「表現の自由の優越的地位」とは何か~~憲法基礎講座①~~

<前置き>

安倍首相は2月15日、衆院予算委員会で、「表現の自由の優越的地位」の根拠を山尾志桜里議員(民主)から質問されて、全く答えられず、逆切れした挙句、憲法に対する無知を改めて暴露してしまいました。本来、憲法に基づいて政治を行わなければならない首相が、憲法改定を先頭に立って扇動していること自体、許されない憲法違反行為ですが(緊急警告009号参照)、そのような言動も憲法に対する無知に基づくものでしょう。有名なフランス人権宣言(1789年)はその前文で、「人権に対する無知・忘却または軽視が、万人の不幸と政府の腐敗の唯一の原因である」と宣言していますが、まさしく憲法と人権に対する無知・忘却・軽視が現政権の腐敗と国民の不幸を招いています。

そうであれば、私たち国民一人ひとりがもっと憲法をよく学び、安倍政権の憲法無視の政治を糾していかなければならないでしょう。そこで、随時このブログで「憲法基礎講座」と題して、憲法に関する基礎知識をまとめてみます。

第1回は、上記の「表現の自由の優越的地位」についてです。最低限の知識を得るためには■まで、もう少し詳しい知識を得るためには■■まで、さらに詳しい知識を得たい人は最後までお読み下さい。

 

<本文>

自由権は一般に精神的自由、経済的自由、人身の自由に分けられるが、このうち、精神的自由と経済的自由については、「表現の自由を典型とする精神的自由は経済的自由にくらべて優越的地位を占め、それを制限する立法の合憲性審査には、経済的自由の制約立法に一般に妥当する合理性の基準よりも厳格な審査基準が用いられるべきである」(長谷部2004:123-124頁)という二重の基準論が学説において広い支持を得ていると言われている。しかし一体なぜ、精神的自由は経済的自由よりも「優越的地位」を占めると言われるのであろうか。これには大別して、手続的・機能的理論と実体的価値論、および両者の併用論が考えられる。手続的・機能的理論とは、経済的自由の規制立法の場合は、民主政の過程が正常に機能している限り、それによって不当な規制を是正することが可能であり適当でもあるから、裁判所は立法府の裁量を広く認めることが望ましいのに対して、精神的自由の制限または政治的に脆弱なマイノリティの権利侵害をもたらすような立法の場合は、それによって民主政過程そのものが傷つけられることになるから、政治過程による適切な是正を期待しがたく、それゆえ裁判所は厳格な基準に基づいて司法審査をすべきである、と説くものである(芦部1995:218)(1)。一方、実体的価値論とは、精神的自由は個人の人格的発展や自己実現にとって特別に重要な価値を持つものであり、精神的自由を保障することで得られる「思想の自由市場」は人々が(暫定的)真理や(暫定的)合意に接近するうえで不可欠なものであるので、特に優越的に保障さるべき地位を持つ、と主張する(奥平1993:160-163)。■

アメリカの判例から発展したこの理論は、日本においては、人権と「公共の福祉」をめぐる議論の中で、日本国憲法が個別の人権規定の中では、経済的自由を定めた22条と29条の中にのみ「公共の福祉」による制約を認めていることから、「公共の福祉」には、自由権の公平な保障のための最小限度の制約を根拠づける「自由国家的公共の福祉」と、社会権を保障するために必要な限度で経済的自由の制約を根拠づける「社会国家的公共の福祉」とが存在する、という、宮沢俊義によって展開された内在的制約説とも結びつきながら、広く受け入れられることになった(宮沢1971:218-239:芦部1995 :195-199;佐藤1997:403-405)(2)。日本の判例においては、二重の基準の基本理念自体はしばしば言及されているが、実際の適用場面においては、精神的自由を経済的自由よりも厳格な審査によって手厚く保護するという、この理論が本来的な意義を有する場面において適用されたケースは一度もなく、経済的自由に対する制約を広く認めるという文脈においてしばしば適用されてきた。■■

例えば、1972年の小売市場判決(最大判昭47.11.22刑集26巻9号586頁)において最高裁は、「憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定しているものということができ、個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由等に関する場合と異なって、右社会経済政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定、かつ、許容するところ」であると述べて、二重の基準論に類似の考え方を示すとともに、「社会経済の分野においては、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、……どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかない」ため、「裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限って、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である」(明白性の原則)として、通常、違憲判決の考えられないほど広範な立法裁量論を採用した。最高裁はさらに、1975年の薬事法距離制限違憲判決(最大判昭50.4.30民集29巻4号572頁)において、営業の自由に対する規制を、「社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のため」の規制と、「社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合」に分け、前者の積極目的規制の場合には司法審査においては緩やかな基準である合理性の基準が適用されるが、後者の消極目的規制の場合には中間審査の基準である厳格な合理性の基準が適用されるという二段階の審査基準を採用すべきことを明らかにし、薬事法の定める距離制限は国民の健康と安全を守ると言う消極目的規制であるから、その合憲性の審査は、「よりゆるやかな制限……によっては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要する」と述べて、狭い立法裁量論を採用し、不良医薬品の供給防止という立法目的を支えるだけの事実(立法事実)があるかどうかを調べた結果、右「目的のために必要かつ合理的な規制を定めたものということができないから、(薬事法の距離制限規定は)憲法22条1項に違反し、無効である」と判示した。この薬事法判決から小売市場判決を振り返れば、小売市場の許可規制は積極目的規制であるから明白性の原則と合理性の基準という緩やかな基準で合憲判決になったと考えられる。ところが最高裁はその後、共有森林につき持分価額2分の1以下の共有者に分割請求権(民法256条1項)を否定している森林法186条の憲法29条2項との適合性が争われた1987年の森林法共有林分割制限規定違憲判決(最大判昭62.4.22民集41巻3号408頁)においては、森林の細分化を防止して森林経営の安定化を図るという立法目的との関係で、規制の必要性と合理性が認められないから違憲、と判断した。しかし、森林経営の安定化を図るという目的による規制は積極目的規制であるから、薬事法判決で示された二段階審査基準によれば、立法府の裁量が広く認められ、合憲とされたはずであるが、最高裁は財産権の制約立法については積極目的規制と消極目的規制という二分論を採用せず、厳格な合理性の基準で審査した(樋口1992:238)。しかし、森林経営の安定化を図るという規制目的が積極目的であるとするならば、この判決の結論か、あるいはそもそも二段階審査基準のいずれか(もしくは双方)が誤っているということになる。また、公衆浴場法による距離制限(適正配置規制)に関する初期の判例では、最高裁は、その目的を浴場の乱立によって生じ得る浴場の衛生設備の低下など国民健康・衛生上の弊害防止(すなわち消極目的)と捉えながら、合憲とした(最大判1955.1.26刑集9巻1号89頁)。これは薬事法判決以前の判例であったが、二段階審査制の論理を当てはめれば、違憲となるはずのものであった。ところが、薬事法判決以後に現れた同種の事件において、最高裁は、公衆浴場法の規制目的を、今度は浴場業社の転廃業の防止と安定経営の確保という積極目的と捉え、合憲判決を下した(最判1989.3.7判タ694号84頁)。このことは、規制の目的を積極目的と消極目的とに二分する根拠の困難さや曖昧さ、ないしは恣意性を示していよう。

要するに、日本の最高裁は、精神的自由の規制立法の合憲性審査においてはリップサービスはともかく、実際には二重の基準論を採用しておらず、経済的自由の規制立法においてはしばしば二重の基準論に言及するだけでなく、積極目的規制と消極目的規制という立法目的によって審査基準を分けるという独自の二段階審査基準を採用したが、この基準も一貫して適用されているとは言い難い。このような判例の動向に対して、二重の基準論を支持する学説から厳しい批判が出されることは当然予想されるところである(芦部1990:110-122;芦部1995:243-245)。

 

【注】

(1) 表現の自由は他の自由よりも価値が高いからではなく、「他の自由よりもとりわけ不当な制限を受けやすい自由であり、だから、それに対する制限の合憲性は厳格に判断されなければならない」と主張する学説(浦部2008:148)も、この手続的・機能的理論に属すると言えよう。

(2) ただし今日では、宮沢の言う「社会国家的公共の福祉」は内在的制約というより政策的制約と捉えるべきだとの学説も根強い(例えば、芦部1995 :197;佐藤1997:404-405)。

 

【引用・参考文献】

・芦部信喜(1990)『憲法判例を読む』岩波書店

・芦部信喜(1995)『憲法学Ⅱ人権総論』有斐閣

・奥平康弘(1993)『憲法Ⅲ』有斐閣

・佐藤幸治(1997)『憲法〔第三版〕』青林書院

・長谷部恭男(2004)『憲法 第3版』新世社

・樋口陽一(1992)『憲法』創文社

・宮沢俊義(1971)『憲法Ⅱ(新版)』有斐閣

 

「表現の自由の優越的地位」とは何か~~憲法基礎講座①~~」への2件のフィードバック

  1. 詳細な論考を拝読し憲法問題の奥深さを実感させられました。

  2. 福田様
    コメント、ありがとうございます。
    何か一つでもご参考になることがあれば幸いです。

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