籠池氏が6月19日に、夜も9時から翌朝まで、家宅捜索を受けた。
この、夜中の訪問に戦慄をおぼえたのは私だけであろうか。
一晩を通して人の自由を拘束する権限を大阪地検特捜部は持っていたのか。なぜ、昼に行わなかったのか。
こうした捜索は常々、夜中に行われているのだろうか?
一日も終わり、疲れた体で夜を迎え、過ごす9時。
暗闇の中から家のベルがなり、玄関に捜索の面々が押し寄せる。
それから一晩中、家の中をすみずみまで探し回られる。
そんな恐怖を想像したら、その晩はよく眠れなかった。
ひとたび疑義をかけられたら最後、れっきとした犯罪者としての扱いが用意されているという事なのか?
その時にはすでに人権も考慮されなくなるのだろうか?
森友学園の問題について真相究明のために捜査が必要なのは当然の事だが、そのためならば、人権は無視できるのだろうか?
証人喚問まで受けた、逃げも隠れもしない人を夜中に?
共謀罪の奇策による可決も夜を徹した翌朝の出来事だった(6月15日)。
まことに不穏ではないか。
もとより、8億円の値引きにかかわる財務局側の資料は一切なしで、籠池氏側のみダンボール数箱の押収とは。
もちろんこのダンボールの中身に関する容疑は補助金数年分、数千万円の詐取によるもので、8億円値引きの経緯を取り調べるものではない模様だ。
つまり籠池氏は、後から見つかった、より小さな金額の件で捜査を受け、先にあった、より大きな額の疑惑での捜査はなされないというのが、今回の強制捜査らしい。
引き続き、より大きな額の問題について関係者も含めた取り調べを行わなければ、真相は何もわからないだろう。
また、ここへ至る方向性を決定づけた転機の最大の引き金は「総理への侮辱」(自民党 竹下国会対策委員長)であり、「総理への侮辱」によって籠池氏の証人喚問が行われ、このように強制捜査が行われる流れとなったのである。教育勅語を暗唱するなどの学園の教育方針については、首相などが当初評価していたにもかかわらず、流れががらりと変わったのだ。
この出来事は、私にとって、共謀罪が「平成の治安維持法」と言われる意味を想像するための一つの材料となった。
籠池氏の教育方針については全く共感できない自分ではあるが、今回の捜査のやり方については、もしかすると今後、誰しも他人事ではいられなくなる可能性が生じてくるのではないかと思うのだ。
けれども、こんなふうに早くも萎縮をはじめてしまった自分を反省する。萎縮は民主主義を後退させ、社会の発展を妨げるし、何より言葉による表現は人間を人間たらしめる宝ではないか。これからも、よく考えて、時々間違ったとしても、思ったことを発言できる社会を続けていくため頑張りたいと改めて思う。