近年、「介護での子による親の虐待」や「親による子の虐待」をメディアが取り上げる回数が増えている。改憲運動を展開している団体が、家族間の凄惨な事件を「日本国憲法24条の個人の尊重と両性の平等」が「行き過ぎた個人主義」を生んだ結果だとして、「家族尊重条項」の新設を主張している(注1)。
ここで改めて現行憲法24条の重要性と自民党改憲草案「家族尊重条項」の危険性について考えたい。
下記の現行憲法と自民党改憲草案の24条を比較して頂きたい(注2)。大きな相違は改憲草案で第1項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という2文(家族尊重条項)が新設されている点である。「家族は助け合わなければならない」という文章が、日常の会話でのやりとりであったり、書物の中で倫理的価値観を記したものであれば、ごく当たり前のことで問題にはならないだろう。しかし憲法に規定されるとなると大変な問題をはらむ。「道徳を憲法に持ち込めば思想統制の根拠にすらなりかねない」「法と道徳を混同するなというのは、近代法の大原則」(注3)だからだ。
日本国憲法では「個人の尊重と両性の平等」が「人権を守るために権力を縛るもの」として書かれているが、改憲草案新設部分は、明確に「国民を縛る規定」すなわち「国民の義務」として書き込まれている。現在も民法730条に「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない」という規定がある。それなのに敢えて新たな「国民の義務」として、憲法に「家族は助け合わなければならない」という規定を新設するのはなぜか。政府が今後社会保障費を削減するための根拠にするためではないのか。つまり、政府が国家予算を、軍備増強や新自由主義政策推進のために重点的に配分し、福祉や教育に使いたくなければ、この憲法の新たな規定に従って、今まで国が提供してきた教育や介護に関わるサービス・予算をはじめ生活保護費・社会保険・年金までも削減、廃止することが容易になる。斎藤貴男氏は、24条の新設項目に関して「貧困は、自己責任か家族・親族の連帯責任、公的扶助は理念ごと解体へ」という思想に基づくもので、「19世紀の資本主義が復活するようなもの」(注4)と批判している。
また、改憲草案第1項前半の「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」という部分がはらむ問題について、水島朝穂氏のゼミ生の指摘は鋭い。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位」という抽象的な規定は「のちのち民法なりで、シングルマザーや同性愛カップルを明確に否定する規定を設ける際に裏付けとなる危険性はあるでしょう」と。さらに「それ以前に、家族がいない人はどうなるの?という問題があるんじゃないですか?・・・家族がいない人は社会に属していないのかということになりかねない」。水島氏はこの学生の指摘に対して、「家族がひとりもいない人というのは少数派として存在します。少数派のことを憲法で考えることは、憲法議論で絶対に必要なことです」(注5)と述べ、憲法論の重要な視点を提示している。
私たちは、この家族尊重条項が、財政配分だけでなく、将来家族の多様性を否定する法律に利用される可能性や、国民の社会参加が個人ではなく家族を単位とされうる危険性を見過ごすわけにはいかない。
日本の戦前の「家」制度は、天皇制支配を末端にまで貫徹するための役割を担った。戦後、現行憲法は、戦前の「家」から、「個人」を自由な意志を持ち主体的に考え行動する社会的存在として解放した。そして、「個人」の自由な意志によって、男女の合意「のみ」で家族をきずくことを可能にした。もっとも、現行日本国憲法下でも家族問題において「個人の尊重と両性の平等」が完全に実現されているとは言えない。離婚後の単独親権制や夫婦同姓強制問題など、憲法にそぐわない民法の規定によって苦しむ人は多い(注6)。
自民党改憲草案24条が「個人」ではなく「家族」を、「社会の自然かつ基礎的な単位」と宣言していることは、同草案13条が現行憲法の「すべて国民は個人として尊重される」を「・・・人として尊重される」(個人を人と差し替えている)と書き換えていることと照らし合わせると、個人を究極の価値の担い手とする立憲主義の本質を葬り去ろうとする改憲の怖ろしい狙いが見えてくる。
<注>
(注1)朝日新聞デジタル2016年3月25日
(注2)日本国憲法24条と自民改憲草案
日本国憲法24条
婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
自民党改憲草案24条
家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない。
3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。
(注3)樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』集英社新書
(注4)斎藤貴男『戦争のできる国へ 安倍政権の正体』朝日新聞出版
(注5)水島朝穂『はじめての憲法教室』集英社新書
(注6)最高裁は昨年12月16日、女性にのみ離婚後6カ月間の再婚禁止期間を定めた民法733条の規定について、100日を超える部分の禁止規定が憲法24条と14条に反して違憲とする判決を下す一方、夫婦別姓を認めない民法750条については合憲との判決を下した。しかし、憲法学者の高橋和之東大名誉教授は、最高裁の合憲性審査の手法を厳しく批判すると同時に、民法750条は憲法24条2項の「個人の尊厳と両性の本質的平等」という日本国憲法の根本原理に反し、人格権(13条)や婚姻の自由(24条1項)にも反して違憲であると主張している(注7)。また、今年3月7日、女性差別撤廃条約の実施状況を審査する国連女性差別撤廃委員会が公表した日本政府に対する「最終見解」も、夫婦同姓を強制する民法の規定を改正するよう勧告するととに、女性に対する再婚禁止期間も全廃するよう勧告した。
(注7)高橋和之「同氏強制合憲判決にみられる最高裁の思考様式」『世界』2016年3月号