「和解禁止法」と「法の支配」

弁護士 後藤富士子

1 職場の性暴力「和解」禁止法
 報道(赤旗2月17日)によれば、職場での性暴力やセクハラを労働者が訴えた際に、訴訟ではなく「和解」で解決することを企業に禁止する法案が米上下両院で可決され、バイデン大統領の署名で成立する。同じ内容の法案が17年と19年にも提出されたが、廃案になっていた。
 米国の標準的な雇用契約には、職場で性暴力やセクハラを受けた労働者に対し、雇用者である企業を裁判に訴えることを禁止し、「和解」で解決するとした条項が盛り込まれている。多くの場合、私的な「調停者」が密室で対応し、企業側に有利な「和解」で終わる。同条項は自らの被害について他の労働者と情報共有することも禁止している。これが、被害者を孤立させ、泣き寝入りさせる要因になってきた。
 今回の法律によって、「和解」条項は無効となり、被害者は裁判をたたかい、加害者の罪を明らかにし、責任を取らせることが可能になる。

2 「法の支配」― 理由に基づく統治
 松尾陽・名古屋大学教授の『今問う「法の支配」の理念』(1月13日朝日新聞「憲法季評」)を紹介したい。昨年9月末、刑事弁護人がパソコンを法廷内のコンセントにつないで使っていたところ、裁判長が「国の電気だから使用してはならない」と制止した事件を題材にしながら、民事裁判にも広げ、裁判外紛争処理過程における弁護士の役割の重要性について論じて示唆に富む。
 旧共産圏の権威主義体制と呼ばれる国々で、1990年代以降、経済発展を促進する法システムを欧米などから輸入し、部分的であれ、欧米流の裁判システムへと変容させてきた。しかし、これらの国の法システムの中心には刑法や行政法が位置し、法は為政者が発する命令であり、裁判もその命令を粛々と実現していく場として理解される傾向がある。このような体制においては、為政者の思惑によって法が解釈適用されがちであり、「法による支配」とも評される。これは、欧米流の法システム全体の理念とされる「法の支配」と対置される。

 一方、「法の支配」の要諦は、どんな為政者も法に拘束されるということであり、そこに「法による支配」との違いがある。そして、法の解釈適用は、為政者から独立した裁判所に委ねられる。しかし、裁判所も自由に法を解釈適用すればよいわけではなく、理由に基づいて解釈適用しなければならない。ちなみに、ベルギー憲法149条では、裁判所の判断は「理由によって支えられる」と規定されている。結局、「法の支配」とは、理由に基づいて統治するということであり、一種の理性支配である。
 仮に真実が自明であり、絶対的な権威が存在する社会においては「法による支配」の裁判でよいのかもしれない。しかし、真実の見え方が人びとによって異なり、また、絶対的な権威が原理的に否定されている民主的な社会では、真理や正義は当事者たちの議論の中で形成されていく。このことは、「法の支配」の裁判においても同じである。

3 日本の司法は何なの?
 裁判所が和解を強要したり、当事者の主張・立証を制限し、「不告不理」原則を逸脱して勝手な「争点」に基づく判決をしたり・・・という日本の司法は何なのだろうか?日本国憲法の司法からすれば、裁判によって「法の支配」が貫徹されるはずなのに。

(2022年2月21日)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2022年2月21日 | カテゴリー : ⑩ その他 | 投稿者 : 後藤富士子