2021年8月3日、神戸地裁は旧優生保護法(以下「旧法」)の下で、障碍を理由に不妊手術(以下「優生手術」)を強制的に実施された5人の国家賠償(以下「国賠」)訴訟の判決で、旧法を違憲(憲法13条、14条、24条違反)と指摘し、国会議員が速やかに優生条項を改廃しなかった「立法不作為」を違法とする初めての判断を示し、原告に憲法17条で保障された国賠請求の権利があることを認めた。ただし、不法行為から20年が経過すれば請求権が消滅するという民法の除斥期間が経過していることを理由に国賠は却下した。(2021.08.04朝日新聞)
旧法は、らい予防法と同じく、国家による人権侵害を正当化してきた悪法である。旧法が施行されたのは1948年であり、「基本的人権の尊重」を高らかに謳った日本国憲法が施行された1947年の翌年である。しかも、この悪法が「母体保護法」として改正されたのが1996年であり、半世紀にわたり憲法に反する人権侵害がまかり通っていたのである。
旧法の問題点は、言うまでもなくナチズムにも通じる優生思想にある。
旧法第1条は、法の目的を、
「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、
母性の生命健康を保護することを目的とする。」
と定め、第2章「優生手術」の各条項で知的障害、精神疾患、遺伝性疾患などを持つ障碍者の本人同意がない場合でも、「優生審査会」の判断で強制的に優生手術ができるとしていた。日本国憲法の「基本的人権の尊重」と相容れない優生思想を堂々と掲げるような法律が半世紀もの間存続したことは、日本における障碍者への偏見・差別の解消が遅れた要因の一つでもある。
優生思想は、19世紀後半から遺伝学者が遺伝構造の改良で人類を進歩させる「優生学」を提唱し、20世紀に入ってからは、「劣等な遺伝子」を排除するという発想の下、欧米で広がった思想である。その究極がナチスドイツで、「劣性人種」とされたユダヤ人の大量虐殺を行ったホロコーストであった。
日本においても戦中の1940年、ドイツの断種法に倣い「国民優生法」が成立し、1942年から1947年までに538人が同法によって優生手術を受けたとされる(厚生省公衆衛生局まとめ)。ただし、本人同意がない手術は無かったと言われている。
この「国民優生法」を基礎として成立したのが旧法だが、その成立過程において、当初案では産婦人科医師であった社会党議員が法案作成に積極的に関わり、その法案は審議未了となったものの、その後超党派の議員立法として提出され、成立したのである。こうした経緯から、施行から半世紀の間で何度か改正議論はあったが、主に妊娠中絶に関するものが中心で、優生手術に関しての国会での議論は野党を含めて大きくならず、改正には至らなかった。その意味で、国会及び国会議員の「立法不作為」の罪は重いと言わざるを得ない。
1996年、国際的批判や国内の障碍者団体等からの働きかけで旧法は「母体保護法」に名称変更して改正され、優生思想に関わる条項が削除されたが、旧法の下で実施された優生手術の件数は24,991件、そのうち本人の同意がないものが16,475件(厚労省統計)で、被害者への謝罪や補償は何もない状態が続くことになる。改正後の1997年、「謝罪を求める会」が結成され、謝罪や補償を求める活動が始まり、1998年には国連人権規約委員会からの強制優生手術への補償法制化の要請が政府になされ、2016年には国連女性差別撤回委員会からの優生手術被害者への謝罪と補償の勧告があるなどの動きがあったが、厚労省は「当時は合法であり、国は謝罪も補償も調査もしない」という態度であった。「悪法も法なり」が堂々とまかり通っていたのである。
こんな政府の態度を変えたのが、2018年に宮城県の優生手術被害者女性が提起した憲法17条に基づく国賠訴訟である。その後全国で訴訟が提起され、現在地裁と高裁で25名の被害者が裁判で闘っている。既に出た6件の地裁判決のうち、4件で旧法を違憲としたが、いずれも国賠は却下されている。冒頭の神戸地裁判決は、国会議員の立法不作為まで踏み込んで違法としたが、国賠は却下された。
憲法17条は次のとおり定めている。
「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定める
ところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」
地裁判決では、民法の「除斥期間」を理由として国賠を却下しているが、これが果たして正当な判断なのか。いずれの判決も、除斥期間の起算点を「手術(加害行為)を受けた日」としているが、被害者たちは旧法があるがゆえに、甚大なる偏見・差別を受けてきたのであり、子供をつくれない精神的損害は全人生に及ぶ。しかも、改正前も後も一貫して合法を主張する政府に対して、障碍者という弱い立場の個人が訴訟提起すること自体極めて困難であり、それを「除斥期間」という法律用語で片づけてしまうことに正義と公正があるとは到底思えない。除斥期間の例外を作った最高裁判例(平成10年予防接種禍訴訟判決)も存在する。裁判官は、憲法の根幹である「基本的人権の尊重」に反する法律を半世紀も放置した違法行為に除斥期間は適用すべきではなく、あくまで「正義と公正」を見極めた判断をすべきである。
国会は2019年4月、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」を成立させ、旧法により優生手術を受けた被害者への一時金320万円の支給が決定した。この法律の前文で、政府が優生手術被害者に謝罪しているが、一時金で片を付けてしまおうという態度が見て取れる。この一時金支給法制定も、2016年に発生した不幸な事件(相模原障碍者施設殺傷事件)による、優生思想批判への世論の高まりがきっかけとなった面がある。一時金受給者もまだ931人(2021年7月末現在)と、実際の被害者数から比べると極めて少なく、金額も重大なる心身の被害に見合ったものではない。一時金による救済と国賠訴訟は、次元の異なるものであることを認識しなければならない。
立法・行政・司法は、旧法の被害者への国賠を、「基本的人権の尊重」の精神に則り、憲法17条を「正義と公正」に適用して、極めて甚大な人権侵害を償うべきである。
(2021年8月15日)
1967年に発生した布川事件で無期懲役となり、29年間収監され、再審無罪となった桜井昌司さんの国家賠償訴訟で、8月27日、東京高裁が一審の判決を維持し、国と県に7,500万円の賠償を命じた。違法な取り調べや証拠隠しなどは正真正銘の不法行為であり、国家賠償の対象とすべきだが、死刑冤罪事件でも国家賠償が認められない例が多いなか、布川事件は例外的判決。この事件では除斥期間の始期を再審無罪の時点にしていることは当然であるが、それでも国家賠償の壁が高すぎるのが現実。もっと壁を低くし、担当の刑事や検察官、更には裁判官にも責任を取らせるようなシステムにしなければ、正義と公正は実現しない。
布川事件では2011年に再審で無罪が確定してから10年目に国賠訴訟が勝利したことになります。
松川事件では1963年に2度目の最高裁で全員無罪が確定してから7年後の1970年に国賠訴訟の勝訴が確定しています。
だが当時、国賠と両輪をなす権力犯罪の追及は達成できませんでした。
公務員を罷免することは国民固有の権利です(憲法第15条)。裁判官も「公の弾劾によらなければ罷免されない」(第78条)と、弾劾の対象になり得ることが示されています。そのシステムの有効な機能が願いです。