電通の新入社員の過労自殺に関する記事が、東京新聞10/29朝刊の29面に、過労社会[1]『新人は奴隷 超タテ社会』として特集された。
社の「鬼十則」で、仕事は「殺されても放すな」とあるように、一日2時間にも満たない睡眠時間での労働の強要の末の自殺。記事では、元電通社員(2001年入社)の体験として、社内の飲み会で、先輩の革靴に注がれたウイスキーを飲まされたことなどが明かされている。1991年に自殺した社員についても、同じく靴に注がれたビールを飲まされたとの記述が裁判記録に残っているそうだ。
この虐待ともいうべき上司からの奴隷的な仕打ちの記事を読み、ものすごい衝撃を受けるとともに、怒りが込み上げた。
写真家の福島菊次郎さん(1921年生まれ)の二等兵体験によると、古兵が新兵に靴底を舐めさせるリンチがあったそうで、初年兵いじめはこの国の軍隊の伝統だったという。訓練に耐え兼ねて自殺するものもあったが、そうした事実の口外は厳しく禁じられた。
私は、軍隊の中でこのようなリンチがあったということを一般に広く知らしめることには迷いがあった。模倣防止のためにはむしろ封印したまま日の目を見ることのないようにと願うことが賢明かとも思っていた。
けれども、このような仕打ちは、封印などされてはいなかった。タテ社会の中の奴隷的いじめや酷使という “ 現実 ” が、大企業の中で培養され続けていたとは! 私が無知なだけであった。
私はこのような現実を心から嫌悪する。
このどす黒い品性から生み出され続けるいじめの伝統を基調として私達へ日々送り届けられる広告は、一体私達に何を語っているのだろうか。
「静かなノモンハン」「遥かなインパール」などで知られる作家・詩人の伊藤桂一さん死去(99歳)のニュースが、東京新聞11/1朝刊の社会面で取り上げられた。“ 戦争指導者の責任問う ” の副題で、〈 一連の作品に描かれた兵士たちの悲惨な運命と、無謀な作戦でそれを強いた指導者の無能と無責任。「この構図は現在も変わっていない。日本が変わらないのは、あの戦争について真剣に考えなかったからです。いつまでもそれをおろそかにしていると、また同じことを繰り返すでしょう。」と伊藤さんは話していた。〉と評している。
映画「クワイ河に虹をかけた男」は、永瀬隆さん(1918年生まれ、元陸軍通訳)が、戦後の人生を捧げて泰緬鉄道(「死の鉄道」)への償いを行ったドキュメンタリーだ。永瀬さんは、戦時中、日本軍による多くの連合国軍捕虜やアジア人への強制労働、拷問などの悲劇を目の当たりにした。これとは対照的に、タイ政府は、日本の敗戦による復員時に、日本軍12万人全員に米と砂糖の支給をしてくれたそうだ。永瀬さんは、この恩義に報いようと、タイ訪問を続け、タイの子供達への奨学支援を行い続けた。
この映画の中で、元イギリス人捕虜は、日本政府は「遺憾だ」とばかり表現するが、決して「謝罪」は口にしない、「遺憾」なのはこちらの方であって日本側ではない、と怒りを内に込めて冷静に語っていた。そんな政府の対応とは異なり、永瀬さんはその生涯に渡って、日本人としての責任を強く感じ、日本が侵した罪をたった一人で贖い続けた。
とても学ぶところの多い、見ごたえのある映画だった。
(ポレポレ東中野にて11/3・11/4まで上映,10:40〜。総武線東中野駅西口北側出口、地下鉄大江戸線東中野駅A1出口から徒歩1分)
改めて、責任というものについて考える。上位者が命令を行う時、そこに責任が伴わないなどということを、社会のシステムの中で、私達は受け入れてよいのだろうか。私は、上位者の権限には必ず責任が伴うものと考える。国政であれば、憲法上、責任を伴わない上位者を位置付けることがあれば、ひいては国全体で、上から下まで無責任体制が連なることになり、反省がなされない構造が出来上がるのではないか。
今回の電通の出来事が、一つの過労死という労働災害問題としてだけではなく、そこに至った具体的な出来事や責任の所在を明らかにするきっかけとなるような報道が行われていることは重要だ。
「おろそかにしていると、また同じことを繰り返すでしょう。」という伊藤桂一さんの言葉を受け止め、こうした社会のゆがみについて真剣に考えたい。
鋭いご指摘に感銘を受けています。
私はかねがね、この縦社会の淵源に『軍人勅諭』の「一 軍人は礼儀を正しくすべし」の項目中、「下級のものは上官の命を承ること実は直ちに朕が命を承る義なりと心得よ」にあると思っていました。「おれの命令は天皇陛下の命令だぞ」と言われれば抗する術はなかったのです。これによってどれほど無体なことが押し付けられたか計り知れないほどです。
今度読み直してみて「又上級の者は下級のものに向かい聊かも軽侮驕傲善の振舞あるべからず」と対になっていることを知りました。しかし、兵隊生活の現実では「俺の命令は天子様の命令だ」が独り歩きし、貫徹されていたのです。ずいぶん、乱暴な勅諭を書いたものです。どれだけ兵隊はこの一言に苦しめられたかしれません。軍隊生活のそれは茶飯事だったのです。
5か条の訓諭の筆頭「一 軍人は忠節を尽くすを本文とすべし」の項目中「義は山岳よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」とともに、それは『軍人勅諭』のうちで一番乱用された文句でした。
福田玲三