Fazıl Say ~ Nâzım Oratoryosu Live「ナーズムオラトリオ」ライブ動画のご紹介

原爆で紙切れのように燃やされ灰になった7才の少女。10年経っても7才のまま。。。とあるから1955年にナーズム氏が書いた詩に(1963年に亡命先ロシアで死亡)、今のトルコ政府の依頼で、今人気のトルコ出身のピアニストであり作曲家のサイ氏が曲を書き、自らピアノを弾く。1時間半の大曲オラトリオには神の登場はなく、平和を願う人間の祈り、魂の叫びで原爆を投下したアメリカを糾弾するオラトリオらしいオラトリオになって、現代人の心を揺さぶる。演奏終了後の数千人の聴衆の拍手、歓声に唯一の被爆国日本もしっかりせねばと叱咤された。

ファジール・サイさんの演奏はYouTubeにたくさんアップされていますが、この曲はトルコ語(アルファベットだけで大丈夫です)で検索しないと見つかりません。

この動画には、YouTubeの自動翻訳で日本語字幕を表示させられますが、詩のコンピューター翻訳はダメですね。

古いものですが、ナームズ・ヒクメット氏の詩集はAmazonで手に入ります。

戦闘機輸出を憂う――時事短歌2首

曲木草文

戦闘機輸出その先幾万の 死屍累々われは関せず

戦闘機輸出したとてわが国の 平和主義変わらぬとうそぶく

防衛庁ホームページより
次期戦闘機のイメージ
(防衛庁ホームページより)

自衛隊による靖国神社集団参拝の危うさ

柳澤 修

 今年1月9日、陸上自衛隊の小林弘樹・陸上幕僚副長(陸将)が東京・九段の靖国神社を陸自幹部らと集団で参拝したことが分かった。その後昨年5月17日に、海上自衛隊の練習艦隊司令官・今野泰樹海将補はじめ、一般幹部候補生課程を修了した初級幹部ら165人が集団参拝したことも判明した。

1974年の事務次官通達では「神祠(しんし)、仏堂、その他宗教上の礼拝所に対して部隊参拝すること」などを「厳に慎むべきである」としている。

しかし、防衛省は陸自の集団参拝について調査結果を発表し、「おのおのの自由意思に基づき私人として行った私的参拝」と認定。上記の次官通達に違反しないとした。同じく海自の集団参拝について酒井良海・海上幕僚長は、「研修の合間に個人が自由意思のもとで私的に参拝した」とし、「問題視することもなく、調査する方針もない」と会見で述べた。

 結果的に、陸自幹部が公用車を使って参拝したことが問題視され、参拝した幹部3人が訓戒の処分を受けたが、集団参拝自体は事務次官通達違反とはしていないのだ。

 最も強力な暴力装置としての自衛隊幹部の思考に恐ろしさを禁じ得ない。事務次官通達以前に、日本国憲法20条を何ら理解していないことに恐ろしさを感じる。

憲法20条

  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政 治上の権力を行使してはならない。

 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

防衛省や制服組幕僚幹部は、「私人」を強調するが、上意下達が最も徹底された組織である自衛隊にあって、上からの命令や計画は至上であり、自由意思が許される範囲は極めて少ない。現にいずれの集団参拝も厳密な計画があったのだ。それにも関わらず、正々堂々と「私人」だの「自由意思」だのと都合のいい言葉を持ち出して、参拝を正当化するのはもってのほかである。

こうした防衛省・自衛隊の傲慢さは、安倍政権以降の、集団的自衛権の容認や敵基地攻撃能力の保有など、憲法無視の政治が大いに影響を与えている。アメリカ一辺倒の外交・軍事政策により台湾有事などを盛んに煽り、「新しい戦前」に対処するには、軍国主義の精神的支柱として国民を戦争に動員する役割を果たした靖国神社がもってこいの存在なのだ。

 また、靖国神社と自衛隊の緊密な関係は、4月1日から第14代宮司に元海将であった大塚海夫氏が就任することからも証明された。

前記したように、自衛隊は現在の日本で最も強力な暴力装置である。「文民統制が徹底されているから心配ない」と考えるのは、もしかしたら甘い考えかもしれない。制服組の幹部がこうした憲法認識しか持っていない組織には、大いなる危険が存在するのではないか。

こんな考えが杞憂であってくれればそれに越したことはないのだが。

(2024年3月21日)

2024年3月21日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : o-yanagisawa

「共同親権」は日本国憲法とともに

                        (弁護士 後藤富士子)

1 「共同親権」は、日本国憲法とともにやって来た
 憲法24条の家族観は、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」を基本理念としている。そのため、昭和22年の民法改正で家族法が抜本的に見直されている(「第4編親族」全部改正)。「共同親権」制もその一つである。戦前は「単独親権」制であり、第一次的に「家ニ在ル父」、第二次的に「家ニ在ル母」が親権者とされていた。つまり「家父長」制である。
 しかし、戦後の民法改正では、「男女平等」という点で「家父長」制が否定されたにしても、「個人の尊厳」という点で「家」制度の廃止は不徹底であった。というより、「個人の尊厳」という理念は顧みられなかったのかもしれない。「夫婦同姓の強制」や未婚・離婚の「単独親権」強制は、その典型と思われる。その根底にあるのは「法律婚の優遇」であり、それによって「家」制度が温存されたように見える。

2 「婚姻関係」と「親子関係」の峻別
 現行民法で、「共同親権」は「父母の婚姻中」に限定されている。離婚後は、父母どちらかの「単独親権」とされている。憲法で父母は夫婦として「同等の権利を有する」とされているのに、離婚後は「単独親権」になるのは何故なのか?「夫婦」でなくなるからなのか?父母が合意できるならいいけれど、「親権者でなくなる」「親権を喪失する」ことをどちらも受容できない場合、「単独親権」を強制する法律は、憲法の平等原則にすら反するのではないか?
 考えてみると、同じ人物が「夫婦」か「父母」かで異なる扱いを受けるなんて、まるでトリックである。これは、「婚姻関係」と「親子関係」が法律上峻別されているせいであろう。
 ちなみに、民法では、婚姻法(第4編第2章)の中に親子関係を直接律する規定はなく、「離婚後の子の監護に関する事項の定め等」(766条)の1箇条があるのみである。一方、第4編第4章「親権」には、「子の監護に関する事項」についての規定がない。「親権」の概念が「子の監護・教育」とされているうえ(820条)、「監護権」だけを喪失・停止させることはできないとされている(834条、834条の2、835条参照)。
 それでは、離婚前の別居段階ではどうなるのか? 法律上は夫婦の共同親権である。しかるに、「親権」の枢要部分である「監護」について民法に規定がないため、766条が準用ないし類推適用されている。その内容は、「監護者指定」「面会交流その他の交流」「養育費」「その他の子の監護について必要な事項」と広範囲である。しかし、同条は、離婚後の単独親権を前提としているから、どこまでいっても矛盾を免れない。しかも、同条4項では「監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない」とされている。
 そうすると、離婚後について「親権と監護権の分属」は法律上の根拠があるのに対し、離婚前の「単独監護者指定」は脱法というほかない。また、妻が子どもを連れ去って夫の親権行使を妨げていることも、違法(821条居所指定、820条監護教育)というほかない。
 このような矛盾・違法を克服するには、父母の離婚によって親子関係が変動しない、つまり、離婚後も共同親権にすれば足りる。換言すると、離婚後の単独親権制は、法律上峻別された「婚姻関係」と「親子関係」を結合するものであった。だから、ドイツの民法改正では、この「結合」を外したのである。

3 「女性差別撤廃条約」と「子どもの権利条約」
 昭和60年に発効した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」16条1項(d)は、「子に関する事項についての親(婚姻をしているかいなかを問わない。)としての同一の権利及び責任」を確保することを求めている。この規定からすれば、未婚・離婚の「単独親権」制は撤廃されるべきはずである。
 また、平成6年に発効した「児童の権利に関する条約」18条は「父母の共同責任」として「児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う」ことを締約国に求めている。ここでも、「父母」の婚姻関係は問われない。ちなみに、ドイツの民法改正は、「子どもの権利条約」の批准に伴うものであった。
 日本は、いずれの条約も批准して発効しているのに、未婚・離婚を含む「父母の共同親権」を原則とする法改正はされなかった。去る3月8日、漸く、離婚後の「共同親権」を認める民法改正案が閣議決定され、国会で審議されるところへ漕ぎ着けた。日本国憲法施行から77年、「女性差別撤廃条約」発効から39年、「子どもの権利条約」発効から30年である。

4 「単独親権」制は、「DV防止法」「児童虐待防止法」の代替措置ではない
 離婚後も父母双方が親権をもつ「共同親権」の民法改正について、DVや児童虐待の被害者や支援者が懸念を表明している。離婚前のDVや虐待の「立証が困難」であり、法改正は「被害者を守る制度を先に確立し、確実に運用されてからだ」という。
 しかしながら、「DV防止法」や「児童虐待防止法」は、被害者を守るための法律ではないのか。また、婚姻中でさえ、親権喪失・停止の審判ができる。それらを活用せずに、離婚後の単独親権制にすべてを代替させるが如き議論こそ、日本国憲法や「女性差別撤廃条約」「子どもの権利条約」を無視してきた元凶ではないか。それは、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という理念に希望をもたない人の思想である。でも、私は、熱烈に希望をもっている。

(2024年3月18日)

2024年3月18日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

若き米兵の焼身自殺を悼む――時事短歌3首

曲木 草文

ジェノサイド加担できぬと焼身す 若き米兵アーロン・ブッシュネル

ジェノサイド老いたるバイデン加担せり 若き米兵わが身焼き死す

君の名を記憶しましょう人の世の 続く限りにアーロン・ブッシュネル

                     

朝鮮人追悼碑撤去を憂う――時事短歌4首

曲木 草文

追悼碑ルール違反口実に 解体撤去歴史抹殺

追悼碑違憲条件押し付けて ルール違反とはこれ如何に

追悼碑ガレキと化して無残なり 歴史もろとも良心葬る

追悼碑「記憶 反省 そして友好」 全部壊したその先何ある

いまこそ自民党政治に「ノー」を突きつけなければならないときだ

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」

日本国憲法前文には、先の大戦で自国民300万人以上の人命を奪い、アジア太平洋諸国・地域に対しては、それ以上の甚大な人命を奪ったことを深く反省する意味で、冒頭の文言を謳(うた)い、憲法9条で非武装・戦争放棄を高らかに掲げている。戦後60数年間は、東西冷戦期にありながら、曲がりなりにもこの平和憲法の下、戦火にまみえることなく、平和国家としての地位を保ってきた。

しかし、戦前回帰的な思考が強い安倍晋三が首相をつとめた2006年~2007年の第一次、2012年~2020年の第二次安倍政権は、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を可能とする安保法制、愛国心などを教育目標に掲げ、加害の歴史を消し去る歴史教育を進めるための教育基本法などの改悪を行い、更には未達に終わったものの、憲法9条改悪による戦争放棄条項削除までも画策するなど、戦争のできる国へと、強引な政策を推し進めた。

そして現政権を率いる岸田文雄は、安倍政権を踏襲して右翼的思考を強め、敵基地攻撃能力の保有、防衛費のGDP2%以上への引き上げ、武器輸出の緩和など、憲法9条を蔑(ないがし)ろにする政策を次々に打ち出し、より戦争のできる国へと突き進んでいる。長期間外務大臣を経験したにもかかわらず、外交はアメリカ一辺倒で、地政学的に最も重要な中国との友好的な関係を築こうとする気配も見えない。アメリカと一緒になって「台湾有事」を煽り、中国を仮想敵国とみなす愚策は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」を起こしかねない環境を作り出しており、正に「新しい戦前」になってきている。

岸田の思考回路には、未だに安倍晋三の影が付きまとい、代表も決められない自民党内最大右派で、最大派閥の安倍派の力も影響している。

こうした状況下、岸田政権を襲ったのが、その安倍派の裏金問題である。二階派、岸田派からも裏金問題が発覚し、岸田は自らが率いた岸田派を解散し、安倍派、二階派も解散。この問題の根源が派閥の存在にあるかのようなすり替えを行った。検察捜査も国民の期待に反して、安倍派を中心とした派閥の幹部議員は誰も立件されず、逆に開き直りとも思われる発言も相次ぐ有様である。岸田も「丁寧な説明」を「促す」と繰り返すばかりで、自ら進んで指導力を発揮する姿勢が全く見られない。もはや自民党には自浄能力は期待できず、このような党に政治を任せることは、これ以上許されない。

折から2月16日から税金の確定申告が始まったが、裏金を作り、それを使っていた、あるいは貯めこんでいた議員には、その分の税金を課されることもなく、ただ政治資金収支報告書を訂正するだけである。裏金を作った罪、税金を払わない罪は免除されてしまう。企業や個人が裏金を作って脱税したら、税務署が黙っていないのとは対照的である。

岸田政権の支持率が20%を割り込む中、自民党に代わる政権を樹立しないと、平和国家日本は風前の灯火となる。国民は平和を守っていくために、自民党政治に一日も早く「ノー」を突きつける決断をしなければならない。

2024年2月19日  柳澤 修

朝鮮人追悼碑の撤去に抗議する

                       福田玲三

 群馬県高崎市の県立公園にある朝鮮人の追悼碑は、戦時中に強制連行されて死亡した朝鮮人を悼むために、2004年に建てられた。

 碑の建立は県議会が全員一致で賛同し、場所を提供し、「宗教的・政治的な行事はしない」との条件がついた。設置許可は10年間で、14年に再度、県に許可を得る必要があった。

 碑文は戦後50年の村山首相談話(1995年)や日朝平壌宣言(02年)などを踏まえ、外務省や県と調整を重ねてきめた。当初案にあった「強制連行」との記述は「労務動員」に変えた。

 ところが、朝鮮人追悼を疑問視する「日本女性の会 そよ風」が12年ごろから「反日的だ」と主張し始めた。碑の前で行った追悼式で「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などと発言した人がいたことを問題視した。

 14年に県は050612年の追悼式で「強制連行」などと発言したことが政治的発言に当たるとし、設置条件に反する行為があったと認定。碑の設置を不許可にした。

 「追悼碑を守る会」は14年、この処分を違法として提訴。前橋地裁は「政治的行事をしたからといって公園の効用を喪失したとはいえない」として「不許可は違法」としたが、東京高裁は「中立的な性格を失い前提を失った」として、処分を「適法」とした。

 この高裁判決が22年に最高裁で確定し、県は234月、撤去命令を出した。24年になって、県は129日から代執行で撤去を開始した。山本一太知事は、碑の目的は日韓・日朝友好だと認めたうえで、「碑を公園に置いて置くことは公益に反する」と説明している。

 いま、事の経緯を振り返ってみれば、12年末に第2次安倍晋三内閣が発足し、その後14年から20年まで安倍内閣が続き、この間、政府は加害責任の否認に努めた。群馬県議会が04年に全員一致で碑の建立に賛成し、20年後にその撤去に逆転した。この変化は正しく、「新しい戦前」を象徴している。

 戦時期、内地の労働力不足を補うための朝鮮人動員は70万人を超えており、それは「強制的」「拉致同然」だった。安倍政権は、北朝鮮による二十人前後の日本人拉致を前面に掲げ、その事実を隠した。日本人被害者家族にとって痛切なことは朝鮮人家族にとっても同じだ。日本人拉致被害者の救出は、まず数十万人の朝鮮人強制連行の非を詫びたうえで始めなければ軌道に乗らない。

 朝鮮人追悼碑を撤去する動きは、群馬県だけでなく、奈良県、長野県、福岡県でも起きており、これを煽るものは戦争挑発者といえる。

 憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに」し、そのためには、「不断の努力」が必要だと諭している。「表現の自由」も保障されねばならない。日本政府が犯した加害の歴史を抹殺してはならない。   (202424日)

 

100歳の「護憲」歩みは続く 戦争を体験 福田玲三さんの訴え

戦後80年近くがたち、戦争を知る世代が減る中、護憲活動を続けている100歳の男性がいる。東京都品川区の福田玲三(れいぞう)さん。戦争体験から、9条を守るだけではない「完全護憲」を訴える。93歳でフルマラソンを完走し、遅咲きの高齢ランナーとしても知られ、今も毎日歩く。死ぬまで護憲。歩みは止まらない。 (宮本隆康)

◆「戦争犯罪を忘れない」

 「日本の戦争犯罪を忘れることが、新しい戦前の一番の兆候だと思う。忘れさせようとすることは戦争に向かっていること」。昨年12月、東京都文京区のホール。100歳を記念した講演で、緊張が高まるアジア情勢などに懸念を示した。
講演会を終え、会場を後にする福田玲三さん=東京都文京区で
 岡山県出身。大阪外国語学校(現大阪大外国語学部)でフランス語を学んでいたが、2年の時に学徒動員で徴兵された。南方戦線に送られたが、一緒に出航した船は魚雷で沈没。戦地では空襲に襲われるなどしながら命を永らえ、インドネシアで終戦を迎えた。「演習で1人や2人死んでも構わん」。上官の言葉が忘れられない。「『死は鴻毛(こうもう)よりも軽し』という軍人勅諭通り、命は本当に軽視されていた」。終戦の日は泣いたが、翌日には「軍が嫌いだったから、うれしくなった」という。
 「戦争で負けたことがないから、負けるということを分かっていなかった。自分は男兄弟3人で、1人が徴兵されれば近所に顔が立つという雰囲気。息子5人が戦死した女性が泣いていても、戦争が良くないという考えには至らない時代」
 現地で捕虜になり、帰国したのは終戦から2年後。国鉄労組に就職し、占領軍統治下で起こった国鉄をめぐる下山、三鷹、松川の三大事件に遭遇し、被告の支援にあたった。当時、憲法に思い入れはなかったが、1984年の退職後に関わった労働運動の雑誌編集で憲法擁護論者の元官僚と出会う。やがて、第2次安倍晋三内閣発足後の改憲の動きに危機感を感じる。
 憲法を守りたい。戦争体験者や志を同じくする人たちと2014年、「完全護憲の会」を立ち上げた。数人の仲間と月1回の勉強会を重ね、政治課題を憲法に照らして評論する冊子も年2回発行している。

◆「戦争準備進んでいる」

 憲法の多くの条項の大切さを説く。「戦前は天皇主権だったが国民主権。一兵卒の犠牲は軽かったが基本的人権を尊重。禁句だった平和を尊重した。厳重に統制していた言論の自由も認めた」と戦前と比較する。「9条だけ守ろうとしても外堀を埋められたら守り切れない」。だから「完全護憲」なのだという。
 最近の反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や南西諸島の防衛力強化に懸念を抱いている。「戦争の準備がどんどん進んでいる。憲法の利点を生かして戦争に反対すべきだ」

◆93歳で「ホノルル」完走 今も現役ランナー

ホノルルマラソンのコース途上で=2016年12月、福田さん提供
 福田さんは50代半ばでマラソンを始め、今も現役ランナーとして大会に出場している。
 もともと休日に多摩川の岸辺などを軽く走っていたが、56歳の時に東京女子マラソンを見て「戦前はマラソンは特別な人がするものだったが、自分にも走れるのでは」と思い立った。2年後にフルマラソンを4時間18分で初完走した。
 これまで各地の大会で十数回のフルマラソン完走を果たした。93歳の時にはホノルルマラソンで完走。その後は、10キロや5キロの大会に出場を続けている。
 近年はつえを使うようになったが、雨や風が強い日も毎日1時間のウオーキングは欠かさない。
 「家に一日中いると、うつになる。歩けば気分がさわやかになるし、自信がつく。ご飯がおいしく、よく眠れる。たぶん犬の散歩と同じじゃないか。これをやっている限り長生きが続く気がする」と笑った。(東京新聞2024.2.8)