平和な江戸時代がもたらしたもの④

逝きし世の面影1学生の頃、江戸時代は封建制で、百姓は搾り取られ、暗黒の大変な時代だったと教わってきた。

でも、どうやら違うようだ。幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人がいろんな見聞を書き残しており、そこには貧しいけど信じられないほど明るい日本人があふれている(渡辺京二著『逝きし世の面影』)。

共同風呂に行けば男女が一緒に入っており、道ばたの垣根の陰で女性が行水をしているし、胸を出しても平気でいることに驚いたという記述がある。「東南アジアの未開地なら驚きもしないが、自分たちと同じハイレベルの日本人がどうして」と理解できなかったそうだ。

全体的に、礼儀正しいこと、親和的であること、陽気なこと、簡素であるが豊かさにあふれていることなど、現在日本人が尊敬の念で見られているほとんどの好ましいことがこの頃の人々から普通に見られたようだ。

また、江戸では庶民が普通に鉢植えや草花を育てているのも驚いたようだ。というのも、その頃のヨーロッパでは園芸などというものは王侯貴族の贅沢な遊びで、庶民のものではなかったらしい。

幕末の頃、駕篭に乗ろうと駕篭かきの集まっている方に行くと籤引きをしていて、引き当てたものが乗せてくれたという。外れたものたちも笑顔で送ってくれたそうだ。ところが20年ほどすると人力車夫が客を取り合いするようになったそうだ。西洋化した20年くらいで、人の心も随分荒んで来たというのだろうか。このような例は少なくなかったようだ。

本当の「美しい日本」とは、誰かの言う明治時代でなく、実は江戸時代にあったのではないか。明治以降の西洋化と富国強兵に突き進む中で剥ぎ取られてきたように思う。

大西

それでもボクは会議で闘うードキュメント刑事司法改革

20150624「Shall we ダンス?」「それでもボクはやっていない」の映画監督周防正行さんが「。。。刑事司法制度特別部会」とやらの委員になり、警察官僚、司法官僚、官僚たちが選んだ委員たち(刑事司法改革を目指す某弁護士に言わせれば最悪な顔ぶれ)の中で奮闘した体験を「それでもボウは会議で闘う。ドキュメント刑事司法改革」に書いたと知り、「安部さん人選を間違ったんじゃない。」と思いつつ購入。

読んでみると、周防監督が一般有識者として委員に選ばれたのは民主党政権時代で法務大臣は江田五月さん。
周防監督だけでなく、郵政不正事件被告として大阪地検特捜部に逮捕、起訴され、164日間も拘留され、1年2か月の裁判を闘い無罪になった厚生労働省の村木厚子さんも。公判では検察官による強引な見込捜査、証拠改ざん、隠蔽などが次々に明らかになり、検察への信頼を根底から覆す不祥事として社会問題になった当事者が選ばれている。彼女には江田さんが直接電話をかけて依頼したそう。

短命に終わった民主党政権ではあったけれど、あの時代は今より遥かに民主的な時代だったと言っていいだろう。(世界報道の自由度ランキングで日本は2011年11位、2014年69位

2015年6月26日 | カテゴリー : ⑤図書紹介 | 投稿者 : 管理人

梅雨の晴れ間に

アカヤマドリ

アカヤマドリ

梅雨の晴れ間に近くの自然林が残る公園を散策しました。

なんと、梅雨時に出てくるキノコたちがたくさん出ていました。中には美味しい大型キノコのアカヤマドリも。でも、多くは食べられるかどうか不明のキノコたちでしたが、それぞれ色合も姿かたちも素晴らしいものでした。まさに森の妖精というにふさわしいものでした。

みなさまもお近くの公園を散策した折には、是非、足元を観察してみてください。きっと新しい発見があると思います。

kinokosuki

 

砂川事件弁護団 再び声明 合憲主張「国民惑わす強弁」

20150613tokyoshinbun

東京新聞6月13日朝刊からです。

集団的自衛権の行使容認を合憲とした政府解釈に抗議する砂川事件弁護団の新井章弁護士(右から2人目)、坂本修弁護士(左)ら=12日、東京・霞が関の司法記者クラブで

他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案について、政府が一九五九年の砂川事件の最高裁判決を根拠に合憲と主張しているのに対し、判決時の弁護団の有志五人が十二日、東京都内で会見し、「裁判の争点は駐留米軍が違憲かに尽きる。判決には集団的自衛権の行使に触れるところはまったくない」とする抗議声明を出した。五人はみな戦争を知る白髪の八十代。「戦争法制だ」「国民を惑わすだけの強弁にすぎない」と批判し、法案撤回を求めた。 (辻渕智之)
「集団的自衛権について砂川判決から何かを読み取れる目を持った人は眼科病院に行ったらいい」
会見の冒頭。新井章弁護士(84)は眼鏡を外し、鋭いまなざしを子や孫世代の記者たちに向けた。そして「事件の弁護活動をした私らは裁判の内容にある種の証人適格を持っている」と法律家らしく語り始めた。
自民党の高村正彦副総裁は十一日の衆院憲法審査会で判決に触れた。「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」という部分だ。これを根拠に、政府は判決が集団的自衛権の行使を否定していないと主張している。
しかし声明では「『わが国が、自国の』とする文辞からも文脈からも個別的自衛権を指すことに疑問の余地はない」と断じた。
新井弁護士は横畠裕介内閣法制局長官が十日の衆院特別委で「判決は集団的自衛権について触れているわけではない」と認めた発言にも言及。「高村氏らは実にアクロバチックでむちゃな読み方で、ふらちな拡張解釈をしている」と評した。
判決時、最高裁長官だった田中耕太郎氏(故人)は補足意見で「自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係がある」と述べた。内藤功弁護士(84)は「集団的自衛権の言葉はなく、法律論としても構成していない。集団的自衛権を容認すると読める余地はない。『集団的自衛権の行使は許されない』と結論づけた一九七二年の政府見解は、砂川判決も十分精査した結果だ」と主張した。

昨春、安倍内閣の集団的自衛権行使容認に向けた与党協議が進められる最中、三月末ごろに至って協議の座長を務める高村正彦自民党副総裁が突如として、その作業の有力な法的根拠の一つとして砂川事件最高裁判決を挙げ、同判決がわが国の集団的自衛権について言及し、その行使を肯認しているかのごとき見解を公表されたことがあったが、その際われわれは直ちにその誤りを指摘し、厳しく批判する声明を発した。
しかるに、高村氏はこの批判を受けとめて自説を撤回しないばかりか、最近に至って再び謬見(びゅうけん)<誤った考え>を強調し、安倍首相もこれに倣って「今般の法整備の基本的論理はこの判決と軌を一にする」などと言明し始めているので、われわれはここにあらためてこれらの言説が何らの根拠なき謬見であり、デマゴギーにすぎないことを指摘しておきたいと考える。
この最高裁判決の判示は、第一に、日米安保条約に基づく米軍駐留は憲法九条二項の「戦力不保持」原則に違反するか、そして第二に、米軍駐留は憲法九条(全体)や前文等の趣旨に反するかの、二つの争点についてなされており、それに尽きている。それらを通じて、わが国の集団的自衛権のあり方やその行使に関して触れるところは全くない(そのことは現在の内閣法制局長官も認めている)。指摘されている、「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」という判示が、わが国の個別的自衛権を指すものであることは、「わが国が、自国の」とする文辞からしても、また、それが位置づけられている文脈(論脈)からしても疑問の余地はない。
以上の次第で、安倍首相や高村副総裁の言説が無価値であり、国民を惑わすだけの強弁にすぎないことはもはや明白であるから、一刻も早く態度を改め、提案している安保法制(改正法案)を撤回して、憲法政治の大道(だいどう)<人の行うべき正しい道>に立ち返られんことを強く要求するものである。
※全文の<> 内は 本紙の注釈
<砂川事件> 1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対するデモ隊が基地内に入り、23人が逮捕され、7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反罪で起訴された。東京地裁は59年3月、「米軍駐留は憲法9条違反」として無罪を言い渡した(伊達判決)が、上告を受けた最高裁は同年12月、「自国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうるのは当然。日本を守る駐留米軍は違憲ではない」「安保条約のような高度な政治性を持つ案件は裁判所の判断になじまない」として、一審地裁判決を破棄して差し戻した。63年に全員に罰金2000円の有罪判決が確定した。歴代政府は最高裁判決を踏まえて、72年の政府見解で「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と明確にし、40年以上維持されてきた。室崎宏治

2015年6月14日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 管理人