安倍首相はさる5月16日の衆院予算委員会で、民進党の山尾志桜里政調会長の質問に「議会の運営について少し勉強していただいた方がいい」と指摘。続けて「私は立法府、立法府の長であります。国会は行政府とは別の権威として、どのように審議するかは各党・各会派で議論している」と答弁した。
翌17日の参院予算委員会でも、民進党の福山哲郎幹事長代理が安全保障関連法採決時の議事録について質問した際、「立法府の私としてはお答えのしようがない」と答えた。
立法府の長にあたるのは衆参両院の議長で、いずれも首相は「行政府」とすべき部分の「失言」だが、単なる「言い間違い」ではすまされない根深いものがある。
萩生田光一官房副長官は19日の自民党国会対策委員会の会合で「私は立法府の長」などと答弁したことに対し「首相の言い間違いについては申し訳なかった」と陳謝した。
そもそも首相は国権の最高機関である国会の指名によって初めてその地位を得る「行政府の長」である。その「行政府の長」が国権の長であると自称する傲慢さは、その心中に「われこそ最高権力者」の意識があるためだろう。
憲法第41条は「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」とし、国権の最高機関が行政府ではなく国会にあることを明確に定めている。しかるに安倍首相は、自らを「立法府の長」と錯覚したのである。
これは故なきことではない。本来、内閣には条約締結案と予算案の議案のみの国会提出が義務付けられているのであり(第72条、第73条)、この2議案以外の法案提出権は内閣にはないのである。にもかかわらず現状は、ほとんどの法案が閣議決定により国会に提出され立法化されているからである。それ故、安倍首相は自らを「立法府の長」と錯覚したのであり、単なる「言い間違い」とか「失言」などではないのである。
これは明治帝国憲法が行政府の法案提出を原則としていたことを踏襲するもので、明白な現憲法違反と言わねばならない。法案は国権の最高機関たる国会が自ら作成し議決しなければならないのである。
憲法を尊重擁護する義務を負った国務大臣のトップがこのような認識であれば、その閣僚である高市早苗総務相が憲法に明示された「表現の自由」を軽視して「報道の自由国際ランキング」を大幅に低下させ、馳浩文部科学相が「学問の自由」を無視して、卒業式で国歌斉唱しない大学に交付金を盾に圧力をかけるなど、下が上を諌めるどころか、上に流され、輪をかけて憲法違反を重ねている。
現内閣における憲法秩序の乱れをしめす証拠として、首相の錯覚「失言」に警鐘を鳴らさざるを得ない。