「愛国」か、それとも「売国」か? ── 国とは国民だ!

(弁護士 後藤富士子)
1 「愛国心」をめぐる奇妙な攻防
教育現場で起きている「日の丸」「君が代」をめぐる紛争は、日本会議と一体化した政権側が推進している「愛国教育」との軋轢である。ちなみに、自民党の改憲草案3条1項は「国旗は日章旗、国歌は君が代」と定め、第2項で「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と義務付ける。一方、個人の側とすれば、かつて日本軍国主義の象徴とされた「日の丸」「君が代」を敬う気持ちになれないという理由で、起立や斉唱という「尊重」行為をとれない人もいる。その人たちは、憲法19条の「思想信条の自由」を援用して強制に抵抗する。
この構図の中で、政権側は、「日の丸」「君が代」を尊重しない個人を「愛国心がない」と指弾し、これに抵抗する側は「愛国心の強制反対」を叫ぶことになる。こうなると、「愛国心」は、あたかも政権側の美徳となり、反対する者は「愛国心なんていらない」と主張しているように見えることになる。すなわち、単に「日の丸」「君が代」を礼賛する歴史修正主義が「愛国」を僭称するのである。ちなみに、「歴史修正主義」は、反対者のことを「自虐史観」と言っている。
しかし、果たして「愛国心のない人」に国の政治を任せられるだろうか? また、「日の丸」「君が代」を敬う気持ちになれない人が、進んで国政を担おうとするだろうか?
この点で、「魂の政治家」と国民から敬われた故翁長雄志沖縄県知事の足跡が示唆に富む。2007年9月29日、宜野湾海浜公園で「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催された。文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除修正されたことに対する抗議集会に、復帰後最大となった11万6千人が結集した。翁長沖縄県市長会長(当時)は、「ウチナーの先祖があれほどつらい目に遭った歴史の事実がなかったことにされるのか」と憤り、集会では「国は県民の平和を希求する思いに対し、正しい過去の歴史認識こそが未来の道しるべになることを知るべきだ。沖縄戦の実相を正しく後世に伝え、子どもたちが平和な国家や社会の形成者として育つためにも、県民一丸となって強力な運動を展開しよう」と訴えている。県議で自民党県連幹事長だった99年当時、辺野古移設に関しては推進派だった翁長氏が自民党と距離を置き始めたきっかけが、この教科書検定問題だったという。
過去の歴史の事実、それも国家と国民の間で生じた事実を「なかった」ことにする歴史修正主義は、「愛国」でありえないことを、翁長氏の足跡が示している。

2 盧武鉉のテーマ「人が暮らす世の中」(サラム・サヌン・セサン)
1988年4月の第13代総選挙で初当選した盧武鉉の選挙スローガンは「サラム・サヌン・セサン(人が暮らす世の中)」であり、大統領になってからも退任後も変わらぬ目標であった。2002年、盧武鉉は大統領選を制し、翌年1月、文在寅は、「権威主義の打破」を掲げる参与政府(盧武鉉政権)の民情首席秘書官就任を要請された。それは「君臨しない青瓦台」を作るためであった。文は、悩みに悩んだ末、民情首席秘書官だけで辞めること、政治家になれと言わないことを条件に引き受けた。
任期初年の2003年、苦渋のイラク派兵を決めた。外交・国防・安保ラインは、韓国軍だけで1区域を担当して独自作戦を遂行できるようにするために「1万人以上(師団級)の戦闘部隊の派遣」を主張した。しかし、大統領の苦悩を熟知していたNSC(憲法に明示された機関で、安保・統一・外交に関する最高議決機構)事務処次長が妙案を出した。米国の派兵要求は受け入れるが、規模は最小限にし、非戦闘部隊3000人とする。つまり、戦闘作戦の遂行ではなく、戦後再建事業の支援とする「平和再建支援部隊」とすることであった。外交部が作成した派兵方針を発表する文案は「イラクの大量破壊兵器によって引き起こされた今般の戦争は正義の戦いであり、我々の派兵は今後の戦後復興事業などで有利な位置を占めることによって経済的にも大きく貢献する」などの内容が含まれていた。大統領は、「私にはこの戦争が正義の戦いであるかどうかわからない」と言って、その表現を使わせないようにした。また、「経済的に役立つかどうかもわからないが、経済的利益のためにわが国の若者たちを死地に追いやることはできない」とも言った。代わりに、国民には「朝鮮半島の平和と韓米同盟という現実的利害ゆえに派兵するのだ」と正直に発表するように指示した。
任期末の韓米FTA(自由貿易協定)をめぐっては、世論も賛成と反対に二分された。大統領は、「商人の論理」を強調し、交渉チームに「交渉がうまくいっても、うまくいかなくても私の責任だ。本部長は商人の論理に徹して、交渉では韓米の同盟関係や政治的な要素については絶対に考えるな。すべての政治責任は私が取る」と100%国益を基準に考えることを求めた。交渉チームは「今晩、米国側が席を立っても私たちは一向に構わない」という姿勢を堅持し、譲歩カードを使うことなく合意に持ち込んでいる。
米国との関係の2例を挙げたが、いずれも極めて「愛国」的である。国家経営、政権運営は、担当者個人の主義主張だけで断行できるものではない。しかし、個人の信念によって、現実には少なくない差が出てくるのも明らかなように思われる。ちなみに、米国が不義をなせば、「反米感情を少しもって何が悪い」という盧武鉉の有名な発言も、公正・公平に価値を置くリベラル層に健全と受け止められているという。

3 「キャンドル大統領」の「愛国」
2012年大統領選で政権に就いた朴槿恵大統領は、国民統合、経済民主化という公約を反故にし、相次ぐ失政により政権の機能不全が露呈すると、外交面での2015年末「慰安婦問題合意」、THAAD(終末高高度防衛)ミサイル導入、開城公団閉鎖など国民の理解を得られない政策を強行しては、「北の脅威」を煽ることで状況を乗り切ろうとした。このような中、朴大統領の「友人」崔順実が国政に不当に介入し、権力を私物化するという「国政壟断」の事実が明るみに出た。国民によって選ばれた大統領が、実は一人では何もできない「操り人形」であることが明らかになったのだ。
ソウルの光化門広場を始め、人々は各地でキャンドルを手に街へ繰り出し、「これが国か」というメッセージを投げかけた。集会は2016年秋から朴槿恵が弾劾される翌年3月まで続いた。デモに参加した1700万のキャンドル市民は、「国民が主人公となる政府」を求め、民主的参与権の平和的行使と平和的集会の自由という民主主義の根幹を体現したのである。ちなみに、韓国の憲法第1条は「大韓民国は民主共和国である」「主権は国民にあり、すべての権力は、国民から発する」と規定している。
名門大学に不正入学した崔順実の娘は、「金持ちの親をもつのも実力」とSNSへ投稿し、これに憤慨する少女は、「誰よりも一所懸命働いているお父さん、お母さんが、貧しいという理由で子どもにすまないと思わなくてもいい社会へ」と書いて広場に残した。また、ある参加者は、「人をお金や利益に換算することなく」「激しい競争の中で、他人を踏み台にのし上がっていかないと生きていけない社会ではなく」「人間らしく生きられる世の中」を、と訴えた。これらは、キャンドルをもつ一市民として広場にいた文在寅の「人が先」という哲学そのものだった。
高校生ら304人もの死者・行方不明者を出したセウオル号事件は、文在寅を再び政治の世界に召喚する契機となった。子どもたちを救えない国家、事故発覚から「7時間」何もしなかった大統領は、文在寅の存在を際立たせた。当時、光化門広場では事件の真相究明を求める集会が続いていた。文在寅は、遺族による長期のハンガーストに参加し、インタビューにこう答えている。「国民は多くの子どもたちがセウオル号とともに沈んでいくのを、なす術もなく見守ることしかできなかった。子どもを亡くし、真相究明のための法を求めて断食する父親が弱っていく姿を、またも傍観することはできない」と。
2017年、文在寅は、その姿勢ゆえにキャンドル革命で大統領に押し上げられた。「就任の辞」では、「尊敬し、敬愛する国民の皆さん」と繰り返し呼びかけ、「大韓民国の偉大さは、国民の偉大さです」「苦しかった過去の日々において、国民は『これが国か』と問いました。大統領である文在寅は、まさにこの問いから始めます。今日から国を国らしくつくる大統領になります」「特権と反則のない世の中をつくります。常識どおりにする人が、きちんと利益を得られる世の中をつくります」「国民の悲しみの涙を拭う大統領になります」「2017年5月10日の今日、大韓民国が再出発します。国を国らしくつくる一大プロジェクトが始まるのです。この道をともに歩んでください。私の身命を賭して働きます」と締めくくられる。「国」は「国民」と同義であり、熱い「愛国」が語られている。

4 「愛国」の奪還
盧武鉉や文在寅の「愛国」に接すると、その対極にある「安倍=日本会議政権」にむざむざ「愛国」を僭称させておくことに憤激を覚える。彼らは、まがうことなき「売国」である。私たち護憲派は、「愛国」を奪還しなければならない。

【参考文献】
琉球新報社『魂の政治家/沖縄県知事翁長雄志発言録』
岩波書店『運命 文在寅自伝』

〔2018・11・21〕

憲法9条の「主語」は誰か?――日本国憲法における国民の主体性

(弁護士 後藤富士子)

1 日本国民の信念と決意 ― 憲法前文
日本国憲法は、日本国民の総意に基づく新日本建設の礎として、帝国議会の議決を経た大日本帝国憲法の改正を昭和天皇が裁可し、昭和21年11月3日に公布されたものである。
その前文で、日本国民は、1つの信念と3つの決意を表明している。
まず、第1の決意は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること、である(第1段落)。
第2の決意は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持すること、である(第2段落)。
そして、信念は、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である」というものである(第3段落)。
最後の決意は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することの誓い、である(第4段落)。

2 憲法9条で日本国民が宣言した内容
憲法9条の「主語」は、1項2項を通じて、「日本国民」である。そして、日本国民が9条で宣明した内容を箇条書きにすると、次のとおりである。
(1) 正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。
(2) 国際紛争を解決する手段として、①国権の発動たる戦争、②武力による威嚇、③武力の行使、の永久放棄。
(3) 前記(2)の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持しない。
(4) 国の交戦権は認めない。

3 安倍9条改憲(案)
現在の9条1項2項には手を触れず、「9条の2」として次のような条文を加えるという。
(1) 第1項は、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を執ることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」
(2) 第2項は、「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」
ここでは、9条の「主語」である「日本国民」が消えている。
そうすると、どういうことになるのか。
日本国民は、諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持することを決意し(前文第2段落)、国際紛争を解決する手段として、①国権の発動たる戦争、②武力による威嚇、③武力の行使を永久に放棄した(9条1項)。また、自国の主権を維持するには、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という普遍的な政治道徳の法則に従うと宣明している(前文第3段落)。さらに、日本国民は、陸海空軍その他の戦力を保持しないとも宣明している(9条2項)。
しかるに、同じ「日本国民」が他方で、「9条の2」によって、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な実力組織として自衛隊を保持する」などという、全く相容れないことを表明することになる。ちなみに、自衛隊は、国連海洋法条約で「軍隊」と定義されている。保持しないと宣明した自衛隊の行動を、「9条の2」の第2項で「法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」と、猿芝居のような「シビリアン・コントロール」をかけているつもりのようである。
すなわち、「安倍9条改憲」は、日本国民をジキル・ハイドのような二重人格者に貶めるものである。また、安倍首相は、臨時国会の所信表明演説で、「国家の理想を語るのが憲法」と述べているが、日本国民は、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ことを誓っている(前文第4段落)。これを否定して、安倍首相の「国家の理想」を国民に強要して、日本国民の名誉を台無しにしようというのである。こうなると、安倍首相は、もはや「国賊」というほかない。

4 「9条主体名誉裁判」を闘おう!
「安倍改憲」の本質は、「立憲主義」というより「法治主義」の問題であると思われる。そして、素晴らしい日本国憲法の主体である日本国民の一人として、この憲法を誇りに思う。それを、あまりにも低能な「日本語」の濫用によって、日本国民の名誉を完膚なきまで毀損しようとする「安倍9条改憲」は、許すことができない。
そこで、安倍晋三首相個人と自由民主党を被告にして、名誉毀損の損害賠償訴訟を提起しようではないか。原告は、日本国民なら誰でもなれる。自民党が改憲案を国会に提出したら、直ちに提訴できるように準備したい。
「国会の発議を阻止する」などといっていたら、改憲を阻止することはできない。「国会の議決」という正当性が付与される段階に勝負を構える前に、提案者の責任を徹底的に追及すべきである。そして、そのことこそ、「国会の発議を阻止する」力にほかならない。

(2018.11.5)

2018年11月6日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : henshu

憲法9条2項と自衛隊――法律文言のメルトダウン

(弁護士 後藤富士子)

1 去る10月10~14日に韓国済州島で「国際観艦式」が開かれた。日本は自衛艦旗をめぐる悶着が原因で、参加を中止した。自衛艦旗の「旭日旗」は旧日本軍で使われたもの。だから韓国内にはこの旗に対して「日本軍国主義の象徴」との批判があり、日本に自衛艦旗を使わないよう間接的に要請したのである。
自衛艦旗は、国連海洋法条約で掲揚を義務付けられている、所属を示す「外部標識」である。日本は当初、旭日旗を掲げて参加する方針であった。しかし、韓国世論が「戦犯国の戦犯旗だ」などと「旭日旗」に対する抵抗が強かったこともあって、「旭日旗を降ろすなら参加しない」と参加を見送った。
ところで、問題の国連海洋法条約29条は「軍艦」の定義規定であり、「この条約の適用上、『軍艦』とは、一の国の軍隊に属する船舶であって、当該国の国籍を有するそのような船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿又はこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ、正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているものをいう。」と定められている。すなわち、「自衛艦」は、国際法上「軍艦」にほかならない。そうすると、自衛隊も「軍隊」ということになる。

2 日本国憲法9条1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定め、第2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と定めている。すなわち、9条2項によれば、自衛隊は「軍隊」であってはならない、のである。一方、国際法上、自衛隊は「軍隊」である。
こうなると、憲法9条2項は法規範として死滅している。法律文言のメルトダウン!

3 同じような「法律文言のメルトダウン」現象は、日本では随所に見られ、法治国家というより「放置国家」の様相が顕著である。
たとえば、民法818条3項で「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」と定められているのに、ある日突然に妻が子どもを拉致同然に連れ去って父子関係を断絶させても、父の親権妨害として不法行為責任が追及されることはない。それどころか、離婚後の単独親権者指定に際しては、連れ去った親が「監護の継続性」を理由に、親権者と指定される。むしろ、離婚後の単独親権者指定を目指して、離婚前の婚姻中に「連れ去り」「引き離し」をするのである。こうなると、民法818条3項の規定はメルトダウンしてしまう。
また、婚姻費用分担について、民法760条は「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。」と定めている。ところが、実務では、収入だけで算出する「標準算定方式」という「算定表」で決する。すなわち、「資産」も「その他一切の事情」も考慮されないのだから、条文がメルトダウン。
さらに、離婚に伴う財産分与について、夫婦間で協議が調わない場合、民法768条3項は「家庭裁判所は、当事者双方がその協力によって得た財産の額その他一切の事情を考慮して、分与させるべきかどうか並びに分与の額及び方法を定める。」と規定している。しかるに、実務では、「婚姻関係財産一覧表」を作成させて、夫婦の財産の合計の半分から分与をうける側の財産を控除した残額を分与させる。つまり、機械的に夫婦の名義の財産を2分の1に清算するのである。ここでも、条文がメルトダウン。
憲法でも、同じ現象がある。憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めている。しかるに、裁判所法では、司法修習を終えて採用される裁判官を「判事補」とし、27条で、判事補は、「他の法律に特別の定めのある場合を除いて、一人で裁判をすることができない」とか、「同時に二人以上合議体に加わり、又は裁判長となることができない」と規定されている。すなわち、日本では、憲法76条3項の裁判官ではない「裁判官」が存在するのである。
このように条文がメルトダウンしたのでは、「法の支配」も「法治」もあり得ない。

4 ところで、安倍政権は、憲法9条について改正を企図している。まず、9条1項2項には手を触れず、「9条の2」として次のような条文を加えるという。その1項は「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を執ることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」とし、第2項は「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」である。
すなわち、自衛隊は「自衛の措置をとるための実力組織」であって、9条2項が保持しないとしている「軍隊」ではない、という論理である。だからこそ、安倍首相は、「自衛隊を憲法に明記するだけで何も変わらない」と説明するのである。
しかし、少なくとも国際法上、自衛隊は「軍隊」である。したがって、国際法上の「軍隊」を国内法で「自衛の措置をとるための実力組織」と言い換えても、「軍隊」でなくなるはずがない。このような、法律文言をメルトダウンさせることが横行したのでは、もはや日本は法治国家とはいえない。
「安倍改憲」問題は、根の深いところで、私たち市民の日常生活を律する法規範のメルトダウンと繋がっているのである。

(2018.11.2)

2018年11月6日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : henshu

自衛隊はなぜ「旭日旗」に拘るのか?――「安倍9条改憲」が狙うもの

(弁護士 後藤富士子)

1 朝日新聞記事によれば、韓国は、10月10~14日に韓国済州島で開かれた「国際観艦式」に関し、参加国に「自国の国旗と太極旗(開催国である韓国の国旗)だけを掲揚するのが原則」だと8月31日付で通知していた。
日本の「国旗」は「日の丸」であるが、海上自衛隊は1954年の発足時に艦の国籍を示す自衛艦旗として「旭日旗」を採用した。旭日旗は旧日本軍で使われたものであり、韓国内にはこの旗に対して「日本軍国主義の象徴」との批判がある。そのため、韓国海軍が対応を検討した結果、日本の海上自衛隊に自衛艦旗を使わないよう間接的に要請したのである。但し、「国際法や国際慣例上いかなる強制もできない」とも説明している。
これに対し、日本側は、「非常識な要求。降ろすのが条件なら参加しないまで。従う国もないだろう」(防衛省関係者)としている。また、小野寺五典防衛相は「国内法令で義務づけられており、当然(自衛艦旗を)掲げることになる」と述べ、要請にかかわらず従来通り自衛艦旗を掲げる考えを強調した。
ところが、10月5日、岩屋毅防衛相は、護衛艦の派遣を中止すると発表した。4日には、自衛隊制服組トップの河野克俊統合幕僚長が定例会見で「海上自衛官にとって自衛艦旗は誇りだ。降ろしていくことは絶対にない」と述べている。

2 国連海洋法条約は「軍艦」に対し、所属を示す「外部標識」の掲揚を求める。海自艦にとっては自衛艦旗が外部標識で、自衛隊法などは航海中、自衛艦旗を艦尾に掲げることを義務づけている。日本側は、これを根拠に韓国側に条件の変更を求めてきたという。
なお、98年と2008年に韓国で開かれた観艦式で海自艦は旭日旗を掲げてきたのに、今回こじれた背景には韓国世論がある。韓国政府は当初、「行事の性格や国際慣例などを考慮願いたい」などと国内世論に対して理解を求めていたが、大統領府ホームページの掲示板に「戦犯国の戦犯旗だ」「国家に対する侮辱だ」などとする書き込みが相次いだため、国民の支持を失うことを恐れた大統領府が対応を変えたという。
ちなみに、昨年5月、アジア・サッカー連盟(AFC)は、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)のアウェー水原(韓国)戦で、サポーターが旭日旗を掲げたJ1川崎に対し、1年間の執行猶予付きでAFC主催大会のホーム1試合を無観客試合とする重い処分と、罰金1万5000ドル(約170万円)を科している。AFCの規律委員会は、旭日旗は国籍や政治的主張に関連する差別的象徴と認定し、倫理規定に違反するとされたのである。
この経緯をみると、自衛隊は、「国籍や政治的主張に関連する差別的象徴」と認定されるような旭日旗をやめて、国旗「日の丸」を掲げればいいじゃないか、と単純に思う。それに、こんな忌まわしい旭日旗を自衛官に強制して「誇り」をもたせるというのは、「歴史修正主義」による洗脳というほかない。また、「安倍日本会議政権」の日本と文在寅大統領の韓国とでは、現時点で未来の方向が真逆になっている政治の現実がある。文大統領の訪日の具体的な日程は決まらず、旭日旗に拘ることで海自艦の韓国寄港が実現する見通しが立たなくなっているというのであり、「旭日旗」は、明らかに日本の国益を損なっている。

3 国連海洋法条約29条は、軍艦の定義規定であり、「この条約の適用上、『軍艦』とは、一の国の軍隊に属する船舶であって、当該国の国籍を有するそのような船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿又はこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ、正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているものをいう。」と定められている。すなわち、「自衛艦」は、国際法上「軍艦」にほかならない。
一方、自衛隊法4条は、「自衛隊の旗」についての規定であり、1項は「内閣総理大臣は、政令で定めるところにより、自衛隊旗又は自衛艦旗を自衛隊の部隊又は自衛艦に交付する。」とされ、2項で「前項の自衛隊旗及び自衛艦旗の制式は、政令で定める。」としている。その自衛隊法施行令で、自衛艦旗は、日章が中心より左下に寄った光線16本の旭日旗であり、陸上自衛隊の連隊旗は、日章が中心にあり光線8本の旭日旗とされている。すなわち、旭日旗を自衛隊旗と定めている法的根拠は「政令」にすぎないのである。また、小野寺防衛相が「国内法令で義務づけられている」というのは自衛隊法102条1項のことであり、「自衛艦その他の自衛隊の使用する船舶は、防衛大臣の定めるところにより、国旗及び第4条第1項の規定により交付された自衛艦旗その他の旗を掲げなければならない。」と規定している。したがって、自衛艦旗である旭日旗の不掲載は、防衛大臣が決めれば足りることである。

4 自衛艦旗が定められたのは、1954年の自衛隊発足時である。一方、「日の丸」が国旗とされたのは、平成11年(1999年)に制定された「国旗及び国歌に関する法律」による。そして、「国旗」を「軍旗」としても、国連海洋法条約29条に抵触しない。ちなみに、米国、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどは国旗と軍旗は同じである。
このようにみてくると、自衛隊を憲法に明記させる「安倍9条改憲」は、制服組トップが望む「旧日本軍」の復権を意味すると思われる。しかし、自衛隊が旭日旗を掲げることは、日本が「加害の歴史」を反省していない証であり、日本国憲法の出自と矛盾する。また、自衛隊は、憲法9条2項で「保持しない」とされた「軍隊」であってはならないのだから、旧日本軍が使っていた「軍旗」などやめるべきだ。
一方、国は、法律で国旗と定められた「日の丸」を国民に強制している。したがって、改憲論議よりも優先して、忌まわしい旭日旗を自衛隊旗とすることは止め、自衛隊法施行令を改正して自衛隊旗を「日の丸」とするべきである。
(2018.10.26)

“ 高等教育無償化のための改憲 ”を怪しむ

“ 高等教育無償化のための改憲 ”  を怪しむ

毎日新聞の5月4日、5月5日の記事によると、憲法改正推進派の民間団体が5月3日に東京都内で開いた集会に、安倍首相は自民党総裁としてビデオメッセージを寄せ、改憲による高等教育までの教育無償化に前向きな考えを示したそうだ。「憲法において…教育は極めて重要なテーマ」「現行憲法の下で制度化された小中学校9年間の義務教育制度、普通教育の無償化は、まさに戦後の発展の大きな原動力となりました」「高等教育についても全ての国民に真に開かれたものとしなければならない」「20年を、新しい憲法が施行される年にしたい」等の発言を行った模様だ。 続きを読む

2017年5月8日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : きくこ

自民党改憲草案がめざすもの

戦前「日本を取り戻す!」
国民主権から国家主権へ

草野好文

主語の逆転が示す主権の逆転

安倍自民党政権はこの国を一体どんな国にしたいのであろうか。どんな国民をつくりたいのであろうか。
自民党の「日本国憲法改正草案」は明確にこの国と国民のありようを定めている。一言でいうなら、国民主権から国家主権の国にすることであり、国民はこの国家につき従うべきというものである。
「草案」の前文の出だしはこうである。
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。」 続きを読む

2017年2月18日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : henshu

一代限りの退位でいいのか

自民党による「天皇の退位等についての懇談会」が6日開かれ、退位について、政府が目指している現在の陛下に限って可能とする特別立法で対応すべきだとの意見で一致したそうだ。会合では 「一代限りの特別立法が望ましい」との全員一致の見解が表明され、恒久措置を推す声はなかったとのこと。(毎日新聞2017.2.7)
この自民党の意見には釈然としないものが感じられる。さて天皇は本当に退位を望んでいるのだろうか、恒久措置をこそ望んでいるのではなかろうかと今更ながら疑問が沸いてくるのである。 続きを読む

2017年2月12日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : きくこ

天皇の「生前退位」問題 護憲派は積極的な関与を

草野好文

天皇の切なる想い

現天皇が8月8日、「生前退位」の意向をにじませる「お言葉」を表明した。
「お言葉」は、日本国憲法第4条が定める「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という規定に抵触しないよう、慎重に言葉を選びつつ、ご自身が高齢化によって象徴としての務めを十分に果たせなくなっていることにふれ、この先も「皇室が国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」ていると述べたのである。 続きを読む

政教分離について

政教分離について
松田三郎

1. 憲法20条1項は信教の自由を保障し、3項は「国及びその機関は……いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定している。これが国家と宗教との分離の原則、すなわち、政教分離原則を規定したものである。さらに89条は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため……これを支出し、又はその利用に供してはならない」としている。この規定は、政教分離原則を財政面から裏付けるものである。
2. 政教分離原則の規定の性格について学説の多数は、これを「制度的保障」の規定と見ている(芦部他多数)。「制度的保障」論とは、 続きを読む

2016年11月7日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 福田 玲三