自衛隊はなぜ「旭日旗」に拘るのか?――「安倍9条改憲」が狙うもの

(弁護士 後藤富士子)

1 朝日新聞記事によれば、韓国は、10月10~14日に韓国済州島で開かれた「国際観艦式」に関し、参加国に「自国の国旗と太極旗(開催国である韓国の国旗)だけを掲揚するのが原則」だと8月31日付で通知していた。
日本の「国旗」は「日の丸」であるが、海上自衛隊は1954年の発足時に艦の国籍を示す自衛艦旗として「旭日旗」を採用した。旭日旗は旧日本軍で使われたものであり、韓国内にはこの旗に対して「日本軍国主義の象徴」との批判がある。そのため、韓国海軍が対応を検討した結果、日本の海上自衛隊に自衛艦旗を使わないよう間接的に要請したのである。但し、「国際法や国際慣例上いかなる強制もできない」とも説明している。
これに対し、日本側は、「非常識な要求。降ろすのが条件なら参加しないまで。従う国もないだろう」(防衛省関係者)としている。また、小野寺五典防衛相は「国内法令で義務づけられており、当然(自衛艦旗を)掲げることになる」と述べ、要請にかかわらず従来通り自衛艦旗を掲げる考えを強調した。
ところが、10月5日、岩屋毅防衛相は、護衛艦の派遣を中止すると発表した。4日には、自衛隊制服組トップの河野克俊統合幕僚長が定例会見で「海上自衛官にとって自衛艦旗は誇りだ。降ろしていくことは絶対にない」と述べている。

2 国連海洋法条約は「軍艦」に対し、所属を示す「外部標識」の掲揚を求める。海自艦にとっては自衛艦旗が外部標識で、自衛隊法などは航海中、自衛艦旗を艦尾に掲げることを義務づけている。日本側は、これを根拠に韓国側に条件の変更を求めてきたという。
なお、98年と2008年に韓国で開かれた観艦式で海自艦は旭日旗を掲げてきたのに、今回こじれた背景には韓国世論がある。韓国政府は当初、「行事の性格や国際慣例などを考慮願いたい」などと国内世論に対して理解を求めていたが、大統領府ホームページの掲示板に「戦犯国の戦犯旗だ」「国家に対する侮辱だ」などとする書き込みが相次いだため、国民の支持を失うことを恐れた大統領府が対応を変えたという。
ちなみに、昨年5月、アジア・サッカー連盟(AFC)は、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)のアウェー水原(韓国)戦で、サポーターが旭日旗を掲げたJ1川崎に対し、1年間の執行猶予付きでAFC主催大会のホーム1試合を無観客試合とする重い処分と、罰金1万5000ドル(約170万円)を科している。AFCの規律委員会は、旭日旗は国籍や政治的主張に関連する差別的象徴と認定し、倫理規定に違反するとされたのである。
この経緯をみると、自衛隊は、「国籍や政治的主張に関連する差別的象徴」と認定されるような旭日旗をやめて、国旗「日の丸」を掲げればいいじゃないか、と単純に思う。それに、こんな忌まわしい旭日旗を自衛官に強制して「誇り」をもたせるというのは、「歴史修正主義」による洗脳というほかない。また、「安倍日本会議政権」の日本と文在寅大統領の韓国とでは、現時点で未来の方向が真逆になっている政治の現実がある。文大統領の訪日の具体的な日程は決まらず、旭日旗に拘ることで海自艦の韓国寄港が実現する見通しが立たなくなっているというのであり、「旭日旗」は、明らかに日本の国益を損なっている。

3 国連海洋法条約29条は、軍艦の定義規定であり、「この条約の適用上、『軍艦』とは、一の国の軍隊に属する船舶であって、当該国の国籍を有するそのような船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿又はこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ、正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているものをいう。」と定められている。すなわち、「自衛艦」は、国際法上「軍艦」にほかならない。
一方、自衛隊法4条は、「自衛隊の旗」についての規定であり、1項は「内閣総理大臣は、政令で定めるところにより、自衛隊旗又は自衛艦旗を自衛隊の部隊又は自衛艦に交付する。」とされ、2項で「前項の自衛隊旗及び自衛艦旗の制式は、政令で定める。」としている。その自衛隊法施行令で、自衛艦旗は、日章が中心より左下に寄った光線16本の旭日旗であり、陸上自衛隊の連隊旗は、日章が中心にあり光線8本の旭日旗とされている。すなわち、旭日旗を自衛隊旗と定めている法的根拠は「政令」にすぎないのである。また、小野寺防衛相が「国内法令で義務づけられている」というのは自衛隊法102条1項のことであり、「自衛艦その他の自衛隊の使用する船舶は、防衛大臣の定めるところにより、国旗及び第4条第1項の規定により交付された自衛艦旗その他の旗を掲げなければならない。」と規定している。したがって、自衛艦旗である旭日旗の不掲載は、防衛大臣が決めれば足りることである。

4 自衛艦旗が定められたのは、1954年の自衛隊発足時である。一方、「日の丸」が国旗とされたのは、平成11年(1999年)に制定された「国旗及び国歌に関する法律」による。そして、「国旗」を「軍旗」としても、国連海洋法条約29条に抵触しない。ちなみに、米国、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどは国旗と軍旗は同じである。
このようにみてくると、自衛隊を憲法に明記させる「安倍9条改憲」は、制服組トップが望む「旧日本軍」の復権を意味すると思われる。しかし、自衛隊が旭日旗を掲げることは、日本が「加害の歴史」を反省していない証であり、日本国憲法の出自と矛盾する。また、自衛隊は、憲法9条2項で「保持しない」とされた「軍隊」であってはならないのだから、旧日本軍が使っていた「軍旗」などやめるべきだ。
一方、国は、法律で国旗と定められた「日の丸」を国民に強制している。したがって、改憲論議よりも優先して、忌まわしい旭日旗を自衛隊旗とすることは止め、自衛隊法施行令を改正して自衛隊旗を「日の丸」とするべきである。
(2018.10.26)

“ 高等教育無償化のための改憲 ”を怪しむ

“ 高等教育無償化のための改憲 ”  を怪しむ

毎日新聞の5月4日、5月5日の記事によると、憲法改正推進派の民間団体が5月3日に東京都内で開いた集会に、安倍首相は自民党総裁としてビデオメッセージを寄せ、改憲による高等教育までの教育無償化に前向きな考えを示したそうだ。「憲法において…教育は極めて重要なテーマ」「現行憲法の下で制度化された小中学校9年間の義務教育制度、普通教育の無償化は、まさに戦後の発展の大きな原動力となりました」「高等教育についても全ての国民に真に開かれたものとしなければならない」「20年を、新しい憲法が施行される年にしたい」等の発言を行った模様だ。 続きを読む

2017年5月8日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : きくこ

自民党改憲草案がめざすもの

戦前「日本を取り戻す!」
国民主権から国家主権へ

草野好文

主語の逆転が示す主権の逆転

安倍自民党政権はこの国を一体どんな国にしたいのであろうか。どんな国民をつくりたいのであろうか。
自民党の「日本国憲法改正草案」は明確にこの国と国民のありようを定めている。一言でいうなら、国民主権から国家主権の国にすることであり、国民はこの国家につき従うべきというものである。
「草案」の前文の出だしはこうである。
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。」 続きを読む

2017年2月18日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : henshu

一代限りの退位でいいのか

自民党による「天皇の退位等についての懇談会」が6日開かれ、退位について、政府が目指している現在の陛下に限って可能とする特別立法で対応すべきだとの意見で一致したそうだ。会合では 「一代限りの特別立法が望ましい」との全員一致の見解が表明され、恒久措置を推す声はなかったとのこと。(毎日新聞2017.2.7)
この自民党の意見には釈然としないものが感じられる。さて天皇は本当に退位を望んでいるのだろうか、恒久措置をこそ望んでいるのではなかろうかと今更ながら疑問が沸いてくるのである。 続きを読む

2017年2月12日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : きくこ

天皇の「生前退位」問題 護憲派は積極的な関与を

草野好文

天皇の切なる想い

現天皇が8月8日、「生前退位」の意向をにじませる「お言葉」を表明した。
「お言葉」は、日本国憲法第4条が定める「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という規定に抵触しないよう、慎重に言葉を選びつつ、ご自身が高齢化によって象徴としての務めを十分に果たせなくなっていることにふれ、この先も「皇室が国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」ていると述べたのである。 続きを読む

政教分離について

政教分離について
松田三郎

1. 憲法20条1項は信教の自由を保障し、3項は「国及びその機関は……いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定している。これが国家と宗教との分離の原則、すなわち、政教分離原則を規定したものである。さらに89条は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため……これを支出し、又はその利用に供してはならない」としている。この規定は、政教分離原則を財政面から裏付けるものである。
2. 政教分離原則の規定の性格について学説の多数は、これを「制度的保障」の規定と見ている(芦部他多数)。「制度的保障」論とは、 続きを読む

2016年11月7日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 福田 玲三

脈々と続く責任のない縦社会の弊害

電通の新入社員の過労自殺に関する記事が、東京新聞10/29朝刊の29面に、過労社会[1]『新人は奴隷  超タテ社会』として特集された。
社の「鬼十則」で、仕事は「殺されても放すな」とあるように、一日2時間にも満たない睡眠時間での労働の強要の末の自殺。記事では、元電通社員(2001年入社)の体験として、社内の飲み会で、先輩の革靴に注がれたウイスキーを飲まされたことなどが明かされている。1991年に自殺した社員についても、同じく靴に注がれたビールを飲まされたとの記述が裁判記録に残っているそうだ。
この虐待ともいうべき上司からの奴隷的な仕打ちの記事を読み、ものすごい衝撃を受けるとともに、怒りが込み上げた。 続きを読む

本の紹介 『私の孫たちへ――平和憲法を手離すな』

%e7%a7%81%e3%81%ae%e5%ad%ab%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%b82 最近、知人から紹介されて 『私の孫たちへ――平和憲法を手離すな』と題する冊子(A5判72ページ 2016年6月23日発行)を読んだ。著者は高村譲氏。1934年(昭和9年)生まれの82歳、元小学校教諭。
「私の孫たちへ」とのタイトルにもあるように、まさに次世代のために思いを込めて書かれた一文と言える。
著者は若いころ、政治的には「呑気学生」だったようだ。戦後の「逆コース」が始まって「再軍備反対」などの激しいデモなどに少しは興味を持ったが、それでもデモは「他人事」だったと言う。そして後になって、この時に自ら行動を起こさなかったことを「悔いとして」いると言う。
こうして自分史を語りながら戦後70年の政治史を振り返り、「戦後間もなくから、日本の政治は弧を描くように、戦時中、私が経験した時代に帰り始めていた」のに、これを「食い止めることができないできた私たち世代の不甲斐なさと責任」を感じていると言う。
自らの人生の反省も踏まえながらの、次世代の子や孫たちへの切なる訴えに共感を覚える。
自費出版とのことゆえ、残部があるかどうか不明だが、関心を持たれた方は、直接下記にお問い合わせください。(草野)

横浜市泉区和泉町中央南3-14-37
高村 譲

私と憲法

製錬所のある島
福田玲三

晴着の人を満載しただるま船は対岸の岡山県玉島に向かった。冬の陽はきらめき、海は手の切れるほど澄んでいた。

社宅の奥さんたちは、上方歌舞伎の玉島にくる今日を楽しみにしていた。テレビもラジオもない時代だ。製錬所の高い煙突から出る煙は、島の土をむき出しにし、工員たちは濡れ手拭いを鼻にあて、溶鉱炉の回りを走り回っていた。奥さんたちの出かけたあとの静かな社宅で、母はつくろいものをしていた。母は一度も芝居見物に行ったことがなかった。紅も白粉もつけず、油の代わりに水で髪を整えていた。
翌朝、夜の明けぬうちに、泣き止まぬ長女の鈴江をねんねこに背負い、母は暗い浜辺に出た。若死にした母の兄(私の伯父)の子供が、京都に出て苦労しているという。自分が家出して大阪で仕事を探しているとき、月々心遣いを送って励ましてくれた兄、そしていまは親のない子。
「親代わりに、できるだけのことをしてやろう。それが兄への恩返しだ」身を切る潮風にびんのほつれをなぶらせながら、その思いが身体を暖めるのだった。背中の子をあやしながら、海につき出た棧橋を踏んで行った。橋げたの間を流れる潮の音が、暗い海面から聞こえてくる。ひき返そうとしたとき、下駄が滑って片膝ついた母の背中のねんねこから、すっぽりと子が抜けて厳寒の空に飛んだ。間一髪、娘の着物のはしをつかんで引きよせ、しっかり抱いて、濡れた棧橋に膝をついたまま、母の動悸はしばらく収まらなかった。
海は、黒い無気味なうねりをくり返し、時に上がる飛沫は刺すようだった。わずかな風のためか、夜明けの青い星がまたたいていた。そして夜が白々と明けたころ、母はあやまちのなかった喜びに、大きな痣(あざ)のできた膝の痛みも忘れ、人の動きはじめた社宅にそっと帰ってきた。

数日後、何におびえたのか鰯の大軍が、浜辺におしよせ、世界大戦後の不況を予告するかのように、海は暗く染まった。母は社宅の奥さんたちと、砂浜で飛び跳ねる鰯を、バケツ一杯とってきた。これで何日か副食代が浮くはずだ。
その夜、親子三人の食事を取りながら、母は、きりつめておくった郵便小為替はもう着いているだろうかと、京都の暗い下宿の電燈の下で、淋しい食事をしている甥の姿を思い、ふと涙ぐんだ。「温かいうどんでも食べておくれ。郷里から都会に出ていったどれだけ多くの若者が結核に倒れて田舎に帰ってきたことだろう。お前も、しっかり気をつけておくれ」母は給仕に横を向いたときに涙をぬぐい、日曜日に、スケッチブックと4B鉛筆をもって写生に出かけることを楽しみにしている、この夫の給金を――スケッチブックには、島影に憩う舟や、空に舞う鳶、赤子を背負った子守りなど、森羅万象が画かれていた――勝手に自分の身内のために使っては、夫にも子供にも申し訳ないと、改めて心に誓うのだった。甥の暮しの足しを送るために、母は一切のわが身のおごりを慎んだ。

2016年8月23日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 福田 玲三