コロナの夏に憲法を考える―「主権」と「自治」

(弁護士後藤富士子)

1 「主権」というとき、その主体が誰かによって「国家主権」と「国民(人民)主権」に区分される。
 日本は、第二次世界大戦で負けるまで、他国を武力侵略して植民地化した経験はあっても、他国によって自国が植民地化されることはなかった。敗戦によっても他国の植民地になることはなかったが、沖縄問題や日米安保体制・地位協定にはっきり刻印されているように、「独立国家」は見せかけにすぎない。
 一方、「国民主権」についていえば、戦前は絶対主義的天皇制であり、「主権在民」を叫べば「国体の変革を企てる」という理由で、治安維持法により殺人的な弾圧を受けた。「主権在民」は日本国憲法によって初めてもたらされたのである。 続きを読む

2020年8月19日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 後藤富士子

国旗・国歌の強制は憲法19条違反、思想・良心の自由を守れ!

「生徒自ら曲を選び、練習してきた合唱は取りやめになった。どうせ歌うなら『君が代』ではなく、思い入れのあるそっちを歌わせたかった」

これは今年3月、卒業生を見送った都立高校教諭の正直な思いである。

2020年7月20日付東京新聞に、次のような記事が掲載された。

「都立学校の今年3月の卒業式について調査したところ、コロナ禍の影響で、感染防止を優先し、保護者・在校生の出席なし、式次第は卒業証書授与など必要最低限として時間短縮が図られた。ただし、東京都教育委員会(都教委)が2月28日に発した文書には、「国歌斉唱を行う方針に変更ありません」とあり、結果的に都立学校253校すべてが「君が代」を斉唱していた」

というのである。これを受けた、冒頭の高校教諭の嘆きであった。

2月27日に安倍首相が唐突に3月2日からの一斉休校を要請したことから、各学校は休校を余儀なくされ、卒業式も簡素化が図られたのであるが、最も感染者が多発していた東京都の教育委員会が、このような非常識な文書で「君が代」斉唱を強制していたとは。

都教委は、児童生徒の命や健康よりも、国家主義的思想を優先し、それを受けた学校現場の教師たちは、飛沫感染を心配して戸惑うのだが、懲戒処分を恐れて、いわば思考停止状況に追い込まれ、都教委の命令に従ってしまったのだ。

国旗掲揚、国歌斉唱の学校現場への強制は、1999年8月に「国旗及び国歌に関する法律」(以下「国旗・国歌法」)が成立・施行された以降、より強化されてきた。

「国旗・国歌法」成立前後の学校現場への強制の主な経緯は、次の通りである。

1985年~ :文部省が「徹底通知」(1985年)や「学習指導要領」改訂(1989年)

により、公立学校における国旗掲揚・国歌斉唱の強制化が始まる。

1999年2月:広島県立世羅高校長が、卒業式での国旗・国歌の取扱い問題を苦に自殺。

「国旗・国歌法」成立のきっかけとなる。(法的基盤があれば、校長は悩む

ことはなかったという、自民党などの積極派の意向が強まる)

1999年4月:東京都日野市の小学校入学式で、音楽教師が国歌のピアノ伴奏の職務命令を

拒否、教育委員会が教師を戒告処分、教師は処分を憲法違反として公訴。

1999年8月:「国旗・国歌法」成立・施行。日の丸・君が代が初めて法的根拠を有する

但し、小渕首相は「学校現場で強制するものではない」と発言していた。

2003年10月:都教委が「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことを命じる通達。

従わない教職員を懲戒処分することを明確化。

2006年12月:教育基本法改正、道徳教育と愛国心を教育の目標として定める

2011年6月:大阪府「国旗国歌条例」成立、2016年施行。懲戒処分の明確化

2020年2月:コロナ禍の中で、都教委が都立学校に国旗・国歌強制指示

「国旗・国歌法」施行を挟んだ30数年間で、国旗・国歌の学校現場への強制が進み、1999年の日野市事案のほか、東京、大阪を中心に懲戒処分を受ける教職員が多数出て、彼らは憲法19条違反を根拠に処分取消しを求めて公訴してきた。

憲法第19条は次の通り定めている。

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(内心の自由も含むと解される)

 

公訴を受けて、裁判所はどう判断してきたのか。

都立学校の教職員が、卒業式等において「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務」がないことの確認などを求めた訴訟の、第一審東京地裁判決が2006年9月に出た。

「国旗・国歌の強制は憲法19条の思想・良心の自由を侵害するもの」

画期的な判決であったが、控訴審で完全否定される。「日野市『君が代』伴奏拒否訴訟」で最高裁が2007年に「校長の職務命令は憲法19条に違反しない」との判断を示した以降は、すべての訴訟で憲法19条違反に当たらないという判決が続いた。

「国旗・国歌法」施行後、特に強制化が強まり、全国の教職員の懲戒処分者数は、2012年度には265人に達したが、最高裁判決の影響もあり、2013年度以降は減少している。反対勢力は力を失い、学校現場での「思想及び良心の自由」は失われつつある。

さて、国旗・国歌の学校現場への強制問題の本質はどこにあるのか。

「日の丸・君が代」は、かつての軍国主義日本のシンボルであり、侵略の旗印としての役割を果たしてきた。特に「君が代」の歌詞は、「君=天皇」と解され、国民主権となった新憲法下ではふさわしくない、というのが一般的によく言われる問題である。

それでは「日の丸・君が代」に代わる新たな国旗・国歌であれば強制してよいのかというと、やはりこれも否である。

国旗・国歌の強制とは、国家権力がそれを利用して国民の国家への帰属意識を高め、その結果権力への求心力が高まり、国家の権力体制への批判や反対を少なくする効果がある。これの行き着く先は、「全体主義国家」に他ならない。戦前の軍国主義日本は、まさに国旗・国歌や教育勅語を大いに利用して、天皇を神とまで崇める「全体主義国家」を創り上げた。

この過去の教訓を、新憲法下の民主主義日本は、決して忘れてはならない。

新憲法下では、憲法19条の「思想・良心の自由」とともに、憲法13条で保障された「個人として尊重」されると定めている。

国家への帰属意識に関して、これを国家が国旗・国歌を利用して高めることがあってはならず、すべて個人の自由意思に基づくべきものである。

2020.08.05 柳澤

2020年8月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa

「法の理想」を指針として――「共同監護」を創造するために

(弁護士  後藤富士子)

1 「単独親権」から「共同親権」への法の進化
 民法818条は「父母の共同親権」を定めている。家父長的「家」制度をとっていた戦前の民法が「家に在る父」(一次的)または「家に在る母」(二次的)の単独親権制を定めていたのと比較すると、革命的転換であった。その根拠になったのは、「個人の尊厳と両性の本質的平等」を謳った日本国憲法24条である。「個人の尊厳」という点から親権に服する子は未成年者に限定され、親権は未成熟子の監護教育を目的とする子のための制度であることが明らかにされた。また、「両性の本質的平等」という点で「父母の共同親権」とされている。すなわち、戦後の日本の出発点は、家父長的「家」制度を廃止し、「単独親権」から「父母の共同親権」へ進化したのである。換言すれば、「父母の共同親権」は、まさに「法の理想」であったのだ。 続きを読む

2020年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子