去る12月6日に開会された臨時国会の所信表明で岸田文雄首相は「国民の命と暮らしを守るため、いわゆる敵基地攻撃能力を含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討し、スピード感をもって防衛力を抜本的に強化していきます」と述べた。
当会は先に緊急警告044号(2021年8月15日)で「専守防衛を否定する敵基地攻撃能力の保有は許されない」と批判したが、今回改めて首相のこの所信表明に抗議する。
この「敵」というのが中国か北朝鮮か明言を避けているが、この「攻撃能力」は常識的に先制攻撃と解されており、わが国の憲法上決して許されるものではない。
与党の公明党は否定的な立場を取っており(朝日12月7日)、自民党内でも第2次安倍政権下で準備されたこの路線の追従者を除き、穏健派の重鎮たちはこの路線に反対し、外交努力を対置している(朝日9月25日)旨が報道されている。
憲法尊重擁護の義務に違反する国会議員その他の公務員は処罰されなければならない。
先制攻撃にせよ、事後反撃にせよ、たとえ一、二の基地を叩くことに成功しても、ただちに別の基地からの反撃を受け、双方の国民はともに甚大な被害を受け、とくに狭い国土に原発を抱える日本全土が一瞬のうちに廃墟と化す公算は高い。
ちなみに、米中対立における立ち位置で参考になるのは、東南アジア諸国(ASEAN)の事例だ。シンクタンク「新外交イニシアチブ」のASEAN世論調査によれば「ASEANの対応力と一体性を強化して米中と対応して行く」48%、「中国と米国のどちらにもつかない」31.3%、「中国でもない米国でもない第三の道をめざす」14.7%と計94%の人々が非同盟主義をつらぬき独自の道を歩むことを選択している。(『上映委ニュース』<『侵略』上映委員会発行>142号12月8日)
同様の趣旨で、鳩山由紀夫元首相の主宰する東アジア共同体研究所の上級研究員須川清司氏は、『虚構の新冷戦』(芙蓉書房)のなかで、「米中のミサイル配備競争の中に立つ日本は、そのポジションを利用して、両国を揺さぶり続け、両国にミサイル軍縮を迫ることが日本の責任だ」と主張している。
ひるがえって、2022年度の防衛費総額は初めて6兆円を超え、国内総生産(GDP)の約1.09%と、1%枠を超える見通しだ。さらに与党自民党は今次衆院選で、「GDP比2%以上も念頭」(朝日 2021年10月12日)との公約を掲げた。こうした防衛費の増大は、逆に軍拡競争を加速する「安全保障のジレンマ」に陥り、こうして累積する兵器は、いつか出口を戦争に求める。このことは国内外の歴史の鉄則だ。
「絶対に戦争はしてはならない」。これは一部の狂信的好戦論者を除く、国民すべてに普遍的な意識だ。
「台湾有事」を口実に、「敵基地攻撃能力」の保有などと軍事対決姿勢を強めるのではなく、こういう時期だからこそ、日本独自の外交努力が求められる。
来年は日中国交正常化50周年を迎える。かねて懸案となっていた中国の習近平国家主席の訪日を要請し、「日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである」との日中共同声明<第3項>(1972年9月29日)を再確認する好機としたい。
習主席の訪日がコロナ感染症拡大などの事情で困難な場合には、日中両国首脳のテレビ会談などにより、この国交回復50周年を祝賀し、両国の永遠の善隣友好を確認する機会にしなければならない。
憲法前文は言う。「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と。日中両国の相互理解は両国の利益に適い、同時にアジアにおける平和の要だ。
(2021年12月19日)