元刑事裁判官、木谷明氏の死を悼む

栁澤 修

元刑事裁判官で、弁護士の木谷明氏が11月21日、86歳で亡くなられたとの報道がありました。裁判官現役時代に30件以上の無罪判決を出し、上級審でも逆転有罪がなかったという極めて稀有な存在であり、尊敬すべき方でありました。

木谷さんの著作や講演を読み聞きした中で、彼の事件審理に対する対応が何故他の裁判官は取れないのかと思ってしまいます。

裁判官も検事も司法官僚と化してしまった現在の法曹界。そんな中にあって、30件以上の刑事裁判で無罪判決を出した稀有な裁判官である木谷明氏。父親が数々の有名囲碁棋士を育てた木谷實氏で、学校も東大法学部。「無罪を見抜く 裁判官・木谷明の生き方」という、彼の長時間インタビューをまとめた著作の中に名前が出てくる先輩・同僚・後輩裁判官の肩書が最高裁長官や最高裁判事、高裁長官など錚々たる方達と仕事をしてこられ、その実績から言っても、高裁長官や最高裁判事になってもおかしくない方だと思うのですが、司法官僚にとっては、検事に逆らって無罪判決を数々出したことで、最高裁事務総局から恨まれたのでしょうか、水戸地裁所長が最高ポスト。彼のような無罪を見抜く力のある裁判官が、出世できなかったことが残念です。本人は特に出世云々は語っていません。現場一筋の人生が好きであったことも事実なのでしょう。

それにしても、なぜ木谷裁判官のような勇気ある裁判官が少ないのか。否認事件にあっては徹底的に裁判官自らが調査もし、証人尋問も行い、真実を確かめることは当然なのですが、それをやっていないのが今の裁判所。ただ、数をこなせ、事件をためるなでは、裁判所の本来の役目を果たせないことはわかっているのでしょうが、どうせ一審で無罪にしても高裁、最高裁ではひっくり返されるのが常態となってしまった中では、やる気が起きないのか。木谷明さんのような貴重な裁判官がいてこそ、冤罪者にとっては裁判所が最後のよりどころとなるはずが、官僚裁判官では、その希望は風前の灯火としか言いようがありません。第二、第三の木谷裁判官の出現が待たれます。

(2024年12月1日)

ハノイ(ベトナム)マラソン参加記

福田玲三

 ZKM(全国健称マラソン会)には数年前に入会した。ZKMの2024年度海外遠征はベトナムの首都であるハノイ・マラソンに決まり、私はこの遠征参加を予約していた。

去る11月1日から5日まで、このマラソン参加のため、娘とともに、日本を離れた。

11月1日16:30、成田空港発、22:30(現地時間20:30)ハノイ空港着。機内で持参の夕食。市内のホテルに22:30に到着。就寝24:30。

11月2日。ホテル11階で朝食。眼下に広い湖。食事は地元野菜、ポテトフライ、カリフラワー、ソーセージ、米飯など、果物はパイナップル。午前中の自由時間に湖まで行き、湖畔で世界各地からの観光客に交わる。正午、ロビー集合、バスでマラソン受付(5㎞コース)あわせて市内遊覧、コース下見。ベトナム独立戦争の英雄ホーチンミンの廟など見学。市内レストランで顔合わせ夕食会。このころ鼻血がでて一晩止まらず。

11月3日。5時起床、部屋でヨーグルトとパンを食べ、6時にロビー集合、バスでマラソンスタート地点に到着。8時に5㎞コーススタート、鼻血を止めるチリ紙を鼻孔に差したまま。1㎞地点で8:25 いつものように集団のビリと思っていたら、まだ後続がいて、私と娘をすたすた抜いてゆく人が何人かいる。2㎞地点で8:50 3㎞地点にかかる手前で車とオートバイの混み合う十字路を巡査と係員の誘導でペースを落とすことなく歩道から車道へ、また歩道へと渡る。3㎞地点。ここから公園で人の少ない道になるので、路傍の腰掛で7分の休憩。鼻孔のチリ紙を取り換えると案外出血が少ない。3㎞から4㎞、5㎞と最後の力を絞って10:04ゴール。

この間、100歳のランナーとして地元の新聞に報じられたのか、それとも平均寿命が低く、90歳代が稀なベトナムで、ポールを両手に歩く姿が珍しいためか、並走するランナーやメディアの記者から何度もカメラを向けられたが、無事ゴールするとすぐ椅子を提供され、最後尾の私たちにずっと付き添ってくれた巡査や、多くの仲間とともに記念撮影。鼻孔のチリ紙を抜くと、昨夜から続いた鼻血がピッタリ止まっていた。

11時ごろホテルに帰り、部屋で仲間にもらったサンドイッチの昼食、14時頃ホテル横の店でベトナム麺、18時やはり近くの店で蟹スープを摂る。部屋のTVでBCCニュースなど見て就寝。

11月4日。8時、11階の食堂で朝食、スパゲッテイ、コヒー、りんごジュース、ヨーグルトなど。9時ホテル発、バスで高速道路を走り、12時ハロン湾到着、遊覧船で世界自然遺産の見学、見上げるような奇岩乱立。旅の疲れを忘れる絶景。船上でアサリなど海鮮料理。2時間の遊覧の後、ハノイ市内に帰り、フランス料理レストランでお別れ会。

11月5日。4時起床、8:20ハノイ空港発、16:20(日本時間)成田着。昼食は機内でベトナムのスパゲッテイ。19時帰宅。疲労困憊。

翌朝は熟睡したのに起き上がれないほどの疲労。その翌日、疲れは左ひじに痛みとなって現れ、数日後、その痛みは左手首に移り、全身の疲労回復にほぼ10日、全快には20日間か。

実はハノイにはマラソンの他に今一つの魅力があった。それは社会主義国の首都と言うことだ。結果的に、底辺に歯止めがかかって貧しくとも豊かな国という甘い期待は外れた。新興国の現実は厳しい。現地で感じたことは:

第一に水道水は生で飲めない。飲めば必ず下痢する、と。下部構造の重大な欠陥だ。

第二に、車道の両側にある歩道、これが物置のようで、乗り捨てのオートバイや車がずらりと放置されている。本道にはバスや車に混じってオートバイがイナゴの大軍のように走っているが、その乗り捨てオートバイの山だ。その横に車も放置。飲食店前の歩道には粗末な机と椅子がおかれ、お客はそこで飲食している。歩行者はそれらの間をすり抜ける。歩道の敷石は壊れたまま補修されていない。ただ並木は素晴らしい。遠望すれば森のように生えている。ホテルに近い一本は夜になると電飾されていた。

第三に、現地のガイドに聞くと、家賃の急騰で若者は悲鳴を上げているという。土地は国有らしいが家屋は私有で住宅政策は見当たらない風。経済の実態は資本主義とのこと。保険により成年になるまでは医療費は無料で、そこは社会主義的のようだ。

第四に、民生を置いて、空港や高速道路は国際基準で建設されているが、ベトナムでは紙が厚くて、ティシュのような薄い紙がない。国際空港のトイレに入ると、トイレットペーパーも固くて詰まる恐れがあるので、尻を吹いた紙は便器に流さず、横に置かれた容器に入れる。ホテルのトイレの紙も同じ固い質だが、ここで用済みの紙は便器に流してよかった。ホテルの寝間着は暑い国なのに厚いごわごわの木綿で、湯殿のバスタオルも厚くてごわごわの木綿。ティシュや薄い織物をつくる軽工業が欠けているのだろうか。ホテルには冷房があった。旧宗主国のフランスには冷房がないが。

第五に、湖畔をめぐる世界各地からの観光客を見ていると、ベトナムは高級保養地ではないようだ。長い過酷な労働生活を終えた人々が選んだ治安の良い旅先のようだ。

暗い話ばかりのようだが希望の光もある。それはホーチミンが指導したベトナム独立運動の歴史だ。

戦前を引き継いだ第2次世界大戦後の独立運動でも、日本占領軍、フランス復帰軍との戦いを経て、1964年に米艦船が魚雷攻撃を受けたという偽造のトンキン湾事件以降、米軍の大規模な戦略爆撃に耐えて死闘を繰り返し、「象と蟻」の戦いと言われる劣勢を跳ね返し、10年後、ついにサイゴンに無血入城して民族解放を果たしたが、この間、北ベトナム軍の死者は90万人、南北ベトナムの民間人の死者100万人という膨大な犠牲者と荒廃した国土を代償にした独立だった。

米国は共産主義のドミノから民主主義を守るという大義を掲げ韓国、オーストラリアなどの援軍を得て戦ったが、枯葉剤散布によって無辜の現住民2世3世にまで後遺症をもたらしてまで守らなければならぬ民主主義とは一体何だろう。

死闘を戦い抜いたベトナム国民の首都ハノイにはベトナム共産党主席ホーチミンの壮大な廟があり、その隣に国会議事堂、その隣にベトナム共産党本部がある。ベトナム共産党の権威に比類がないのは当然で、これを権威主義と非難はできないだろう。願わくば、戦時から平時への切り替えを、成功裏に果たしてほしい。

ハノイの人は親切だった。旅行関係者の商売上だけでなく、ホテルに近い屋台で食事を終えて立ち上がろうとして二三度尻もちをつくと、見も知らぬ店の客がすぐに後ろから支えてくれた。そんなことが再度あった。無償の親切はベトナム人の国民性だろうか、それとも社会主義国の特性だろうか。後者であって欲しい。

それに帰国後教えられたがベトナムの購買力平価GDP成長率が今年は8・4%と高い見込みである由。中・ロ・インド・ブラジル・南アフリカなどの新興国会議BRICSが、今回、ベトナムをパートナー国候補にしたとも。ベトナムは隣国の中国に恐れを持っている旨、現地のガイドから聞いていたので、中べ関係の修復を喜びたい。

北のハノイ市から南のホーチミン市まで、高速鉄道建設計画の浮上したことを、これも帰国後聞いた。明るいニュースだ。

この年齢になっての6時間の機内は辛かった。次の機会にはビジネスクラスにしよう。

経費は団体旅行費18万円、雑費2万円、計一人20万円ほど。

ZKMからの参加者は41名。(内:フルコース9名、ハーフコース4名、10kmコース10名、5kmコース11名、応援7名。男性22名、女性19名。成田空港発13名、関西空港発28名。)

以上、まとまらぬ旅行記をお詫びしたい。

伊部正之氏報告レジメ批判

福田玲三

完全護憲の会ニュース124号の第10頁に次の記事がある。

 「5月26日に開催された『三鷹事件から75年 事件の真相究明と再審開始決定を求めるシンポジウム』主催:三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」の参加報告を鹿島委員が行った。要旨は以下の通り。

  ……福島大学松川資料館開設に尽力された伊部正之氏(福島大学名誉教授)は、『アメリカ単独占領下の情勢について』報告し、『三鷹事件』は終戦後、GHQ・連合国総司令部の当時下で、国鉄が95000人・首切り合理化、労使紛争の下における謀略事件として発生したことを詳述した。」

 5月26日当日、筆者(福田)は母校大阪外語訪問の予約があって、東京のこのシンポに欠席したので、シンポに出席した鹿島委員から、当日配布された伊部正之氏の報告レジメ(「戦後謀略事件の背景―アメリカ単独占領下の日本」)を見せてもらった。この報告レジメはA4版20頁に及んでいるが、その中に見逃し得ない個所がある。それは11~12頁に掲載されている下山事件についての項目だ。この項目は次のように結ばれている。

 「NHK・BS『未解決事件・下山事件』完全版(2024)……新たな事実も発掘

  田口滋夫(読売新聞記者)『下山事件』……正式タイトル未定

   伊部も協力惜しまず(詳細略)  →2024年夏発刊予定(中央公論新社)」

 この「NHKスペシャル 未解決事件 下山事件」は第1部ドラマ、第2部ドキュメンタリーとして、さる3月30日に放映され、さらに4月29日に再放映されている。

 この「NHKスペシャル」の結論は「他殺」であり、誰が殺したかは、さまざまな情報を集めて右往左往し、結局は迷路に踏み込んで出られず、お手上げしている。

 しかし、国鉄総裁下山定則氏の轢死は物的証拠により自殺であることが明らかだ。

 他殺説のすべては東京大学法医学教室による死後轢断という鑑定に寄っている。

 ところが東大法医学教室主任の古畑種基は弘前事件、罪田川事件、島田事件、松山事件で誤った鑑定を生み、その著『法医学の話』(岩波書店)は出版停止、ついで絶版とされた。

 その後、交通事故にかかわる法医学は格段に進歩し、北海道大学の錫谷徹氏は下山総裁が立ったまま機関車に激突、絶命したことを明らかにしている。

 下山総裁が初老期のうつ憂病によって自殺に至った事情について、私は『地域と労働運動』誌289(2024年10月号)に詳述し、それを本稿に添付したので、関心のある方は一覧されたい。

 伊部正之氏は福島大学内に設置されている松川資料室や松川運動記念会の世話に当たっていただいているようだが、今回の報告レジメには思いもよらぬ偏狭、セクト性のある記述が見られる。佐藤一氏は松川事件被告団の実質的な団長のような役割を果たされた方だが、この佐藤氏がその妄言の対象になっている。

 私は松川事件対策協議会の会長・広津和夫、同事務局長・小沢三千雄氏に師事し、ほとんどすべての松川運動史に引用されている「東京都松川懇談会のなりたちと要綱」の起草者として、伊部氏報告レジメの記述に反論しないわけにはいかない。

 伊部氏が振りまこうとしている妄言は、松川の名を掲げて松川運動の心とは正反対の偏狭性を表明していると。その筆致からすると、これは一部セクト的潮流の見解を代弁しているようにも見える。心ある人は『勝利のための統一の心』(小沢三千雄私家版、1979年刊)を読んでみてほしい。いかに松川運動の心が汚されているか、地下における両師の嘆きが聞こえるようだ。しかし真実は不変だ。いつか暗雲が去れば太陽は輝くだろう。

NHKスペシャル未解決事件下山事件

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2024年10月18日 | カテゴリー : ⑧司法 | 投稿者 : 福田 玲三

新旧首相の言動を憂う――時事短歌4首

曲木草文

アベ政治なぞり増幅しただけよ 軍拡・増税残し去りゆく
原爆を落とした国にすがりつく 広島選出首相のありき

アジア版NATOの隣国敵視では 抑止にならぬ戦争招く
核共有・核抑止にて守るとや 抑止破れし時を考えず

「絶対的単独親権制」を撃つ―違憲判決を求めて

(弁護士 後藤富士子)

1 離婚後の「単独親権制」―手続の強制結合
 親の「子育て」は、父母各自に固有の自然権であるところ、憲法24条1項・2項により父母の平等が定められている。それに伴い、民法818条3項では、婚姻中は父母の共同親権とされている。
 一方、「夫婦」が「父母」であっても「離婚の自由」は保障されており、離婚の合意が得られない場合には、離婚に抵抗する配偶者に対し裁判所が離婚を強制できる(民法770条)。しかるに、離婚後は父母どちらか一方の「単独親権」とされている(民法819条)。しかも、離婚と単独親権者指定は同時決着させるべきとされ、同一の手続において処理されている。
 しかしながら、「子育て」の意欲も能力もある親であっても、「離婚」により親権を喪失するとなると、「離婚事件」でありながら、真の紛争は離婚ではなく、「子育て」ができなくなることを回避することに収斂していく。父母どちらも「子育て」の意欲も能力もある場合でも、どちらか一方が親権を喪失するのであり、それ自体が理不尽であるだけでなく、「離婚紛争」が長期化して「子育て」に悪影響を及ぼす。また、単独親権者を指定する家裁の実務では、調査官調査により、現に子の身柄を確保している親の監護が子の福祉に反するか否かを判断基準にするから、「現状維持」の結論になり、結果として子の福祉に反する親を親権者に指定することもある。
 このような有害無益な司法手続をやめるには、親子関係の問題は親子法の中で、婚姻関係の問題は婚姻法の中で解決する手続にすればよいのである。すなわち、手続の結合を外すことであり、そのためには単独親権制を止めれば足りる。そうすると、現行の民法766条は、婚姻法(離婚法)ではなく、親子法の条文になるはずである。

2 親の「子育て」と「親権」「監護」
 親の「子育て」は、人為的な法制度よりも前に、原初的に形成されるものであるから、「親権」「監護」を含みながらも、それよりも広範囲なものである。ちなみに、アメリカでは、まさに「子育て」を意味する「parentig」という語が使われている。この用語にすれば、社会学的実態に即した「同居親」と「別居親」という区別になり、「監護親」と「非監護親」、「親権者」と「非親権者」という父母間の差別的対立を排除できる。
 すなわち、「単独親権制」は、紛争を解決するためには有害な障壁になっている。「単独親権制」を止めるだけで、離婚後も父母のどちらも「子育て」することが前提となる。したがって、父母各自ができることをやるという「パラレル・ペアレンティング」(並行的親業)が家事事件手続のテーマになり、「二者択一の対決」から「二者共存の調整」の手続に変更される。これこそ家事司法の面目躍如というべきであり、「子の最善の利益」を実現する手続になる。

3 子の権利主体性
 「単独親権制」を前提とする手続は、「子の監護に関する事項」がテーマでありながら、当の子を手続の当事者とはせず、専ら大人が観念的な「子の福祉」を弄んでいる。
 すなわち、「子育て」について父母を「二者択一の闘争」に投げ込み、その狭間で子に著しいストレスを与える。このような家事司法制度と実務運用は、もはや児童虐待というべき域に及んでいる。それは、憲法24条2項で保障されるべき「個人の尊厳」を脅かすだけでなく、「児童の権利条約」の基本理念と相容れない。

4 結論
 離婚後の単独親権制を定める民法819条は、憲法24条2項で保障される「個人の尊厳」および「両性の本質的平等」に反するゆえに無効である。

(2024年10月4日)

2024年10月4日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

志位和夫『共産主義と自由』を読む  

合田寅彦(2024・9・6)

新聞広告を目にして講演録である上記の書を買い求めた。読み進めている途中、なぜだか北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海道五十三次」の浮世絵が頭に浮かんでいた。どちらも、身分社会の厳しい言わば自由にほど遠いと思われがちな江戸時代にあって、平和な庶民の姿を描いている。そこに権力者の姿はどこにもない!そんなイメージが頭をかすめながら同時にマルクスの『資本論』を基に語る志位氏の「おとぎ話」に聞き入る民青諸君の素直な顔を活字の向こうに思い浮かべていた。九十を目前にしたさび付いた頭脳の私に良い刺激を与えてくれた本書に感謝しないわけにはいかない。

若き日のマルクスは「ヘーゲルの弁証法」と「フォイエルバッハの唯物論」を学ぶ中で彼独自の「資本制社会における人間疎外(労働疎外)」を深く認識し(「経済学哲学手稿」)、かの有名な「フォイエルバッハに関するテーゼ11」で「かつて哲学者は歴史をさまざま解釈してきたが、肝心なことは変革することである」(おぼろげな私の記憶)と言いきったのだ。

さて、志位氏の講演を聞いた民青諸君はそこから何を会得したのであろうか。自分たちの日頃の活動(共産主義社会実現に向けての)に自信なり可能性なりを感じ取れたとしたら、それは志位氏のどこのどのような言辞がそれにあたるのだろうか。彼の講演が「おとぎ話」でないとの認識に立つのであれば、だが。

19世紀中葉のヨーロッパ(イギリス)は10歳程度の子供が平気で12時間もの労働をさせられていた社会であった。マルクスはエンゲルスの力や当時の『児童労働調査委員会報告・証言』を借り受け、そのあたりのことを「資本論」(第一巻)で克明に記述している。「資本制社会の崩壊」がまさしく人間解放の実現そのものであったのだ。だからこそ労働者の国際的団結が必要であった。マルクスの第一インターナショナル、レーニンの第二インターナショナル、ルクセンブルグの第三インターナショナル、トロツキーの第四インターナショナルはそのような社会革命のイメージを、労働疎外に身を置く労働者の国際的連帯に描いたのだ。

現実には、日本ばかりか世界中の労働運動が壊滅的状況にある。ではそれに代わる市民運動はどうか。すでにべ平連のような市民運動もなければ、残念なことに「日米安保破棄!」の一大国民運動もない。日米軍事同盟批判を口にする政党は「共産党」と弱小「社会党」と「れいわ」しかない。

では志位氏は、「おとぎ話」としてではなく、どのような社会認識に立って望ましい「共産主義社会での自由」を現実社会と結び付けて民青諸君に語ろうとしているのか。私にはそれがまったく見えない!

「共産主義社会の自由」があたかもコロナウイルスのように個人の価値観とは関係なく資本制社会に蔓延するものであれば、そのウイルスを肯定的に扱えばすむことだが、そんな都合の良いことはあり得ない。そうであれば、仮に共産主義が実現したとして、「志位氏の語る自由」はそれまでに身に刷り込まれた庶民の「個人所有の価値観」とどこでどう折り合いをつけるというのか。かつてのロシアのように強権により弾圧するのであれば別だが。資本制社会が崩壊すれば必然的に解決するものではなかろう。文学者であらずとも、人間がそんな単純な存在でないことくらい志位氏であれば分かろうものを。講演の中でその部分を志位氏は全く触れていない。来るべき「共産主義社会」にあって「政治権力」は存在するのかどうか。旧来の彼ら個人所有者に対し(当然抵抗はあろう)、かつてのロシア革命の自営農民弾圧のようなことをしないとの前提にたてば、でのことだが。

私なりに共産主義社会実現のイメージを考えてみたい。かつてのように、革命的労働者による政権奪取はありえない。なにしろ労働組合がないのだから。力による実現は不可能だという認識の上に立って。

考えられることは、貧困家庭を抱え込んだ「大まかな生活協同体」(財産の共有にまでいけばなお良い)がそれこそ全国津々浦々に誕生し、よい結果を生んでいることが大多数の国民の目にしかと認識されたときであろう。共産党員であればこそ、自分たちの間だけでもそれに似た生活共同体があっていいと思うが、どこにもない。かの「ヤマギシ会」の生みの親・山岸巳代蔵にその考え(ヤマギシズム)があったらしいが。

志位氏は現実に共産党という革新政党の指導者であるにもかかわらず、彼の言辞からそうした「共産・共有」のイメージがどこにも感じられない。かつてのフランス革命の合言葉「自由・平等・友愛」の「友愛」がここで言う「共有」にあたる。その「共有」の観念抜きに「共産主義的自由」があたかもそれ自体独り歩きするなどとは、「幻想」に過ぎないではないか。つまり、志位氏の講演が「おとぎ話」であるということだ。

以下がもう一つの志位氏批判の核心だ。あるべき共産主義社会の「自由」を語る前に、その「共産」を頭に冠する日本共産党という政治組織に果たして「人間の思考の自由」はあるのか。

結党以来100余年の日本共産党がこれまでにどれだけの数の党員を「反党分子」として除名してきたか。「権力の回し者」が仮にその中にしたとしても・・・。

未来社会を築こうとしてきた党であってみれば、その未知の社会へのイメージが多様であることはむしろ「財産」であろうに、文学者をはじめ多くの思想家を異分子として排除してきたのではなかったか。己の組織に多様な思考の自由がなく、どうして「党がイメージする未来の人間社会」に「自由がある」と語ることができるのか。近 しい共産党員が数名いる。みなさん「善人の塊」のような人たちばかりだ。ただし党の任務に縛り付けられている見るからに可哀そうな「市会議員の
某」一人を除けばだが。傍観していて滑稽である。とはいえ、その地域共産党員皆さんの口にする言葉はすべて「コピーされたもの」との印象を抱くものばかりだ。「共産主義社会での人間の自由」を語る前に、「おのが党の言論の自由がどれほど狭められているか」をこそ党員各位は自覚すべきであろう。

親の自然権としての「子育て」

(弁護士 後藤富士子)

1 「ペアレンティング」という概念
 アメリカでは、そもそも日本の民法で定められている「親権」に相当する語はなく、いわば財産管理権を除く「監護権」=「custody」が法律用語となっている。したがって、日本で「共同親権」というのは、「joint-custody」と英訳されるのが一般的である。
 これに対し、社会学や教育学の文献あるいは大衆向けの書物では、「parentig」という語が使われている。この意味は、「子育て」「育児」「親業」である(ランダムハウス英和辞典参照)。
 ちなみに、『離婚後の共同子育て』(エリザベス・セイアー&ジェフリー・ツィンマーマン著・青木聡訳)の原題は「The Co-Parentig Survival Guide」である。また、『離婚と子ども』の著者である棚瀬一代教授(当時)も「ペアレンティング」という語を用いているし、離婚後の「共同子育て」に関し「パラレル・ペアレンティング」=「並行的親業」を提唱していた。
 ところで、「ペアレンティング」という概念は、専ら「親の作為」を意味しているところ、それは法律上の「権利」といえるのだろうか。日本の民法で定められている「親権」「監護権」が親の権利であることに鑑みれば、「ペアレンティング」が親の権利であることに疑いをはさむ余地はないと思われる。
 むしろ、「パラレル・ペアレンティング」が「共同子育て」の一形態とされることに照らせば、民法が定める「親権」「監護権」の内実が空洞化しているように思われてならない。その根本原因は、「子育て」という現実的・実際的な内実と乖離して、離婚により片親から親権を剥奪する単独親権制にある。さらに、それを埋め合わせるために、親権者とならなかった親が、「子育て」からは程遠い「面会交流」を家事事件手続により追求しても、結果は虚しい。

2 「親権」と「後見」の根本的差異
 近代法の親子関係の中核は、親が子を哺育・監護・教育する職分であり、民法はこれを「親権」として規定する。親と子は、血縁的関係者の中でも最も緊密なものであるから、両者の関係は親権に尽きない。習俗的・倫理的にそうであるだけでなく、法律の上にも現れる(例えば相続)。しかし、広い意味での親子の法律的関係のうちで、親権すなわち親の子を哺育・監護・教育する職分を中核として特別の取扱をすることが、近代法の特色である。
 ここで「職分」とされるのは、他人を排斥して子を哺育・監護・教育する任に当たりうる意味では権利であるにしても、その内容は、子の福祉をはかることであって、親の利益をはかることではなく、またその適当な行使は子および社会に対する義務だとされることである。この点で国家の監督が問題になるし、その意味では「親権」と呼ぶことがすでに不適当と考えられている。
 また、その「職分」の内容を包括的なものとせず、場合によっては分離しうるものとすることも考えられている。それは、親権の内容を包括的な単一のものとするときは、おのずから親権者の支配的色彩が強くなることを恐れ、内容を具体的な権利の集合とみようとするのである。しかし、子の健全な育成をはかるという職分の内容を具体的に列挙することは不可能である。
 そして、このような近代法の特色を前提とし、「親権」と「後見」の区別を認めず、すべて後見として、父母があるときは父母が後見人となるイギリスの制度が検討される。実際、日本でもこのような制度を採用すべしという主張があった(中川善之助)。これに対し、我妻栄は、「自然の愛情を基礎とし、それによってある程度の保障のある親権と、そうしたもののない後見とにおいて、その内容の区別(国家の監督の強弱)を認める必要がないかどうかが検討されなければならない。」としたうえで、「私はまだ差別の抹消に踏み切る確信をもてない。」と吐露している(有斐閣:法律学全集23『親族法』:平成6年8月30日初版第42刷発行/317頁)。
 このように、「親権」と「後見」の根本的差異は、親子であることによって生まれる「自然の愛情」を基礎とできるか否かにかかっている。このことは、親の「子育て」が、人為的な法制度よりも前に、原初的に形成されるものであることを認めている点で、「自然権」と呼ぶのに相応しいと思われる。

3 親の「子育て」と憲法
 ドイツ基本法6条2項は、「子の養育および教育は、両親の自然の権利であり、かつ、何よりもまず両親に課せられている義務である。その実行に対しては、国家共同社会がこれを監視する。」と定めている。そして、1982年11月3日、連邦憲法裁判所は、離婚後の親の単独配慮(1979年、「親権」は「親の配慮」に改正)を定めたドイツ民法(BGB)1671条4項1文は、前記基本法に抵触するゆえ無効であるとする違憲判決を下している(日弁連法務研究財団『子どもの福祉と共同親権』所収/鈴木博人「ドイツⅠ」143頁参照)。このように、ドイツでは、子の養育および教育が「両親の自然の権利」と憲法で明記されている。
 一方、前項で検討したように、日本においても、親の「子育て」は「自然権」と考えられる。そして、「自然権」は基本的人権であるから、憲法に根拠があるはずである。
 まず、婚姻中の父母の共同親権を定めた民法818条3項は、日本国憲法24条に基づくものである。同条2項は、婚姻や離婚等家族に関する事項について、「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」としている。そして、1項では、特に婚姻に限って「夫婦が同等の権利を有することを基本」とする旨を定めている。そうすると、婚姻中は父母の共同親権であることは、同条1項2項で重複して保障しているにすぎず、離婚後は単独親権を絶対的に強制する法律は、同条2項に抵触すると言わなければならない。
 しかるに、そのような議論-絶対的単独親権制違憲論-が日本の司法界で低調なのは、親の「子育て」についての権利性が理解・認識されていないからである。結局、戦後の民法改正レベルでは、「男女平等」という点で「家父長」制が否定されただけで、「個人の尊厳」という理念が顧みられず、「家」制度の廃止は不発に終わったのであろう。だから、民法の家族法全面改正から77年経過しようとも、「法律婚優遇」という国家権力による権威主義的政策によって「家」制度は生き延びている。

(2024年9月25日)

2024年9月25日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

Q&A 志位和夫『共産主義と自由』を読む  

合田寅彦(2024・9・6)

新聞広告を目にして講演録である上記の書を買い求めた。読み進めている途中、なぜだか北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海道五十三次」の浮世絵が頭に浮かんでいた。どちらも、身分社会の厳しい言わば自由にほど遠いと思われがちな江戸時代にあって、平和な庶民の姿を描いている。そこに権力者の姿はどこにもない!そんなイメージが頭をかすめながら同時にマルクスの『資本論』を基に語る志位氏の「おとぎ話」に聞き入る民青諸君の素直な顔を活字の向こうに思い浮かべていた。九十を目前にしたさび付いた頭脳の私に良い刺激を与えてくれた本書に感謝しないわけにはいかない
若き日のマルクスは「ヘーゲルの弁証法」と「フォイエルバッハの唯物論」を学ぶ中で彼独自の「資本制社会における人間疎外(労働疎外)」を深く認識し(「経済学哲学手稿」)、かの有名な「フォイエルバッハに関するテーゼ11」で「かつて哲学者は歴史をさまざま解釈してきたが、肝心なことは変革することである」(おぼろげな私の記憶)と言いきったのだ。

さて、志位氏の講演を聞いた民青諸君はそこから何を会得したのであろうか。自分たちの日頃の活動(共産主義社会実現に向けての)に自信なり可能性なりを感じ取れたとしたら、それは志位氏のどこのどのような言辞がそれにあたるのだろうか。彼の講演が「おとぎ話」でないとの認識に立つのであれば、だが。
19世紀中葉のヨーロッパ(イギリス)は10歳程度の子供が平気で12時間もの労働をさせられていた社会であった。マルクスはエンゲルスの力や当時の『児童労働調査委員会報告・証言』を借り受け、そのあたりのことを「資本論」(第一巻)で克明に記述している。「資本制社会の崩壊」がまさしく人間解放の実現そのものであったのだ。だからこそ労働者の国際的団結が必要であった。マルクスの第一インターナショナル、レーニンの第二インターナショナル、ルクセンブルグの第三インターナショナル、トロツキーの第四インターナショナルはそのような社会革命のイメージを、労働疎外に身を置く労働者の国際的連帯に描いたのだ。
現実には、日本ばかりか世界中の労働運動が壊滅的状況にある。ではそれに代わる市民運動はどうか。すでにべ平連のような市民運動もなければ、残念なことに「日米安保破棄!」の一大国民運動もない。日米軍事同盟批判を口にする政党は「共産党」と弱小「社会党」と「れいわ」しかない。

では志位氏は、「おとぎ話」としてではなく、どのような社会認識に立って望ましい「共産主義社会での自由」を現実社会と結び付けて民青諸君に語ろうとしているのか。私にはそれがまったく見えない!
「共産主義社会の自由」があたかもコロナウイルスのように個人の価値観とは関係なく資本制社会に蔓延するものであれば、そのウイルスを肯定的に扱えばすむことだが、そんな都合の良いことはあり得ない。そうであれば、仮に共産主義が実現したとして、「志位氏の語る自由」はそれまでに身に刷り込まれた庶民の「個人所有の価値観」とどこでどう折り合いをつけるというのか。かつてのロシアのように強権により弾圧するのであれば別だが。資本制社会が崩壊すれば必然的に解決するものではなかろう。文学者であらずとも、人間がそんな単純な存在でないことくらい志位氏であれば分かろうものを。講演の中でその部分を志位氏は全く触れていない。来るべき「共産主義社会」にあって「政治権力」は存在するのかどうか。旧来の彼ら個人所有者に対し(当然抵抗はあろう)、かつてのロシア革命の自営農民弾圧のようなことをしないとの前提にたてば、でのことだが。

私なりに共産主義社会実現のイメージを考えてみたい。かつてのように、革命的労働者による政権奪取はありえない。なにしろ労働組合がないのだから。力による実現は不可能だという認識の上に立って。
考えられることは、貧困家庭を抱え込んだ「大まかな生活協同体」(財産の共有にまでいけばなお良い)がそれこそ全国津々浦々に誕生し、よい結果を生んでいることが大多数の国民の目にしかと認識されたときであろう。共産党員であればこそ、自分たちの間だけでもそれに似た生活共同体があっていいと思うが、どこにもない。かの「ヤマギシ会」の生みの親・山岸巳代蔵にその考え(ヤマギシズム)があったらしいが。
志位氏は現実に共産党という革新政党の指導者であるにもかかわらず、彼の言辞からそうした「共産・共有」のイメージがどこにも感じられない。かつてのフランス革命の合言葉「自由・平等・友愛」の「友愛」がここで言う「共有」にあたる。その「共有」の観念抜きに「共産主義的自由」があたかもそれ自体独り歩きするなどとは、「幻想」に過ぎないではないか。つまり、志位氏の講演が「おとぎ話」であるということだ。
以下がもう一つの志位氏批判の核心だ。あるべき共産主義社会の「自由」を語る前に、その「共産」を頭に冠する日本共産党という政治組織に果たして「人間の思考の自由」はあるのか。
結党以来100余年の日本共産党がこれまでにどれだけの数の党員を「反党分子」として除名してきたか。「権力の回し者」が仮にその中にしたとしても・・・。
未来社会を築こうとしてきた党であってみれば、その未知の社会へのイメージが多様であることはむしろ「財産」であろうに、文学者をはじめ多くの思想家を異分子として排除してきたのではなかったか。己の組織に多様な思考の自由がなく、どうして「党がイメージする未来の人間社会」に「自由がある」と語ることができるのか。近くは松竹某氏の除名があったではないか。笑止千万と言うに等しい。
私の地域にごく親しい共産党員が数名いる。みなさん「善人の塊」のような人たちばかりだ。ただし党の任務に縛り付けられている見るからに可哀そうな「市会議員の某」一人を除けばだが。傍観していて滑稽である。とはいえ、その地域共産党員皆さんの口にする言葉はすべて「コピーされたもの」との印象を抱くものばかりだ。「共産主義社会での人間の自由」を語る前に、「おのが党の言論の自由がどれほど狭められているか」をこそ党員各位は自覚すべきであろう。