PDF草野論文を拝読して
👆をクリックすると以下の投稿のワード文書が開きます。
2022年12月24日 稲田恭明
完全護憲の会御中
はじめに
このたび、貴会編『危機に立つ日本国憲法』を大変興味深く拝読いたしました。全4章いずれも貴重な情報の詰まった力作揃いでしたが、今回はその中の第2章「9条「自衛隊明記」のもたらすもの」(以下、「草野論文」と記す)についての感想を述べさせていただきます。
同論文の中でも草野氏が最も力説されていたのは、「攻められたらどうするか」という問いにどう答えるかという問題と、護憲派内部におけるいわゆる「専守防衛」派と「非武装」派の対立をいかにすれば止揚できるのか、という問題だったのではないかと思います。そこで、以下では、この2つの論点に絞り、私が元々考えていたことに加え、草野論文を読んで触発され、いわば私の思考と化学反応を起こした結果新たに得た着想とを併せた考察を記します(以下、本文は「だ・である」調に切り替えます)。
1 「攻められたらどうするか」という問いにどう答えるか
(1)理想状況における回答
草野論文は、「攻められたらどうする?」という問いに正面から答えよう、と問題設定したうえで、結論として、「攻められても武力をもっては戦わない、降伏する」という回答を提示した。私はこの結論に、基本的には賛成である。しかし、私の考えを正確に叙述するためには、もう少し詳しく説明する必要がある。
「攻められたらどうする?」という問いは、護憲派の中でも、専守防衛派ではなく、主に不戦非武装1派に対して向けられるものであろう。この問いが投げかけられたとき、不戦非武装派は、「攻められる」とは、次の2つの場合のどちらを想定しているのかと反問すべきである。すなわち、不戦非武装派が考えるような9条の理想が達成された状況、すなわち、自衛隊という軍隊を解散し、日米安保という軍事同盟を解消し、国際社会、とりわけ東アジアにおいて近隣諸国との平和で友好的な外交関係を築き、世界の諸地域の紛争解決や人道支援に率先して取り組むような国になった場合のことなのか、それとも、自衛隊も安保条約も厳然として存在し、近隣諸国との緊張関係が続き、日本が軍備の増強を続けている現在のような状況なのか、と。前者の状況であれば、日本が他国から「攻められる」可能性は限りなくゼロに近づくだろうが、後者の状況であれば、軍拡に努めれば努めるほど、「安全保障のジレンマ」が教える通り、周辺諸国との緊張を高め、結果として「攻められる」可能性も高まるから、後者の状況から前者の状況へと変えていくべきだ、というのが非武装派の答えである。
もちろん、仮に前者のような状況であったとしても(他のいかなる政策をとった場合でもそうであるように)リスクを完全にゼロにすることはできない。自分では人助けをしているつもりでも、知らぬ間に相手の足を踏んでいた、といったこともありうるから、自国の善意が他国の好意を常に保証するとは限らないからである。たとえそうではあっても、いきなり他国が「攻めてくる」ということは、これだけ瞬時に情報が世界中を飛び交う現代世界においてはあり得ない2。「攻めてくる」以前の段階で相手国の不満なり非難なりが表明されるなど、なんらかの(武力に至らない)紛争状態が生じているはずである。そうであれば、直ちに相手国と交渉による平和的解決に努めることが、憲法上はもちろん国際法上も政府の義務である。交渉においては、自国の言い分を主張するだけでなく、相手国の言い分をよく聞いて相手の立場を理解したうえで、場合によっては妥協も必要である。二国間での解決が困難であれば、第三国による仲裁を依頼することも検討すべきだし、どうしても一致点を見いだせない場合には問題の棚上げ・先送りといった方法で紛争を回避することも考えられよう。こうした粘り強い交渉によって、紛争を解決する、あるいは少なくとも相手側に武力行使をさせないことは可能であろう。
それでもなお、話し合いによる解決を拒否し、非武装の日本を攻めてくる国があったとしたらどうするのか、というのが、冒頭の問いの正確な意味となるであろう。いかなる侵略国といえども、武力行使を行う際には、「自衛権」など何らかの国際法的口実を持ち出すのが常であるのは、憲法制定議会となった1946年の衆議院本会議(6月26日)で吉田茂首相(当時)が述べたとおりであり3、最近のロシアのウクライナ侵攻もまた然りである。ところが、ここで想定されている日本は非武装であるから、日本を「攻めてくる」国は、国際法上いかなる正当化根拠(口実)も援用することができず、攻撃目標はことごとく非軍事目標であるから、明々白々たる国際人道法上の大犯罪を世界注視の中で4行うことになる。これほどの愚行を行う国が存在するとは信じがたいが、それでもなお、「あった」と仮定しよう。その国が国連安保理常任理事国でなければ、直ちに安保理が開かれ、集団安全保障措置(国連憲章第7章)が取られるはずであるが、仮にその国が常任理事国であれば安保理は機能しない。しかしその場合でも、朝鮮戦争の際の「平和のための結集決議」のような決議を国連総会に求めることは十分可能であろう。仮にそれができない場合は、日本は国際社会に仲裁もしくは国際会議による解決を求めるべきであろう。それでもなお、相手国が非軍事目標(しか日本にはない)への攻撃という国際人道犯罪を続け、「降伏」以外にそれをやめさせる方法がない場合には、誇りをもって降伏すればよい。他国を侵略したり、国際人道上の犯罪を犯すことは恥ずべき行為であるが、降伏することは、それ自体として恥ずべきことではない。軍事力の強弱は道徳的な高潔さや卑劣さとは無関係である。交渉も拒否し、国際法も無視して違法・非道な武力行使を続ける国から人民の生命と財産を守るために誇りをもって降伏することは何ら恥ずべきことではない。卑劣で恥ずべきなのは相手国の方であろう。かつて砂川闘争の際に、反対運動を展開した農民や学生が、「土地に杭は打たれても、魂に杭は打たれない」というスローガンを掲げたが、そのような精神を持つことが大事である。
また、降伏するということは相手国の奴隷になることではない。降伏の後に行われる講和会議においては、侵略国に不当な「侵略の果実」を得させないために、第三国を含む国際会議を呼びかけ、国際法の原則に基づいた公平な解決を求めるべきである。世界中が弁明の余地のない侵略を目の当たりにした後では、これはそれほど困難なことではないであろう。
(2)現実的もしくは過渡的状況における回答
上記の回答はしかし、「攻められたらどうする?」という問いの発問者を満足させない可能性が高い。発問者のみならず、護憲派自身が、上記のような理想状況が簡単に実現するとは思っておらず、それに向けて努力を続けたとしても、そこに至るまでにどのくらいの年月が必要なのかの見当すらつかないのが現状だからである。そこで、そういう理想状態を目指すとしても、それが実現するはるか手前で、つまり自衛隊も日米安保も存在する状況の中で「攻められたらどうするのか?」というのが次に来る質問である。この問いにどう答えればいいだろうか。
共産党の志位和夫委員長は2015年に国民連合政府構想を提唱した際、(安保法制を廃止した後の)自衛隊について、「急迫・不正の主権侵害など、必要に迫られた場合は、自衛隊を活用する」と述べた。これは、共産党が主張している自衛隊の段階的解消論の本気度を疑わせるのに十分な発言である。もし自衛隊が「必要に迫られた場合」に役に立つのであれば、そもそも解消を目指す必要などどこにもないからである。というより、解消などしてはいけないであろう。共産党は、かつては「自衛中立」論を掲げ、将来的な9条改正を主張していたが、「非武装中立」論の本家であった社会党が1994年に自社さ連立政権に加わり、非武装中立政策を捨てた後、第20回共産党大会で「自衛中立」論を捨て、「非武装中立」論に転換した経緯がある5。党内での十分な議論を経てのことではなく、社会党を見捨てた支持者を取り込むための政策転換だったのではないかという疑いを、この志位発言がはしなくも裏付けてしまった形である。
これに対して、我らが草野論文は、「攻められても、侵略されても武力をもっては戦わない、軍事力では対抗しない」と堂々と宣言しているのである。私はこの主張に大いに賛同する。ただし、「武力をもっては戦わない」ことと「降伏する」ことが直ちに直結するわけではなく、その間に採り得る様々な選択肢が存在することは、「理想状況」の段で述べたことからおわかりいただけるであろう。
つまり、現在のように軍事力を保有している状態において、万が一「攻められた」としても、決して「軍事力では対抗しない」という一点で、護憲派は大同団結すべきである。その理由は、ウクライナを見てもわかるように、「武力で平和は守れない」からである。反撃すれば、相手は震えあがってたちまち攻撃をやめてくれる、などという世界が一体どこにあるのだろうか。反撃すれば、相手もそれを上回る攻撃を加えてくるのは必定であり、戦争は泥沼化して両国の犠牲者が増え続けることは日本を含む世界の歴史が証明しているではないか。そもそも軍備を拡張すれば安全が得られると思うのは根本的な錯誤である。相手国から見れば脅威が増すわけだから、相手国も軍備を拡張して、軍拡競争のエスカレーションが起こり、安全感がますます損なわれることを、「安全保障のジレンマ」と呼ぶが、軍備によって安全を確保しようとする論理には歯止めがなく、必然的にエスカレートしていく傾向性を内包しているのである。戦争を準備する者は戦争を近づける者であり、聖書も説くように、「剣を取る者は剣で滅びる」(マタイ26章52節)のである。したがって、戦争を準備しようとする勢力に対しては、護憲派は9条の解釈はさておき、「武力で平和は守れない」「対話で平和を創り出そう」を合言葉に大同団結すべきである。
2 護憲派は「専守防衛」論と「非武装」論の対立を止揚できるのか
ところで、草野論文は結論の持つ大きな魅力にも拘わらず、そこに至る論理の整合性に難点があることも指摘せざるを得ない。
第5節の(3)「9条が問われている焦点は何か」の中で、草野氏は、「憲法9条は徹頭徹尾、外国を攻めたり侵略したりしない、との宣言であ」り、「たとえ攻められても武力をもって交戦しない、したがって「自衛」の名による自衛戦争も否定するものである」と述べた後で、「これがこれまでの9条護憲派の9条解釈護憲論である」と述べているが、これは同時に草野氏の9条解釈論でもあるに違いない。しかし、その一方で草野氏は、「現に侵略戦争が起こされ、各国が軍備を増強しているという現実を前にしては、この道を選択できない、というのが現代世界に生きる人々の水準なのであり、現実である」とも述べている。そして、そうした非武装主義の主張は、「9条護憲派の主観的観念世界が生み出した「正論」」ではあるが、「理念ではなく現実世界に生き、現実世界の政治状況を肌で感じて「攻められたら」の問いを発している…人々の不安と問いに答えていない」と批判している。
そのうえで、「国民の多くが憲法9条は「専守防衛」の自衛隊は合憲であり必要な存在だ、と思いたい根拠」を真正面から受け止め、「攻められたらどうする」という不安と問いに向き合うことを提言している。そして、「核戦争時代の「専守防衛」はどうあるべきか」という第4節の見出しからも窺われるように、あたかも「専守防衛」が日本のあるべき姿であると草野氏が考えているかのように錯覚しそうになる。しかし、草野氏自身の結論は、「現憲法の9条を「自衛権」も「自衛戦争」も放棄したものとして受け止め、かつ、自衛隊を憲法違反の存在と認識する限り」、「攻められても武力をもっては戦わない、降伏する」という「以外の選択肢はないのである」というものであり、草野氏自身は明らかに不戦非武装派と共通の立場に立っている。ここには論理展開上の矛盾とは言わないまでも無理が感じられるが、だからといって結論は少しも間違っていない。
私も9条の解釈としては不戦非武装主義が正しいと確信しているが、私が不戦非武装主義を支持するのは、それが正しい9条解釈だからではなく、それこそが安全保障政策として最も安全に資すると思うからである。いくら正しい憲法解釈でも、それが日本の安全を脅かすのであれば憲法を変えた方がいいだろう。憲法9条の解釈をめぐって、非武装主義と専守防衛論のいずれが正しいかを議論をしても水掛け論に終わる公算が極めて高く、あまり生産的ではない。それよりも、戦争の準備を進め、戦争を近づけようとする勢力に反対する人々は、9条の解釈がどうであれ、「戦争絶対反対」「武力で平和は守れない」「対話で平和を創り出そう」を合言葉に一致団結して反対すべきである。ここに専守防衛派と不戦非武装派の対立を超えて護憲派が大同団結すべき一致点が見出せるのではないだろうか。草野論文を読んで、そんなことを考えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1 従来、「非武装中立」という言葉が広く使われていたが、憲法9条が「中立」を要請していると考えるのは、国際法や国際政治の進展と日本国憲法の哲学に対する無理解を示していると思われる。国際法において中立制度が発達したのは、第1次世界大戦(少なくとも不戦条約)以前の無差別戦争観が支配的だった時代であって、戦争の違法化と国連の集団安全保障が制度化された第2次大戦後、国連が特定国の武力行使の違法性を認定した場合には、もはや中立原則は成り立ちえない。ただし、国連の決定がない場合の第三国の中立義務の有無については学説が分かれている。一方、国際政治史的は、冷戦時代には非同盟中立運動が発展したように、東西いずれの陣営にも属さないことを「中立」と呼ぶ用法が存在したが、冷戦終焉後には、もはやこの用語は時代遅れであろう。さらに、日本国憲法が掲げる、平和の維持、専制・隷従・圧迫・偏狭の除去に向けた国際的努力の先頭に立つという宣言は、紛争発生時において日本が消極的な「中立」ではなく、紛争の平和的解決の先頭に立つことを要請していると解釈すべきである。
2 不思議なことだが、「攻められたらどうする?」という問いを発する人は、なぜ、どういう状況で「攻められる」のかをいうことを想定せず、あたかも突然他国による侵攻が発生するとでも想定しているかのようである。
3 草野論文40頁の注1参照。
4 相手国が交渉を拒否して武力行使に訴えそうな状況になれば、日本はこうした状況を積極的に国際社会に発信し、世界各国や国際機関の注意を惹くべきである。
5 中北浩爾(2022)『日本共産党』中公新書、304頁