「十人十色」はアナーキー ―――「檻」の外にある自由

(弁護士 後藤富士子)

1 なぜ単色の「法律婚」を目指すのか?
 「選択的夫婦別姓」論と「結婚の自由をすべての人に」論に、私は強い違和感を覚える。
 「選択的夫婦別姓」論についていえば、婚姻により96%の女性が夫の姓を選択している現実が「女性差別」「女性にとって結婚の自由が保障されていない」という。だが、それで、なぜ婚姻によって姓を変更しないことが例外である「法律婚」を目指すのか?なぜ「選択的夫婦同姓」制度を標榜しないのか?「婚姻により姓を変更しない」という普遍的な制度を原則とし、「同姓」を希望する夫婦にはその選択を認める制度こそ、普遍的かつ個人の尊厳に基づく法律婚であろう。
 また、「結婚の自由をすべての人に」論は、「同性婚」という特別な制度を作るのではなく、異性間で認められている婚姻制度を同性間でも平等に利用できるようにとの趣旨であり、「婚姻平等」を問うているようである。でも、個人のセクシャリティは本来多様である。したがって、多数派と同じ婚姻制度を利用できなければ「差別」というわけではない。むしろ、「同性婚」の合法化の方が分かりやすいし、現実的であろう。
 結局、本来個人の多様性を基礎にした婚姻制度にしなければ解決できないのに、単色の「法律婚」を志向するところに根本的矛盾を内包しているように思われる。翻ってみれば、そもそも「法律婚」は国家が認定する婚姻制度なのだから、その枠組に参入することを忌避する個人がいても不思議はない。だから、優遇された「法律婚」を標榜する人は、私の目には「事実婚」差別主義者と映る。

2 外国の法制に学ぶ
 台湾でもかつては夫婦同姓制度であり、多くの女性が結婚により姓の変更を強いられていた。これが女性差別とされ、1998年、夫婦別姓を原則とする法改正がされている。
 本年6月に杉並区長になった岸本聡子さんは、日本でオランダ人パートナーとの間の長男を出産した。日本で婚姻していないのでパートナーと別姓であるが、仮に日本で法律婚をしたとしても、外国人のパートナーには戸籍がないから別姓になる。つまり、夫婦同姓制度の守備範囲は、夫婦のいずれもが日本国籍を有する場合に限定されている。その後、岸本さんはオランダへ渡り、パートナーシップ登録をした。長男が4歳になったときに結婚したが、夫婦別姓は当然で、自分の姓と夫の姓をふたつくっつけることもできるし、夫の姓に変える選択もある。日本では外国人が長期で住むには婚姻関係がなくてはならないために、日本に移住する場合に備えて結婚したのである。その後、一家はベルギーに移住するが、ここでもオランダと同様である。パートナーシップ登録制度は、税金や相続や親権に関わる事象で法的には婚姻と同じ条件を得ることができる。婚姻を選択しない理由を聞くと、「伝統的には宗教的価値につながっている婚姻をしたくない」「家父長的な価値から自由でありたい」という人もいるし、「え、結婚する必要ってある?」という人もいる。結婚なんてその程度のこと、なのである。
 同性婚についても、台湾では2017年5月に憲法裁判所は「同性婚を認めない台湾の民法は憲法が保障した『婚姻の自由』と『平等原則』に違反するとの初判断を示し、2年以内に同性婚を法制化するよう行政や立法院に命じた。期限まで残り1週間の2019年5月17日、立法院は同性婚を認める特別法を成立させた。
 国連加盟193か国のうち同性婚を認めているのは、2020年12月時点で28か国(英仏独、スウェーデン、ノルウェー、豪州、ニュージーランド、南アフリカなど)で、チリとスイスも2021年に合法化することが決まっている。アジアでは、国連非加盟の台湾のみである。なお、私の記憶では、少なくともフランスの同性婚は、同性婚に限らないパートナーシップ登録制度である。

3 オードリー・タンの軌跡―強制から解放されたアナーキズム
 台湾のIT大臣オードリー・タン氏は、20代でトランスジェンダーだと公表し、「性別なし」という。自らを「保守的アナーキスト」と呼び、「強制から解放されたアナーキズムが理想」と語る。世の中にある多様な価値観を尊重して守ることによって、人々に自分らしく生きることへの安心感を保障し、強制や排除をせずに社会を進歩させることができると言う。
 また、朝日新聞のインタビューで、「多様化した社会の最大の長所は、個人の運命が性別によって決められないことです。ある人が社会にどんな貢献ができるかは、長い時間をかけて考え、ようやく答えが見出せます。でも、ある人の性によって、別の性の人なら取り組めることを経験できなくさせてしまったら、その人は一生、自らの半分の可能性を制限されることになります。自分とは異なる性の人に対する理解が限られてしまうのです。そんな社会で生み出される政策は、多様な人からなる社会の諸問題を解決できません」と語っている。
 結婚は、本来「私事」であり、国家の均一な統制管理になじまない。「私事」にまつわる自由は、「法律婚」という「檻」の外にある。

【参考文献】
石田耕一郎:台湾がめざす民主主義(大月書店)
岸本聡子:私がつかんだコモンと民主主義(晶文社)

(2022年9月28日)

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2022年9月28日 | カテゴリー : ➉ その他 | 投稿者 : 後藤富士子