2023年2月27日、大阪地裁で、聴覚支援学校に通学していた井出安優香さん(当時11歳)が、2018年に重機にはねられて死亡した事故の損害賠償訴訟の判決があった。両親は健常者と同水準の逸失利益を求めていたが、判決は全労働者の平均賃金の85%というものであった。聴覚障害というハンデを、裁判官は差別の対象としたのだ。
憲法14条第1項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と謳う。この条項後段には、確かに障害の有無云々は記されていないが、本旨は前段の「すべて国民は平等」でなければならない。まだ11歳で無限の可能性があり、労働環境がリモートワークの普及など、こちらも無限に改善する可能性がある今日、聴覚障害があるからと言ってなぜ15%減額しなければならないのか。こうした判決がまかり通る限り、日本では障碍者差別がなくならないし、男女の経済的差別もなくならない。何よりも、障害を持つ子供たちの自己否定感の増幅にもなりかねない。
アメリカ同時多発テロで亡くなった方の遺族への補償を扱った映画「ワース 命の値段」が今公開されているが、命の値段は収入の高低で決まるものではないことが語られる。お金を右から左に動かして大金を稼ぐ人と、20人の命を救った消防士のどちらの命が高いかなんて、誰も決められないのだ。
「過去の裁判よりも高くしてあげたよ」的な裁判官の思考回路は、今の世の中では通用しないと言いたい。
2023年3月2日 柳澤 修