特質かもしれない。

肥料分のない新しい鉢に植え替えなければ花を見ることだ出来ない。

植物は、肥料分が少なかったり、生育の条件が厳しいと花をつけ、実がなることが多いようだ。ようは、命の危険を感じたとき、種をつけ、子孫を残そうとするらしい。

お茶の木なども、手入れが悪いと花が咲くようになり、みっともなく、恥ずかしいことだと聞いたことがある。

梅雨の晴れ間に

アカヤマドリ

アカヤマドリ

梅雨の晴れ間に近くの自然林が残る公園を散策しました。

なんと、梅雨時に出てくるキノコたちがたくさん出ていました。中には美味しい大型キノコのアカヤマドリも。でも、多くは食べられるかどうか不明のキノコたちでしたが、それぞれ色合も姿かたちも素晴らしいものでした。まさに森の妖精というにふさわしいものでした。

みなさまもお近くの公園を散策した折には、是非、足元を観察してみてください。きっと新しい発見があると思います。

kinokosuki