「国会解散は首相の専権事項」の空語が常識化されて久しく、それによって、この夏の衆参同日選挙との噂が飛び交わない日はなく、これでは「国会は、国権の最高の機関」(憲法第41条)との条規は空文に等しい。一行政府の長の胸先三寸によって国会が揺すられ、脅かされるようなことは、まともには考えられなく、このままでは、第二次大戦の悲惨な経験から生まれた条文「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」(憲法前文)との強い警戒感は、藻屑になろう。
憲法の解釈について様々な学説はあるにせよ、「国会は、国権の最高の機関」の大綱を忘れて何の意味があろう。さらに「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令(判例)……は、その効力を有しない。」(第98条)と定められているのに。
行政府の越権をいつまで黙視するのか。「専権」に対しては誰も卑屈で、無気力で、冷淡で、従順であってはならない。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(第12条)と、明示されているのだから。憲法からの逸脱を重ねる安倍首相の専横を前に、国会議員、マスコミ当事者の自覚と奮起を促したい。
行政(内閣、あるいは政府のことでしょうか)と立法(国会)の関係
憲法では41条に、はっきりと「国会は、国権の最高機関」と書かれていますが、それが一般人の生活にどのくらい関係しているのかは、わかりづらいですね。どちらが最高機関でもいいのではないかと。
ところが歴史を眺めてみると、国会が国権の最高機関でない場合、どうも私たちの生活は大変なことになりそうです。1937年の盧溝橋事件に端を発する日中戦争は、軍部の意向や政府の声明で始められ拡大していきました。しかもその戦争は平和のためと説明され、国民は戦争に動員されていったのです。その反省から今の日本では国会を政府よりも上位に位置付けている、それどころか何より国権の最高機関と定められているのでしょう。平和のための軍備というような話が、再びまことしやかにささやかれる昨今、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」(憲法前文)、国会議員の一人ひとりが国会で最高の力を発揮してほしいと思います。
(小学館『日本の歴史』十五 を参考にしました。)
まことに適切なご指摘を、忘れてはならない歴史的事実を挙げて、与えていただき、深く感謝しています。今後とも、お気づきの点をぜひご送信いただけますように願っています。