2025年11月7日の衆議院予算委員会で、高市早苗首相が「台湾有事は存立危機事態になり得る」と言及したことから、内政問題に言及したとして、中国が強く反発し、日本への渡航自粛を呼びかけるなど、日中の外交的緊張が一気に高まった。事態は、単なる発言の是非を超え、日中関係の今後を左右しかねない局面に差し掛かっている。
2015年安倍政権の下、安保関連法制によって憲法違反の疑いがある「集団的自衛権」が一部容認された。しかし、その一部とは極めて限定的で、「存立危機事態」即ち、「他国が武力攻撃を受け、日本の存立と国民の基本的権利が根底から覆される明白な危険がある場合」にのみ武力行使できるというのが、従来の集団的自衛権の行使を容認する枠組みだ。したがって、「存立危機事態」の認定は極めて例外的措置であり、政治の判断には最大限の抑制が求められてきた。
中国にとって台湾は内政問題であり、日中国交回復により日本は台湾とは断交し、「一つの中国」を認めた経緯があり、これは現在も日本外交の基本である。台湾は「他国」ではなく、存立危機事態には該当しえないのである。
安倍政権以降の歴代政権は、「存立危機事態」と「台湾有事」の関連を明示することを避けてきた。日中関係は経済・社会的にも深く結びつき、衝突は双方に甚大な損害をもたらす。外交上の配慮は、安全保障政策における現実的判断として重視されてきた。しかし高市首相は、戦艦を伴う武力行使が台湾周辺で発生する場合を例に挙げ、「どう考えても存立危機事態になり得る」と明言した。これは従来の「判断は総合的に行う」という立場を踏み越えた表明であり、制度の趣旨を逸脱する危険がある。
この発言が招いた中国側の反発は、決して偶発的ではない。高市首相は発言撤回を拒み、後退姿勢を示していない。強硬な言葉は外交的緊張を増幅し、相手政府を刺激し、対話余地を狭める結果をもたらす。経済、観光、人的往来にまで影響が及ぶ可能性を考えれば、首相が軽率な発言を行った責任は極めて重い。
問題の背景には、政権の政治的傾向がある。高市政権は、安全保障政策において右派強硬派によって支えられ、国家情報機関の創設、スパイ防止法、武器輸出可能な5類型撤廃による武器輸出拡大などを政策方針に掲げる。国家統制を強化し、軍事的抑止力の拡張を急ぐ姿勢は、「危機」を前提とする国家観であり、緊張や恐怖を政治資源として利用する危うさが拭えない。今までは連立相手の公明党が、ある程度ブレーキの役目を果たしてきたが、日本維新の会が連立相手となったため、逆にアクセルになりつつある。更には、公明党や自民党内の親中脈勢力が政権から遠ざかり、関係改善の糸口が見えない状況にある。
「存立危機事態」は、政府の裁量によって認定される仕組みであるがゆえに、恣意的な判断を最も警戒しなければならない。首相が特定の事例を「存立危機になり得る」と明示することは、武力行使のハードルを政治的に引き下げ、国民を戦争リスクに近づける危険な行為である。憲法が平和主義を掲げる国として、平和的外交の追求こそが政治の責任であるはずだ。
台湾情勢は、米中対立の主戦場となりつつある。だからこそ、日本が採るべき道は、対立を煽る言葉ではなく、緊張緩和にむけた積極的な外交努力である。日米同盟は重要ではあるが、今の日本にとって最も重要な国は、太平洋を隔てる遠い米国ではなく、中国・韓国・東南アジア諸国などの近隣諸国であり、この地域の安定を守る主体として、日本外交が果たすべき役割を見誤ってはならない。
「存立危機事態」は、国家と国民の命運を左右する重大な法概念である。これを政権の政治的イデオロギーで恣意的に認定することは断じて許されない。高市首相は発言を撤回し、国会と国民に対し、制度の厳格な運用と平和的外交を徹底する姿勢を明確に示すべきである。
(2025年11月18日)