最高裁の限界が露呈された「原発事故に国の責任なし」

3.11東日本大震災で福島第一原子力発電所が全電源喪失という未曽有の事態となり、1号機から4号機が危機的状況になった事故から11年が経過。福島県民はその間多大な被害を受けてきたが、その被害に対する損害賠償は東電が国の支援を受けて行っている。これに対して、被災者が国の責任を求めていた4件の集団訴訟の最高裁判決が6月17日にあり、最高裁は国の責任は認めない判決を下した。

判決の要旨は、政府機関が2002年に公表した地震予測「長期評価」に基づいて東電が2008年に実施した試算と比べ、東日本大震災の津波は規模が大きく、襲来した方角も想定と異なったと指摘。「国が想定に基づいて東電に対策を取らせても、大量の海水が主要建屋に浸入して同様の事故が起きた可能性がある」というもの。

国が国策として電力会社に原発をつくらせ、経産省及び原子力安全保安院という組織が深く関与していた背景も顧みず、ただただ民間の電力会社に責任を押し付けるのが正しい選択ということを判例として残してしまったことになる。ちなみに4件のうち3件の高裁判決では国の責任が認められていたのであるから、残念ながらこれが最高裁の限界と言わざるを得ない。官民挙げて「安全神話」を作り上げてきたにもかかわらず、いざ事故が起こればすべて電力会社が悪く、国には責任がないという論理を最高裁は容認する結果になった。

日本の裁判所、特に最高裁は「統治行為論」、すなわち「国家統治の基本に関する高度な政治性」を有する国家の行為については、司法審査対象外としているのが実態。これは憲法81条の「法令などの合憲性審査権」を放棄しており、これ自体違憲なのだが、原発問題のような、国が積極的に関与してきた政策は政治性が強く、これに沿った判断しかできないのが最高裁の限界。「国策」として官民一体で進めてきた原発政策に対しても、まともな審判ができないのだ。したがって、津波予想に応じた高さの防潮堤を造っていても、事故は避けられなかったという単純な結論になっている。

第2小法廷の4人の裁判官のうち、検事出身の三浦裁判官だけは国の責任を認めたが、他の3人の多数意見だったとのこと。草野・岡村両判事は多彩な経歴があるので期待したが、裁判官出身の菅野裁判長に引っ張られたのか。

いずれにせよ、国の責任を認めない判決しか出せない最高裁がある限り、日本における法の支配はまだ闇の中だ。

2022年6月20日  柳澤 修

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