安倍政権のメディア支配(2)

「安倍政権のメディア支配(1)」で述べたように、磯崎陽輔首相補佐官は2014年11月から半年近くをかけて放送法第1条「政治的公平」条項に関する総務省の従来の法解釈を変更させたわけであるが、磯崎補佐官ほどにも法律や法解釈に興味のない安倍総裁率いる自民党は、2015年5月12日の高市総務相の国会答弁による解釈変更を待つことなく、とんでもない言論弾圧に乗り出した。同年3月に『週刊文春』が報じた、前年5月放送のNHK「クローズアップ現代」の“出家詐欺”報道やらせ事件や、同年3月27日のテレビ朝日「報道ステーション」においてコメンテーターの古賀茂明氏が官邸からのバッシングを暴露して「I am not ABE」と書いた紙を提示した件を標的に、4月17日、自民党「情報通信戦略調査会」はNHKとテレビ朝日の幹部を党本部に呼びつけたのである。政権与党が個別番組の内容についてテレビ局幹部を党本部に呼びつけて事情聴取するという前代未聞の事件が起きたわけだが、これはまさに、放送法の解釈変更によって政治家が個別番組に介入できるようになるという、予想された恐れを先取りしたものであった。しかもこれは、『週刊文春』の告発記事を受けてNHKが調査委員会を立ち上げ、「中間報告」を公表した(4月9日)直後に起きた事件であった。さらに、NHK調査委員会が「最終報告書」を公表した4月28日には総務省がNHKに対して「厳重注意」を行い、5月21日には自民党が再度、NHKを呼びつけるという事態まで起きている。

さらに、同年6月25日、安倍首相に近い自民党の若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」が党本部で初会合を開催した際、同党の大西英男衆院議員は「マスコミを懲らしめるには、広告料収入をなくせばいい。文化人、あるいは民間の方々がマスコミに広告料を払うなんてとんでもないと経団連に働きかけてほしい」と発言し、井上貴博衆院議員は「テレビの提供スポンサーにならないということがマスコミには一番こたえるだろう」、長尾敬衆院議員は「沖縄の特殊なメディア構造をつくってしまったのは戦後保守の堕落だ。左翼勢力に乗っ取られている現状において、何とか知恵をいただきたい」などと放言を連発し、講師の百田尚樹は「沖縄の2つの新聞社は絶対に潰さなあかん」「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。基地の周りが商売になるということで、みんな住みだし、今や街の真ん中に基地がある。そこを選んで住んだのは誰やと言いたくなる。基地の地主たちは大金持ちなんですよ。彼らはもし基地が出て行ったりしたら、えらいことになる」「沖縄の米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方がはるかに率が高い」などと明らかな事実誤認を含む暴言・妄言を連発するという事件を起こしている。

ちなみに、百田氏は2012年の自民党総裁選で「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人の一人であり、『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を安倍氏と共著で出版しているが、安倍首相は2013年11月、なんとこの百田氏をNHK経営委員に任命しているのである。このとき安倍首相が百田氏とともにNHK経営委員に送り込んだのが日本たばこ産業顧問であった本田勝彦氏であるが、本田氏は東大生時代、小学生だった安倍晋三の家庭教師を務めた経験があり、安倍氏の財界応援団として知られる「四季の会」の有力メンバーだった。

安倍首相はさらに、同年12月には埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏と海陽学園校長だった中島尚正氏をNHK経営委員に送り込んでいるが、長谷川氏も「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の一人であり、海陽学園は「四季の会」幹事役の葛西敬之氏が創設した学校である。こうして安倍首相の息のかかった委員が多数を占めるNHK経営委員会は12月20日、籾井勝人氏を次期会長に任命した。籾井新会長は2014年1月25日の就任会見で、個人的見解と断りながら、「(従軍慰安婦問題は)今のモラルでは悪いことだが、戦争地域にはどこにもあった」、「国際放送で日本の立場を主張するのは当然。政府が『右』というものを『左』というわけにはいかない」などと発言し、大問題となった。

だが、問題発言はこれに留まらない。安倍首相に任命された新経営委員である長谷川三千子氏は、同年1月22日、「私は安倍首相の応援団です。私は安倍という政治家を信頼している」と発言し、百田氏は2月3日、都知事選での田母神俊雄候補の応援演説で、「田母神さん以外の候補は、私から見れば人間のクズみたいなもんです」、「日本はアジア諸国を侵略した、と。とんでもない、これは大嘘です」などと放言した。

同年2月、NHKの「クローズアップ現代」が前年秋に着任したキャロライン・ケネディ駐日米大使にインタビューを申し込んだが、大使側から拒否されたのは、こうした籾井会長の従軍慰安婦発言や百田直樹経営委員の南京虐殺でっち上げ発言などへの不信感が原因だったと言われている。

ほとんどの憲法学者が憲法違反と指摘する安保関連法案の審議が大詰めを迎えていた2015年9月16日、岸井成格キャスターはNEWS23で「メディアとして(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と発言したが、これが安倍官邸とその取り巻きを激怒させたようである。すぎやまこういち、小川榮太郎、渡部昇一、渡辺利夫といった安倍応援団の文化人が「放送法遵守を求める視聴者の会」というのを作り、同年11月14日と15日に、それぞれ産経新聞と読売新聞に「私達は、違法な報道を見逃しません。」というキャッチコピーの全面広告を掲載している。この中で同広告は、9月16日のNEWS23における岸井成格氏の発言について、「放送法第4条の規定に対する重大な違反行為だと私達は考えます」と述べ、岸井氏に対する個人攻撃を行っている。こうした放送法第4条の解釈に関する根本的な誤謬については、次回(第3回)取り上げることにする。

高市総務相は同年11月10日、国会答弁で、「放送事業者が仮に放送法に違反した場合、総務大臣は放送法第174条に基づき3ヶ月以内の業務停止命令できる旨、定められています」と発言しているが、放送法174条には「特定地上基幹放送事業者」、すなわち地上波テレビとラジオに対しては「業務停止命令」できないことが明文で規定されているので、虚偽答弁に近いものである。高市総務相はさらに、2016年2月8日、衆院予算委で「政治的公平」を定めた放送法第4条に違反した場合には放送局に電波停止を命じる可能性に言及したが、放送法4条にはそもそも罰則がなく、あくまで放送事業者が自主的に番組編集を行う際の「倫理規範」にすぎず、政府が介入する根拠となるような法規範でないことは、情報法の専門家の間では常識である。しかし、高市総務相の「電波停止」発言を批判した報道番組は「NEWS23」(TBS)と「報道ステーション」(テレビ朝日)だけだったと言われている。

その「NEWS23」と「報道ステーション」の看板キャスターだった岸井成格氏と古館伊知郎氏、さらには「クローズアップ現代」(NHK)の国谷裕子キャスターは2016年3月末、一斉に降板するという事態が起きている。その舞台裏の事情まではわからない。しかし「NEWS23」と「報道ステーション」が安倍官邸に睨まれていたことは周知の事実であり、クロ現の国谷キャスターも、2014年7月3日、政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した2日後、番組に出演した菅官房長官を質問攻めにしたことにより、番組終了後、官邸サイドから制作現場に強烈な圧力がかけられたと言われている。こうして2016年春、政権の嫌うキャスターは、「そして誰もいなくなった」のである。
次回は「政治的公平性」を中心とする放送法の規定について解説する。(つづく)

2023年3月15日 稲田恭明

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