志位和夫『共産主義と自由』を読む  

合田寅彦(2024・9・6)

新聞広告を目にして講演録である上記の書を買い求めた。読み進めている途中、なぜだか北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海道五十三次」の浮世絵が頭に浮かんでいた。どちらも、身分社会の厳しい言わば自由にほど遠いと思われがちな江戸時代にあって、平和な庶民の姿を描いている。そこに権力者の姿はどこにもない!そんなイメージが頭をかすめながら同時にマルクスの『資本論』を基に語る志位氏の「おとぎ話」に聞き入る民青諸君の素直な顔を活字の向こうに思い浮かべていた。九十を目前にしたさび付いた頭脳の私に良い刺激を与えてくれた本書に感謝しないわけにはいかない。

若き日のマルクスは「ヘーゲルの弁証法」と「フォイエルバッハの唯物論」を学ぶ中で彼独自の「資本制社会における人間疎外(労働疎外)」を深く認識し(「経済学哲学手稿」)、かの有名な「フォイエルバッハに関するテーゼ11」で「かつて哲学者は歴史をさまざま解釈してきたが、肝心なことは変革することである」(おぼろげな私の記憶)と言いきったのだ。

さて、志位氏の講演を聞いた民青諸君はそこから何を会得したのであろうか。自分たちの日頃の活動(共産主義社会実現に向けての)に自信なり可能性なりを感じ取れたとしたら、それは志位氏のどこのどのような言辞がそれにあたるのだろうか。彼の講演が「おとぎ話」でないとの認識に立つのであれば、だが。

19世紀中葉のヨーロッパ(イギリス)は10歳程度の子供が平気で12時間もの労働をさせられていた社会であった。マルクスはエンゲルスの力や当時の『児童労働調査委員会報告・証言』を借り受け、そのあたりのことを「資本論」(第一巻)で克明に記述している。「資本制社会の崩壊」がまさしく人間解放の実現そのものであったのだ。だからこそ労働者の国際的団結が必要であった。マルクスの第一インターナショナル、レーニンの第二インターナショナル、ルクセンブルグの第三インターナショナル、トロツキーの第四インターナショナルはそのような社会革命のイメージを、労働疎外に身を置く労働者の国際的連帯に描いたのだ。

現実には、日本ばかりか世界中の労働運動が壊滅的状況にある。ではそれに代わる市民運動はどうか。すでにべ平連のような市民運動もなければ、残念なことに「日米安保破棄!」の一大国民運動もない。日米軍事同盟批判を口にする政党は「共産党」と弱小「社会党」と「れいわ」しかない。

では志位氏は、「おとぎ話」としてではなく、どのような社会認識に立って望ましい「共産主義社会での自由」を現実社会と結び付けて民青諸君に語ろうとしているのか。私にはそれがまったく見えない!

「共産主義社会の自由」があたかもコロナウイルスのように個人の価値観とは関係なく資本制社会に蔓延するものであれば、そのウイルスを肯定的に扱えばすむことだが、そんな都合の良いことはあり得ない。そうであれば、仮に共産主義が実現したとして、「志位氏の語る自由」はそれまでに身に刷り込まれた庶民の「個人所有の価値観」とどこでどう折り合いをつけるというのか。かつてのロシアのように強権により弾圧するのであれば別だが。資本制社会が崩壊すれば必然的に解決するものではなかろう。文学者であらずとも、人間がそんな単純な存在でないことくらい志位氏であれば分かろうものを。講演の中でその部分を志位氏は全く触れていない。来るべき「共産主義社会」にあって「政治権力」は存在するのかどうか。旧来の彼ら個人所有者に対し(当然抵抗はあろう)、かつてのロシア革命の自営農民弾圧のようなことをしないとの前提にたてば、でのことだが。

私なりに共産主義社会実現のイメージを考えてみたい。かつてのように、革命的労働者による政権奪取はありえない。なにしろ労働組合がないのだから。力による実現は不可能だという認識の上に立って。

考えられることは、貧困家庭を抱え込んだ「大まかな生活協同体」(財産の共有にまでいけばなお良い)がそれこそ全国津々浦々に誕生し、よい結果を生んでいることが大多数の国民の目にしかと認識されたときであろう。共産党員であればこそ、自分たちの間だけでもそれに似た生活共同体があっていいと思うが、どこにもない。かの「ヤマギシ会」の生みの親・山岸巳代蔵にその考え(ヤマギシズム)があったらしいが。

志位氏は現実に共産党という革新政党の指導者であるにもかかわらず、彼の言辞からそうした「共産・共有」のイメージがどこにも感じられない。かつてのフランス革命の合言葉「自由・平等・友愛」の「友愛」がここで言う「共有」にあたる。その「共有」の観念抜きに「共産主義的自由」があたかもそれ自体独り歩きするなどとは、「幻想」に過ぎないではないか。つまり、志位氏の講演が「おとぎ話」であるということだ。

以下がもう一つの志位氏批判の核心だ。あるべき共産主義社会の「自由」を語る前に、その「共産」を頭に冠する日本共産党という政治組織に果たして「人間の思考の自由」はあるのか。

結党以来100余年の日本共産党がこれまでにどれだけの数の党員を「反党分子」として除名してきたか。「権力の回し者」が仮にその中にしたとしても・・・。

未来社会を築こうとしてきた党であってみれば、その未知の社会へのイメージが多様であることはむしろ「財産」であろうに、文学者をはじめ多くの思想家を異分子として排除してきたのではなかったか。己の組織に多様な思考の自由がなく、どうして「党がイメージする未来の人間社会」に「自由がある」と語ることができるのか。近 しい共産党員が数名いる。みなさん「善人の塊」のような人たちばかりだ。ただし党の任務に縛り付けられている見るからに可哀そうな「市会議員の
某」一人を除けばだが。傍観していて滑稽である。とはいえ、その地域共産党員皆さんの口にする言葉はすべて「コピーされたもの」との印象を抱くものばかりだ。「共産主義社会での人間の自由」を語る前に、「おのが党の言論の自由がどれほど狭められているか」をこそ党員各位は自覚すべきであろう。

人は何歳まで走れるのか?不安なく一生RUNを楽しむ

インタビューのトップはラン暦40年の99才のランナーは当会の福田玲三会長。最近はランではなくウォークのようですが、例会等にも、タクシーを使わず地下鉄の階段を上り下りして来られます。

福田さんは96才で『走る高齢者たち オールドランナーズヒストリー』(梨の木舎)を刊行しています。今回はスポーツシューズの進化を追いかけて1000足以上履き比べたというランナーが、「人は何才まで走れるのか?」を探求すべく、ランニングフォーム、膝ドック、健康診断数値、脳科学、食事、テーピング等々についつて、オリンピックメダリストや自らも走る医者、管理栄養士にインタビューしています。

健康に、楽しく、ずっと走り続けたい方にも、走るのはちょっとと思う方にもお勧めします。

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<本の紹介>『労働組合とは何か』木下武男著(岩波新書・新刊、900円+税)

 福田玲三  

 新聞広告に『人新生の「資本論」』著者斎藤幸平氏の推薦「労働組合は死んだ。だが、その再生こそ民主主義再建には必要だ。必読の一冊」とあった。それに惹かれて読んでみて、内容は期待を超えた。
  本書は3部に分かれている。第1は労働組合の歴史、第2は労働組合の目的、機能、方法であり、第3は労働組合の未来だ。
 第1には、歴史編1「ルーツを探る」2「職業別労働組合の時代」3「よるべなき労働者たち」4「アメリカの経験」5「日本の企業別組合」がある。
 第2には、分析編1「労働組合の機能と方法」2「ユニオニズムの機能」がある。
第3には、分析編3「日本でユニオニズムは創れるのか」がある。
労働組合の目的は労働条件の向上であり、労働者の競争を規制する機能でこれを実現し、その機能を3つの方法を使って果たす。これが「本当の労働組合」である。
一時期、総評による華々しい労働運動の高揚は次の3つの運動でもたらされた。  第1は春闘の展開、第2は官公労の運動、第3は国民的政治課題の運動である。(187p.)
 しかし1956年に定着した春闘の陰で労使関係の地殻変動が進行した。大企業労働者の企業主義的統合と、それを基盤とした労働組合の労使協調への転成だ。1975年は戦後労働組合運動の最大の転換点となる。
 この年、労働運動側は2つの歴史的敗北をなめた。1つは春闘の敗北。政府と日経連の提起した「賃上げ自粛」に民間大企業労組がつぎつぎに賛同した。今1つは公労協のスト権ストの敗北である。
 1973年と79年の2度のオイルショックを経て、労働戦線の統一を旗印に、労使協調的な組合がついに一国のナショナル・センターの主導権を獲得するにいたった。すなわち1989年に総評が解散し、企業別労働組合主義の連合が結成された。
 日本における労働運動の解体はくい止めなければならない。そのためには戦後労働運動の負の歴史、企業別組合主義と完全に決別することだ。労働運動の衰退の淵に立って、そして過去の歴史と断絶した地点から、あらたなユニオニズム(産業別の本当の労働組合)を展望することだ。(205p.)
 1992年、バブルの崩壊とともに、かつてない悲惨な3つの現象(貧困・過重労働・雇用不安)が生まれた。
 日本的労使関係は、年功賃金・終身雇用・企業別組合を3本柱にしている。このうち年功賃金と終身雇用の慣行を経営側が廃棄した。
    すなわち、2000年代に入ると経営者側は、終身雇用制を捨て、希望退職の名目で従業員の大リストラをはかった。他方で期限を区切った非正社員を大々的に雇用した。労働市場には職を求める者たちであふれている。
 日本的雇用慣行の賃金と雇用の保障は、企業に居ることによって受けることができる。そのため退路を断たれた従業員たちに、経営側は長時間労働を課す絶大な指揮命令権と、単身赴任や人員削減などの専断的人事権を持つことができる。(221p.)
 「逃げられない世界」は、過酷な加害システムとして働く者を傷つけ、過労死・過労自死や「引きこもり」を生む。
 ユニオニズムの創造は、転職可能な労働市場をつくることで、この加害システムを打ちこわすだろう。
 ユニオズムの創造によって、家族形成可能な賃金や企業による人格的な支配のない労働、転職可能な横断的な労働市場での雇用保障、これらを日本社会で実現できる。(223p.)
 日本の労働組合は大企業労働者や公務員など比較的恵まれた労働者のところにある。それとは逆の下層労働者が、しかも産業別労働組合を立ち上げる貴重な挑戦が日本にある。関西における生コンクリートを運ぶ労働者たちだ。彼らが産業別労働組合を切り開いた道筋は、日本のユニオニズム創造が不可能ではないことを教えている。
 生コン労働者は1965年に関西地区生コン支部を結成し、この労働組合が産業別労働組合に成長してゆく。 1980年に東京生コン支部が結成され、全国的には77年に運輸一般の全国セメント生コン部会が確立し、全国指導部をもつ業種別部会へと発展した。
 この関生型運動の広がりは経営側を震撼させた。弾圧は82年から始まった。関西での不当逮捕につづいて東京でも「恐喝罪」として東京生コン支部の3名を逮捕した。
 2005年、またしても弾圧。「強要未遂」「威力業務妨害」として武健一委員長を始め7名の支部役員が逮捕された。武委員長は第一次弾圧では拘留はニ三日だったが、第二次では一年におよんだ。
 2017年12月、貯蔵出荷基地から生コン企業に輸送する運賃値上げのストライキを関生が行った。これに対して2018年7月から11月まで、のべ89名が逮捕され、71名が起訴された。いずれも組合員の要求が「恐喝未遂」、ストライキが「威力業務妨害」とされた。
 ふりかえれば、1897年設立の「労働組合期成会」による職業別組合を日本に移植する試みは挫折した。ついで戦前、産業別組合を確立する運動は1921年の川崎・三菱造船所の争議敗北で終わった。戦後、全日本自動車産業労働組合による産業別組合をめざす志は1953年の日産争議の敗北でついえた。
 そして1965年に結成された関生支部は70年代に日本に一般組合を形成する運動のなかで成長し、幾多の試練をへて今、産業別組合として存在する。このことは、「本当の労働組合」を確立する4回目の挑戦において勝利したことを意味する。
 だが、その勝利は危うい。産業別組合であるがために弾圧される。この危機を見過ごしてはならない。支配的な企業別組合のあり方もまた問われている。(249p.)
 流動的労働市場で働く「非年功型労働者」を下層労働者と呼ぶならば、そのような労働者は「下層」であるがゆえに、ユニオニズム創造の主役になる資格をもっている。現に欧米の産業別組合・一般組合は下層労働者によって構成されている。
 今の日本で起きている多くの人の離職、転職、泣き寝入り、パワハラ離職、パワハラによる引きこもりなどは反抗に行きついていない。しかし集団的反抗の門口にあると見てよい。
 自然発生的な運動エネルギーの大きな蓄積と旧来型労働組合の守旧性、このあいだの巨大なギャップこそが現局面の焦点である。(277p.)
 2000年以降の経験の蓄積は「非年功型労働者」につぎの論法を受け入れさせている。①会社にいても生活は良くならない、②転職しても変わらない、③それならユニオンで闘う以外にない。
 戦後すぐの労働運動は燎原の火のようにひろがった。それは企業別組合というあだ花を咲かせた。今は形を変えユニオニズムが芽生え、花咲く時代を迎えようとしている.火の勢いは自覚的意思で結ばれた活動家集団の勢力いかんにかかっている。
 今、ユニオン運動を支える労働者、学生、退職者などのボランチアがたくさんいる。さらに多くの人々がこの流れに合流するならば、ユニオニズムの創造と日本社会の根本的な変革は可能であろう。(278p.)

 以上が本書の荒筋で、当面する労働社会の局面を見事に分析している。この局面をとらえ社会を根本的に変革する運動の過程に、立ち会いたい願いに筆者は燃えている。   

新刊「人新世の『資本論』」斎藤幸平著のご紹介

「人新世の『資本論』」紹介
――斎藤幸平著、集英社新書、2020年刊、1020円+税――
福田玲三

 地球は新たな年代に突入したとノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは言い、それを地質学的に「人新世」と、彼は名付けた。人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代という意味だ。
地質学の時代区分は1万年あるいは数十万年を単位としている。現地質時代は1万年以来続く新生代第4世紀の「完新世」だったから、それに継ぐものだろうか。
新聞で評判の本書を読了して目の覚める感銘と不朽の感動を覚えた。
以下に本書の荒筋を記す。
第1章
2016年に発効したパリ協定が目指したのは2100年までの気温上昇を産業革命以前と比較して2℃未満(可能であれば、1.5℃未満)に抑え込むことだ。
すでに1℃の上昇が生じているなかで、1.5℃未満に抑え込むためには、今すぐ行動しなければならない。具体的には、2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減させ、2050年までに純排出量をゼロにしなければならない。
もし現在の排出ペースを続けるなら、2030年には気温上昇1.5℃のラインを越え、2100年には4℃以上の気温上昇が危惧される。
気温上昇が4℃まで進めば、被害は壊滅的なものになり、東京の江東区、墨田区、江戸川区などは、高潮でほとんど冠水するといわれている。大阪でも淀川流域の大部分が冠水し、沿岸部を中心に日本全土で1000万人に影響するという予測もある。
世界規模で見れば、億単位の人々が現居住地からの移住を余儀なくされ、人類が必要とする食糧供給は不可能になる。こうした被害が恒常的に続くのだ。
第二次世界大戦後の経済成長とそれ伴う環境負荷の増大は、冷戦体制の崩壊後、さらに強まっている。このような時代が持続可能なはずがない。
これまでの南北問題も含め、資本主義の歴史を振り返れば、先進国の豊かな生活の裏側では、さまざまな悲劇が繰り返された。資本主義の矛盾がいまグローバル・サウス(世界化における南部問題)に凝縮されている。
グローバル・サウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイルは「帝國的生活様式」と呼ばれる。
グローバル・サウスの人々の生活条件の悪化は資本主義の前提条件であり、南北の支配従属関係は例外的事態ではなく、平常運転なのだ。
先進国の豊かさには、このように代償を遠くに転嫁して不可視化してしまうことが不可欠である。これは「外部化社会」と呼ばれ、絶えず外部性を作り出し、そこに負担を転嫁する。
ところが資本主義のグローバル化が地球の隅々まで及んだために、新たな収奪の対象となるフロンティアが消滅してしまった。
搾取の対象は人間の労働力だが、それは資本主義の一面で、もう一方の本質的な側面は地球環境だ。人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる略奪の対象にする。
このことが本書の基本的主張の一つだ(P.32)
そのような社会システムが無限の経済成長を目指せば、地球環境は当然危機的状況に陥る。
この帝國的生活様式は日常生活を通じて絶えず再生産されるが、その暴力性は遠くの地で発揮されるため不可視化され続ける。
それを見ないようにして、帝国的生活様式は一層強固になり、危機対応は先延ばしされた。
人類の経済活動が全地球を覆ってしまった「人新世」とは、そのような収奪と転嫁のために外部が消尽した時代だ。
この転嫁による外部性の問題点をマルクスは19世紀半ばに分析していた。
第一の転嫁方法は、環境危機を技術の発展で乗り越えようとする方法だが、例えば化学肥料の使用による農業の発展は大規模な環境問題を引き起こす。
第二の方法が空間的転嫁だだが、この試みは原住民の暮らしや生態系に大きな打撃を与え、矛盾を深める。
第三の方法が時間的転嫁だが、例えば森林の過剰伐採は気候変動を招き、将来世代に大きなツケを残す。
これらの方法による被害に周辺部が真っ先に晒される。そして資本主義より前に地球がなくなる。
第2章
資本主義は負荷を外部に転嫁することで経済成長を続けていく。
外部化がうまくいっている間は、先進国に住む私たちは環境危機に苦しむことなく豊かな生活を送ることができた。
そうしているうちに、後戻り不能点まで残された時間がわずかになった。
国連がSDGsを掲げ「緑の経済成長」を追及している。
これは現実逃避だ。経済成長か、それとも気温上昇1.5℃ 未満か、どちらかしかない。
このような現実逃避で帝国的生活は維持され、近い将来私たちはその報いを受ける。
第3章
経済成長を諦め脱成長を気候変動対策の本命としなければならない。
経済成長をしなくても既存の資源をうまく配分すれば、社会は今以上に繫栄できる。
世界全体が持続可能で公正な社会に移行しなければ地球は住めなくなり先進国の繫栄も脅かされる。
だが外部化と転嫁に依拠した資本主義では世界的な公正さを実現できない。
私たちが環境危機の時代に、自分だけが生き延びようとしても、時間稼ぎはできても、地球は一つしかないから、最終的には逃げ場がなくなる。
平等を軸に考えたとき「人新世」の時代における未来の選択肢が4つある。
1 気候ファシズム。経済成長と資本主義にしがみついて生き残ろうとする超富裕層。
2 野蛮状態。気候変動で環境難民が増え食糧生産が落ち大衆が反乱し万人の万人に対する闘争となる。
3 気候毛沢東主義。野蛮状態を避けるためにトップダウン型の気候変動対策をとり、自由民主主義の理念を捨て中央集権的な独裁国家が成立。
4 脱成長コミュニズム。民主主義的な相互扶助による公正で持続可能な未来社会。
最後の④手がかりは脱成長だ。資本は手段を択ばない。惨事に便乗し、最後まであらゆる状況に適応する強靭性を発揮し、環境危機を前にしても自ら止まらない。
気候危機対策は一つの目安として生活レベルを1970年代後半の水準まで落とすことを求めている
資本主義は70年代に深刻なシステム危機に陥り、この危機を越えるために新自由主義が導入されたが、民営化、規制緩和で格差が拡大した。
私たちの手で資本主義を止めて脱成長型のポスト資本主義に向けて大転換することだ。
資本主義の下で先進国で暮らす大多数の人々は依然として貧しい。米国の若年層は資本主義よりも社会主義に肯定的だ。
脱成長は平等と持続可能性を目指す。
第4章
「人新世」の環境危機をマルクスならばどのように分析するか。古びたマルクス解釈を繰り返さず、新しいマルクス像を提示しよう。
マルクスにとってコミュニズムとはソ連のような一党独裁と国営化の体制を指すものではなかった。彼にとってコミュニズムとは生産者たちが生産手段を共同で管理・運営する社会のことだった。
若年時代のマルクスは資本主義の発展が、生産力の上昇と過剰生産恐慌によって革命を準備してくれるとという楽観論を抱いていた。いわゆる「生産力至上主義」だ。
だが1848年の革命は失敗し1858年の恐慌も同じだった。恐慌を乗り越える資本主義の強靭さに、マルクスは認識を修正する。それは「資本論」刊行以後のことだった。
マルクスは誤解されていた。資本主義は生産力を引き上げ、将来の社会で豊かで自由な生活を送る準備をしてくれる、つまり「進歩史観」だ。
マルクスの「進歩史観」(いわゆる「史的唯物論」)には「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」の2つの特徴がある。
「生産力至上主義」は、生産が環境にもたらす破壊作用を完全に無視した。
マルクスの草稿やノートを大量に含む新たな全集の編集を通じて、晩期マルクスの環境保護的な資本主義批判に光が当たった。マルクスは「生産力至上主義」からはっきりと
決別していた。
「資本論」第1巻刊行以後、マルクスは「ヨーロッパ中心主義的な進歩史観」からも決別した。
晩期マルクスは大転換した。
第5章
経済成長のための「構造改革」が繰り返されることで、世界で最も裕福な資本家26人は貧困層38億人(世界人口の約半分)の総資産と同額の富を独占している。
第6章
欠乏を生んでいるのは資本主義だ。私財が公富を減らしていく。
資本主義発足以前、土地や水といった公富は潤沢だった。公富は電力や水だけではない。生産手段そのものも公富にしてゆく必要がある。労働者たちが共同出資して生産手段を共同所有し共同管理する組織が労働者協同組合だ。
労働者協同組合は労働者の自治・自律に向けた一歩として重要な役割を果たす。それが可能なのは、社長や株主の私有ではなく国営企業でもなく労働者たち自身による社会的所有だからだ。
脱成長コミュニズムは豊潤な経済を作る。
第7章
脱成長コミュニズムが世界を救う。
マルクスの脱成長の思想は150年近く見逃されてきた。今はじめて「人新世」の時代へと「資本論」が更新される。
脱成長コミュニズムの柱①――使用価値経済への転換
②――労働時間の短縮
3 ――画一的な分業の廃止
4 ――生産過程の民主化
⑤――働集約型産業の重視(ケア労働など)
くだらない仕事の軽視(マーケティング、広告、金融業、保険業など)
第8章
マルクスが進歩史観を完全に捨て脱成長を受け入れるようになった背景にはグロ-バル・サウスへのまなざしがあった。
気候変動を引き起こしたのは先進国の富裕層だが、その被害を受けるのはグローバル・サウスの人々と将来世代だ。この不公平を解消すべきだというのが気候正義だ
晩期マルクスのグローバル・サウスから学ぶ姿勢は21世紀にますます重要性を増している。資本主義が引き起こす環境危機はグローバル・サウスにおいて、その矛盾が激化しているからだ。
バルセロナの気候非常宣言(2020年1月)は気候正義を革命のテコにしようとしている。バルセロナの運動は国境を越えて広がっている。
「資本主義の超克」、「民主主義の刷新」、「社会の脱炭素化」という三位一体のプロジェクトの着地点は相互扶助と自治に基づいた脱成長コミュニズムだ。
おわりに
フィリピンのマルコス独裁を打倒した革命(1986年)やシュワルナゼ大統領を辞任させたグルジア革命(2003年)は、3.5%の非暴力的な市民の不服従がもたらした社会変革の一例だ。
地球の未来は本書を読んだあなたが3.5%のひとりとして加わるかどおうかにかかっている。                            (以上)

新聞掲載の広告によれば、本書は2021新書大賞第1位で20万部を突破!とある。20万人といえば日本の大学生総数の1割弱に当たり、頼もしいことだ。
たまたま当会ニュース読者の深田哲士氏(鳥取県・『象徴としての日本国憲法』著者)が本書の愛読者と知った。同好の有志の拡大を期待している。

2021年2月20日 | カテゴリー : ⑤図書紹介 | 投稿者 : 管理人

走る高齢者たち!! オールドランナーズヒストリー

 

 

 

 

 

 

 

当会福田玲三代表がご自身の半生と走る楽しさ、および、福田さんが取材された全国の高齢者マラソンランナーの皆さんを紹介する「走る高齢者たち!!」を梨の木舎から上梓されました。

福田さんは21才で学徒動員され、スマトラ島で敗戦、マレー半島でJSP(日本降伏軍人)として労役、1947年、24才で復員されています。
国鉄労組書記として勤務していた36才の時、とある運動会を見に行き走りたいという思いに駆られ走り始めます。福田さんは幼いころからひ弱で、徴兵検査では甲種でも乙種でもなく第二乙種「筋骨薄弱」だったそうで、初めて第一回佐倉朝日健康マラソンを完走したのが58才です。以来、毎年5時間制限の佐倉マラソンに参加、タイムオーバーすると7時間制限の東京・荒川マラソン、8時間制限の大阪・淀川マラソン、10時間制限の伊豆大島マラソン(92才)、無制限のホノルルマラソン(63才)と対象を移し、スイス・ローザンヌマラソン(94才)では10キロウォークに参加しています。私が知っているのは完全護憲の会が発足してからで、大島マラソンからですが、10時間制限の前に、8時間、7時間、5時間制限をタイムオーバーしてきたことを知り、改めて、福田さんの諦めずに挑戦するマラソン人生と福田さんの反戦、平和、護憲への強い思いが重なりました。

尚、ホノルルマラソンについては、福田さんが当会の会員ブログに体験記を投稿されています。

ホノルルマラソンの報告 2016年12月    

新刊紹介 『自衛隊も米軍も、日本にはいらない! 「災害救助即応隊」構想で 日本を真の平和国家に』(花岡しげる著)

平和を愛し、戦争を憎む国民にとって待望の本が現れた。
『自衛隊も米軍も、日本にはいらない!――「災害救助即応隊」構想で日本を真の平和国家に』(花岡しげる著 花伝社 1月27日刊)だ。第1章の冒頭にはこう書かれている。
「自民党や9条改憲を支持する人たちは、二言目には『野党は改憲反対と言うばかりだ。もし改憲に反対ならばきちんとした対案を出すべきである』と言います。……

そこで本書では、第9条の自民党改憲案への対案として、現行憲法と全く矛盾しない安全保障政策を提案します。」と。
そして「第5章 外国から攻められたらどうする? の心配は無用」では、その(1)「日本は国境を天然の要塞でまもられている」とあり、四方を海に囲まれている利点を挙げ、しかし空襲や宇宙からの不意の攻撃は防ぎようがなく、つまるところ、友好的な話し合いしかないことを示している。「話し合いで解決しないから戦争が起きる」と反論する人には、「話し合いで解決しない問題が、武力で解決できるのか」と再反論。そして、「時間をかけて最後まで話し合いで……折り合うしかないのです。」ときっぱり断言する。

本書の最大の特色は「第7章 防災平和省と『災害救助即応隊(ジャイロ)』実現のロードマップ」である。その(1)「国会で実現させるためには」では、「①新党の立ち上げ」と「②『護憲連合会派』の結成」を挙げ、政策実現の具体的な段取りを示しているところが注目される。
非常に説得力のある、読みやすい本だ。

表紙の帯には、東京新聞の望月衣塑子記者が推薦文をこう書いている。
「9条の理念をいかに守り、体現していけるのか、本書にはそのエッセンスが詰まっている。」
著者の花岡さんには「平和創造研究会」(宇井さん主催)でお目にかかったことがあり、その容姿から音楽関係の方と思っていたが、実は東大法学部卒、カリフォルニア大学バークレー校経営学修士で、国内外で働いた実務家であることを初めて知った。

花岡さんのこの貴重な構想を、みんなで話し合い、肉付けし、伝え、そして広げていこうではありませんか。まずは図書館にリクエストなどして、読んでいただければ幸いです。
福田玲三

2020年2月9日 | カテゴリー : ⑤図書紹介 | 投稿者 : 管理人

「消費税廃止」が発信する「格差是正」―― 経済にデモクラシーを!

(弁護士 後藤富士子)

1 私は、昨年話題になった『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』を発刊の早い時期に大変興味深く読んだ。
 まず本の表帯の「アイデンティティ政治を超えて『経済にデモクラシーを』求めよう」に同感だ。裏帯はブレイディみかこさんの「『誰もがきちんと経済について語ることができるようにするということは、 続きを読む

菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書、2016)

安倍政権は、単にイデオロギー的に右であるとか、強権的であるとかいうだけではなく、戦後史において極めて特異な、異形の政権である、ということは、すでに多くの人が気づいているだろう。憲法解釈も衆院解散(選挙)も税金も年金も内閣法制局や日銀やNHK経営委員の人事も、すべて自分の私利私欲のために私物化し、他人の批判には絶対に耳を貸さず、気に食わない意見は封殺し、自分の言いたいことだけを言い、平気でうそをつく。ここまで幼稚で横暴な首相は日本の歴史上前代未聞であろう。

しかし、なぜ、これほど異常な政権が誕生したのか、しかも第1次政権も含めると4年半も続いているのか。これは私にも長い間謎であった。日本社会全体が右傾化したからだ、という人もいるが、本書の著者、菅野完はそれを否定する。そうではなく、一部の人々の長期にわたる粘り強い努力の“成果”なのだ、というのである。「一部の人々」とは誰か? それを多くの人々に対するインタビューと膨大な文献の読み込みによって解き明かしたのが本書である。

本書の元になったのは、扶桑社の「ハーバー・ビジネス・オンライン」で2015年2月から1年にわたって連載された「シリーズ『草の根保守の蠢動』」である。私がこのシリーズに気が付いたのは今年の2月頃だから、連載も最終盤にさしかかる頃であったが、過去記事をすべて読み返し、その取材力・分析力に感嘆した。本書も発売前からアマゾンで予約注文し、発売(5月1日)と同時に入手してすぐに読んだのだが、この間仕事等で忙しく、感想を書くのが遅くなった。

安倍政権の閣僚の多くが日本会議国会議員懇談会のメンバーである、といったニュースは、東京新聞や朝日新聞なども時折取り上げてはいたが、その実態に関する報道は極めて表層的なものにとどまっていた。ところが、日本会議の関連団体ばかりでなく、その源流にまでさかのぼって検証したのが本書の画期的なところである。

日本会議そのものは、日本最大の右翼団体とはいっても、神道系、仏教系、キリスト教系、新派神道系など種々雑多な宗教団体の寄り合い所帯であるが、事務局を取り仕切っているのが日本青年協議会/日本協議会であり、その会長である椛島有三が同時に日本会議の事務総長なのである。

この椛島有三は今から半世紀前の1966年、長崎大学で起こった「学園正常化」運動で、「長崎大学学生協議会」を結成し、左翼学生から自治会を奪い返すことに成功し、一躍、民族派学生のヒーローとなり、この経験を全国の大学に広げるため、1969年、「全国学生自治連絡協議会(全国学協)」を結成した。この頃、大分大学で学生協議会を率いていたのが若き日の衛藤晟一・現首相補佐官である。なお、椛島ら全国学協の中心メンバーは生長の家の学生信徒たちであった。1970年、全国学協のOB組織として日本青年協議会が結成されるが、その後、路線対立から日本青年協議会が全国学協から除名されると、74年、日本青年協議会は自前の学生組織として「反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)」を結成した。「反憲法」とは、現行憲法を呪詛し続けた生長の家の創始者・谷口雅春の愛弟子を自称する彼らが「現憲法を徹底的に否定する」ために掲げたスローガンである。

日本会議の前身のひとつである「日本を守る会」は1974年に結成され、元号法制定運動に取り組んでいたが、事務局を取り仕切っていた村上正邦(後に「参院の法王」と呼ばれる存在となる)が、日本青年協議会の椛島有三に目をつけ、77年、同協議会が日本を守る会の事務局に入ると、椛島の戦略により、元号法制化のための「草の根運動」を展開し、各地の自治体で元号法制化決議を上げさせ、わずか2年間で元号法制化を実現した。

一方、日本会議のもうひとつの前身である「日本を守る国民会議」は、「元号法制化実現国民会議」を衣替えして1981年に誕生している(初代会長・石田和外・元最高裁長官)。

80年代に入り、谷口雅春・生長の家初代総裁が引退し、生長の家が政治活動から撤退すると、生長の家の元幹部の一人だった伊藤哲夫は84年、「日本政策研究センター」を立ち上げている。現在、安倍晋三の筆頭ブレーンとも、「安倍内閣の生みの親」とも言われる伊藤哲夫に安倍を引き合わせたのが衛藤晟一だと言われている。2004年8月15日、「チャンネル桜」の開局記念番組に当時自民党幹事長だった安倍晋三と伊藤哲夫が出演して対談しているが、そのタイトルは「改憲への精神が日本の活力源」というものだった。当時の安倍は、当選回数も少なく大臣経験もない「若造」議員にすぎなかったが、小選挙区制の下で公認権を独占していた小泉純一郎が「総幹分離」(総裁と幹事長を別派閥から選ぶこと)という自民党の長年の慣習を無視して幹事長に大抜擢したのであった。そのため、権力基盤も頭も脆弱な安倍は、「一群の人々」がその周囲に群がり、つけ込むのにうってつけだったのではないかと筆者は分析している。

伊藤率いる日本政策研究センターは昨年(2015年)8月2日、「第4回『明日への選択』首都圏セミナー」と題するセミナーを開催したが、その中で、「憲法改正のポイント」として、「1.緊急事態条項の追加」「2.家族保護条項の追加」「3.自衛隊の国軍化」の3点を挙げているが、これが現在の自民党の改憲戦略と軌を一にしている。なお、このセミナーで、質疑応答になった際、ある質問への回答で、日本政策研究センターは「もちろん、最終的な目標は明治憲法復元にある」と答えている。ここでも安倍政権の最終目標と一致しているように見える。

時間は前後するが、2001年には日本会議のフロント団体として「「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会」(通称・民間憲法臨調)が設立され、「憲法フォーラム」と題するパネルディスカッションを全国各地で展開しているが、現在、その副代表は、西修・駒沢大名誉教授、代表委員は長尾一紘・中大名誉教授、事務局長は百地章・日大教授である。この3人、昨年6月4日、衆院憲法審査会で3人の憲法学者が安保法制を「憲法違反」と明言し、安保法案「廃案」を求める憲法学者が200名を超えたという情勢を受けて、同月10日、衆院特別委員会で辻元清美議員から「合憲だという憲法学者の名前を挙げて下さい」と迫られた菅義偉官房長官が名前を挙げた3名の「学者」である。3名がそろいもそろって日本会議のフロント団体の役員という特殊な集団メンバーなのであるが、こういうところにしか人材供給源がない、というのが安倍政権の実態なのである。百地章にいたっては、1969年、全国学協のフロントサークル「全日本学生文化会議」結成大会実行委員長を務め、2002年には「生長の家原理主義」グループである「谷口雅春先生を学ぶ会」の機関紙「谷口雅春先生を学ぶ」の創刊号編集人を務めるなど、憲法学界では有名ではないが、その筋では“筋金入り”の人物なのであろう。

日本会議は2013年11月13日、全国代表者大会を開き、全国の地方議会で「憲法改正の早期実現を求める意見書」採択を促す運動方針を決定し、次々と成功させている。これはまさに、椛島有三率いる日本青年協議会が元号法制化運動で採用し、成功した方法である。さらに14年10月1日には、憲法改正のための別働団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の設立総会を開いているが、この事務局長も椛島有三である。つまり、椛島有三は日本協議会/日本青年協議会の会長であり、事務総長として日本会議を取り仕切り、事務局長として「美しい日本の憲法をつくる国民の会」も切り盛りしているのである。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は昨年11月、「今こそ憲法改正を!武道館一万人大会」を開催したが、その際、共同代表である櫻井よしこは改憲の具体的項目として「緊急事態条項」と「家族条項」の追加を挙げた。

「国民の会」が集めた改憲署名はすでに700万筆に達したとのことである。

生田暉雄『最高裁に「安保法」違憲判決を出させる方法』(三五館、2016年)

会員のKさんに頂いたので、一気読みしたが、大変面白かった。

本書は、日本の裁判所はなぜ、ほとんど違憲判決を出さないのか、特に行政訴訟や政府・行政が当事者となる訴訟においては、絶望的なまでに違憲判決が出づらく、仮に奇跡的に地裁で違憲判決が出たとしても、最高裁では100%棄却されるのはなぜなのか、その仕組みを、自らの体験に基づき、説得的に描き出している。

著者の生田氏は1970年から92年まで22年間裁判官を務めた後、弁護士に転身した人で、裁判官時代には、本書で痛烈に告発しているような、最高裁を頂点とする裁判所の根深い歪みには気づいておらず、弁護士になって、その歪みに気づいたという。

私はこれまで、渡辺洋三・江藤价泰・小田中聰樹『日本の裁判』(岩波書店)、井上薫『狂った裁判官』(幻冬舎新書)、新藤宗幸『司法官僚』(岩波書店)、秋山賢三『裁判官はなぜ誤るのか』(岩波新書)といった本を読んでいたので、最高裁事務総局による人事権を通じた裁判官統制の仕組み(その結果として生まれる、出世のために“上”=最高裁事務総局=の意向ばかり気にする「ヒラメ裁判官」の存在)や判検交流の問題点など、現在の日本の司法を取り巻く問題点については、大まかなことは知っていたつもりだが、合議制の裁判においては、生田氏のように、自分の出世のことなど気にしない例外的な裁判官でさえ、同僚(先輩あるいは後輩)の将来を閉ざしてしまうことを恐れる気持ちから、自分の良心に反する判決を出してしまうという人間臭い話を聞き、なるほどなぁと考えさせられてしまった。

また、著者が手掛けたエクソンモービルを相手取った訴訟では、勝訴を確信した審理の終盤、あと1回で結審というときに、突然裁判官全員を替えられて敗訴した、という話にも、「最高裁はそこまでやるのか」とうならされた。これは、日米関係に重大な影響をもたらすことを恐れた最高裁が、何としても原告を敗訴させなければならないと決心して仕組んだ人事である(と著者は推測するが、もちろんこの推測は正しいだろう)。交替した裁判官には、原告敗訴の判決を出せなどと最高裁事務総局が指示する必要はない。このような不自然な交替があれば、交替した裁判官は、それまでの裁判記録を読んだうえで、当然その背後にある最高裁事務総局の意図を忖度し、おのずと自らに与えられた使命を理解し、その通りの判決を出す、というわけである。

このように最高裁事務総局が裁判官に圧倒的な影響力を及ぼし得るのは、裁判官の報酬と人事について、フリーハンドの裁量権が認められているからなのだ。最高裁に対して従順で協力的な裁判官は順調に出世できるが、違憲判決を出したり、再審決定をしたり、最高裁判例と異なる判決を出すなど、最高裁に「盾突いた」と見なされた裁判官は、報酬ランクにおいて3号(場合によっては4号)以上には上がらず、地方の地裁・簡裁・家裁などを「ドサ回り」させられることになる。最近では、高浜原発3・4号機の再稼働差止判決を出した福井地裁の樋口英明裁判長は、「大方の予想通り」名古屋家裁に左遷された。砂川事件の一審判決で駐留米軍を違憲と断じた東京地裁の伊達秋雄裁判長が、辞表を用意して法廷に上がったのは有名な話だが、2008年、自衛隊のイラク派遣違憲訴訟で、(傍論ながら)違憲判決を出した名古屋高裁の青山邦夫裁判長は、判決公判の直前に依願退職している。さらに、住基ネット訴訟で、原告勝訴の違憲判決を書いた大阪高裁の竹中省吾裁判長は、なんと判決の3日後に自宅で首を吊った状態で発見されたという。遺書はなく、首を吊った状態も不自然だったが、警察は自殺と断定した。この国では裁判官が違憲判決を書くのは命がけなのである。

しかし、著者の生田氏が本書で最も訴えたいことは、このような絶望的な裁判所の実態を知ったうえでなお、主権者である市民が主権を行使する手段として、積極的に裁判を利用すべきだということである。それこそが憲法12条にいう「国民の不断の努力によって」人権を保持するための最も有効な手段であり、そのためには、「あきらめないこと」「真実を知る努力をすること」「行動を起こすこと」が最も重要である、と生田氏は言う。本書のタイトルは、安保法をひっくり返す裏ワザを伝授するといったことではなく(そのようなものがあるはずもない)、一人一人の市民が主権者意識を持ち、おかしいことにはおかしいと声を上げ、自らの権利を守るためには裁判に訴えることを辞さない――そうした意識を持ち続けることが、長い目で見た時、裁判所を真に「憲法と人権の砦」に変えるための近道なのである、と説いているのである。

私の1960年代 山本義隆

20151118book山本義隆さんの私の1960年代を読みました。
東大全共闘議長の山本義隆さんです。
非常にわかりやすく科学技術史について語ってます。
口語調なので講演を聴いているようです。
当時のことを初めて語ってます。

金曜日から出版
2100円プラス税です。