虚言と無責任を憂う 時事短歌3首

                            曲木 草文

捏造とかつての部下に投げつける 天に唾する早苗大臣

捏造ってそれを言っちゃあおしまいよ 寅さんならばきっとそう言う

頼るべき虎もいぬのに見えを切る 大臣・議員も辞めるとぞ

2023年3月19日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 曲木 草文

「制度のモデルチェンジ」なしに「ご利益」を得られるか?   ―――「昭和」からの脱却

(弁護士 後藤富士子)

1 結婚や離婚で「姓」が変わらない制度―「夫婦別姓」原則
 「選択的夫婦別姓」制度の導入が叫ばれて久しい。世論調査でも、「選択的夫婦別姓」制度の導入に賛成するのが多数派になっている。そして、この制度の導入が実現しないのは、自民党の保守派のせいだとされている。しかし、果たしてそうだろうか?
 まず、現行民法では、結婚については夫婦のどちらかの姓を称することとされている(第750条)。離婚の場合は、結婚により改姓した者は旧姓に復するとされていたが(第767条1項)、離婚の日から3か月以内に届け出れば「離婚時の姓」を称することが可能になった(同条2項)。すなわち、離婚の際には、姓を変更しなくてもよくなったのである。それは「姓の変更」が、個人に様々な不利益を及ぼす現実が直視されたからである。そうであれば、結婚で姓が変わる場合の個人が被る不利益も同じことである。
 私は、「選択的夫婦別姓」制度が実現しないのは、制度のモデルチェンジがされないからだと思う。「選択的夫婦別姓」論は、「夫婦同姓」を原則とする現行法を維持したうえで、個人の「ご利益」を求めるにすぎない。「夫婦同姓」制度のモデルチェンジがされないで、「夫婦別姓」を選択する個人の「ご利益」が得られるはずがないのではなかろうか?そして、「夫婦別姓」を原則とする制度改革についてこそ、保守派と闘うべきであろう。
 日本国憲法が制定されてから76年経過していることを考えれば、日本には「ロイヤー」がいないのではないかと疑われる。

2 「婚姻」の多様化―「事実婚」差別の解消 続きを読む

2023年3月15日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「家族法制の見直しに関する中間試案」について意見書 ―――〈父母の婚姻関係に左右されない親子法の確立〉

(弁護士 後藤 富士子)

まえがき―意見書の提出にあたって
 「家族法制の見直し」について、改正の柱として考えるべきことは、第一に、父母の婚姻関係に左右されない親子法の確立であり、第二に、「国親」思想(パターナリズム)を清算して個人をエンパワーする司法に改革することである。
 たとえば、民法766条について、「親権の効力としての面会交流」と「子の親に対する扶養請求権」に分割したうえ、いずれも親子法に規定するという風にならざるを得ないと思われる。また、民法768条財産分与に関しても、いわゆる清算的財産分与であるなら、子の経済的自立に必要な高等教育費用相当額ないし割合を、配偶者である権利者に分与しないで義務者である親に留保させることも必要である。さらに、婚姻費用や養育費について、二世帯になって相対的に貧困化することに照らし、経済的弱者の自立を視野にいれながら、児童手当などの公的給付や税控除などの経済的メリットを含めて父母間の負担の公平化を図るべきであろう。
 すなわち、夫婦間の問題についても、父母の子に対する養育責任の見地から見直し、子の福祉を最大化する法制度に改めるべきである。そうすると、現行法の編成自体を大きく改変することになるので、「家族法制の見直しに関する中間試案」について「どの項目に対する意見か」を特定することは困難である。そこで、まず本意見書の射程を絞り、第4(親以外の第三者による子の監護及び交流に関する規律の新設)、第6(養子制度に関する規律の見直し)および第8(その他所要の措置)は射程外とする。
 そのうえで、「中間試案」についての「対案型意見」ではなく、あるべき法改正についての「提言型意見」として述べるものとする。

第1 法改正の2つの柱
1 父母の婚姻関係に左右されない親子法の確立
2 「国親」思想(パターナリズム)を清算し、個人をエンパワーする司法

第2 具体的法改正案(骨子)
1 民法第818条3項の「父母が婚姻中は」を削除し、民法第819条を削除する。
2 民法第766条を削除する。
3 民法第820条の2として、監護ないし面会交流の規定を新設する。
  その際、親権喪失事由(第834条)や親権停止事由(第834条の2)との整合性が失われないようにする。
4 「養育費」は、民法第4編第7章の扶養に一本化する。
5 民法第768条3項の財産分与の額および方法について、子の経済的自立に必要な高等教育費用相当額ないし割合を、配偶者である権利者に分与しないで義務者である親に留保させることを考慮事項として明示する。
6 婚姻費用や養育費について、子の将来の人生を保障することを優先して、経済的弱者である妻ないし母の生活費として費消されないようにする。そのためには、司法において、私的扶養優先原則を改める必要がある。そして、公助を父母の養育責任の中に取り込んだうえで、負担の公平化を図る。

第3 提案理由 続きを読む

2023年2月17日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「十人十色」はアナーキー ―――「檻」の外にある自由

(弁護士 後藤富士子)

1 なぜ単色の「法律婚」を目指すのか?
 「選択的夫婦別姓」論と「結婚の自由をすべての人に」論に、私は強い違和感を覚える。
 「選択的夫婦別姓」論についていえば、婚姻により96%の女性が夫の姓を選択している現実が「女性差別」「女性にとって結婚の自由が保障されていない」という。だが、それで、なぜ婚姻によって姓を変更しないことが例外である「法律婚」を目指すのか?なぜ「選択的夫婦同姓」制度を標榜しないのか?「婚姻により姓を変更しない」という普遍的な制度を原則とし、「同姓」を希望する夫婦にはその選択を認める制度こそ、普遍的かつ個人の尊厳に基づく法律婚であろう。
 また、「結婚の自由をすべての人に」論は、「同性婚」という特別な制度を作るのではなく、異性間で認められている婚姻制度を同性間でも平等に利用できるようにとの趣旨であり、「婚姻平等」を問うているようである。でも、個人のセクシャリティは本来多様である。したがって、多数派と同じ婚姻制度を利用できなければ「差別」というわけではない。むしろ、「同性婚」の合法化の方が分かりやすいし、現実的であろう。
 結局、本来個人の多様性を基礎にした婚姻制度にしなければ解決できないのに、単色の「法律婚」を志向するところに根本的矛盾を内包しているように思われる。翻ってみれば、そもそも「法律婚」は国家が認定する婚姻制度なのだから、その枠組に参入することを忌避する個人がいても不思議はない。だから、優遇された「法律婚」を標榜する人は、私の目には「事実婚」差別主義者と映る。

2 外国の法制に学ぶ
 台湾でもかつては夫婦同姓制度であり、多くの女性が結婚により姓の変更を強いられていた。これが女性差別とされ、1998年、夫婦別姓を原則とする法改正がされている。
 本年6月に杉並区長になった岸本聡子さんは、日本でオランダ人パートナーとの間の長男を出産した。日本で婚姻していないのでパートナーと別姓であるが、仮に日本で法律婚をしたとしても、外国人のパートナーには戸籍がないから別姓になる。つまり、夫婦同姓制度の守備範囲は、夫婦のいずれもが日本国籍を有する場合に限定されている。その後、岸本さんはオランダへ渡り、パートナーシップ登録をした。長男が4歳になったときに結婚したが、夫婦別姓は当然で、自分の姓と夫の姓をふたつくっつけることもできるし、夫の姓に変える選択もある。日本では外国人が長期で住むには婚姻関係がなくてはならないために、日本に移住する場合に備えて結婚したのである。その後、一家はベルギーに移住するが、ここでもオランダと同様である。 続きを読む

2022年9月28日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「夫婦同姓」から「夫婦別姓」へ ――現行法制度の何が問題なのか?

(弁護士 後藤富士子)

1 「夫婦別姓」は「男女平等」とは別の原理
 中国や韓国は、戦前から「夫婦別姓」である。結婚によって同姓を選択できない。それは、家父長制(父系家族)と儒教思想が合体した産物であった。妻は実父の姓を名乗り、結婚しても、夫の父系家族の中に入れない。「婚姻家族」の一員とされないで、どこまでいっても「父の家系の娘」なのである。
 同じ文化圏にある日本で、なぜ「夫婦同姓」になったのか、不思議である。日本では、江戸時代まで苗字をもつ階級は一部に限られ、農民や商人など大部分の人は主に下の名前だけで通していた。明治になって戸籍制度と連動して苗字の公称が必要となり、「苗字+名前」という新しい呼び方が確立された。そして、夫婦の姓については、武士や公家の特権階級の慣行にならい、「妻は原則として所生の苗字を名乗る」とされ(1876年太政官指令)、夫婦別姓が採用された。しかし、2年後の民法草案で「妻は夫の姓を名乗る」とされ、1898年に明治民法が成立して「夫婦同姓」原則がつくられた。別姓から同姓へ転換した理由として、日本では血統よりも「夫婦一体の生活実態」が強く意識されたためと説明されている。
 ところで、西洋でも家父長制の時代はあったが、儒教ではなくカトリックの影響で、「夫婦同姓」になったのではないかと推測している。カトリックでは「離婚の自由」は認められず、「父の娘」という地位よりも、「夫の妻」という婚姻が優先的価値をもったからではないか。実際、法律上、妻は夫の所有物のように扱われている。そう考えると、明治民法の「夫婦同姓」は、まさに「文明開化」(脱亜入欧)の一端だったのではなかろうか。
 こうしてみると、「夫婦別姓」は「男女平等」と無関係であることが分かる。ちなみに、「夫婦別姓」が「男女平等」原則から作り直されたのは、中国の1950年婚姻法が最初である。

2 「選択的夫婦別姓」という設計
 現行の「夫婦同姓」強制制度について、「婚姻の自由を侵害する」とか、「別姓を選択できないことが問題だ」「別姓も選べる法制度を」という立法政策に基づき、「選択的夫婦別姓」制度が1996年に法制審議会で示されて4半世紀が経過している。それでも未だ法改正に至らないのは、なぜか?
 私は、現行の「夫婦同姓」強制制度の何が問題なのかについて、立案者に見当違いがあるのではないかと思っている。 続きを読む

2022年4月11日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「和解禁止法」と「法の支配」

弁護士 後藤富士子

1 職場の性暴力「和解」禁止法
 報道(赤旗2月17日)によれば、職場での性暴力やセクハラを労働者が訴えた際に、訴訟ではなく「和解」で解決することを企業に禁止する法案が米上下両院で可決され、バイデン大統領の署名で成立する。同じ内容の法案が17年と19年にも提出されたが、廃案になっていた。
 米国の標準的な雇用契約には、職場で性暴力やセクハラを受けた労働者に対し、雇用者である企業を裁判に訴えることを禁止し、「和解」で解決するとした条項が盛り込まれている。多くの場合、私的な「調停者」が密室で対応し、企業側に有利な「和解」で終わる。同条項は自らの被害について他の労働者と情報共有することも禁止している。これが、被害者を孤立させ、泣き寝入りさせる要因になってきた。
 今回の法律によって、「和解」条項は無効となり、被害者は裁判をたたかい、加害者の罪を明らかにし、責任を取らせることが可能になる。

2 「法の支配」― 理由に基づく統治
 松尾陽・名古屋大学教授の『今問う「法の支配」の理念』(1月13日朝日新聞「憲法季評」)を紹介したい。昨年9月末、刑事弁護人がパソコンを法廷内のコンセントにつないで使っていたところ、裁判長が「国の電気だから使用してはならない」と制止した事件を題材にしながら、民事裁判にも広げ、裁判外紛争処理過程における弁護士の役割の重要性について論じて示唆に富む。
 旧共産圏の権威主義体制と呼ばれる国々で、1990年代以降、経済発展を促進する法システムを欧米などから輸入し、部分的であれ、欧米流の裁判システムへと変容させてきた。しかし、これらの国の法システムの中心には刑法や行政法が位置し、法は為政者が発する命令であり、裁判もその命令を粛々と実現していく場として理解される傾向がある。このような体制においては、為政者の思惑によって法が解釈適用されがちであり、「法による支配」とも評される。これは、欧米流の法システム全体の理念とされる「法の支配」と対置される。 続きを読む

2022年2月21日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「同性婚」と「選択的夫婦同姓」 ――「法律婚」の多様化を考える

(弁護士 後藤富士子)

1 「同性婚」カップルの姓
 「同性婚」を合法化するということは、法律婚として認めることを意味する。
 しかるに、「同性婚」の場合に「夫婦」とは呼べないし、カップルが同姓になることもない。一般には「別姓」カップルと考えられている。
 しかしながら、同性婚カップルにおいて「同姓」を称したいと望むこともあり得るだろう。その場合に、「同姓」を称することを禁止する理由はないように思われる。異性婚と差別しないで扱うというなら、婚姻によって「同姓」を名乗りたいという気持ちは肯定されるはずである。
 すなわち、同性婚カップルの場合、原則は別姓であり、同姓を選択することも可能という制度設計になる。

2 「選択的夫婦別姓」は少数派になることを選択させるもの
 導入賛成派が多数になったといわれる「選択的夫婦別姓」であるが、自分が別姓を称するかというと、それはまた別問題である。現状は、96%の妻が旧姓を捨てて夫の姓を称する法律婚をしている。それで、「選択的夫婦別姓」制度が導入されたからといって、果たして別姓夫婦が過半数の多数派になるだろうか? すぐには無理でも、長年経てば多数派になるのだろうか?
 「選択的夫婦別姓」という制度は、「夫婦同姓」の原則を前提としている。つまり、夫婦別姓を選択するのは「例外」としての少数派であることを自認している。換言すると、法律婚の少数派になることを選択させるのである。これでは、いつまで経っても別姓夫婦が多数派になる道理はない。
 翻って、結婚前の旧姓を保護しようとする法益が「個人のアイデンティティ」というのであれば、夫婦別姓が原則になるべきであろう。そうすると、夫婦同姓が選択制になる。しかし、その場合に同姓夫婦が多数派になったとしても、別姓夫婦が「少数派を選択させられる」という理不尽とは無縁である。すなわち、「法律婚」に夫婦別姓を取り込むには、「選択的夫婦同姓」にすべきである。

3 「法律婚」の多様化
 現行法の「法律婚」は、がんじがらめの要件にしばられて、硬直した画一性が貫徹される。「夫婦別姓」が法律婚に取り込まれにくいのは、そのためである。
 一方、「選択的夫婦同姓」制度は、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という憲法24条の二大原則を充足する法律婚である。しかも、別姓夫婦も同姓夫婦も差別なく共存しているから、法律婚の多様性をもたらす。それは、同性婚を法律婚に取り込む道を準備するのではなかろうか。

(2022年2月3日)

2022年2月3日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「法律婚」神話と「戸籍」の物神化

(弁護士 後藤富士子)

1 「選択的夫婦別姓」や「同性婚」の主張は、「事実婚」の不利益を甘受したくないとして、あくまで「法律婚」の待遇を求めている。それは、自己のアイデンティティーを国家の保護の下に置こうとする一方、「事実婚」差別を置き去りにする。まるで「名誉白人」になろうとするように。
そこで、「法律婚」と「事実婚」に共通する「婚姻」とは何か?を検討してみよう。
民法第739条1項は「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。」とし、第2項は「前項の届出は、当事者双方及び成年の証人2人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。」と定め、第740条は「婚姻の届出は、第731条から第737条まで及び前条第2項の規定その他の法令の規定に違反しないことを認めた後でなければ、受理することができない。」としている。これが「法律婚」の成立に必要な要件である。但し、婚姻の「効力」として定められている「夫婦同姓の強制」(第750条)も「婚姻届出の受理」(その他の法令の規定に違反しないこと)というゲートの前に「要件」に転化する。考えてみれば、まことに奇怪な法律である。要件と効果がトートロジーで、まるで「山手線」ではないか。
一方、憲法第24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定めている。 続きを読む

「単独親権制」は、なぜ廃止されないのか?

(弁護士 後藤富士子)

1 民法の「親権」についての条文の冒頭に「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」と規定されている(第818条1項)。ところが、父母が未婚や離婚で「婚姻中」でない場合には「成年に達しない子は、父又は母の単独親権に服する。」と規定されている(第819条)。
 なぜ、父母が「婚姻中」でないと単独親権になるのか、合理的な理由が思い浮かばない。むしろ、憲法第14条が禁止する、「社会的身分」により「社会的関係」において差別するものではないか。また、憲法第24条2項に定められた、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した」法律という点でも、明らかに反している。

2 「親権」は、戦前の民法にも規定があった。戦前は家父長的「家」制度であり、「戸主」(「家に在る父」または「家に在る母」)の単独親権であった。
 ところが、「家」制度は日本国憲法第24条に抵触するので、廃止された。「親権」についていえば、婚姻中は「父母の共同親権」となり、未婚や離婚の場合の単独親権についても「父母のどちらか」という点で、性に中立となった。問題は、単独親権者を決める方法である。まず、父母の協議によるが、協議がまとまらなければ、家庭裁判所が決めることになった。 続きを読む

2021年5月13日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 後藤富士子