国旗・国歌の強制は憲法19条違反、思想・良心の自由を守れ!

「生徒自ら曲を選び、練習してきた合唱は取りやめになった。どうせ歌うなら『君が代』ではなく、思い入れのあるそっちを歌わせたかった」

これは今年3月、卒業生を見送った都立高校教諭の正直な思いである。

2020年7月20日付東京新聞に、次のような記事が掲載された。

「都立学校の今年3月の卒業式について調査したところ、コロナ禍の影響で、感染防止を優先し、保護者・在校生の出席なし、式次第は卒業証書授与など必要最低限として時間短縮が図られた。ただし、東京都教育委員会(都教委)が2月28日に発した文書には、「国歌斉唱を行う方針に変更ありません」とあり、結果的に都立学校253校すべてが「君が代」を斉唱していた」

というのである。これを受けた、冒頭の高校教諭の嘆きであった。

2月27日に安倍首相が唐突に3月2日からの一斉休校を要請したことから、各学校は休校を余儀なくされ、卒業式も簡素化が図られたのであるが、最も感染者が多発していた東京都の教育委員会が、このような非常識な文書で「君が代」斉唱を強制していたとは。

都教委は、児童生徒の命や健康よりも、国家主義的思想を優先し、それを受けた学校現場の教師たちは、飛沫感染を心配して戸惑うのだが、懲戒処分を恐れて、いわば思考停止状況に追い込まれ、都教委の命令に従ってしまったのだ。

国旗掲揚、国歌斉唱の学校現場への強制は、1999年8月に「国旗及び国歌に関する法律」(以下「国旗・国歌法」)が成立・施行された以降、より強化されてきた。

「国旗・国歌法」成立前後の学校現場への強制の主な経緯は、次の通りである。

1985年~ :文部省が「徹底通知」(1985年)や「学習指導要領」改訂(1989年)

により、公立学校における国旗掲揚・国歌斉唱の強制化が始まる。

1999年2月:広島県立世羅高校長が、卒業式での国旗・国歌の取扱い問題を苦に自殺。

「国旗・国歌法」成立のきっかけとなる。(法的基盤があれば、校長は悩む

ことはなかったという、自民党などの積極派の意向が強まる)

1999年4月:東京都日野市の小学校入学式で、音楽教師が国歌のピアノ伴奏の職務命令を

拒否、教育委員会が教師を戒告処分、教師は処分を憲法違反として公訴。

1999年8月:「国旗・国歌法」成立・施行。日の丸・君が代が初めて法的根拠を有する

但し、小渕首相は「学校現場で強制するものではない」と発言していた。

2003年10月:都教委が「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことを命じる通達。

従わない教職員を懲戒処分することを明確化。

2006年12月:教育基本法改正、道徳教育と愛国心を教育の目標として定める

2011年6月:大阪府「国旗国歌条例」成立、2016年施行。懲戒処分の明確化

2020年2月:コロナ禍の中で、都教委が都立学校に国旗・国歌強制指示

「国旗・国歌法」施行を挟んだ30数年間で、国旗・国歌の学校現場への強制が進み、1999年の日野市事案のほか、東京、大阪を中心に懲戒処分を受ける教職員が多数出て、彼らは憲法19条違反を根拠に処分取消しを求めて公訴してきた。

憲法第19条は次の通り定めている。

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(内心の自由も含むと解される)

 

公訴を受けて、裁判所はどう判断してきたのか。

都立学校の教職員が、卒業式等において「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務」がないことの確認などを求めた訴訟の、第一審東京地裁判決が2006年9月に出た。

「国旗・国歌の強制は憲法19条の思想・良心の自由を侵害するもの」

画期的な判決であったが、控訴審で完全否定される。「日野市『君が代』伴奏拒否訴訟」で最高裁が2007年に「校長の職務命令は憲法19条に違反しない」との判断を示した以降は、すべての訴訟で憲法19条違反に当たらないという判決が続いた。

「国旗・国歌法」施行後、特に強制化が強まり、全国の教職員の懲戒処分者数は、2012年度には265人に達したが、最高裁判決の影響もあり、2013年度以降は減少している。反対勢力は力を失い、学校現場での「思想及び良心の自由」は失われつつある。

さて、国旗・国歌の学校現場への強制問題の本質はどこにあるのか。

「日の丸・君が代」は、かつての軍国主義日本のシンボルであり、侵略の旗印としての役割を果たしてきた。特に「君が代」の歌詞は、「君=天皇」と解され、国民主権となった新憲法下ではふさわしくない、というのが一般的によく言われる問題である。

それでは「日の丸・君が代」に代わる新たな国旗・国歌であれば強制してよいのかというと、やはりこれも否である。

国旗・国歌の強制とは、国家権力がそれを利用して国民の国家への帰属意識を高め、その結果権力への求心力が高まり、国家の権力体制への批判や反対を少なくする効果がある。これの行き着く先は、「全体主義国家」に他ならない。戦前の軍国主義日本は、まさに国旗・国歌や教育勅語を大いに利用して、天皇を神とまで崇める「全体主義国家」を創り上げた。

この過去の教訓を、新憲法下の民主主義日本は、決して忘れてはならない。

新憲法下では、憲法19条の「思想・良心の自由」とともに、憲法13条で保障された「個人として尊重」されると定めている。

国家への帰属意識に関して、これを国家が国旗・国歌を利用して高めることがあってはならず、すべて個人の自由意思に基づくべきものである。

2020.08.05 柳澤

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2020年8月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa