仏「黄色いベスト」運動が証しする「人民主権」

(弁護士 後藤富士子)

1 昨年11月17日の土曜日に開始された「黄色いベスト」運動は、フランス全土で展開された。行動の直接的な契機は燃料税の引き上げだった。SNSで拡散された彼らの主張(2018年11月29日発表・12月5日訂正)は、次のようなものである。
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 フランスの代議士諸君、我々は諸君に人民の指令をお知らせする。これらを法制化せよ。
 1)ホームレスをゼロ名にせよ、いますぐ。
 2)所得税をもっと累進的に(段階の区分を増やせ)。
 3)全産業一律スライド制最低賃金を手取り1300ユーロに。
 7)すべての人に同一の社会保障制度。自営業者社会福祉制度の廃止。
 8)年金制度は連帯型とすべし。つまり社会全体で支えるべし。マクロンの提案するポイント式年金はNG。
 10)1200ユーロ未満の年金はNG。
 15)雇用の安定の促進:大企業による有期雇用をもっと抑えよ。我々が望んでいるのは無期雇用の拡大だ。
 17)緊縮政策の中止。政府の国内外の不当と認定された債務の利払いを中止し、債務の返済に充当するカネは、貧困層・相対的貧困層から奪うのではなく、脱税されている800億ユーロを取り立てる。
 27)司法、警察、憲兵隊、軍に充分な手立て(予算・設備・人員)の配分を。治安部隊の時間外労働に対し、残業代を支払うか代替休暇を付与すること。
 29)民営化後に値上がりしたガスと電気を再公営化し、料金を充分に引き下げることを我々は望む。
 39)源泉徴収の廃止。
 40)大統領経験者への終身年金の廃止。
・・・・と42項目が挙げられている。そのうえで、 「このリストは網羅的なものではないが、早期に実現されるはずの人民投票制度の創設という形で引き続き、人民の意思は聞き取られ、実行に移されることになるだろう。
   代議士諸君、我々の声を国民議会に届けよ。
   人民の意思に従え。この指令を実行せしめよ。
                             黄色いベストたち」
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 政府は、燃料税引き上げを今年5月まで延期すると発表し、マクロン大統領は「大討論」を呼びかけ、1月15日から2か月間、各地で開催されている。

2 パリで2月9日に行われた第13次デモの参加者の声(2月23日赤旗)。
 「それが法だから正しいのではない。正しいことが法とならなければならない」というモンテスキューの言葉をプラカードに掲げた中学校女教師(32歳)。
 2人の子どもを持つシングルマザー(44歳)は「何も変わらないからまた革命をしなければいけない。マクロンは王様気取りで民衆の要求を無視している」という。
 指導者がなく、労組や既存の政党などと無関係にソーシャルメディアを通じて始まった毎週土曜日のデモ。パリの定番のデモコースとは違い、凱旋門から目抜き通りのシャンゼリゼ、高級ブティック街や富裕層の住む通りなどを、宣伝カーやシュプレヒコールもなくひたすら歩く。速度は速く、距離は長い。

3 「黄色いベスト」運動が始まって以来、治安部隊の暴力的弾圧で多くの負傷者が出ている。デモのごく一部が銀行のATMを打ち壊したり、治安部隊に暴力を振るったのは事実だが、平和的参加者に対しても、硬質のゴム弾を装填する「フラッシュボール」銃、催涙手りゅう弾などのデモ鎮圧用兵器を多用している。アムネスティ・インターナショナルによれば、デモに対してこの種の兵器使用を認めているのは欧州ではフランスだけであり、兵器使用を非難している。労働総同盟(CGT)や「連帯」、人権同盟(LDH),弁護士や裁判官の組合もフラッシュボールの使用禁止を求めたが、政府は拒否。
 仏国立科学研究センター(CNRS)のロシェ研究部長は、「フランスでは警察の民主化が完了していない」と述べ、「国民の基本的人権を守る義務」を警察が果たしていないと批判している(2月24日赤旗)。

4 マクロン大統領が呼びかけた「大討論」は、討論相手の殆どが地元首長で、国民が発言の機会を封じられ、大統領の独壇場になっている。しかも、大統領は、「黄色いベスト」の要求を聞き入れる気配もない。一方で、裁判所を通さず、県知事が特定の人物のデモ参加を事前に禁じることができる「破壊分子防止法」を導入した。
 こうした中、「服従しないフランス」(FI)が提案した「市民の発議による国民投票」法案は、議会の絶対多数を握るマクロン与党「共和国前進」に棚上げされた。仏共産党は、富裕税の復活、最低賃金の引き上げ、低年金の是正の3点の法案を提案する予定であるが、与党が絶対多数を握る議会の勢力に照らすと道は険しい。同党のブーレ国際局次長は、「黄色いベスト」運動が「失望」に終わった場合、「破滅的な事態になりかねない」と述べ、左翼による政治的対応の重要性を指摘している(2月26日赤旗)。
 翻って、日本も「安倍1強」である。喫緊の課題は、消費税増税。これは、国民生活の破綻をもたらす「国難」である。保守層も巻き込んだ一大国民運動によって、増税を阻止すると同時に、応能負担の公平な税制を実現しなければならない。

〔2019・3・11〕

オーストラリアでも日本会議特集のテレビ報道

オーストラリアのテレビ報道「日本会議特集」に登場した人物
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櫻井よし子日本会議のマドンナwww

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すかり洗脳されている愚かな人物と警鐘をな鳴らす最高権威の憲法が学者

日本のマスコミでは考えられないことですが、web上では
フランス「ロブス」、「ル・モンド」
イギリス「エコノミスト」、「タイムズ」
ドイツ「ARTE」
アメリカ「ニューヨークタイムス」「ワシントンポスト」
など、続々と日本会議の特集を報道していることが紹介されいます。
今回、オーストラリアのテレビ(ABC, Australia)で7分枠という異例の長さで報道されれいます。
日本会議は、極右のカルト団体であり、第二次大戦の敗戦を拒否し、戦前の日本に戻そうとしている。
中国を仮想敵国化し、南京大虐殺などなかったことにしようとしている、
完全な歴史修正主義のカルト団体として危険視している。
内閣構成員の8割が日本会議のメンバーであり、この異常事態は、驚きを持って受け止められている。
上記はface bookからの転載です。
詳しくはこちら Source のテレビ放映された動画をご覧ください。

国連での翁長沖縄県知事のスピーチ

沖縄はかつては独立した国。
鹿児島藩の侵略で日本に組み入れられたとき、琉球王朝の王様は琉球国民に
「抵抗はするな。これからは日本国民として生きろ。」
と言いおいて東京に連れて行かれたそうです。
以来、日本国民として忠実に生き、沖縄戦では島民上げて悲惨な戦争を戦ってきた沖縄の人たちを同胞と思うなら、戦後70年、沖縄県民にだけ不幸な状況を押し付け、更にこれからも続けろということが許される道理はない。

日本語字幕が入った動画がです。

 

沖縄タイムスです。

20150922

 

平和な江戸時代がもたらしたもの①

300年近く続いた江戸時代は、国(藩)同士の争い(戦争)は幕府により堅く禁止され、領地内を豊に治めることが求められ、平和な時代が続いた。

そして、領内に揉め事があったり、百姓が逃げ出したりすると、領地没収(お家断絶)や小さな所に領地替え(改易)させられた。

そのため、各大名(領主)は如何に領民を豊にするかに気を遣った。そして、領内から特産品を売り出したり、治水・開墾を進めたり、富山の売薬などもその好例だと思う。

また、中国から来た「本草書」(植物や薬草図鑑)は漢文で書かれており、大名お抱えの学者しか読めなかったものを、日本の草木を加え、日本語による「大和本草」を庶民も読めるように出版したりした。水戸光圀なども、藩の学者に薬草や食べられる身のまわりの草などを書いた本を作らせ、領内に無料で配ったりしたそうだ。

このように、日本語で書かれた書物が出てくると、庶民も文字を覚えるようになり、「読み・書き・そろばん」が広く普及するようになり、幕末の頃の成人男子の識字率は70%を超えていたという。これは先進国と言っていたヨーロッパにもあり得ない現象だった。

識字率が上がってくると、「解体新書」に代表される、外国の文献が日本語に翻訳され出版されるようになり、最新の技術書なども母国語で簡単に読めるようになった。この翻訳するという文化は、現在も続き、欧米を除いて、母国語で最新の論文を読める国は他にはない。

明治になって、急速に西洋文化を取り入れ、発展してきたのも、敗戦後の焼け跡から奇跡の復活を遂げたのも、平和な江戸に培われた勉学の習慣に因るところが大きいと思う。

大 西

平和な江戸時代がもたらしたもの②

平和な江戸時代には、和算など学問を競い合うこともあったそうで、初級から上級まで、いろんな問題を競い合い、微分、積分までこなしていた。円周率に至っては20数桁まで計算し、当時の世界1位だったそうだ。

伊能忠敬が、50歳を過ぎて本業から隠居し、全国を測量して日本地図を作り上げたことは有名だ。この頃の欧米では大きな測量機器を使って少人数のエキスパートが測量していたが、日本には大きな測量機器はなく、小さい測量機器をたくさんの人数で使って測量していた。少人数なら学者級エキスパートが集まり全行程を測量できるけど、多人数が全行程を歩くことは出来ない。それで行く先々で数十人の人を集めるのだけど、その全員が初めての測量に係わるというのはそれなりの能力・理解力をもった人が必要だが、全国どこへ行っても集めることが出来たそうで、その能力・理解力を持った人がどこにもいたと言うことで、これはやはりすごいことだ。

当時の日本はまた金、銀、銅の世界1の生産国で、それを支えるためには、鉱山学、土木・掘削技術、製錬技術、加工、流通、町づくりに至る総合力が必要な事業でもあり、その面でも世界屈指だったと言える。そして、後の足尾鉱山に見る鉱害も出さない優しい精錬法だった事も特筆される。

学問や研究の出版は多岐のわたり、「農業全書」が出版されたり、「養蚕秘録」に至ってはフランスやイタリアで翻訳され、ヨーロッパの蚕の危機を救ったようだ。

花岡清州の全身麻酔はヨーロッパより50年早かったとか。

鎖国だったとはいえ、長崎を窓口に、ヨーロッパの情報は入ってきており、新しい情報に出会うと翻訳したりしてすぐに広め切磋琢磨して高めあい磨いてきた。これが現代の技術立国日本のDNAになっているのではないか。

大 西

平和な江戸時代がもたらしたもの③

もともと、天皇や貴族の荘園などを守る武装集団として誕生した武士は、自分たちの領地を持つようになると、領地拡大のため隣国に攻め入ったり、自国を守ったりして戦に明け暮れていたが、徳川幕府により統一され、平和な江戸時代は武士を変え、行政官として領地の経営に当たるようになった。

外国の場合、王制の役人(官僚)は、任期をつとめれば転勤し、以後責任はないが、武士は世襲であり、一生そこで生活し、生きていかなければならないので責任がつきまわり、自立した高度な地方分権・自治政治を行っていた。

百姓出身もいる武士は目の前の百姓の苦労をよく理解しており、王侯貴族と違い、ただ搾り取るのではなく、治水工事や農地開墾にも先頭に立って取り組んだり、新しい産業の育成にも力を注いだ。また私塾を作り、読み書きそろばんなども積極的に教えてきた。

武士は格式に縛られ大変な面もあったようだが、庶民は結構自由で幸せだったようだ。

武士が戦闘集団でなくなると、刀鍛冶などは需要が無くなり、やむなく民需品=包丁や鋤・鍬などを製造するようになった。今でも残る「関の刃物」等はその名残である。また、鉄砲鍛冶は銃の点火装置で今で言うライターのようなものを作ったりしていたようだ。

このような例の通り、平和な時代は、民需品の工夫にエネルギーが集まり、たとえば西洋からもたらされた「機械時計」を、農業国の日本に合うように「和時計」を作った。

機械式の西洋からの時計は現在のように昼も夜も同じ定時式だが、明け六ツ・暮れ六ツで時間が切り替わる日本では使えない。そこで重りを変えたり、時計の目盛り板を変えたり、いろんな工夫を凝らした「和時計」が全国に登場した。同じころ時計が来たであろう中国では王様や貴族の子供のおもちゃにしかならず、搾取階級の王侯貴族とその番犬の騎士群という一人を頂点とする王政と、武士社会と異なる。

ここが江戸時代という平和な武士社会のすばらしいところで、日本だけに見られることなのだ。領主のそばにいる学者や技術者を抱え組むのでなく、積極的に庶民のために使ったこと。それを各大名が競い合っていたようだ。先の「大和本草」等にもそれを見ることが出来る。

(西洋の「機械時計」は大航海時代に、星や太陽と今の正確な時刻が判らないと現在地が判らないので、定時式の正確な時計が必要だった。この辺りは上野の「国立科学博物館」の展示が面白い)

大 西

平和な江戸時代がもたらしたもの④

逝きし世の面影1学生の頃、江戸時代は封建制で、百姓は搾り取られ、暗黒の大変な時代だったと教わってきた。

でも、どうやら違うようだ。幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人がいろんな見聞を書き残しており、そこには貧しいけど信じられないほど明るい日本人があふれている(渡辺京二著『逝きし世の面影』)。

共同風呂に行けば男女が一緒に入っており、道ばたの垣根の陰で女性が行水をしているし、胸を出しても平気でいることに驚いたという記述がある。「東南アジアの未開地なら驚きもしないが、自分たちと同じハイレベルの日本人がどうして」と理解できなかったそうだ。

全体的に、礼儀正しいこと、親和的であること、陽気なこと、簡素であるが豊かさにあふれていることなど、現在日本人が尊敬の念で見られているほとんどの好ましいことがこの頃の人々から普通に見られたようだ。

また、江戸では庶民が普通に鉢植えや草花を育てているのも驚いたようだ。というのも、その頃のヨーロッパでは園芸などというものは王侯貴族の贅沢な遊びで、庶民のものではなかったらしい。

幕末の頃、駕篭に乗ろうと駕篭かきの集まっている方に行くと籤引きをしていて、引き当てたものが乗せてくれたという。外れたものたちも笑顔で送ってくれたそうだ。ところが20年ほどすると人力車夫が客を取り合いするようになったそうだ。西洋化した20年くらいで、人の心も随分荒んで来たというのだろうか。このような例は少なくなかったようだ。

本当の「美しい日本」とは、誰かの言う明治時代でなく、実は江戸時代にあったのではないか。明治以降の西洋化と富国強兵に突き進む中で剥ぎ取られてきたように思う。

大西