(弁護士 後藤富士子)
1 行政機関は終審として裁判を行うことができない
9月23日の新聞報道によれば、スリランカ国籍の男性2人が、難民不認定の処分を通知された翌日に強制送還されたため、処分取消を求める訴訟が起こせなかったとして、各500万円の賠償を国に対して求めた裁判の控訴審判決で、「憲法32条で保障する裁判を受ける権利を侵害した」と認め、2人に各30万円の支払いを命じた。これは、行政処分そのものについての訴訟ではなく、公務員の不法行為により生じた損害の賠償を求める国家賠償請求訴訟であり、2人の請求を棄却した1審判決を破棄している。
2人は2014年12月、仮放免更新の定期出頭で東京出入国在留管理局を訪れたところ、その場で、以前から手続していた「難民申請の不認定に対する異議申立て」の棄却を伝えられ、翌日早朝に強制送還された。しかも、その異議棄却決定は40日以上前に出ているのに知らせなかったという。なお、「異議申立て」中は送還されないし、棄却されても司法の判断を求めて訴訟を提起できる。
40日以上前に出ていた棄却決定を知らせなかった点について、1審判決は「原告の提訴を妨害する不当な目的はない」としていたのに対し、控訴審判決は「訴訟の提起前に送還するため、意図的に棄却の告知を送還直前まで遅らせた」と認定した。そして、「訴訟を起こすことを検討する時間的猶予を与えなかった。司法審査の機会を実質的に奪うことは許されない」と入管の対応を批判している。すなわち、1審判決は、「違法な権利侵害」について「故意・過失」を超える「不当な目的」を不法行為の要件にしていることが分かる。
しかし、憲法76条2項は「行政機関は、終審として裁判を行ふことができない」と規定していることに照らすと、訴訟提起の時間的猶予を与えないこと自体で不法行為は成立すると解される。ちなみに、日本国憲法の司法は、民事事件、刑事事件だけでなく、国民と公権力の間の法的争訟である行政事件についても通常裁判所に属する「司法権」に含まれるうえ、憲法の最高解釈権が司法裁判所にある点で「司法権の優越」が採用されている。これは、まさにアメリカ型の司法であり、戦前のドイツ型司法が革命的変革を遂げている。それにもかかわらず、実務運用において、法制度がないがしろにされているのである。
なお、控訴審判決でも、認容される賠償額が極めて低額であるうえ、国家賠償法では公務員個人の責任が問われないため、違法な公権力行使を抑制できずに野放しにされている。結局、「強制送還したもの勝」であり、司法はあまりにも無力である。
2 「布川事件」国賠判決 ― 違法な取調をさせないために
1967年に茨城県で起きた強盗殺人事件「布川事件」で再審無罪が確定した桜井昌司さんが国と県に対して損害賠償を求めた訴訟において、原告が設定した争点は8項目に及ぶ。このうち、「警察官の取調」を違法とする点で1審判決(2019年5月)と控訴審判決(21年8月27日)は同じである。
判決で認定された警察官の「違法な取調」は、「母親が『早く素直に話せ』と言っている」などと嘘を言ったことに加え、ポリグラフ(嘘発見器)検査で「供述はすべて嘘と判明した」と、事実と異なる内容を伝えたことである。この取調により、桜井さんは「心理的動揺の下、虚偽の自白をした」とし、その取調について「社会的正当性を逸脱して自白を強要する違法な行為」と断罪されている。
このように、何が「違法な行為」かが認定されている以上、その行為主体も特定される。それにもかかわらず、賠償責任は県のみが負い、取調警察官は何らの責めも負わない。国家賠償法1条1項で国や公共団体の賠償責任を規定し、同条2項で当該公務員に故意または重過失があったときに求償権を有するにすぎないとされている。そして、公務員個人に対して賠償請求できないとするのが確立した判例である(昭和30年4月19日第三小法廷判決等々)。
そもそも国家賠償法は憲法17条に基づくものであり、損害賠償により被害の救済が図られることが眼目とされている。そして、公務員が公権力の行使に当り軽過失により違法に他人の権利侵害をした場合、当該公務員の個人責任を問わないことによって委縮による行政の停滞を回避することが立法趣旨とされている。
しかし、現実に問題になっている公務員の違法な公権力行使は、その違法の重大性、被害の甚大性、さらに被害者感情をも勘案すれば、加害行為者の責任が不問にされることは著しく正義に反する。また、そのような違法な行為が繰り返されないようにするためには、直接、当該公務員に対する賠償請求が認められるべきである。
桜井さんも述べているように、54年も経ってから賠償金をもらうことよりも、「違法な取調」を根絶することの方が切実であろう。
(2021.10.5)