<例会参加の方は本ニュ―スご持参のこと>
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目次 ① 第29回例会の報告 1p
② 6・8 記者会見の報告 2p
③ 当面の日程について 3p
別紙 1 政治現況報告 4p
別紙 2 事務局報告 6p
別紙 3 緊急警告 014号 7p
別紙 4 記者会見あいさつ 8p
別紙 5 リーフレット発刊の経緯と現憲法の位置 9p
第29回 例会の報告
5月22日(日)、港区・三田いきいきプラザ集会室で第29回例会を開催、参加者12名。入会者 計53名。
司会を草野編集委員長が担当し、まず、政治現況報告(別紙1)を岡部共同代表が行い、ついで事務局報告(別紙2)を福田共同代表が行った。
政治現況報告への質疑としては、小林節氏が5月9日に表明した新党「国民怒りの声」をめぐる評価、さらに「日本が『駐留不要』と考えればわれわれは出て行くべきだ」(ペリー元米国防長官の主張(『東京新聞』5月22日朝刊)への対応などが論議された。また安倍首相が歴代自民党総裁の専守防衛路線を越えた理由について日本会議との関係を含めて意見が交わされた。
事務局報告をめぐってはリーフレット第1集の「まえがき」で、安倍内閣における「解釈改憲」の閣議決定とあるのを、「違憲」の閣議決定に改訂するよう求める提案があり、ついで本リーフレット発刊の記者会見開催を決めた。
そのあと、前回の「9条論の再検討」討議をひきついで意見を交換し、国防は軍事ではなく政治に重点をおき、現憲法を守り、東アジア共同体の構築が必要なことなどが提起され、9条論議をさらに次回も継続することとした。
6・8記者会見の報告
5月22日の第29回例会で決めたリーフレット第1集 発刊記者会見を6月8日、都内千代田区のプレスセンター9階大会議室で開催。マスコミ関係の出席社は『東京新聞』1社だけ。主催者側参加は報告者をふくめて14名。
司会を草野編集委員長が担当し、まず岡部共同代表が「記者会見あいさつ」(別紙 3)を行ない、ついで事務局担当の福田共同代表が「リーフレット発刊の経緯と現憲法の位置」(別紙 4)を報告した。
報告に対する質疑として「リーフレットの対象をどこに絞っているのか」の問いに対しては「このリーフレットのターゲットは法律の専門家よりも広範な普通の人々に置いている。したがって多くの方々に親しまれるものにして行きたい」と答弁。これに対して「底は浅くてもいいが、分かりやすくし、最重要な事柄に絞ること」「戦争は何故ダメなのか、深く突っ込まないでも、なるほどと思わせるキャッチフレーズを見つけること」「解説は分かりやすくしてほしいのが本音」などの意見が相次いだ。
自民党が一定の支持率を保っていることや公明党の役割についての質問には「日本人には長いものには巻かれろという島国根性があるが、世論調査で改憲反対派はつねに賛成派を上回っており、とくに女性の間で反戦の意識が強い。ここに戦後70年間の教育の成果だ」「公明党への期待は裏切られているが、かつて矢野、竹入委員長などは反戦派だった。今は自民党にくっついているが、平和の問題ではチェックするのではないか」「公明党はポストを与えられてぬるま湯につかっている。戦前に弾圧を経験しているから権力の一部を担って創価学会の生き残りを図っている」などの意見が出された。
「若い人で北朝鮮が恐いので、安保法制に同意するという人がいた」という提起には「北朝鮮はわがままだが、暴発しない思慮は持っている。東アジアの情勢が劇的に変化してはいない。中国がかつて他国を侵略したことはない」などの意見が多かった。
13時に開始した記者会見は熱心な討議の中で14時半に閉会した。
なお、翌日の『東京新聞』朝刊に紹介された記者会見の模様は、見出し1段の小さな記事だったが、それによるリーフレットへの注文が相次いで届き、改めてマスコミの威力が認識された。
当面の日程について
① 怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応するいのちと平和のための6・19大行動でリーフレット配付。
6月19日(日)13:00 日比谷図書館正面前
② 「7・1閣議決定」違憲訴訟 第8回相談・勉強会
日時 6月23日(木) 13:30~16:30
場所 港区・神明いきいきプラザ
勉強テーマ 日本帝国主義の朝鮮植民地支配と平和憲法と私(講師・元玉淑さん)
③ 第30回例会 6月26日(日)13:30~16:30
場所 港区・三田いきいきプラザ・「憲法研究会」(田町)
〒108-0014 港区芝4-1-17 電話03-3452-9421
JR 山手線・京浜東北線、田町駅西口から徒歩8分
地下鉄 三田線・浅草線 三田駅 A9 出口から徒歩1分
報告 1) 政治の現況について 岡部太郎(元『東京新聞』政治部長)
2) 事務局報告 福田玲三 (事務局担当)
勉強会 9条論をめぐって
会場費ほか 300円
④ 第27回編集委員会 6月28日(火)14:00~ 大阪大学東京オフィス
⑤ 第31回例会 7月24日(日)13:30~
⑥ 第28回編集委員会 7月26日(火)14:00~ 大阪大学東京オフィス
<別紙 1>
政治現況報告 2016年5月22日
岡部太郎共同代表(「東京新聞」元政治部長)
この1ヵ月の間に、いくつかの国際的に重要な動きがあった。一つは北朝鮮が38年ぶりに全国労働党大会を開き、核開発と経済建設の“並立路線”を恒久的に維持し、「わが祖国を東方の超大国として輝かせる」と宣言。金正恩第一書記を党の最高位である党中央委員会の委員長に推挙した。ただ党大会前に3回の移動ミサイル発射はいずれも失敗し、発言の強気ほどの成果はなかった。
アメリカでは、共和党のトランプ候補が、党大統領候補になることが確定し、クリントン民主党候補との本選に望むことになりそう。日本に駐留米軍の費用全額肩替わりなど、強硬発言を繰り返し、結果が注目される。
26日から伊勢志摩で行われるG7の頂上会談を前に安倍首相は五月の連休中に欧州のG7四ヵ国を訪問して各国首脳と会談、サミットの議題について話し合った後、ロシアへ飛び、プーチン大統領と会談。シベリアなど極東地域での経済活動について話し合い、プーチン氏の訪日を要請した。G7では安倍氏が各国の財政出動を求める意向だが、ドイツは反対しており、果たしてまとまるかどうか。
またオバマ米大統領がG7で来日のあと、米現職大統領として71年間で初めて広島を訪問することが決定。原爆を投下した国の大統領が被曝地を訪れる影響がどうなるか注目される。
国内では5月3日、69回目の憲法記念日が開かれ、憲法改正の動きがあるだけに、全国で改憲反対の集会で盛り上がった。また先の防衛三法反対・撤廃の署名1200万筆も提出。
この日に合せた世論調査(朝日)では、改憲不要55%、必要37%。九条の改正反対は68%(+3%)賛成27%と圧倒的。安保関連法への賛成は34%、反対は53%。憲法改正への調査は、どこの調査も“反対”が以前より増えており、安倍政権の改憲ムードに批判が強まっている。
私が東京政治部に来たのは昭和34年、安保騒動の一年前で、官邸での岸首相番、衆院クラブで清瀬一郎議長番で安保騒動の初めから終わりまで立ち合った。成立の日は官邸に岸首相共々泊まり込んだし、可決の日は清瀬議長と一緒に議長室からデモ隊と機動隊の激突を見ていた。
先月、加東遊民氏の九条に関する労作が発表されましたが、私の憲法観と日米安保条約の関わりについて、まとめてみました。
日本が敗戦によって米軍に占領され、新憲法を制定するに当たって米国が基本原案を作り、日本側が芦田均氏らによって修正、味つけをしたことは事実です。しかし当時の米ソ冷戦下で日本が米国だけに占領されたのは幸運でした。ソ連軍の北海道駐留や中華民国の名古屋駐留なども実際に分割統治案としてあったのだから。米は極東軍事裁判で日本側戦犯を裁くことによって戦争責任を問う代りに、天皇の戦争責任を免除しました。
最近、自民党の稲田政調会長が若手と組んで、極東裁判の歴史的研究会を開くというのを谷垣幹事長ら党幹部がとめました。極東裁判を見直すということは、昭和天皇の戦争責任を問うことになるのを知っていたからです。
戦後の総理大臣に駐英大使だった外交官の吉田茂が就任したのも幸運でした。欧米民主主義を熟知している吉田が米側と緊密に連絡を取りながら戦後復興に乗り出し、共産圏と対抗しながら国力を貯えていった。一方、米占領軍は新憲法を不戦平和の九条を始め、日本憲法を理想化するに努めた。戦争に疲れ荒廃した日本にとっても歓迎すべき提案だった。敗戦に至る全国都市の空爆、戦死者多数の日本国民にとって、いわば干天に慈雨という憲法でした。
したがって昭和26年の日本独立、講和条約締結の時に、日米安保条約を締結して、アメリカの核のカサに入り、引き続き米軍基地を沖縄や本土に置いたのも、吉田の大人の外交感覚だった。なぜならソ連始め共産圏とは講和条約は結べなかったのだから。新憲法の九条と日米安保によって、極東であった朝鮮戦争、ベトナム戦争にも日本は参加せず、一人の血も流さなかった。
一方、米国は戦犯を裁くと同時に戦争に協力した日本の政治家や官僚を大量に公職追放、つまり議員にも官僚にも就かせなかった。
その人たちが独立後追放解除になり、大量に政界に復帰する。鳩山一郎、重光葵、岸信介などで、吉田に対抗して鳩山自由党を作り、さらに第一党になり、昭和30年の保守合同では鳩山内閣をつくって日ソ国交回復を実現します。またアメリカ憎しで自民党綱領に憲法改正を入れた。
鳩山が病気で引退、石橋湛山も病気になって外相の岸が首相となる。そこで持ち出したのが日米安保の改定だった。独立した時の安保条約は、まだ米国の影響が強く、完全な不平等条約。日本に不利な点が多い。なんとかこれを対等に近づけたいというのが岸の狙いだった。むしろ当然の話だったが、アイゼンハワー米大統領の訪日を条約成立に合せようと、採決を強行、さらにデモ隊と機動隊の激突で東大生の樺美智子が圧死。デモは一気に盛り上がり、社会党、総評、全学連などは岸内閣打倒へと結束する。
アイゼンハワーは空母で日本へ向かっていたのを急拠中止して引き返し、岸首相も安保改定条約自然成立の日に内閣総辞職した。
そのあとを継いだ池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、大平正芳、鈴木善幸らは旧吉田派の人々で、新憲法を守り、九条の不戦を尊重し、専守防衛に徹して70年の日本の平和を守ってきた。その後も三木武夫、海部俊樹、竹下登、小渕恵三、宮沢喜一らもみなこの系列である。
その間、岸派の福田赳夫、小泉純一郎、また中曽根康弘首相らも、その大きな流れに逆らえなかった。
そう考えると安倍首相の解釈改憲、集団的自衛権による海外派兵は全く不合理ということになる。憲法、自衛隊、日米安保という三者関係を絶妙のバランス感覚で70年乗り切り、平和を守って来た先人たちの智恵を、戦争を知らない安倍世代がぶち壊しているということだろう。戦争の悲惨さを知っている世代を中心に反戦の空気が強いのもまた当然といえる。
来週のG7サミット、6月1日会期末、参院選22日公示、7月10日投票と政治の山場、日本の将来を左右する大事な季節に突入する。
<別紙 2>
第29回例会 事務局報告
2016年 5月22日
福田玲三(事務局)
1)4月28日 リーフレット第1集 納品 2000部
5月 1日 リーフレット配付150部 憲法映画祭
5月 3日 リーフレット配付500部 有明 憲法集会
5月 4日 リーフレット配付350部 かながわ憲法フォーラム県民集会
2)5月 6日 リーフレット宣伝方法について岡部・福田打合せ プレスセンター
岡部提案 ①「まえがき」をつけ、3月パンフの体裁を継ぐこと
② 記者会見をプレスセンターで参院選前に行うこと
3)岡部共同代表からリーフレット(第1集)の「まえがき」到着。「まえがき」収録の新版を作成。
4)リーフレット第1集発表 記者会見までの日程(案)
① 例会 5月22日(日) リーフレット第1集 新版の検討。
記者会見の日時 (6月 日)を調整。
② プレスセンターに会場の申込み、開催の日時を決定。
③ 編集委員会 5月24日(火) 進行の調整
④ 5月26日 「記者会見のご案内」送付
⑤ 6月 日 記者会見の開催
記者会見のご案内 2016. 5.26
昨年3月、私たち「完全護憲の会」は1年余りの勉強会でパンフ『日本国憲法が求める国の形』を作成し、これを発表する記者会見を都内プレスセンターで開きました。
それから1年、首相が改憲の意図を明言し、他方、総務相が電波停止に言及し、「報道の自由」に関わる国際NGOランク(民主党政権下の2010年に11位)が年々急落し72位になるなかで、私たちは現政権下における違憲の実態を検証し、それに対する緊急警告001号から013号まで発信しましたが、このたび、これをリーフレットにまとめました。
つきましては、下記により、同封リーフレット発表の記者会見を開きますので、是非ご出席下さるようお願いします。
テーマ リーフレット『現政権下の違憲に対する緊急警告』(第1集)
の作成動機とその内容
日 時 2016年6月8日(水)13:00~15:00
場 所 プレスセンター 9F会議室 (千代田区内幸町 2-2-1)
2016年 5月26日
完全護憲の会
連絡先 品川区西大井 4-21-10-312 完全護憲の会
電話 03-3772-5095
リーフレット発行記者会見案内送付 2016. 5.24
朝日新聞社/毎日新聞社/読売新聞社/日本経済新聞社/産経新聞社/共同通信社/中日・東京新聞社/北海道新聞東京支社/神奈川新聞社/山陽新聞東京支社/中国新聞東京支社/西日本新聞東京支社/沖縄タイムス東京支社/琉球新報東京支社/社会新報/あかはた新聞/週刊金曜日/(株)IWJ/共同センター・労働情報/「週刊現代」/[日刊ゲンダイ」/「週刊ポスト」
(計 22通)
<別紙 3>
緊急警告014号 首相は「最高権力者」か、「立法府の長」と発言!
安倍首相はさる5月16日の衆院予算委員会で、民進党の山尾志桜里政調会長の質問に「議会の運営について少し勉強していただいた方がいい」と指摘。続けて「私は立法府、立法府の長であります。国会は行政府とは別の権威として、どのように審議するかは各党・各会派で議論している」と答弁した。
翌17日の参院予算委員会でも、民進党の福山哲郎幹事長代理が安全保障関連法採決時の議事録についての質問した際「立法府の私としてはお答えのしようがない」と答えた。
立法府の長にあたるのは衆参両院の議長で、いずれも首相は「行政府」とすべき部分の「失言」だが、単なる「言い間違い」ではすまされない根深いものがある。
萩生田光一官房副長官は19日の自民党国会対策委員会の会合で「私は立法府の長」などと答弁したことに対し「首相の言い間違いについては申し訳なかった」と陳謝した。
そもそも首相は国権の最高機関である国会の指名によって初めてその地位を得る「行政府の長」である。その「行政府の長」が国権の長であると自称する傲慢さは、その心中に「われこそ最高権力者」の意識があるためだろう。
憲法第41条は「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」とし、国権の最高機関が行政府ではなく国会にあることを明確に定めている。しかるに安倍首相は、自らを「立法府の長」と錯覚したのである。
これは故なきことではない。本来、内閣には条約締結案と予算案の議案のみの国会提出が義務付けられているのであり(第72条、第73条)、この2議案以外の法案提出権は内閣にはないのである。にもかかわらず現状は、ほとんどの法案が閣議決定により国会に提出され立法化されているからである。それ故、安倍首相は自らを「立法府の長」と錯覚したのであり、単なる「言い間違い」とか「失言」などではないのである。
これは明治帝国憲法が行政府の法案提出を原則としていたことを踏襲するもので、明白な現憲法違反と言わねばならない。法案は国権の最高機関たる国会が自ら作成し議決しなければならないのである。
憲法を尊重擁護する義務を負った国務大臣のトップがこのような認識であれば、その閣僚である高市早苗総務相が憲法に明示された「表現の自由」を軽視して「報道の自由国際ランキング」を大幅に低下させ、馳浩文部科学相が「学問の自由」を無視して、卒業式で国歌斉唱しない大学に交付金を盾に圧力をかけるなど、下が上を諌めるどころか、上に流され、輪をかけて憲法違反を重ねている。
現内閣における憲法秩序の乱れをしめす証拠として、首相の「失言」に警鐘を鳴らさざるを得ない。
<別紙 4>
記者会見あいさつ
共同代表 岡部太郎 2016.6.8
私たちは昨年3月、この場所で記者会見し、1年間の勉強の成果として作成したパンフ『日本国憲法が求める国の形』をご説明しました。そのとき、2年前に発足した第二次安倍内閣が「戦後レジーム(体制)の清算」を叫び、戦前の日本に近づけようとする動きに危機感を持ち、憲法改正への動きを強める安倍政権を排除しようと、日本国憲法の正しい読み方について、逐条審査をしたものでした。安倍内閣は一昨年、言論統制につながる「特別機密保護法」を成立させましたが、昨年からの1年間に現行平和憲法の芯である第九条の不戦条項の改正を公言したのみか、その前段である自衛隊の海外派兵の可能な“集団的自衛権”を容認し、専守防衛で70年間平和国家として歩んできた日本の在り方を完全に変更する安保法制を閣議決定し、昨年九月には安保改正法を成立させました。これは私たちが、かねて指摘している「主権は国民にある」(前文)「国会は国権の最高機関である」(第41条)の条文から立法権の“第一義”は国会にあって、内閣ではない、に反する違憲です。
安倍首相は自ら「私が国権の最高責任者」とうそぶき、次々と閣議決定による憲法違反で、既成事実を積み重ねています。もちろん首相の改憲発議は国家公務員(特別)の憲法擁護義務(第99条)にも違反します。安倍首相は最近「私は立法府の最高責任者」と何度も国会で答弁しています。立法府の最高責任者は云うまでもなく衆参両院議長であり、首相は“行政府の最高責任者”です。こんな間違いを意識的に何度も繰り返すのは内閣での違憲立法にじくじたる思いがあり、繰り返すことによって、首相が立法府の長でもあることを国民にすり込もうとしているのです。
このリーフレットには、この一年間の勉強の成果でもありますが、安倍政権による違憲の数々が列挙されており、その骨、中核は立憲主義を否定し、国民の平和への願いと平和憲法を無視する安保法制、つまり自衛隊の専守防衛を変更し、普通の国並みに、海外へいつでも、何処へでも“集団的自衛権”の名のもとに派兵してアメリカや同盟国を支援する点です。
安保騒動の岸内閣のあとを受けた池田内閣で低姿勢、寛容と忍耐の政治を実現した大平官房長官は、自分が総理になった時も、常々「政治は国民のあとを追いかけてゆき、困った時だけ助ければいい」と言っていました。また吉田系列の中では硬派だった佐藤首相も、中川一郎や石原慎太郎の青嵐会が、憲法改正を叫んだ時、「そんなことを言っているのは政治家でもほんの一握りだろう。国民が改憲を望んでいるとは、とても思えんネ」と一笑にふしていました。
また中曽根首相が自衛隊海外派遣を考えた時、一言のもとに「ダメ」と決めつけた後藤田官房長官、自民党の幹事長でありながら衆院本会議の代表質問で“大反戦演説”をした野中広務氏。みな戦争の不幸を知り抜いているいる人たちでした。今の安倍首相や取り巻きの戦争を知らない世代が、平和にうしろ足で砂をかけるのは危険だし、党内に誰も止めようという人もいない。(緊急警告008号、009号参照)
もう一つのホネは憲法21条の「表現の自由」を侵犯する高市総務相の放送威嚇問題です(緊急警告006号参照)。放送局は新聞と違って放送法によって設立が許可され、その第4条では「放送の公平と中立」が規定されています。そこをタテに高市氏は「もしその点で違反があれば電波を取り上げる」と脅し、安倍首相も追認しました。しかし国連の人権理事会は、日本の秘密保護法や、この放送法問題が、放送マスコミの人権として問題があると、デーヴィッド・ケイ氏を日本に派遣。
3月に来日したケイ氏は放送マスコミや新聞雑誌関係者から聴取。4月19日に中間報告し、政府の圧力で報道の自由が重大な脅威にさらされているとし、政府はメディア規制から手を引き、放送法の4条の公平原則は廃止すべきだと、述べました。
このように安倍政権にたいする心配は、私たちの杞(き)憂ではなく、この一年間でますます、その違憲性と強引な現状変更が行なわれている現実があります。もっと云えば安倍首相には民主主義政治家としての資格が欠けているのではないか。秘密保護法や安保法制について、いずれも国民には十分周知徹底していないことを認めており、国民に理解してもらえるよう、説明に努めると、何度も約束しています。しかし実際は昨秋の野党の要求する臨時国会も開かず(緊急警告002号参照)、今年の通常国会も延長せずに早々と店仕舞い。小泉内閣の時から毎月やっていた党首討論も、この一年間に一回だけで、説明しようとしない。
外遊だけは歴代首相一位で、「外国では安保法制の必要性はよく理解されている」と言いながら、国民への説得やくわしい説明は一切なし。これでは一体、どこの国の首相かと云うことになる。国会論争でも、一方的に自分の主張を述べるだけで野党の云うことは全く聞こうとしない。独裁政治の細道に迷い込みつつあるように見える。
私たちは今後も安倍政権の違憲性について追及していきますが、今月の22日には参院選が告示になり、7月10日には参議院の半数改選が行なわれます。とりあえずは、自民・公明の政府与党が三分の二を確保して憲法改正の態勢を取ることがないよう、野党連合の頑張りを期待したいものです。
<別紙 5>
リーフレット第1集発刊の経緯と現憲法の位置
共同代表 福田玲三 2016.6.8
私たちは昨年3月にパンフ『日本国憲法が求める国の形』を発行し、その後、活動の方向を模索することになりました。パンフ第2集向けた文案も用意されましたが、なぜかその検討にみんなの身が入りませんでした。そのころ、ネットを使っただけの運動で大躍進をとげたスペインの新政党の噂が世界にひろがっていました。今年の春、「保育園落ちた 日本死ね!」という匿名のブログが、日本で一世を風靡する半年ほど前のことです。たまたま当会でもホームページがようやく整備されてきていため、ネットの偉力を使って違憲にたいする警告を発信し、警鐘を乱打し、私たちの理念を広めることが着想されました。
そして、今年の1月から違憲にたいする緊急警告の発信をネットで開始し、4月までに発信した13号分を文書にまとめたのが、お手元のリーフレット第1集です。
これは当会編集委員会で対象を選択し、担当者に文案を委任し、編集委のメーリングリストでこれを検討し、成案を得たものから編集委員会の名前で発信し、事後に例会の検討を経た確定稿を、当会の名で発行したものです。
この4か月間、当然のことながら、発信した警告に、会員から若干の反応はあったものの、その枠を越えた手応えはつかめず、暗中模索なかで、4月末に仕上げた本リーフレットの500部を5月3日の憲法記念大集会(有明)で配付しました。また5月の当会ニュース29号にそえて会員、支持者にリーフレットを郵送しましたが、反応がなく、不安な思いで日々を過ごしていましたが、郵送の数日後にリーフレットに添付した振替用紙をつうじて、カンパやリーフレット追加注文が届きはじめ、ようや明かりを見いだしているところです。
先頃は、ある研究会の討議で、さきごろ成立したヘイト対策法が話題になりました。そして「表現の自由」とのからみが問題になったところで、本リーフレット「緊急警告005号」の次の記述で問題が解明され、リーフレットの効果が確かめられました。すなわち、1966年に国連総会で採択され、日本では1979年に批准された自由権の規約(国際人権B規約)の該当部分をリーフレットは次のように紹介しています。
「国際人権B規約は第19条で『表現の自由』を定めるとともに、第20条では民族的・人種的・宗教的憎悪の唱導を法律で禁止するよう求めており、マイノリティの尊厳を傷つけ、彼らの人格権や平等権を毀損するヘイトスピーチが『表現の自由』の埒外であることを明確に規定している」。
これによって、「表現の自由」をからませてヘイトスピーチを弁護する企ては完全に排除されることになります。
私事でございますが、私は例の学徒出陣で入隊し、敗戦はスマトラ島で迎え、内地に復員したのは1948年秋で、すでに日本国憲法の施行された後でした。そののち、現憲法には特に関心もなく過ごしていましたが、護憲に熱心な友人の感化をうけ、最近になってようやくその珠玉の価値に目覚めるようになりました。
戦前、戦後の2つの時代を生きました私にとって、戦前は、帝国憲法下で完全に閉塞された時代でした。女にとっては、「幼にしては親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従え」が鉄則でした。私は、母がこの三従の教えと、自分が正しいと思うことの矛盾に悩み抜いているのを身近に見ていました。誰にすがることもできないのです。誰に相談することもできないのです。母はあきらめ、ついには「私は神経ですから」とつぶやき、かえって自分を責めていました。神経とは方言で精神障害の意味です。
しかし、戦後の現憲法下では、第13条が「すべて国民は、個人として尊重される」として基本的人権を、また第24条が「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」を保障しています。どれだけ現世相が混乱しても、現憲法がある限り、時代は完全に閉塞されてはいません。希望があり、光明があります。
だが、この憲法の至高の価値をどれほど国民が理解しているでしょうか。
1ヵ月ほど前、パンフ『日本国憲法が求める国の形』を野党の衆議院議員のみなさんに個々にお配りする機会がありました。そのとき感じたのは国会議員でさえこの憲法の骨格全体を知っている方は少ないのではないか、戦争放棄の第9条や生存権保障の第25条などの条文を、つまみ食いされているのではないか、との疑いです。
このところ、「国会解散は首相の専権事項」がほとんど常識のように言われています。しかし、当会パンフ『日本国憲法が求める国の形』の15頁は「衆議院の7条解散は違憲」という見出しで、次のように記述しています。
「国会は国権の最高機関であり、首相はその指名によって地位を得る下級の『使用人』である。使用人が主人であり、国権の最高機関の全員を、ほしいままに罷免できるなど条理の上からあり得ない。憲法にその特別規定がある69条に基づき、衆議院で不信任の決議案が可決された場合にのみ衆議院を解散できる。天皇は『国事に関する行為のみを行なひ、国政に関する権能を有しない』ので、最大の国政権力である衆議院解散を、7条だけで解散できる権限などは絶対にない。69条解散の場合も『首相御一人の伝家の宝刀』ではなく合議体の内閣の権限であり、首相が解散したくとも合議体の内閣で多数の反対があれば解散はできない。憲法が定める国権の最高機関たる国会の地位が、今は首相単独の暴走によって徹底的におとしめられている」と。
もともと「憲法第7条」(天皇の国事行為)の第3項「衆議院を解散する」が、手続きに過ぎないことは衆目の一致するところであり、この手続きを解散の大権に転用するのでは、まるで詐欺です。首相のこのような専権が認められれば、憲法前文第1項に示された本憲法の魂、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」は空文になるでしょう。
このごろやっと、総理の専権事項への疑義が新聞に出るようになりましたが、これを紹介した大新聞の記者が、「首相が解散についてどう考えているのかを探るのは政治報道の重いテーマだが、その前提として、『首相はいつでも解散できる』ことが議会制民主主義の普遍的なスペックだと思い込んでいた。解散については首相のウソも許されるといった『常識』にどっぷりつかっていたことを恥じるしかない」と記しています。ジャーナリストの憲法理解さえ、この水準なのです。
ある研究会で私と討議した政治学専門の若い准教授は、「この首相の専権事項は議院内閣制にあっては当然のことで、これに対する異論はこれまで聞いたことがない」、と明言していました。
国会議員、ジャーナリスト、学者といったエリート層の憲法理解がこの程度であるなら、国民一般の理解がどの程度か、あえて言うまでもないでしょう。
つい先頃、首相は「私は『立法府』の長だ」と再度、国会で発言しました。この失言は、いかに憲法秩序が乱されているかの明白な証拠です。憲法を守るべき国務大臣のトップがこの状態であるのに、その一閣僚は首相を諌めるどころか、上になびいて、憲法に明記された「表現の自由」を無視しているのです。
これだけの乱脈のなかで、世界でもっとも進んだ憲法といわれるこの至宝を守るためには、国民理解のこの現実を認め、今後の活動を定めなければならないでしょう。
リーフレット発刊を機会に、ここにお集まりいただいたすべての皆様に、そのことを考えていただきたいのです。