旧優生保護法で不妊手術強制 初めて国に賠償命じる大阪高裁判決

緊急警告055号「旧優生保護法による人権侵害被害者への国家賠償を実施せよ」で、当会は「除斥期間」という国家賠償請求訴訟の高い壁を、当該悪法の被害者に適用すべきではないと訴えたが、2022年2月22日、大阪高裁が除斥期間を適用すべきではないという初めての判断を示し、国に対して2,750万円の賠償を命じる判決を下した。

訴えていたのは、近畿地方に住む男女3人で、一審の大阪地裁は除斥期間を理由に国賠を却下されていたが、大阪高裁の太田晃詳裁判長は、「除斥期間の適用をそのまま認めることは著しく正義・公平の理念に反する。適用の制限が相当」などと指摘し、除斥期間が過ぎていることを理由に請求を退けた一審判決とは、異なる結論となった。

これまで6件の一審判決は、いずれも除斥期間を理由に原告敗訴となっていたが、今回の大阪高裁の判断こそが「正義・公平」であり、国は上告を断念し、広く被害者への手厚い補償を行うべきである。

2022年2月23日 | カテゴリー : ⑧司法 | 投稿者 : o-yanagisawa

時事短歌4首 小久保和孝(札幌市)

武漢(ウーハン)でコロナ出たとき我が国で何是ワクチンの開発せぬか

コロナ禍でカタカナ言葉溢れ出すコロナ患者も溢れ出す

オリ・パラピック赤字の山を築き終えコロナ終わらず景気遠のく

言論の自由があればもしかして武漢(ウーハン)でコロナ止め得たか

アイヌ民族の人々と、我々「和人」との相互理解のために、 「北海道(アイヌモシリ)」アイヌ民族通史(小史)の“時代区分”について

北海道(アイヌモシリ)の“アイヌ文化”そして“アイヌ民族”を考えるとき、現在一般的には考古学的知見に基づき、(一)続縄文文化時代、次に(二)擦(さつ)擦(さつ)文(もん)文(もん)文化時代、そして(三)アイヌ文化時代が始まると理解されている。

最初の「続縄文文化時代」は、北海道における本州の弥生、古墳文化時代に並行する時代で、本州を北上した“土師器(はじき)土師器(はじき)土器”を伴う文化と接触したと推定される石器・骨格器が基本の狩猟・漁猟の鉄器時代である。

続く「擦文文化時代」は、奈良・平安時代頃より始まる網走地方の海岸に発達した“オホーツク文化”を吸収していったともされる本州東北地方北部にも及んだ文化で、鎌倉・室町時代に相当する時期である。

そして現在までの考古学上の知見では、この「擦文文化」から十三世紀以降に「アイヌ文化」が始まったと考えられるとしている。

しかし、それ以降の「アイヌ文化、アイヌ歴史」について、その時代別の特色や変遷等を概観したり、把握するための“時代区分”はない。

そこで「アイヌ文化」成立以降の「アイヌ歴史」を、次の様に三つの大区分で把握出来るのではないかとの仮説を提起したい。(これ等三つの大区分は、実証主義に基づく研究に裏付けされたものではなく、むしろ実証のための視点提起でもある。また、私はアイヌ歴史を専攻している学者でもない、あくまでも素人としての、否、素人だからこそ提起出来る“試見”である。)

この三段階の大区分とは「アイヌ問題」の“現代的課題“に答えてゆくためのアイヌ民族と、いわゆる「シャモ」との共通理解を進めてゆくための“アイヌ歴史”把握の一つの方途ではなかろうかと。そして、この仮説的三つの大区分の始めの第一段階(一)は“華(か)華(か)夷(い)夷(い)思想(しそう)思想(しそう)”に 基づく「アイヌ」「和人」概念の成立時代。第二段階(二)“人種論”及び「アイヌ同化政策」アイヌ周辺化の時代。そして第三段階(三)“消えゆくアイヌ”から「アイヌ民族の世紀」の時代である。

そして第一の区分“華(か)華(か)夷(い)夷(い)思想”に基づく「アイヌ」「和人」概念の始まりは、陸奥(むつの)陸奥(むつの)国(くに)国(くに)俘囚(ふしゅう)俘囚(ふしゅう)長安部貞任の子孫と伝えられる中世の北奥羽豪族安東氏が北条氏の被官となり、陸奥国代官を務めるとともに「蝦夷管領」の代官として蝦夷を支配した鎌倉後期からの時代である。より厳密には1432年、南部氏に追われた安東氏が最初に蝦夷地に逃れた以降であり、「コシャマイン」、「シャクシャイン」、「国後・目梨(東の端)の戦」の1789年頃を頂点とする時代である。

そしてこの第一の段階の大区分(一)の時代を、更にアイヌモシリにシャモの進出に従って道南から道西・道柬、そして道北にと時系列的には傾斜を持ちつつ進む、次の三つの小区分とし、その(1)は収奪交易(不当価値交換)の時代から、(2)資源収奪(直接漁猟)、武装抵抗の時代、そして(3)労働力収奪(場所請負制度)なかば半奴隸化の時代と、以上の三区分である。

そして次の第二段階(二)は“人種論”及び「アイヌ同化政策」アイヌ周辺化であり、小区分として(1)前期 江戸幕府下における「風俗和人化強行期」と(2)後期 明治政府による「皇民化推進」の二区分である。この時代はロシア帝国の極東進出に危機を感じた幕府が、松前藩領を直轄地として維新に続く 「アイヌ同化政策」とされるものを打ち出さざるを得なかった1807年より以降であり、“ダービニズム”が拡がった時期と重なり、大日本帝国敗戦の1945年までを区切りとする時代である。ここで特記すべきは、サガレン(樺太)・千島の帰属を巡る国境確定の議論において、ロマノフ王朝ロシア帝国との交渉の中で、双方ともに先住民族アイヌについて何ら言及が全くなかった。

そして第三段階大区分(三)は、“滅びゆくアイヌ”から「アイヌ民族」の世紀として戦後から現代に続く時代である。
以上の様に「アイヌの歴史」を把握してゆくのが、「和人」(シサム•シャモ)と「アイヌ民族」の歴史的事実の共有とその共通の認識により、更に相互の共通理解に達する一つの方途であると確信し、ここにこの“試案”を一つの仮説として提案した。

解題-アイヌ問題の現代的課題
「アイヌ問題」の「現代的課題」とは如何なるものであろうか? 一つの考察を示せば“アイヌ民族復興”の阻害要因の排除であろうか?その具体的第一の事項とは、日本社会の“アイヌ差別の解消”である。そしてこの根底にある“アイヌ差別観”の克服である。これは目視出来ないし意識化すら出来ない個人も多い。具体的対策としては、アイヌ民族のおかれている社会的格差の解消である。より着目すべき具体例を示せば「平均寿命・幼児死亡率・平均所得・住宅状況・生活保護世帯比・大学等の進学比率」などであろう。しかしこれらは一般国民にも云えることであるが、“歴史的経過”からよりよい手厚い対策が必要である。以上はアイヌ民族の人々の人間として生きるための最低必要条件である。そして、今アイヌ民族復興のため如何なる“新立法”が必要なのかが問われている。

“旧土人保護法”に代わる“アイヌ文化振興法”が1997年発効した。それには『アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及、及び啓発に関するアイヌの民族としての誇りを尊重し、アイヌ語、その音楽・舞踊・文学・工芸などの振興を図り、かつそれらについての調査研究、知識の普及を目的とする法律』であるとされている。しかし、これではアイヌ民族の人類社会の多様性への貢献を増進するほんの一側面の対策を示しているに過ぎない。(そればかりか、1993年、国連総会により「世界先住民の国際年」決議以降の世界先住民運動の一環を担う「アイヌ民族独自の活動」を政府権力下におこうとすることを秘めているのが”“みえみえ”と語る人もいる。)
今課題とすべきは、アイヌ民族のためのめざすべき“新しい立法”であり、それは昭和59年 5月27日(1984年)、北海道ウタリ協会総会において可決した「アイヌ民族に関する法律(案)」を基礎とすべきである。
小久保和孝(札幌市)(2021年 5月記)

「和解禁止法」と「法の支配」

弁護士 後藤富士子

1 職場の性暴力「和解」禁止法
 報道(赤旗2月17日)によれば、職場での性暴力やセクハラを労働者が訴えた際に、訴訟ではなく「和解」で解決することを企業に禁止する法案が米上下両院で可決され、バイデン大統領の署名で成立する。同じ内容の法案が17年と19年にも提出されたが、廃案になっていた。
 米国の標準的な雇用契約には、職場で性暴力やセクハラを受けた労働者に対し、雇用者である企業を裁判に訴えることを禁止し、「和解」で解決するとした条項が盛り込まれている。多くの場合、私的な「調停者」が密室で対応し、企業側に有利な「和解」で終わる。同条項は自らの被害について他の労働者と情報共有することも禁止している。これが、被害者を孤立させ、泣き寝入りさせる要因になってきた。
 今回の法律によって、「和解」条項は無効となり、被害者は裁判をたたかい、加害者の罪を明らかにし、責任を取らせることが可能になる。

2 「法の支配」― 理由に基づく統治
 松尾陽・名古屋大学教授の『今問う「法の支配」の理念』(1月13日朝日新聞「憲法季評」)を紹介したい。昨年9月末、刑事弁護人がパソコンを法廷内のコンセントにつないで使っていたところ、裁判長が「国の電気だから使用してはならない」と制止した事件を題材にしながら、民事裁判にも広げ、裁判外紛争処理過程における弁護士の役割の重要性について論じて示唆に富む。
 旧共産圏の権威主義体制と呼ばれる国々で、1990年代以降、経済発展を促進する法システムを欧米などから輸入し、部分的であれ、欧米流の裁判システムへと変容させてきた。しかし、これらの国の法システムの中心には刑法や行政法が位置し、法は為政者が発する命令であり、裁判もその命令を粛々と実現していく場として理解される傾向がある。このような体制においては、為政者の思惑によって法が解釈適用されがちであり、「法による支配」とも評される。これは、欧米流の法システム全体の理念とされる「法の支配」と対置される。 続きを読む

2022年2月21日 | カテゴリー : その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「同性婚」と「選択的夫婦同姓」 ――「法律婚」の多様化を考える

(弁護士 後藤富士子)

1 「同性婚」カップルの姓
 「同性婚」を合法化するということは、法律婚として認めることを意味する。
 しかるに、「同性婚」の場合に「夫婦」とは呼べないし、カップルが同姓になることもない。一般には「別姓」カップルと考えられている。
 しかしながら、同性婚カップルにおいて「同姓」を称したいと望むこともあり得るだろう。その場合に、「同姓」を称することを禁止する理由はないように思われる。異性婚と差別しないで扱うというなら、婚姻によって「同姓」を名乗りたいという気持ちは肯定されるはずである。
 すなわち、同性婚カップルの場合、原則は別姓であり、同姓を選択することも可能という制度設計になる。

2 「選択的夫婦別姓」は少数派になることを選択させるもの
 導入賛成派が多数になったといわれる「選択的夫婦別姓」であるが、自分が別姓を称するかというと、それはまた別問題である。現状は、96%の妻が旧姓を捨てて夫の姓を称する法律婚をしている。それで、「選択的夫婦別姓」制度が導入されたからといって、果たして別姓夫婦が過半数の多数派になるだろうか? すぐには無理でも、長年経てば多数派になるのだろうか?
 「選択的夫婦別姓」という制度は、「夫婦同姓」の原則を前提としている。つまり、夫婦別姓を選択するのは「例外」としての少数派であることを自認している。換言すると、法律婚の少数派になることを選択させるのである。これでは、いつまで経っても別姓夫婦が多数派になる道理はない。
 翻って、結婚前の旧姓を保護しようとする法益が「個人のアイデンティティ」というのであれば、夫婦別姓が原則になるべきであろう。そうすると、夫婦同姓が選択制になる。しかし、その場合に同姓夫婦が多数派になったとしても、別姓夫婦が「少数派を選択させられる」という理不尽とは無縁である。すなわち、「法律婚」に夫婦別姓を取り込むには、「選択的夫婦同姓」にすべきである。

3 「法律婚」の多様化
 現行法の「法律婚」は、がんじがらめの要件にしばられて、硬直した画一性が貫徹される。「夫婦別姓」が法律婚に取り込まれにくいのは、そのためである。
 一方、「選択的夫婦同姓」制度は、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という憲法24条の二大原則を充足する法律婚である。しかも、別姓夫婦も同姓夫婦も差別なく共存しているから、法律婚の多様性をもたらす。それは、同性婚を法律婚に取り込む道を準備するのではなかろうか。

(2022年2月3日)

2022年2月3日 | カテゴリー : その他 | 投稿者 : 後藤富士子

時事短歌5首 アベノマスク&敵基地攻撃論を憂う 

アベマスク誰が悪いと言うなかれ 捨ててしまえばみんな忘れる

変だよね専守防衛言いながら 敵基地たたく先制攻撃

勇ましく敵基地攻撃言うけれど 核の反撃どうするんかい

原発を抱えて核ミサイルの 反撃なしと敵基地攻撃

アメリカは核の反撃怖くない 沈んでいくのは日本列島

「狂歌」あらため、「時事短歌」投稿について

曲木草文
最近作を1首
道楽にしては凄いな宇宙旅 地球の飢餓は見えたでしょうか

完全護憲の会のホームページに「川柳」の投稿欄が設けられたのを機に、「呼び水」のつもりで時々拙作を投稿させていただいて来たのですが、なかなか後続の投稿者が増えないのが残念です。

過去作品一覧を見てもらえばわかるのですが、私の場合、ホームページ管理者の好意に甘えて、川柳投稿欄に「狂歌」をも掲載してもらってきたのでした。ところがこの川柳投稿欄を見てくださった数少ない訪問者から、川柳の5・7・5の枠をあまりにもはみ出した作品が掲載されている、との意見が寄せられたこともあって、改めて川柳投稿欄は川柳のみとすることになったのでした。

そんなわけで、私の「狂歌」作品は、だれでも自由に投稿できるという当会ホームページのブログ欄への投稿と相成った次第。時々投稿させていただきますので、以後よろしくお願い申し上げます。

さて、なにげなく「狂歌」と申し上げて来たのですが、「狂歌」と言われてその意味が分かる人はそう多くはないと思います。かく言う私もその一人で、本当は本来の狂歌について何一つわかってはいないのです。それ故、自分の作品を「狂歌」と呼ぶことにはためらいがあるのです。

たまたま、友人の一人に長年狂歌創作に携わってこられた方がいまして、その人の作品を見せてもらったり、断片的な解説を聞く中で、これは現在の政治や社会の問題点を批判したり告発したりする表現形式として極めて有効な文芸ではないかと思い、手習いを始めたのがきっかけでした。

狂歌のもともとは、万葉集などの良く知られた名歌をもじったり茶化したりして面白おかしく表現したのが始まりのようで、元歌をベースにして発展して来たとのこと。ところが、「狂歌」について何一つわかってはいない、と申し上げた通り、私は古典としての和歌を読んで理解する素養もないのです。

となると、私は自分の作品を「狂歌」とするのは、とんでもないことで、おそらく今はあまりメジャーな文芸ではないにしても、真剣に狂歌創作に取り組んでいる人たちがいるであろうことを考えると、申し訳なく、このまま「狂歌」を名乗り続けるわけにはいかないという結論に至った次第です。
そんなわけで、今後私の投稿作品は「時事短歌」とさせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

以上が「狂歌」を「時事短歌」とすることにしました一番の理由なのですが、もう一つ、「狂歌」という呼称が一般になじみがない上に、こんにちの社会が「狂」という文字や「狂人」「狂暴」などの用語を使わないようにしていることを考慮した結果でもあるのです。
このように言ったからと言って、本来の「狂歌」の「狂」には、後に社会一般で歴史的に含意されていく差別的な意味が込められているということではなく、単に正調の和歌に変形を加えた和歌と言う意味で用いられたということのようですので、申し添えておきたいと思います。

なお、狂歌に関しては、未熟な私が生半可に解説するよりは、インターネットで「狂歌」と入力し検索して見てください。たくさんの解説を見ることができます。

公文書改竄の国家賠償請求訴訟 国が全額支払いで真相解明から逃げる

森友事件での公文書改竄で自死した赤木俊夫さんの妻雅子さんが、事件の真相を知るために国と当時の理財局長を相手どり損害賠償を求めている裁判で、12月15日に国は突如、賠償金を全額支払うことを明らかにし、裁判が終わることになった。賠償請求金額は1億700万円。

国賠訴訟は、その90%が原告敗訴となるのが通例で、死刑冤罪事件でも裁判で認められないケースがほとんど。森友事件でも、財務省の公文書改竄に対して検察は不起訴としており、改竄に犯罪性を認めてはいないし、財務省も身内調査で解決済みとしているだけで、再調査には応じていない。1億700万円の原資は税金であり、国はそう簡単に全額認諾などという解決方法は出来ないはずであり、原告もお金を欲しているわけではない。にもかかわらず、全額支払いを認めて早く裁判を終結したいのは、真相を闇に葬りたいという政府の下心の表れであり、何とも納得しがたい態度である。

雅子さんは、こういった国の態度に「ふざけんなと思う」「夫がなぜ死んだのかを知りたい」「また国に殺された」と憤りをあらわにした。

かつて郵便不正事件で冤罪被害者の村木厚子氏が、同じく事件の真相を知るために国賠訴訟を提起したものの、議論を嫌った国が簡単に全額、3,770万円の支払いを認諾し、決着したこともあった。当時村木氏は、「簡単に認諾されないように、もっと請求金額を大きくして、真相を明らかにしたかった」と語っていた。

この例があったことから、雅子さんは1億円以上の請求をしたにもかかわらず、国の態度は村木氏の時と同じである。自分たちに都合の悪い国賠訴訟は簡単に認諾し、そうでないものはとことん裁判で争い、判例に沿って裁判所は原告敗訴の判決を下すというパターンがいかに多いことか。

雅子さんは、元理財局長の佐川宣寿氏にも550万円の損害賠償を求めており、こちらはまだ続くことになるが、少しでも真相が明らかになることを願いたい。

2021年12月15日 柳澤 修