「狂歌」あらため、「時事短歌」投稿について

曲木草文
最近作を1首
道楽にしては凄いな宇宙旅 地球の飢餓は見えたでしょうか

完全護憲の会のホームページに「川柳」の投稿欄が設けられたのを機に、「呼び水」のつもりで時々拙作を投稿させていただいて来たのですが、なかなか後続の投稿者が増えないのが残念です。

過去作品一覧を見てもらえばわかるのですが、私の場合、ホームページ管理者の好意に甘えて、川柳投稿欄に「狂歌」をも掲載してもらってきたのでした。ところがこの川柳投稿欄を見てくださった数少ない訪問者から、川柳の5・7・5の枠をあまりにもはみ出した作品が掲載されている、との意見が寄せられたこともあって、改めて川柳投稿欄は川柳のみとすることになったのでした。

そんなわけで、私の「狂歌」作品は、だれでも自由に投稿できるという当会ホームページのブログ欄への投稿と相成った次第。時々投稿させていただきますので、以後よろしくお願い申し上げます。

さて、なにげなく「狂歌」と申し上げて来たのですが、「狂歌」と言われてその意味が分かる人はそう多くはないと思います。かく言う私もその一人で、本当は本来の狂歌について何一つわかってはいないのです。それ故、自分の作品を「狂歌」と呼ぶことにはためらいがあるのです。

たまたま、友人の一人に長年狂歌創作に携わってこられた方がいまして、その人の作品を見せてもらったり、断片的な解説を聞く中で、これは現在の政治や社会の問題点を批判したり告発したりする表現形式として極めて有効な文芸ではないかと思い、手習いを始めたのがきっかけでした。

狂歌のもともとは、万葉集などの良く知られた名歌をもじったり茶化したりして面白おかしく表現したのが始まりのようで、元歌をベースにして発展して来たとのこと。ところが、「狂歌」について何一つわかってはいない、と申し上げた通り、私は古典としての和歌を読んで理解する素養もないのです。

となると、私は自分の作品を「狂歌」とするのは、とんでもないことで、おそらく今はあまりメジャーな文芸ではないにしても、真剣に狂歌創作に取り組んでいる人たちがいるであろうことを考えると、申し訳なく、このまま「狂歌」を名乗り続けるわけにはいかないという結論に至った次第です。
そんなわけで、今後私の投稿作品は「時事短歌」とさせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

以上が「狂歌」を「時事短歌」とすることにしました一番の理由なのですが、もう一つ、「狂歌」という呼称が一般になじみがない上に、こんにちの社会が「狂」という文字や「狂人」「狂暴」などの用語を使わないようにしていることを考慮した結果でもあるのです。
このように言ったからと言って、本来の「狂歌」の「狂」には、後に社会一般で歴史的に含意されていく差別的な意味が込められているということではなく、単に正調の和歌に変形を加えた和歌と言う意味で用いられたということのようですので、申し添えておきたいと思います。

なお、狂歌に関しては、未熟な私が生半可に解説するよりは、インターネットで「狂歌」と入力し検索して見てください。たくさんの解説を見ることができます。

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2021年12月18日 | カテゴリー : ⑨ 時事短歌 | 投稿者 : 曲木 草文