緊急警告079号  権力の暴走につながるスパイ防止法制定を許すな

一部勢力の主張を背景に「日本はスパイ天国」といった言説が、度々繰り返されている。更に近年は、「厳しい安全保障環境」という言葉とセットになって、スパイ防止法制定が政治課題として急浮上している。連立を組む自民・維新のほか、国民民主、参政なども新法制定に前向きな姿勢と言われる。

しかし、我々はまず立ち止まりたい。本当に新法を創設しなければならないほどの「立法事実」は存在するのか。この一点が明確でないまま、国民の権利を制約する法案を拙速に成立させるべきではない。

そもそも「日本はスパイ天国」という表現は長らく政治的プロパガンダとして利用されてきた歴史がある。確かに諸外国による情報活動は現実問題として存在するだろう。しかし、それは日本に限らず各国に共通する国際政治の常態であり、特定の国だけが極端に「無防備」であると断言する根拠は乏しい。

情報機関の未整備や摘発件数の少なさが「スパイが多い証拠だ」と語られることもあるが、逆に言えば、それだけ現行法や捜査手段で実害が明確な事件として立証されにくいということでもある。もし実態として甚大な被害が存在するのなら、まず示されるべきは事例と証拠だ。恐怖心を煽るだけの言説に基づいて刑罰法規を強化するのは、民主主義国家としてあまりに粗雑である。

新法制定に先立ち、「特定秘密保護法」「自衛隊法」「外為法」「不正競争防止法」など、機密漏洩や安全保障に関わる既存法制度の検証が欠かせない。現行法の運用改善や捜査当局の体制強化で対応できる部分があるなら、まずはそこから着手すべきだろう。

刑事立法の基本は「最後の手段」である。新たな罪と罰を設ける以上、それが不可欠であると説明されなければならない。だが現状、スパイ防止法の必要性を裏付ける具体的な危険と損害は明瞭に示されておらず、「立法事実」は霧の中にあると言わざるを得ない。

仮にスパイ防止法が制定されれば、「国家機密」や「安全保障上の利益」といった広範な概念が法の運用に委ねられる危険性がある。これらの定義が曖昧なままでは、恣意的な解釈によって政府が批判的な言論や調査報道を抑圧する口実となりかねない。

過去には冤罪と批判された事件や、技術情報に関わる事件で捜査の妥当性が疑問視された例もある。「大河原化工機事件」を思い起こしてほしい。公安警察が恣意的に事件を捏造したおぞましい事件である。こうした先例を踏まえれば、新法が導入された場合、捜査機関による「疑わしきは罰する」的な運用へ傾斜し、研究者・技術者・ジャーナリスト、市民活動家までもが捜査対象に含まれる危険は否定できない。

その萎縮効果は計り知れない。学術・報道・民間技術開発といった領域は、健全な社会と経済の根幹を支えるものであり、疑念や監視が常態化すれば活力を失う。国家安全保障の名のもとに国家自体の基盤を損ねるのでは本末転倒だ。

もうひとつ看過できないのは、捜査機関や行政に与える権限の肥大化である。

・通信傍受の範囲拡大

・捜査令状の基準緩和

・行政の内部判断での立件促進

・第三者機関の監督不在

これらが一度法制度に組み込まれれば、民主国家の根幹である「権力分立」「市民の監視権」は形骸化し、国家と国民の力関係は一方的に傾く。

政府を信頼し、捜査機関を尊重することは必要だが、当然に政府も捜査機関も過ちは犯す。「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」は、歴史が証明している。戦前・戦中の日本における「治安維持法」でどれだけ市民の自由が奪われたことか。決して忘れてはならない。権力に歯止めをかけるための市民による権力の監視と制限が正常に機能するというのが立憲主義であり、民主主義の基本である。

立憲主義の観点から見るとスパイ防止法は、基本的人権と法の支配を定めている日本国憲法と真っ向から衝突する。特に次の四条項が侵害される危険がある。

第一に、憲法第21条が保障する「表現の自由」および国民の「知る権利」への重大な侵害である。何が機密であるかを政府が独占的に決定すれば、報道機関による検証や市民の監視は封じられ、主権者が政治を判断するための情報は遮断される。

第二に、憲法第31条の「適正手続き」の原則への抵触である。罪刑法定主義に基づけば、何が犯罪となるかは明確でなければならない。しかし「国家機密」や「安全保障上の利益」という曖昧な概念を拡大解釈すれば、市民はどの行為が処罰対象か予見できず、法の支配は崩壊する。

第三に、憲法第13条が保障する「個人の尊重」と「公共の福祉」への侵害だ。 スパイ防止法に伴う広範な適性評価(身辺調査)は、個人の経歴、思想、交友関係を国家が根掘り葉掘り暴くことを正当化する。これは「個人の尊厳」を根本から侵すものであり、プライバシー権への重大な侵害である。

第四に、憲法第18条が禁じる「意に反する苦役」や不当な拘束への懸念である。定義不明確なまま強力な捜査権限が与えられれば、個人の身体の自由は国家の恣意によって容易に脅かされる。

「敵がいる」「国が狙われている」といった感情的なスローガンは、民主主義を弱体化させる常套手段である。スパイ防止法案の議論が、具体的な事実や統計に基づく冷静な検討ではなく、イデオロギー的な対立や愛国心の競い合いに埋没する危険を、我々は強く警戒したい。

国家が安全を守ることは重要だ。しかし、それは「自由で開かれた社会」を守るためであるはずだ。もし安全保障の名のもとに言論が封じられ、市民が監視され、政治が疑われぬ権能を得るならば、そこで守られるのは国家の体面であって、国民の生活ではない。

スパイ防止法という強権的な法制度は、「机上の脅威」への過剰反応として社会に深い傷を残しかねない。必要なのは、法の新設ではなく、事実に基づいた現行制度の検証と、冷静な議論の積み重ねである。

未知の危機を誇張し、恐怖と不安を煽る政治ではなく、証拠と説明責任に基づく政治を取り戻すことこそ、今求められている。民意がそれを見過ごすなら、自由な社会の基盤は静かに、だが確実に侵食されていく。

(2026年1月14日)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください