数日前に出された法の骨子の中の「 深く敬愛し」 という表現が気になる。学習指導要領の「敬愛の念を深めるようにすること」という表現と重なる。これは、文字通り、上意下達としての指導である。
だが、愛は個々の内に自然と湧き出ずるものではなかろうか。愛という言葉も、ひとたび法の中に落とし込まれるや、万人に対してあまねく、抑圧的な強制作用として働くのではないか。愛の強制は暴力的である。
各地のご訪問は、強制作用を伴わずに、人々の心にあたたかいものを呼び起こしたのではなかろうか。それを、法律の言葉で愛と固定化することはベクトルの向きの誤りを生じさせかねない。そのようなことを、誰が望むだろうか。