朝日新聞(2月10日)の報道によると、高市早苗総務相は9日、衆院予算委員会で、「憲法9条改正に反対する内容を相当時間にわたって放送した場合、電波停止になる可能性があるのか」との玉木雄一郎議員(民主)の質問に対し、「1回の番組では、まずありえない」が、「将来にわたってまで、……罰則規定を一切適用しないということまでは担保できない」と述べ、放送法4条違反を理由に電波停止を命じる可能性に言及した。
重大な発言である。放送局が「憲法9条改正反対」、すなわち憲法の尊重を訴える番組を長時間放送すれば、総務大臣が放送法4条違反を理由に電波停止を命じる可能性があると発言したのである。実際に電波を停止するまでもなく、この発言だけで、放送局に対する脅しであって、「表現の自由」(憲法21条)を脅威にさらすものである。しかも、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負う公務員である総務大臣が、憲法擁護を訴える番組を「政治的公平性を欠く」と見なし、それを理由に電波停止命令の可能性を示唆したものであり、憲法に定められた「憲法尊重擁護義務」に違反して「表現の自由」を侵害しようとしたものであって、二重の意味で憲法を蹂躙する重大な発言である。
放送法4条は、放送事業者の守るべき倫理規範の一つとして第2号で「政治的に公平であること」を掲げているが、それは、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」を放送法の従うべき原則に掲げる同法1条の下で解釈しなければならない。そして同法1条はまた、憲法21条の保障する「表現の自由」を放送において実現することを目的としていることも明らかである。したがって、放送法4条2号の掲げる政治的公平性とは、同条4号に掲げる「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」という規定とあいまって、放送の「不偏不党、真実」を保障しようとするものである。とりわけ、戦時中、放送局が政府の統制下におかれ、大本営発表の宣伝機関と堕して国民を戦争へと駆り立てた苦い反省に立って制定された放送法において、「政治的公平性」とは、何よりも政府からの独立性を意味するものであり、「何人からも干渉され、又は規律されることがない」という番組編集の自由を定めた放送法3条の規定は、とりわけ政府からの干渉・規律の拒否を意味していよう。
ところが、高市総務相にとっては、「政治的公平性」とは政府方針への親和性のことであり、「政治的公平性を欠く」とは政府の方針を批判する内容を指しているようである。そう考えない限り、「憲法9条改正反対の内容」=憲法擁護の姿勢が、「政治的公平性を欠く」と判断される理由は理解できないであろう。高市総務相が、「政治的公平性」とは政府方針支持のことであると考えているからこそ、憲法擁護の番組が、憲法改定を進めようとしている安倍政権の方針に反して「政治的公平性を欠く」と考えるのである。
高市総務相は昨年4月28日にも、「クローズアップ現代」の過剰演出問題でNHKに厳重注意の行政指導を行っているが、これに対して、放送倫理・番組向上機構(BPO)は同年11月6日、「放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのもの」であり、「政府が個別番組の内容に介入することは許されない」と厳しく批判している。
このように、政権に批判的な報道を「政治的公平性を欠く」として、そうした報道を弾圧しようとする高市総務相の姿勢は、「憲法尊重擁護義務」に著しく違反し、「表現の自由」を抑圧し威嚇するものであり、決して許されない。憲法を無視し続ける高市総務相は直ちに辞任するに値する。
(会員ブログより転載)
この問題については、今朝(2月13日)の東京新聞も特報面右サイドで、「大臣判断「違憲の恐れ」」という見出しの下で、様々な識者の意見を伝えています。
その中で、鈴木秀美・慶応大教授(憲法・メディア法)は、「放送法4条は、放送事業者が自律的に守るべき倫理規定だというのが、憲法学者らの共通した考え方だ」と指摘し、今回の高市発言が「憲法21条が保障する言論の自由に反する疑いが強くなる」と述べています。
大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)も、「放送法4条は、放送事業者が特定の正統と結び付いたりすることがないようにした規定が。放送される番組が政治的に公平であるかどうかを国が判断するのはおかしい」と述べ、いずれもこの警告の妥当性を裏付けているように思います。
上記コメント中、「正統」は「政党」の誤り(誤変換)でした。コメントを見直さないまま投稿してしまい、なおかつコメントを削除する方法がわからなかったため、重ねての投稿となりましたことと併せ、お詫びいたします。