「共同親権」は日本国憲法とともに

                        (弁護士 後藤富士子)

1 「共同親権」は、日本国憲法とともにやって来た
 憲法24条の家族観は、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」を基本理念としている。そのため、昭和22年の民法改正で家族法が抜本的に見直されている(「第4編親族」全部改正)。「共同親権」制もその一つである。戦前は「単独親権」制であり、第一次的に「家ニ在ル父」、第二次的に「家ニ在ル母」が親権者とされていた。つまり「家父長」制である。
 しかし、戦後の民法改正では、「男女平等」という点で「家父長」制が否定されたにしても、「個人の尊厳」という点で「家」制度の廃止は不徹底であった。というより、「個人の尊厳」という理念は顧みられなかったのかもしれない。「夫婦同姓の強制」や未婚・離婚の「単独親権」強制は、その典型と思われる。その根底にあるのは「法律婚の優遇」であり、それによって「家」制度が温存されたように見える。

2 「婚姻関係」と「親子関係」の峻別
 現行民法で、「共同親権」は「父母の婚姻中」に限定されている。離婚後は、父母どちらかの「単独親権」とされている。憲法で父母は夫婦として「同等の権利を有する」とされているのに、離婚後は「単独親権」になるのは何故なのか?「夫婦」でなくなるからなのか?父母が合意できるならいいけれど、「親権者でなくなる」「親権を喪失する」ことをどちらも受容できない場合、「単独親権」を強制する法律は、憲法の平等原則にすら反するのではないか?
 考えてみると、同じ人物が「夫婦」か「父母」かで異なる扱いを受けるなんて、まるでトリックである。これは、「婚姻関係」と「親子関係」が法律上峻別されているせいであろう。
 ちなみに、民法では、婚姻法(第4編第2章)の中に親子関係を直接律する規定はなく、「離婚後の子の監護に関する事項の定め等」(766条)の1箇条があるのみである。一方、第4編第4章「親権」には、「子の監護に関する事項」についての規定がない。「親権」の概念が「子の監護・教育」とされているうえ(820条)、「監護権」だけを喪失・停止させることはできないとされている(834条、834条の2、835条参照)。
 それでは、離婚前の別居段階ではどうなるのか? 法律上は夫婦の共同親権である。しかるに、「親権」の枢要部分である「監護」について民法に規定がないため、766条が準用ないし類推適用されている。その内容は、「監護者指定」「面会交流その他の交流」「養育費」「その他の子の監護について必要な事項」と広範囲である。しかし、同条は、離婚後の単独親権を前提としているから、どこまでいっても矛盾を免れない。しかも、同条4項では「監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない」とされている。
 そうすると、離婚後について「親権と監護権の分属」は法律上の根拠があるのに対し、離婚前の「単独監護者指定」は脱法というほかない。また、妻が子どもを連れ去って夫の親権行使を妨げていることも、違法(821条居所指定、820条監護教育)というほかない。
 このような矛盾・違法を克服するには、父母の離婚によって親子関係が変動しない、つまり、離婚後も共同親権にすれば足りる。換言すると、離婚後の単独親権制は、法律上峻別された「婚姻関係」と「親子関係」を結合するものであった。だから、ドイツの民法改正では、この「結合」を外したのである。

3 「女性差別撤廃条約」と「子どもの権利条約」
 昭和60年に発効した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」16条1項(d)は、「子に関する事項についての親(婚姻をしているかいなかを問わない。)としての同一の権利及び責任」を確保することを求めている。この規定からすれば、未婚・離婚の「単独親権」制は撤廃されるべきはずである。
 また、平成6年に発効した「児童の権利に関する条約」18条は「父母の共同責任」として「児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う」ことを締約国に求めている。ここでも、「父母」の婚姻関係は問われない。ちなみに、ドイツの民法改正は、「子どもの権利条約」の批准に伴うものであった。
 日本は、いずれの条約も批准して発効しているのに、未婚・離婚を含む「父母の共同親権」を原則とする法改正はされなかった。去る3月8日、漸く、離婚後の「共同親権」を認める民法改正案が閣議決定され、国会で審議されるところへ漕ぎ着けた。日本国憲法施行から77年、「女性差別撤廃条約」発効から39年、「子どもの権利条約」発効から30年である。

4 「単独親権」制は、「DV防止法」「児童虐待防止法」の代替措置ではない
 離婚後も父母双方が親権をもつ「共同親権」の民法改正について、DVや児童虐待の被害者や支援者が懸念を表明している。離婚前のDVや虐待の「立証が困難」であり、法改正は「被害者を守る制度を先に確立し、確実に運用されてからだ」という。
 しかしながら、「DV防止法」や「児童虐待防止法」は、被害者を守るための法律ではないのか。また、婚姻中でさえ、親権喪失・停止の審判ができる。それらを活用せずに、離婚後の単独親権制にすべてを代替させるが如き議論こそ、日本国憲法や「女性差別撤廃条約」「子どもの権利条約」を無視してきた元凶ではないか。それは、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という理念に希望をもたない人の思想である。でも、私は、熱烈に希望をもっている。

(2024年3月18日)

沖縄県主催シンポジウム「日米地位協定の改定に向けて」に参加しました。

沖縄県主催シンポジウム「日米地位協定の改定に向けて」に参加しました。参加者500人(主催者数字)、パネラーの顔が確認できない程遠い広い会場が満席でした。

先ず、玉城沖縄県知事による「他国地位協定調査」の報告。
数年かけて調査したもの(資料1欧州 資料2オーストラリア・フィリッピン 資料3韓国)を、限られた時間の中で、早口で一気に熱意を込めて報告されました。この上記資料1、2、3は沖縄県ホームページの地位協定ポータルサイトからダウンロードできます。項目別に比較でき、日本がどれほど酷い状況にある明白です。
次にzoomでレオナルド・トリカリコ氏のお話。
トリカリコ氏は元イタリア空軍参謀長、現NATO第5戦術空軍司令官で、伊米地位協定交渉のイタリア側担当者だった。「条文を変えたわけではなく、国民の怒りの声をバックに、少しずつ運用の改善を実現して来た。」ことを強調されていました。
最後は、パネルディスカッション。

玉城知事以外の登壇者が若い。最年長のフリージャーナリスト布施祐仁氏でも48才。平和問題というと高齢者ばかりという現実を見ているので、ここに惹かれてこのシンポジウムを申し込んでいます。

川名晋史教授(40代半ば)は「他の学問は外国の先例がある。このテーマ日本独自の問題。孤独になる。若い研究者もいる。このように多くの人が関心を持っていることは彼らの励みなる。」と。

沖縄出身の三宅千晶弁護士(30代)は、この若さで日米合同委員会担当官僚とやり合ってきた。開示請求拒否の理由がアメリカのノーだと言われ、ノーの文書を見せろ、文書ではないメールだった、メールを見せろ、メールもなし、で黒塗りがいっぱいあったけれど開示はされたそう。日本の官僚はアメリカの意向を確認せず、忖度なのかサボりなのかアメリカがダメだと言ってるからダメなんだと門前払いして来たのかもしれない。トリカリコ氏が言ったように国民が怒りの声を上げ続けなければ何も変わらないということだろう。

このシンポジウムを企画コーディネートを担当した猿田佐世氏も40代、新外交イニシアティブ(ND)の代表です。彼女の企画、コーディネートは宣伝、参加申込み受付、申込者への前日の確認メール、当日の現場設営、運営、マスコミ取材手配、終了後のアンケート回収(配布されたアンケート用紙のQRコードでスマホで答えてくれ、「手書きを入力するのが大変なんです」とアナウンスしていた)までの一切を請負っているよう。玉城知事は当日朝の飛行機で上京したそう。

知事は「沖縄の基地は今も増えている」と。日米安保条約は全土基地方式であり、つまり、米軍の占領状態であり、日本の許可なしに何時でも、何処にでも基地にできうる。今は宿舎需要ではあるか、不動産屋に基地用地求むという広告が出ており、地主がOKならすぐに米軍基地になると。

最後に、フィリッピンがアセアン加盟国であり、アセアン諸国と連携してフィリッピンに有利な地位協定に成功しているということから、沖縄はどう考えているかという質問に対し、知事は、アメリカが沖縄の基地能力の一部を移転する計画があるグアム、ハワイ、オーストラリア、サイパン、テニアン、北マリアナ諸島と連携していきたいと。

安保も地位協定も日米関係の問題なのに、沖縄だけに頑張らせているようで心が痛みます。政府が沖縄側に立ちアメリカと交渉する覚悟がありさせすれば、辺野古の裁判も違う結果になったはず。沖縄県外の国民が声を上げてこなかったのが原因ではないかと確認させられるセミナーでした。

終了後、猿田ND代表の声と思うが、今日の500人が10人に伝えてくれれば5,000人に、5人でも2,500人に届く。よろしくと言ってました。

ニュースの毎号に三鷹事件の再審状況を!

                    札幌 小久保和孝

 「ミスプリント」なのか、それとも当時の我が国の国家体制を反映するごく自然なことであったのか、深慮した上での意図的なことであったのか、我が国「日本国憲法」では、国語表記としては「つじつまの合わない」所が存在する。最も目立つのは、日本国憲法典の三権分立規定の表記である。

 日本国憲法第四章は“国会”、第五章は“内閣”となっているのに、何故か第六章は“司法”である。第六章を“司法”とするなら、第四章は“立法”、第五章は“行政”でなければ日本語としては「辻褄」が合わない。第四章が“国会”、第五章が“内閣”であるなら当然第六章は“裁判所”である。

 民主主義国家において国民のコントロールに最も遠いのが「司法権」である。その上、始末が悪いのがジャーナリズムが、司法に関することは、その「裏付取材」の困難性から、ニュースソースは「当局のリーク」に頼ることが多く、益々「国民視点」から遠のき、「司法権」をコントロール出来なくなるばかりか、“権力犯罪“の「お先棒」を担がされていることである。

 「証拠」主義が原則となっているにもかかわらず「冤罪」が絶えない。そればかりか、戦後「権力犯罪」の最も有効な手段となっているのが「司法権」である。

 その最たる例が「松川事件」「三鷹事件」である。“司法権を利用した権力犯罪“は阻止出来ず、「国民運動」にならない限り“正す”ことが出来ない。それが残念ながら我が国の“現状”である。

 我が「完全護憲の会」は小さく、今の所国民運動を巻き起こす「力」もない。しかし“護憲の灯火”である事は確かである。そこで提案!

 毎号のニュースに必ず、三鷹事件の再審運動や状況を登載していこうではいか。

「平野文書」は真実か?(第2回)

まず「平野文書」の成り立ちについてであるが、同文書は冒頭で、「私が幣原先生から憲法についてお話を伺ったのは、昭和26年2月下旬である。同年3月10日、先生が急逝される旬日(10日)ほど前のことであった。(……)時間は2時間ぐらいであった。(……)まとまったお話を承ったのは当日だけであり」、「その内容については、その後間もなくメモを作成したのであるが、以下は、そのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである」と記している。しかし、「平野文書」の文字数は約2万6000字であり、仮に平野が幣原の話を残らずメモしていたとしても、到底2時間で聞ける内容ではない。この点は笠原も、「「平野文書」にいう2月下旬の2時間で聞ける内容ではない」とあっさり認め、「「平野文書」の問題点は、51(昭和26)年2月下旬に幣原邸をたずねて、戦争放棄条項や天皇の地位についてまとまった話を聞いたのはその日だけ、とあるのは事実でないことである。(……)衆議院議長時代の幣原の秘書役をつとめていた平野は、暇なときに(……)幣原邸を訪ねて、いろいろと憲法について話を聞いたのである。「平野文書」に書かれているような一日ではなかったことは明瞭である」と述べている。しかし、そうだすれば、そのように書けばよかったのである。文書の内容が真実であれば、嘘をつく必要はどこにもない。このような文書の基本的な性格について事実を述べていないのであれば、その内容についても疑惑が生じるのは当然であろう。

また、平野は、1964年4月号の『世界』に寄稿した「制憲の真実と思想――幣原首相と憲法第9条」の中では、「何分にも記録のないことであり、また古いことであるから、私の記憶もかなりずれたものではあるが、以下その日の話をまとめてみた」と記しており、これによるとメモ(記録)すら残していないようである。さらに、1993年に出版した『平和憲法の水源――昭和天皇の決断』(以下、『水源』と略す)の中では、憲法調査会の高柳賢三会長から、「幣原さんから聞いた話を一つ書いてくれませんか」と言われ、「たしかに話は聞いてはいるが、ただ聞いたというだけで具体的な資料は何もない」ので「困った」と書き、「それは根拠薄弱なものではある」と自分で認めているのである。もっとも、そもそも平野の創作だとすれば、初めからメモなどないのは当然である。

さて、「平野文書」は第1部と第2部とからなっており、第1部は、平野が幣原に質問して幣原が答えるという一問一答形式になっており、第2部は、幣原の世界観を含めて戦争放棄条項が生れた事情を幣原が一人称で語るという形式になっている。第1部で、第9条はマッカーサーの命令によるものなのか、幣原独自の判断でできたものなのかという平野の問いに対して、幣原は次のように答えている。少し長くなるが引用する(ゴチック化は引用者。以下同様)。

=========<引用開始>==============

そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、実はあの年(昭和20年)の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第9条のようなことを日本側から言いだすようなことを出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この2つは密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。

幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々のソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。

この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

豪州その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である豪州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。

この構想は天皇制を存続すると共に第9条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤も天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。(中略)

この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮りにも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった

そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君(松本烝治。幣原内閣当時の憲法改正担当国務大臣)にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和21年の1月24日である。その日、僕は元帥と2人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

==========<引用終わり>============

これは、事実とすれば驚くべき証言である。「天皇の人間化と戦争放棄」を「命令として出して貰う」よう「マッカーサーに進言」し、「憲法は押しつけられたという形をとった」というのである。つまり、憲法の「押しつけ」をマッカーサーに依頼した、というのである。こういう証言は「平野文書」その他の平野証言(以下、「平野証言」)以外にない。これまで幣原発案説の根拠とされてきたマッカーサーの証言や『回想記』、ホイットニーのマッカーサー伝はすべて、幣原が日本政府の準備している憲法草案に戦争放棄と軍備撤廃を書き込むことを提案し、マッカーサーが賛成した、というものであった。それに対して、平野証言は、幣原発案説は幣原発案説でも、幣原はマッカーサーに押しつけを依頼したという「発案・押しつけ依頼」説ともいうべき特異な説なのである。では、これは果たして事実なのだろうか。

「幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決っていた」と「平野文書」は言うが、後半は事実ではない。当時、マッカーサーが受取っていた本国からの指令「SWNCC-228(日本の統治体制の改革)」には、「日本人が、天皇制を廃止するか、あるいはより民主主義的な方向にそれを改革することを、奨励支持しなければならない」と書かれてあり、米本国はこの時点ではまだ天皇制を存続させるかどうかを決定していない。また、前半は事実であるが、この時点(46年1月24日)で幣原はそのことを知らなかった。だからこそ、「羽室メモ」(後述)にあるように、幣原はこの日の会見の冒頭で、「どうしても天皇制を維持させてほしいと思うが協力してくれるか」と尋ねたのである。ましてや天皇が戦犯として裁かれない保証はこの時点では全くなく、木下道雄侍従次長や寺崎英成宮内省御用掛など天皇の側近が、東京裁判対策として、天皇の「潔白」を示すための「独白録」の作成にとりかかるのは、3月18日になってからであり、極東委員会が天皇の不起訴で合意(当時は非公表)したのは4月3日であった。

「平野文書」はまた、「ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた」と述べている。幣原は一体いつ、こうした事実を知ったのだろうか。実は、それは日本政府がGHQ草案を受け取った(46年2月13日)あと、初めて開いた閣議(2月19日)の2日後、すなわち2月21日のマッカーサーとの会見においてであった。2月19日の閣議では結論が出なかったため、幣原がマッカーサーに真意を聞きにいくことになったのである。そして21日の会見の内容については翌22日の閣議で報告されたが、その様子を幣原内閣で厚生大臣を務めていた芦田均は日記に次のように書き留めている。

======<引用開始>==============

MacArthurは先づ例の如く演説を初めた。「吾輩は日本の為めに誠心誠意図つて居る。天皇に拝謁して以来、如何にもして天皇を安泰にしたいと念じてゐる。幣原男が国の為めに誠意を以て働いて居られることも了解してゐる。然しFar Eastern CommissionのWashingtonに於ける討議の内容は実に不愉快なものであつたとの報告に接してゐる。それは総理の想像に及ばない程日本にとつて不快なものだと聞いてゐる。…

ソ聯と濠洲とは日本の復讐戦を疑惧して極力之を防止せんことを努めてゐる。…」

==========<引用終わり>============

幣原は、「それは総理の想像に及ばない程日本にとつて不快なものだと聞いてゐる」とマッカーサーに言われたと、閣議で報告しているのである。その内容をもし幣原があらかじめ知っていたのであれば、「総理の想像に及ばない程」という言葉をそのまま報告したりはしないであろう。「私も知っているところだが」といった言葉を使うのではないだろうか。これらの内容を2月21日のマッカーサーとの会見で、幣原が初めて知ったことは、次に引用する、3月20日の枢密院報告でも確認できる。

=========<引用開始>==============

去る2月21日余はマ司令官と長時間に亘り会談し同司令官が日本国天皇に対し抱懐せる所見を聴くを得た。またその席上将来の日本国管理に関し豪洲及びソ連側の態度に関しても言及するところがあった。ともに日本に対し必ずしも友好的でなく殊に豪洲は日本に対し一種の恐日病的状態に陥って居る如く考えらるるのである。(中略)

極東委員会と云うのは極東問題処理に関しては其の方針政策を決定する一種の立法機関であって、其の第1回会議は2月26日ワシントンに開催され其の際日本憲法改正問題に関する論議があり、日本皇室を護持せんとするマ司令官の方針に対し容喙の形勢が見えたのではないかと想像せらる。マ司令官は之に先んじて既成の事実を作り上げんが為に急に憲法草案の発表を急ぐことになったものの如く、マ司令官は極めて秘密裡に此の草案の取り纏めが進行し全く外部に洩れることなく成案を発表し得るに至ったことを非常に喜んで居る旨を聞いた。此等の状勢を考えると今日此の如き草案が成立を見たことは日本の為に喜ぶべきことで、若し時期を失した場合には我が皇室の御安泰の上からも極めて懼るべきものがあったように思われ危機一髪とも云うべきものであったと思うのである。

==========<引用終わり>============

つまりこうした情勢を2月21日初めて知った幣原が、こうした状況を踏まえて、「天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案すること」を思いつき、1月24日の会見でマッカーサーに提案した、ということは絶対にあり得ないのである。「平野文書」が平野による創作であると推定する根拠の一つである。(続く)

2023年8月26日 稲田恭明

2023年8月26日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 管理人

「平野文書」は真実か?(第1回)

いつもお世話になっております。

毎月お送り頂いております『完全護憲の会ニュース』はもちろん、その送信文にも、いつも無知な私の知らないニュースが満載で、大変勉強になり、楽しみにしております。

しかし、5月12日にお送り頂いた『ニュース13号』の送信文には驚きました。

そこには次のように書かれていました。

=========<引用開始>==============

平和憲法誕生の経緯を読み直してみてはいかがでしょう。

「押しつけ憲法論」は長年主流の仮説ですが、以下の「非押しつけ論」には、辻褄の合う証言や文献や状況証拠が豊富にあり、他説に比べて格段に信頼性が高いと思われます。

==========<引用終わり>=============

この文章に続けて、1946年1月下旬、当時の幣原喜重郎首相がマッカーサー最高司令官を訪問し、新憲法に戦争放棄を書き込むようマッカーサー元帥から提案してほしいと依頼し、密約が成立した、という話が紹介されていました。

これは「平野文書」の内容の要約ですね。

そしてそのあと、平野文書と笠原十九司氏の論考「憲法九条発案者をめぐる論争に「終止符」を」へのリンクが貼られていました。

私は思わず、「マジかっ」とつぶやきました。

私は以前、たまたま憲法制定過程を詳しく勉強したことがあったので、2016年に「平野文書」を一読して、これは嘘だと気づきました。

ところが今回、なんと、本物の歴史学者である笠原十九司氏が太鼓判を押しているではありませんか。これは一体どうしたことか!

リンク先の笠原氏の論考と、氏が今年出版された『憲法九条論争――幣原喜重郎発案の証明』(平凡社新書)を読んでみました。正直、唖然としました。あまりにも恣意的かつ強引な史料の引用と解釈がなされていたからです。

もし自分の知り合いが「南京大虐殺は幻だってよ」と言ったとしたら、それは違うと反論しなければならないと思います。同様に、平野説を解く人がいたら、それは信用してはいけないよと言わなければならないと思っています。

笠原氏は人民網の取材に対し、「嘘の歴史がまかり通るようになってはいけない。社会が事実をごまかした場合は、間違った道を歩むことになる。それは戦前の教訓だ」と述べていますが、私も全く同感です。そこで、「嘘の歴史」である「平野文書」がまかり通るようになってはいけないとの思いから、今回、数回に分けてブログに投稿させて頂くことになりました。その中で、笠原氏を批判することになるとは、私自身意外でもあり、残念でもありますが、仕方ありません。「嘘の歴史」である「平野文書」を「決定的史料」と持ち上げ、「嘘の歴史」を広めようとしているのですから。

本連載の目的は、第1に、「平野文書」の史料的価値を否定すること、第2に、「「平野文書」に依拠して「憲法9条幣原発案の証明」とした」と主張する笠原氏の『憲法九条論争』の誤りを指摘することです。

本論に入る前に、上で引用したニュース13号の送信文では、「押しつけ憲法論」と「非押しつけ論」とが対比されていますが、マッカーサー発案説と幣原発案説がこれに対応するわけではない、という点をまず指摘しておきたいと思います。現に、日本国憲法制定史研究の第一人者である古関彰一氏はマッカーサー発案説に立っていますが、「押しつけ憲法論」は支持していません。理由はいろいろあるのですが、一言でいうと、日本国民の多くはむしろ日本国憲法を全体として歓迎したわけですし、何よりも日本が独立を回復し、いつでも自由に憲法改正ができるようになってから70年以上もの間、一度も改正されなかったという事実が、「押しつけ憲法論」に対する明白な反証になっています。それに比べれば、当時の日本政府が「押しつけ」られたか否かというのは、とるに足りない問題です。GHQに強圧的な態度があったことは事実ですが、日本政府に拒否する自由がなかったわけではありません。ただ、日本政府が拒否した場合、マッカーサーが直接日本国民に草案を示すと言われ、それをされたら自分たちの政治家生命が終わると思って打算で受け入れたのです。それを「押しつけ」とみるかどうかは、国民の立場からすればどうでもいい問題です。

もう一点、本論に入る前の基礎知識として、「平野文書」についても説明しておきましょう。

「平野文書」とは、1949年から51年にかけて衆議院議長を務めた幣原氏の秘書のようなこと(正式な秘書官ではありません)をしていた衆議院議員の平野三郎氏が、幣原氏が亡くなる10日ほど前の1951年2月下旬、同氏から聞き取った話を文書にして、1964年ごろ憲法調査会に提出し、同調査会事務局が同年2月に「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について―平野三郎記」と題して印刷したものです。

この文書は当時は新聞でも取り上げられたりして、かなり話題になったようですが、その後、忘れられたようになっていたと思います。それが再び脚光を浴びたのは、2016年3月に鉄筆文庫より『日本国憲法 9条に込められた魂』の中の一編(というか中核文書)として出版されたことです。(もっともその前月にテレビ朝日の報道ステーションが「スクープ」として報じたそうなのですが、この報道は私は見ていません。)私もその本が出てすぐに読み、一読して嘘だと思ったことは先に述べました。

それでは、いよいよ次回から、「平野文書」の信憑性についてみていくことにしましょう(続く)(次回から文体は「である」調にします。)

2023年8月25日 稲田恭明

2023年8月26日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 管理人

安倍政権のメディア支配(3)

「私の答弁が信用できないんだったら、もう質問なさらないで」(3月15日参院)。
高市元総務相(現・経済安保担当相)の答弁がしどろもどろになってきたが、この問題は総務省文書の真実性を証明することが目的ではない。問題の核心が安倍政権のメディア支配・言論統制であることは連載第1回で述べたが、今回は、その根拠とされた放送法の解釈について説明しよう。

すでに述べたように、高市総務相(当時)は2015年5月12日、放送法第4条の定める「政治的公平」について、「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」という従来の解釈を変更し、「一つの番組でも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」との答弁を行い、同年11月10日には「放送事業者が仮に放送法に違反した場合、総務大臣は……3か月以内の業務停止命令をできる」と発言し、翌2016年2月8日には、「政治的公平」を定めた放送法第4条に違反した場合には放送局に電波停止を命じる可能性にまで言及した。しかし、このような放送法の解釈は根本的な誤りである。その理由を説明する。
放送法第4条は次のように定めている。

第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
(2項以下省略)

今回問題となっているのは、高市総務相や自民党、安倍応援団の民間人(放送法遵守を求める視聴者の会)などが、放送法第4条1項2号の定める「政治的に公平であること」(「政治的公平性」)に放送事業者が違反した場合は、総務相が行政指導を行うことができるとの理解を前提に、「政治的公平性」の判断基準を「放送番組全体」から「一つの番組」へと変更したことだと思われがちである。しかし、この理解がすでに大きな間違いを犯している。「政治的公平性」の判断基準が「番組全体」であろうが「一つの番組」であろうが、「政治的公平性」など第4条の規定が公権力の番組への介入を正当化しうる根拠になりうるという解釈自体が根本的な間違いなのである。なぜなら、第4条は、放送事業者が番組内容を編集する際に自らを律する倫理規範であって、政府が放送内容に介入するための規制規範ではないからである。そのことは、放送法の第1条と第3条を見ればよりはっきりする。次のような規定である。

第1条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

第3条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

第1条第2号は、「放送による表現の自由を確保」することを目的として、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障」するとされているが、この場合、放送の「不偏不党、真実及び自律」を保障すべき主体は政府であって、放送事業者ではない。このことは、「放送番組は……何人からも干渉され、又は規律されることがない」と規定して「放送の自由」を保障した第3条の規定によっても裏書されている。砂川浩慶も『安倍官邸とテレビ』の中で、第1条第2号前半の文章について、「主語が明示されていないので分かりにくいが、放送法は行政行為を規定するものだから、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障」する主体は行政(政府)だとするのが一般的な解釈である」と指摘している。

放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送倫理検証委員会」は2015年11月6日、NHK『クローズアップ現代』の“出家詐欺”報道に関する意見を公表したが、その「おわりに」において、自民党によるメディア支配の試みを批判しつつ、放送法第1条について、次のように述べている。

「しばしば誤解されるところであるが、ここに言う「放送の不偏不党」「真実」や「自律」は、放送事業者や番組制作者に課せられた「義務」ではない。これらの原則を守るよう求められているのは、政府などの公権力である。(中略)放送法第1条2号は、その時々の政府がその政治的な立場から放送に介入することを防ぐために「放送の不偏不党」を保障し、また時の政府などが「真実」を曲げるよう圧力をかけるのを封じるために「真実」を保障し、さらに、政府などによる放送内容への規制や干渉を排除するための「自律」を保障しているのである。これは、放送法第1条2号が、これらの手段を「保障することによって」、「放送による表現の自由を確保すること」という目的を達成するとしていることからも明らかである。」

BPOはさらに、第4条についても次のように述べている。

「「放送による表現の自由を確保する」ための「自律」が放送事業者に保障されているのであるから、放送法第4条第1項各号も、政府が放送内容について干渉する根拠となる法規範ではなく、あくまで放送事業者が自律的に番組内容を編集する際のあるべき基準、すなわち「倫理規範」なのである。逆に、これらの規定が番組内容を制限する法規範だとすると、それは表現内容を理由にする法規制であり、あまりにも広汎で漠然とした規定で表現の自由を制限するものとして、憲法21条違反のそしりを免れないことになろう。・・・
したがって、政府がこれらの放送法の規定に依拠して個別番組の内容に介入することは許されない。」

そのうえで、BPOは、自民党が2015年4月17日、NHKとテレビ朝日の幹部を党本部に呼びつけた事態について、次のように厳しく批判した。

「自民党が、放送局を呼び説明を求める根拠として放送法の規定をあげていることは、法の解釈を誤ったものと言うほかない。今回の事態は、放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものであるから、厳しく非難されるべきである。」

以上で、放送法を番組介入の根拠にしようとすること自体が根本的な誤りであることをご理解いただけたであろう。この観点からすれば、「政治的公平性」を「放送番組全体」で判断するか、「一つの番組」で判断するかという論点は、問題の本質を見失ったものと言うほかない。いずれにせよ、「政治的公平性」の判断主体は一義的には放送事業者自身であり、最終的には視聴者であって、政府や公権力が判断しようとすること自体が「表現の自由」(憲法21条)に対する重大な脅威である。

問題の本質は、個々の番組や放送局が「政治的に公平」であるか否かではない。そうではなく、「政治的公平」という放送法の中の文言に勝手な解釈を加えて、政府が放送局に圧力をかけ、政府に対する批判的な言論を委縮させ、報道をコントロールしようとしたことである。「表現の自由」が民主主義と平和の基礎であることは過去の歴史が示している。民主主義と平和を守り抜く、あるいは取り戻すためにも、「表現の自由」に対する統制を見逃してはならない。

2023年3月16日 稲田恭明

安倍政権のメディア支配(2)

「安倍政権のメディア支配(1)」で述べたように、磯崎陽輔首相補佐官は2014年11月から半年近くをかけて放送法第1条「政治的公平」条項に関する総務省の従来の法解釈を変更させたわけであるが、磯崎補佐官ほどにも法律や法解釈に興味のない安倍総裁率いる自民党は、2015年5月12日の高市総務相の国会答弁による解釈変更を待つことなく、とんでもない言論弾圧に乗り出した。同年3月に『週刊文春』が報じた、前年5月放送のNHK「クローズアップ現代」の“出家詐欺”報道やらせ事件や、同年3月27日のテレビ朝日「報道ステーション」においてコメンテーターの古賀茂明氏が官邸からのバッシングを暴露して「I am not ABE」と書いた紙を提示した件を標的に、4月17日、自民党「情報通信戦略調査会」はNHKとテレビ朝日の幹部を党本部に呼びつけたのである。政権与党が個別番組の内容についてテレビ局幹部を党本部に呼びつけて事情聴取するという前代未聞の事件が起きたわけだが、これはまさに、放送法の解釈変更によって政治家が個別番組に介入できるようになるという、予想された恐れを先取りしたものであった。しかもこれは、『週刊文春』の告発記事を受けてNHKが調査委員会を立ち上げ、「中間報告」を公表した(4月9日)直後に起きた事件であった。さらに、NHK調査委員会が「最終報告書」を公表した4月28日には総務省がNHKに対して「厳重注意」を行い、5月21日には自民党が再度、NHKを呼びつけるという事態まで起きている。

さらに、同年6月25日、安倍首相に近い自民党の若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」が党本部で初会合を開催した際、同党の大西英男衆院議員は「マスコミを懲らしめるには、広告料収入をなくせばいい。文化人、あるいは民間の方々がマスコミに広告料を払うなんてとんでもないと経団連に働きかけてほしい」と発言し、井上貴博衆院議員は「テレビの提供スポンサーにならないということがマスコミには一番こたえるだろう」、長尾敬衆院議員は「沖縄の特殊なメディア構造をつくってしまったのは戦後保守の堕落だ。左翼勢力に乗っ取られている現状において、何とか知恵をいただきたい」などと放言を連発し、講師の百田尚樹は「沖縄の2つの新聞社は絶対に潰さなあかん」「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。基地の周りが商売になるということで、みんな住みだし、今や街の真ん中に基地がある。そこを選んで住んだのは誰やと言いたくなる。基地の地主たちは大金持ちなんですよ。彼らはもし基地が出て行ったりしたら、えらいことになる」「沖縄の米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方がはるかに率が高い」などと明らかな事実誤認を含む暴言・妄言を連発するという事件を起こしている。

ちなみに、百田氏は2012年の自民党総裁選で「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人の一人であり、『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を安倍氏と共著で出版しているが、安倍首相は2013年11月、なんとこの百田氏をNHK経営委員に任命しているのである。このとき安倍首相が百田氏とともにNHK経営委員に送り込んだのが日本たばこ産業顧問であった本田勝彦氏であるが、本田氏は東大生時代、小学生だった安倍晋三の家庭教師を務めた経験があり、安倍氏の財界応援団として知られる「四季の会」の有力メンバーだった。

安倍首相はさらに、同年12月には埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏と海陽学園校長だった中島尚正氏をNHK経営委員に送り込んでいるが、長谷川氏も「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の一人であり、海陽学園は「四季の会」幹事役の葛西敬之氏が創設した学校である。こうして安倍首相の息のかかった委員が多数を占めるNHK経営委員会は12月20日、籾井勝人氏を次期会長に任命した。籾井新会長は2014年1月25日の就任会見で、個人的見解と断りながら、「(従軍慰安婦問題は)今のモラルでは悪いことだが、戦争地域にはどこにもあった」、「国際放送で日本の立場を主張するのは当然。政府が『右』というものを『左』というわけにはいかない」などと発言し、大問題となった。

だが、問題発言はこれに留まらない。安倍首相に任命された新経営委員である長谷川三千子氏は、同年1月22日、「私は安倍首相の応援団です。私は安倍という政治家を信頼している」と発言し、百田氏は2月3日、都知事選での田母神俊雄候補の応援演説で、「田母神さん以外の候補は、私から見れば人間のクズみたいなもんです」、「日本はアジア諸国を侵略した、と。とんでもない、これは大嘘です」などと放言した。

同年2月、NHKの「クローズアップ現代」が前年秋に着任したキャロライン・ケネディ駐日米大使にインタビューを申し込んだが、大使側から拒否されたのは、こうした籾井会長の従軍慰安婦発言や百田直樹経営委員の南京虐殺でっち上げ発言などへの不信感が原因だったと言われている。

ほとんどの憲法学者が憲法違反と指摘する安保関連法案の審議が大詰めを迎えていた2015年9月16日、岸井成格キャスターはNEWS23で「メディアとして(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と発言したが、これが安倍官邸とその取り巻きを激怒させたようである。すぎやまこういち、小川榮太郎、渡部昇一、渡辺利夫といった安倍応援団の文化人が「放送法遵守を求める視聴者の会」というのを作り、同年11月14日と15日に、それぞれ産経新聞と読売新聞に「私達は、違法な報道を見逃しません。」というキャッチコピーの全面広告を掲載している。この中で同広告は、9月16日のNEWS23における岸井成格氏の発言について、「放送法第4条の規定に対する重大な違反行為だと私達は考えます」と述べ、岸井氏に対する個人攻撃を行っている。こうした放送法第4条の解釈に関する根本的な誤謬については、次回(第3回)取り上げることにする。

高市総務相は同年11月10日、国会答弁で、「放送事業者が仮に放送法に違反した場合、総務大臣は放送法第174条に基づき3ヶ月以内の業務停止命令できる旨、定められています」と発言しているが、放送法174条には「特定地上基幹放送事業者」、すなわち地上波テレビとラジオに対しては「業務停止命令」できないことが明文で規定されているので、虚偽答弁に近いものである。高市総務相はさらに、2016年2月8日、衆院予算委で「政治的公平」を定めた放送法第4条に違反した場合には放送局に電波停止を命じる可能性に言及したが、放送法4条にはそもそも罰則がなく、あくまで放送事業者が自主的に番組編集を行う際の「倫理規範」にすぎず、政府が介入する根拠となるような法規範でないことは、情報法の専門家の間では常識である。しかし、高市総務相の「電波停止」発言を批判した報道番組は「NEWS23」(TBS)と「報道ステーション」(テレビ朝日)だけだったと言われている。

その「NEWS23」と「報道ステーション」の看板キャスターだった岸井成格氏と古館伊知郎氏、さらには「クローズアップ現代」(NHK)の国谷裕子キャスターは2016年3月末、一斉に降板するという事態が起きている。その舞台裏の事情まではわからない。しかし「NEWS23」と「報道ステーション」が安倍官邸に睨まれていたことは周知の事実であり、クロ現の国谷キャスターも、2014年7月3日、政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した2日後、番組に出演した菅官房長官を質問攻めにしたことにより、番組終了後、官邸サイドから制作現場に強烈な圧力がかけられたと言われている。こうして2016年春、政権の嫌うキャスターは、「そして誰もいなくなった」のである。
次回は「政治的公平性」を中心とする放送法の規定について解説する。(つづく)

2023年3月15日 稲田恭明

安倍政権のメディア支配(1)

放送法の解釈変更の経緯を記した総務省文書をめぐる報道が連日なされているが、日々の報道を追っているだけでは、問題の本質が見えてこない場合がある。この問題はまさにその一例ではないだろうか。

報道では、高市早苗経済安保担当相(問題の文書作成当時の総務相)が総務省の文書を「捏造」だと主張し、もし「捏造」でなければ閣僚も議員も辞職すると、故安倍首相ばりの啖呵を切ったかと思えば、形勢不利となるや一転、「閣僚や議員の辞職を迫るのなら文書が完全に正確だと相手も立証しなければならない」と、これまた安倍氏譲りの卑怯な逃げを打つ滑稽な姿が強調されている。しかし、問題の核心はそこではない。放送法の解釈変更というこの問題では、高市元総務省はあくまでも舞台で演じる役者にすぎず、台本を書いたのが磯崎陽輔元首相補佐官であることは、総務省文書がはっきり示している。

少し話が逸れるが、磯崎陽輔氏と言えば、2012年4月に自民党が公表した憲法改正草案が立憲主義違反であると批判を浴びていた頃、立憲主義について、「学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか」とツイート(同年5月28日)して、多くの市民を驚愕と失笑の渦に巻き込んだ人物である。本人は東大法学部卒であることを自慢しているらしく、自民党の憲法改正草案起草委員会事務局長を務め、自民党内では「憲法博士」と呼ばれていたそうだが、その「憲法博士」の憲法知識が「立憲主義も聴いたことがない」というお粗末さ加減であるから、その人物が中心となって取りまとめられた自民党の改憲草案がお粗末極まりないのも当然である。ちなみに、言うまでもないことながら、立憲主義とは、民主主義や自由主義と同じく、政治思想・法思想史上の思想を表す言葉であって、「学説」などとは次元が異なることは論を俟たない。同年9月の自民党総裁選では安倍陣営の選対で参院事務局長を務めたことから、安倍氏の覚えめでたく、同年12月、第2次安倍内閣で首相補佐官に任じられたようである。

総務省文書に話を戻せば、問題は、なぜ磯崎氏が放送法解釈変更の台本を書いたか、である。結論から言えば、これは安倍政権のメディア支配・言論統制の一環であり、安倍政権でなければ起こり得なかった事件である。戦後史上、安倍政権ほどなりふり構わずメディア支配と言論統制に執着した政権はなかったが、今回の問題も、20141118日、安倍首相が衆院解散を表明した夜、TBSの「NEWS23」に出演した際に、アベノミクスに批判的な街頭インタビューを見た安倍首相が、「みなさん、人を選んでおられる。おかしいじゃないですか」とキレまくったことがすべての発端であった。この一件が自民党の役員連絡会で話題となり、自民党は11月20日、在京テレビ各局に、「選挙時期における選挙の公正中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題する文書を送付している。そこには、出演者の発言回数や時間、ゲスト出演者の選定、テーマ選定、街頭インタビューに至るまで、一方的な意見に偏ることがないよう要求する、という異様な文書であった。これ以降、ワイドショーなどでの総選挙関連報道が激減し、キー局全体では前回(2012年)の総選挙に比して半分以下の42%にまで報道量が激減した。総選挙をテーマとしたテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」は急遽、予定していた評論家や文化人の出演を取りやめ、政治家のみの出演に変更したという。

安倍首相が衆議院を解散した2日後の(2014年)11月23日、TBSのサンデーモーニングで出演者が政権に批判的な意見を述べると、磯崎首相補佐官はすかさずツイッターに「日曜日恒例の不公平番組」「仲間内だけで勝手なことを言い、反論を許さない報道番組には、法律上も疑問がある」などと投稿し、翌日も再びツイッターに「放送法上許されるはずがない。黙って見過ごすわけにはいかない」と投稿している。この日(11月24日)、テレビ朝日の「報道ステーション」が「アベノミクスによる株高ですごく儲かった人たちがたくさんいます」と放送すると、その2日後、自民党の報道局長が24日のテレビ朝日「報道ステーション」に対し、放送法4条の趣旨に悖るとして、公正中立な報道を求める文書を出している。そして、磯崎補佐官から総務省放送政策課に「政治的公平」の解釈や運用、違反事例について局長からレクチャーしてほしいと電話連絡があったのも、この同じ11月24日だったのである。これが、今回の放送法解釈変更の出発点である。

こうした一連の流れを見れば、すべての問題の発端が、安倍政権の政策や自民党に対して批判的な一切の報道を許容せず、それを「公平性」違反の名のもとに弾圧しようとする安倍首相の政治姿勢に発していることは明らかである。そして安倍首相の補佐官として、最も忠実に安倍氏の意向を忖度し、「法解釈変更」という形で実現しようと“奮闘”したのが、磯崎陽輔補佐官であったというのも頷けよう。このあと磯崎補佐官は同年11月28日から翌15年2月24日までの間に総務省の安藤友裕情報流通局長に9回にわたってレクチャーさせるという名目で自分の解釈を総務省に押し付けた上で、3月5日は自ら(今井尚哉首相秘書官、山田真貴子首相秘書官ととに)安倍首相にレクチャーを行い、国会で総務相から放送法の解釈変更に関わる答弁をしてもらうことで承認を得ている。このような一連の根回しを経た上で、同年5月12日には自民党の藤川政人議員が参議院総務委員会で高市総務相に放送法第4条の定める「政治的公平」について質問し、高市総務相から「一つの番組でも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」との答弁を引き出し、それまでの「政治的公平は一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」という解釈からの変更を行ったのである。

それにしても、「虎の威を借る狐」は信じられないほど居丈高になりうることを、磯崎氏もまた見事に例証している。2月24日に行われた総務省から磯崎補佐官への9回目のレクチャーの際には、「総理にお話しされる前に官房長官にお話し頂くことも考えられるかと思いますが」との安藤情報流通行政局長の発言に対し、「何を言っているのかわかっているのか。これは高度に政治的な話。官房長官に話すかどうかは俺が決める話。局長ごときが言う話ではない。……この件は俺と総理が二人で決める話」、「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ。もうここに来ることができないからな」などと恫喝しているのである。一体、自分を何様だと思っているのだろうか。ちなみに、磯崎氏は1982年に自治省に入省し、安藤氏は82年に郵政省に入省している。その後、2001年に自治省、郵政省、総務庁が統合して総務省ができたわけだから、いわば磯崎氏と安藤氏は同期入省組である。総務省出身者として、本来なら政治家へのレクチャーなど官僚の仕事の苦労もわかっていて当然の立場である。それがここまで傲慢無礼な態度に出られるも、安倍側近として「親分」の態度を見習ったせいなのだろうか。

今回公表された総務省文書でもう一つ興味深いのが、2015年2月18日に行われた山田真貴子首相秘書官へのレクチャーの際の、山田秘書官の発言である。山田秘書官は、「今回の整理は法制局に相談しているのか。今まで「番組全体で」としてきたものに、「個別の番組」の(政治的公平の)整理を行うのであれば、放送法の根幹にかかわる話ではないか。本来であれば審議会等をきちんと回した上で行うか、そうでなければ放送法改正となる話ではないのか」。「磯崎補佐官は官邸内で影響力はない。今回の話は変なヤクザに絡まれたって話ではないか」。「政府がこんなことしてどうするつもりなのか。磯崎補佐官はそれを狙っているんだろうが、どこのメディアも委縮するだろう。言論弾圧ではないか」。「総務省も恥をかくことになるのではないか」などと語っているが、極めて真っ当な発言であり、同じ総務省出身者でも磯崎氏とは好対照である。3月5日の安倍首相への説明の際も、山田秘書官は、「(磯崎補佐官の)説明のような整理をすると、総理単独の報道が委縮する。極端な事例以外は何でもよくなってしまう。メディアとの関係で官邸にプラスになる話ではない」、「一度整理をすれば個々の事例のあてはめが始まり、官邸と報道機関の関係にも影響が及ぶ」などと再考を促すが、安倍首相は、「政治的公平という観点からみて、現在の放送番組にはおかしいものもあり、こうした現状は正すべき」などと取り合わず、磯崎提案を受け入れたのである。これに気を良くした磯崎氏は翌日、安藤局長らへの連絡で、「山田秘書官は抵抗しすぎだったな」、「あんまり無駄な抵抗はするなよ」などと述べているのである。(つづく)

2023年3月14日 稲田恭明

草野論文を拝読して

PDF草野論文を拝読して
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2022年12月24日 稲田恭明

完全護憲の会御中

はじめに

このたび、貴会編『危機に立つ日本国憲法』を大変興味深く拝読いたしました。全4章いずれも貴重な情報の詰まった力作揃いでしたが、今回はその中の第2章「9条「自衛隊明記」のもたらすもの」(以下、「草野論文」と記す)についての感想を述べさせていただきます。
同論文の中でも草野氏が最も力説されていたのは、「攻められたらどうするか」という問いにどう答えるかという問題と、護憲派内部におけるいわゆる「専守防衛」派と「非武装」派の対立をいかにすれば止揚できるのか、という問題だったのではないかと思います。そこで、以下では、この2つの論点に絞り、私が元々考えていたことに加え、草野論文を読んで触発され、いわば私の思考と化学反応を起こした結果新たに得た着想とを併せた考察を記します(以下、本文は「だ・である」調に切り替えます)。 続きを読む

2022年12月27日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 管理人

「戦争の放棄」なしに「平和」は創れるか?

(弁護士 後藤富士子)

 参議院選挙で改憲派が3分の2を大幅に上回る議席を確保したことで、改憲発議に向けた動きが具体化されそうな情勢にある。ここで「改憲」というのは、自衛隊を憲法に明記する、安倍9条改憲論のことを取り上げることにし、この改憲を阻止しようという意思は「平和主義」つまり「平和の実現」を指向するということになる。
 そこで、「自衛隊が憲法に明記されると何が変わるか?」と問えば、憲法9条がある第2章のタイトルが、現在の「戦争の放棄」から「安全保障」に変わることを、まずもって指摘したい。それは、「安全の道を通って〈平和〉に至る道は存在しない」からである。
 これは、ドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファー牧師が1934年に「教会と世界の諸民族」という講演で、「いかにして平和は成るのか」について述べた言葉である。続けて「平和は敢えてなされねばならないことであり、それは一つの偉大な冒険である。それは決して安全保障の道ではない。」「安全を求めるということは、自分自身を守りたいということである。平和とは、全く神の戒めにすべてをゆだねて、安全を求めないということであり、自分を中心とした考え方によって諸民族の運命を左右しようとは思わないことである。武器をもってする戦いには、勝利はない。神と共なる戦いのみが、勝利を収める。それが十字架への道に導くところでもなお、勝利はそこにある。」という。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5章9節)のである。
 私は、憲法9条の条文を守りたいのではない。平和を実現したいのだ。だからこそ、平和への道標である第2章と9条を変えたくない。それに、「安全保障」というのは、際限のない軍拡にすぎないし、誰が考えても、「安全保障」自体も叶わない。平和を実現するには、「戦争の放棄」が原点なのではないですか?

(2022年8月23日)

2022年8月23日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子