アベの国葬は”国葬を見る会“と通称すべし!

アベによる“桜を見る会”は、国費を使っての、極めてプライベートな宴会に過ぎませんでした。が、この度の国葬もほぼ同じものだと断じてよいと考えます。

もし仮に、アベが国葬に相応しい人物であるとするならば、世の中には国葬にすべき人々が数え切れないほど現れて、我が国では毎日々々国葬をし続けなくてはならないと思います。いいえ、国民は全て国葬としなくては、釣り合いが取れなくなってしまうとさえ申せましょう。

敢えて乱暴な書き方をしておりますが、同じく銃撃によって殺害された“中村哲さん”などは、アベなどよりも遥かに国葬に相応しい人物でありましたし、もしもその様な形のトータルな判断基準を設定した上で、アベを国葬にするというのであれば、実際に我が国は、年がら年中国葬を繰り返さなくてはならなくなってしまうでしょう。

いずれにしても、今回のアベの国葬は、我が国の歴史における重大なる汚点となるしかないものと断言させていただきます!

勿論、今回の国葬を決めたのは岸田総理でありますし、その意味ではアベの罪ではありません。ましてや彼は悲劇的な死を遂げておりますので、私自身も死者を鞭打つつもりはないのです。が、しかし、死んだからと言って生前の罪がすべて帳消しになる訳もなく、その様な罪に対しては、きちんとケジメを付けることこそが、国家なる存在が示すべき公正な態度と考えます。

であるにも拘わらず、今回の国葬は、正に彼が仕出かした罪の数々を隠蔽し、更にはこれまでの与党政治の悪しき部分を洗い流してしまいたいという思惑が見え々々の形で執り行われようとしているものなのです!

アベという人物は、自己満足するために、徹底的に政治を私物化してまいりました。その為に手段を選ばぬやり方は、どこか統一協会的な手法に似ております。例えば、自らの命令に逆らえぬ者達のみを人事的に配置して、組織全体を牛耳ってしまおうとするやり方とかが、実によく似ております。

その手の事柄を、きちんと検証する時間があれば、この国の闇を暴き、一気にこの閉塞した状況から抜け出す切っ掛けを作り出すこともできると信じます。

だからこそ、アベの国葬などさせてはならないのです。それがマネーロンダリングならぬ、悪質政治のロンダリングを意図するものであることが明らかだからです!

国葬をすることによって、何もかもが水に流されてしまうことは、私だって思いたくありません。ですが、この国の歴史においては、暫々その様なことが起こるのです・・・。

岸田内閣の仕切りにより、感動的なセレモニーへと演出された国葬が、多くの日本人にどの様な感覚の変化を生じさせるか?私には予想し切れません・・・。多分、その為の演出は、念入りに検討されている筈です。それこそ徹底的に!

そもそも国葬とは誰のためにするものなのでしょうか?今一度乱暴な決めつけを記すことをお許し下さい・・・。それは“現行経済の為”だと思います。宗教以上にカルト化しつつある、現行の経済システムの為にです!

その様な意味からも、アベの国葬などしてはならないのです。そして、それが一部の人々の極めてプライベートな欲求に過ぎないことを知らしめる為に、アベの国葬は“桜を見る会”ならぬ“国葬を見る会”であると強調したいのです!

2022年8月30日  川村茂樹

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2022年9月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : o-yanagisawa