護憲派を名乗る人の間でも、民主主義には人権尊重が含まれる、という根強い思い込みに捉われてしまっている人が少なからずいるようだ。その理由を尋ねると、第1に、広辞苑など一部の国語辞典にそのような説明があること、第2に、自分の周囲にも同じ考えの人が多いから、ということのようである。そこでは憲法学や政治学の知見は全く参照されていない。しかし、憲法学や政治哲学においては、「民主主義と人権原理は異なる思想であり、両者はときに矛盾・対立する」というのは、基礎の基礎、初歩の初歩に属する知識である。しかし、そうしたことを何の権威も地位もない私ごとき者がどれほど言葉を尽くして説明しても、何の説得力も持たないらしく、馬耳東風とばかりに聞き流されて終わりである。
そこで、憲法学の泰斗、樋口陽一・東大名誉教授にご登場願うことにしよう。
樋口先生が東大教授時代の1991年5月、「もういちど憲法を読む」と題する岩波市民セミナーで4回にわたって講演された記録をまとめた本が、同じタイトルで岩波書店から1992年に出版されている。その中の103頁から104頁を抜粋引用する。
みんなで決めること、これは一番ふつうにいわれている意味での民主、ということになります。それに対して、しばしば、民主という言葉と関連はするのだけれども、ある局面によっては対立する意味合いをこめて、自由という言葉が使われることがあります。民主主義に対して自由主義。これは、みんなが自分たちで自分の運命を決めるといっても決めてはいけないことがある、という問題です。堅い言葉で簡明にいいあらわそうとすれば、第一の側面を自治、第二の側面を法治、といってもいいでしょう。
人権と主権との緊張関係
憲法論の大きな、抽象的な次元で申しますと、一方は主権の問題でありますし、他方は人権の問題になるといってもよろしいでしょう。国民主権ならば、国民はなにを決めてもいいのか。いや、そうでない事柄があるはずだ、というのが人権の問題であります。
ここには、緊張関係があります。自己決定ということは場合によっては自己否定とか自己破滅の可能性をも含んでいるのだ、ということは、個人の生き方についても当てはまっています。それは危ないから、危ないところに近寄らせないようにしようというふうに、専らそのように考えてゆきますと、最近も問題になっております、なんでもいけないという校則を定めて、その仕切り線から外に出ないように出ないように、という教育ということになってまいります。
しかし、自己決定とは、少なくとも論理的に申しますと、当然、自己否定とか自己破滅という危険をも含んでいます。だからこそ、そこに自由の重みがあるのだという問題は、国家とか、大きなレベルでの政治についても当てはまるわけでして、国民全体について申しますと、国民が主権者だ、それなら国民が好めば人々の人権、少数者の自由というふうなものを否定しちゃっていいのか、という形で問題が出てまいります。もっとラディカルにいうならば、国民が主権者だ、そうであるならば、国民が望むのなら国民主権自体をやめちゃってもいいのかという、とどのつまりはそういう問題になります。
ドイツと日本
これは、決して抽象的な論理の遊びではありませんで、現実にそれが大掛かりに起こりましたのが、ワイマール憲法下の事態でした。国民主権、民主主義のルールを定めた、この憲法のもとで、両大戦間期のドイツでは、まさに国民主権のルールに従った選挙によってヒトラーの率いるナチスが第一党の地位を獲得し、それを大きなきっかけとして議会政治そのものを否定するナチズムがドイツを制覇し、かつ世界を制覇しようとしたという教訓が、我々の身辺にあるわけであります。(以下略)
――樋口陽一『もういちど憲法を読む』岩波書店、1992年、103-104頁
市民向けセミナーなので、大変わかりやすい言葉で民主主義と自由主義の違いが述べられている。つまり、「民主主義・・・自治・・・国民主権」は同じ系譜の思想であり、それに対して、「自由主義・・・法治・・・人権」というもう一つの系譜の思想があることがこれでわかる。つまり、「国民主権」は民主主義の系譜に属する思想であるのに対し、「人権」はそれとは別系統の自由主義の系譜に属する思想である、ということが、疑問の余地なく明確に示されている。
それでは、最近(ここ数年)、にわかに流行語となった観のある「立憲主義」はどのように位置づけられるのだろうか。そこで、樋口先生の別の著書(『個人と国家――今なぜ立憲主義か』)から一部を抜粋引用してみよう。
コンスティチューショナリズム(引用者注:立憲主義)は、要するに権力に勝手なことをさせないという、非常にわかりやすくいえばその一語に尽きると言っていい。
そういう意味で、「デモクラシーdemocracy」という言葉と対照してみるとわかりやすいでしょう。こちらはもともと言葉の語源としては、ギリシャ語のデモス(民衆)と、クラチア(支配)です。つまり民衆の支配です。実際は、民衆の名のもとにだれかの市は二なるわけです。「民主主義」という言葉は、対抗するものが立ちはだかっているときには、専らそれを否定するという意味で積極的な意味を持っていた。立ちはだかるのは民衆の反対の君主で、君主の背後には神様がいました。西洋流に言えば王権神授説です。神が君主に権力を授けた。だから、君主は神の権威でもって人民を支配するのは当然だということになります。そういう王権神授説的な君主の支配をひっくり返すことが、まさに「民主」だったわけです。
今では王権神授説的な言説は、ほとんど世界中、地球上で通用しない。ほとんどというのは、世界中に200ほどある統治単位、いわゆる国家の中には、必ずしもそうでない、例外的に伝統的な国家もあるからです。日本の場合には、指導的な政治家がときどき神様を思い出したりしていますが、これも世界の例外の一つでしょうか。
(中略)
大きくいって、今や民主の対抗物はなくなった。逆に現代の独裁政治、一党支配は決して民主を否定しなかった。スターリンは人民の名において人民の敵を粛清したわけですし、ヒトラーの率いるナチスは名前からして民族社会主義ドイツ労働者党ですから、やっぱり人民です。現実に彼は人民の選挙で第一党となって、ワイマール憲法を実質上ひっくり返してしまった。
(中略)
日常場面では「民主」という言葉は実は何事も語っていない。ごくわずから例外を除いて、あらゆる政治体制が民主の名において説明されているからです。そうなってくると民主を名乗る政治権力も制限されなければいけないという「立憲主義」が、一番のキーポイントになる
実はそのことが、少なくとも世界の先進国レベルで共通認識になったのは比較的最近なのです。というのは、かつては民主の旗によって世の中が進歩していくことへの幻想があった。だから、民主を推し進めれば進めるほどまっとうな世の中になっていくという期待があったのです。ところがいろいろな「民主」をやってみたけれども、しばしばそれは惨憺たる結果をもたらしてきた。
そこで「立憲主義」という言葉が思い出されてきた。なぜ「思い出されてきた」と言うのかというと、立憲主義という言葉は中世にさかのぼる古い歴史的過去を背負っているからです。
(中略)
繰り返しますけれども、帝国憲法をつくったころは天皇主権を前提としながらも――前提としていたからこそという面もありますが――権力は制限されていなくてはいけない、という「立憲主義」の大事さを政治家たちは認識していました。当時の政党の名前で「立憲」という言葉がよく出てきますが、偶然かどうか戦後はそういう政党名はない。
ところが「国民主権」になってくると、「民主」ですべていいのだ、とにかく選挙で選ばれた国会なのだ、それに裁判所はいちゃもんをつけてはいけない、という感覚の方が強いようです。しかしこの際、「民主主義」と「立憲主義」の関係をきちんと整理して議論のレールに乗せることが大事でしょう。憲法とか法律をやっている専門の狭いサークルでは常識化しているのですけれども、それをもっと政治の場面できちんと位置づけ直して議論を始めることが大切だと思うのです。
――樋口陽一『個人と国家――今なぜ立憲主義か』集英社新書、2000年、84-93頁
今度は、「立憲主義」が「民主主義」や「国民主権」と対照させられていることがわかる。ここでは立憲主義が権力を制限する思想として紹介されているが、(この文章では明示されていないが)その目的は人権を護るためであるから、結局、立憲主義とは「自由主義・・・人権」に連なる思想であることがわかる。つまり、「民主主義」=(その国家規模での表現としての)「国民主権」と、「自由主義」=「人権」=(それを保障する制度設計である)「立憲主義」とが、対比的に述べられているのである。
これは、「民主主義と人権原理は異なる思想であり、両者はときに矛盾・対立する」ということを説明する際、私が何度も繰り返し説明してきたところであるが、同じことが憲法学の権威である樋口陽一・東大名誉教授によって語られているのである。当たり前である。私は学生時代以来、樋口憲法学の圧倒的な影響を受けながら、その教えを学んできたのだから、同じことを私が述べたとしても、何の不思議もない。
民主主義には人権尊重が含まれる、という考えに固執している方々は、是非、この樋口先生の説明を理論的に論駁して頂きたい。
学理的な深い究明をしていただき有難うございます。しかし、素人にはこれまでの思考習慣がありすぐにはそこから抜けきれません。だから、いろんな理屈を思い出します。たとえば第2次大戦が民主主義を掲げて戦われたことです。
この過程で民主主義は、ナチズムを否定する新たな内容が付加されて、再生したと考えられないでしょうか。
講座③を拝読したついでに講座②を再読しました。するとさる4月22日に調布のクッキングハウスで、水野スウさんを囲んで、若い主婦たちが13条について話し合った光景を思い出しました。水野さんのお嬢さんから、引きこもりだったのを13条の個人の尊重という思想で救い出されたという思いで話があり、それにちなんで作られた13条の歌がうたわれ、参加者がそれぞれのこれまでの苦労を思い浮かべて涙をためて意見交流をしていたのです。
憲法がこのように人々の骨肉になることが願われます。