高村自民党副総裁はさる11月24日(火)、都内で講演し「国民の命を犠牲にしてまで、憲法9条2項を守れというような考えをしてはならない。そのような解釈をする人は法律家ではなく、憲法本来の目的を忘れた法律屋、法匪だ」と発言した。
これは見過ごすことのできない許されざる発言である。これは特別な条件(と政権や高村氏が考える)のもとでは、憲法は守らなくてもよいとする、あからさまな立憲主義の否定発言であり、「法匪」などという人権侵害の差別・蔑視発言だからである。
「国民の命を犠牲にしてまで」などと、憲法違反を指摘する法律家の誰一人として言っていないことを、あたかも言っているかのような言辞を弄して国民を欺こうとするものである。
「匪」とは悪者の意味で、戦前の日本は、日本の侵略戦争に抵抗する中国(満州)の民衆を「匪賊」と呼んで、侵略の本質をごまかした。
1938年、第一次近衛文磨内閣ブレーンの知識人グループ「昭和研究会」は日中戦争の性格づけについて、「戦闘の性質――領土侵略、政治・経済的権益を目的とするものに非ず、日支国交回復を阻害しつつある残存勢力の排除を目的とする一種の討匪戦なり」とした。
近衛文磨首相は「抗日の気勢」をあげる中国(支那)に対して「其の反省を求むる」ため「徹底的打撃を加」えると演説し(1937年9月5日、72議会)「満州国政府」声明は、「断固、実力で膺懲せん」と呼号した。
戦前の日本が、日本の侵略戦争に抵抗する中国(満州)の民衆を「匪賊」と蔑んだのは、その「討伐」「膺懲」「徹底的打撃」を正当化するためであった。侵略の本質の隠蔽である。
高村自民党副総裁は、「7・1閣議決定」および戦争法(安保法)という、きわめて明白な違憲行為をごまかすために、憲法違反を指摘する法律家を「法匪」と呼んで、問題の本質をすりかえようとしている。与党の要職を占める国会議員のこのよう発言は、憲法前文「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」および第99条国会議員の憲法「尊重擁護義務」に対する重大な違反である。