(弁護士 後藤富士子)
朝日新聞5月9日の「多事奏論」によれば、ジョンソン英首相は、コロナに感染して自己隔離中の3月末、ビデオメッセージで「今回のコロナ危機で、すでに証明されたことがあると思う。社会というものは、本当に存在するのだ」と締めくくった。医療崩壊を避けるために退職した医師や薬剤師らに復職を呼びかけたところ、2万人が応じ、さらに75万人もの市民がボランティアに名乗りを上げてくれたことに感謝して。
「社会は存在する」というのは、サッチャー元首相の「社会など存在しない。あるのは個人とその家族だけだ」という発言のアンチテーゼ。米CNNテレビは、専門家の警告を軽視し対策が遅れた「科学否定主義者の男たち」としてトランプ米大統領やジョンソン英首相を挙げ、それと対比して、「不釣り合いなほど素早く断固として行動した指導者の多くが女性だった」と指摘した(5月11日赤旗)。だが、もしサッチャーが現職だったらどうだっただろうか? 英米で死者が多いのも目に付く。
西谷修東京外語大名誉教授は、新自由主義は経済思想というよりも国家統治の思想だという。サッチャー元首相が「社会などというものはない。あるのは家族と国家だけだ」と言ったのが典型的で、人々が結びつき連帯を伴う社会というものが、福祉に対する「依存」を生み出し経済成長を停滞させているという認識で、富む者の自由と貧者の自己責任を説く。そして、社会を個人に分断し、連携意識とか共同性に支えられている関係をすべて解体して、社会を市場に溶解させたのだ(5月8日赤旗)。
今回のコロナ禍は、グローバル資本主義の帰結とも指摘されている。また、ワクチンの開発にも時間がかかるし、短期間で終息を望めない。こうして、感染症による危機から人々の命と暮らしを守るのは、国家ではなく社会にほかならないことを教えられる。
〔2020・5・14〕