「法曹養成制度」としての「法科大学院」――日本の弁護士はなぜ「統一修習」にしがみつくのか?

(弁護士 後藤富士子)

1 「司法試験」と「法曹養成」の関係
 日本では、法科大学院が創設された前後を通じて、司法試験は司法修習生採用試験であり、法曹養成の基本は「統一修習」に委ねられている。それは、司法試験受験資格として体系的な法学教育を受けたことを要件としないことからも明らかである。ちなみに、法曹養成制度として法科大学院が創設されたにもかかわらず、統一修習制度を維持したために、司法試験を法曹資格試験とすることができず、移行期の旧試験、その後の予備試験というバイパスを設けたことによって、法曹養成制度としての法科大学院の存在意義は決定的に減殺されることになった。現状をみると、法科大学院は、司法修習生に採用されるためには「無駄」でしかなくなっている。翻って、法科大学院を法曹養成の基本制度にするなら、統一修習を廃止しなければならなかったのだ。
 このことは、旧制度が日本とほぼ同様であった韓国の制度改革を見ればよくわかる。韓国ではロースクールの導入によって、2017年に司法試験制度が完全に廃止され、2年間の司法修習制度も2020年で終了している。

2 韓国のロースクール制度
 韓国では日本より早く1995年頃からロースクールをめぐる議論が始まった。2007年になって法学専門大学の設置・運営に関する法律が制定され、2009年に25のロースクールが開校し、同年8月頃に弁護士試験法が制定されてシステムが完成した。つまり、ロースクール修了者は弁護士試験を受けて弁護士資格を取得するのである。このような全く新しい法曹養成制度が導入されたのは、従来の旧制度に対する根本的な批判があり、それを克服するためであった。
 旧制度における司法試験は体系的な法学教育を受けたことを受験資格として求めていなかったため、1発試験による選抜機能が振るわなかったことが挙げられている。しかも、司法試験の合格者数は大法院に設置された司法研修院の定員数に制限されていたため、大勢の若者が合格率3%前後の試験を長期受験することになり、国家的人力消費がもたらされた。さらに、大学の学部教育が荒廃化し、豊かな教養に基づいた問題解決能力を持つ法律家の養成は不可能であると認識されるに至った。一方、1990年代に入って、国際化にうまく対応ができる多数の弁護士の育成が大きな課題として登場した。こうした背景からロースクールが導入されたのである。
 まず、法学部との連結を遮断するために、法学専門大学院(ロースクール)を設置する大学は法学部を廃止しなければならない。したがって、ロースクールを設置した25の大学には法学部はない。ロースクールを設置しなかった大学の場合は法学部が残っているが、その規模はあまり大きくない。
 設置については事実上許可主義であり、地域間均衡を考慮し、非首都圏のロースクールは入学定員の一定割合以上を当該地域の地方大学の卒業者から選抜しなければならないとされている。また、ロースクールの定員の総数を決める総入学定員制度があり(現在まで毎年2000名)、個別ロースクールの入学定員も150名を上限としている。
 修学年限は一律3年以上とされ、入学選考要件として、法学部に関する知識を評価する試験を活用してはいけないと規定されている。また、入学定員の5%以上を身体的、経済的、社会的な弱者のための特別選考によって選抜しなければならない。そして、授業料の20%以上を奨学金として学生に戻すこととされている。
 実務修習は各職域別に実施することになっており、判事になる場合は法院で、検事になる場合は検察で、弁護士になる場合は開業のために6か月間の法律事務に従事するか、または、大韓弁護士協会による修習課程を履修することが必要とされている。

3 韓国の弁護士試験制度
 旧制度の司法試験のときは日本と同様に判事、検事、弁護士の能力を検定する試験として位置づけられていたが、ロースクールの導入によって「弁護士試験」に変わった。弁護士試験の目的は弁護士に必要な職業倫理や法律知識など、法律事務遂行能力を検定する試験として位置づけられている。
 受験資格は、法学専門大学院修士学位の取得あるいは取得予定の者で、法曹倫理試験もあり、法曹倫理科目の履修が受験資格とされている。試験は筆記試験で、選択型と論述型の試験問題を混合して出題され、公法、民事法、刑事法以外に専門法律科目を1つ(これは論述型のみ)試験する。この筆記試験のほかに法曹倫理試験に合格することが弁護士になる要件である。
 なお、経過措置として2017年まで旧制度の司法試験が実施されたが、日本と異なり、法学専門大学院の入学者や卒業者は司法試験を受験できないとされていた。

4 日本のロースクールの起死回生策
 韓国のロースクール制度の意義の第1は、「新しい法律家」の養成のための国家的な合意が挙げられる。21世紀の法治国家を支える将来の法律家は、良質な法的サービスを提供するために豊かな教養、人間と社会に対する深い愛情や理解、自由・民主・平等・正義を目指す価値観に基づき、健全な職業倫理観と専門的な知識や能力を身につけ、世界的な競争力や多様性を兼備しなければならないとされたのである。第2に、「試験による選抜」から「教育を通じる養成」へと変わったことである。
 そして、その成果は顕著である。ロースクールに入らなければ法律家になれないうえ、ロースクール設置大学には法学部がないから、法律家になろうとする者は自分が専攻する学部教育をきちんと履修することになった。これは、多様な専攻の法律家を輩出している。また、地域均衡政策や弱者特別選考枠などにより、多様性が増大している。さらに、新しい職域の開拓により、社会の色々な分野へ進出しているし、国際法務にも力強い進展がある。
 ところで、日本でも法科大学院が設置された際には、韓国と同じような問題意識と目的意識があった。それにもかかわらず、その制度設計において法曹養成をロースクールに一本化しなかったため、司法試験制度は予備試験がのさばり、「元の木阿弥」である。このままでは、日本の司法・法曹界は衰退の一途をたどるしかない。それを回避するためには、司法修習生採用試験である現行司法試験を「法曹(弁護士)資格試験」に転換する以外に方策はないように思われる。それは「統一修習」の終焉を意味しているから、日本の弁護士が「統一修習」を脱却できるかにかかっている。

※ 韓国の制度について、2019年1月11日に開催された「ロースクールと法曹の未来を創る会」主催のシンポジウム【国際法務戦略から見た法曹養成―中国・韓国に後れる日本―】の報告書を参考にしました。「LAW 未来」でHPがあります。

〔2020・7・7〕

2020年7月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子