日本国憲法の前文には、「これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである」という一文があり、その後には、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という文が続く。後者の「これ」が「人類普遍の原理」を指していることはすぐにわかるが、前者の「これ」、すなわち「人類普遍の原理」とは一体、何のことだろうか。私はこの問題を調べるために、10冊以上の憲法学の教科書を紐解いたが、私が調べた範囲では、この言葉を解説したものは見当たらなかった。なぜだろうか。簡単すぎて、わざわざ説明するほどの事柄ではないからだろうか。そうではない、と私は思う。むしろ、多くの人がこの言葉の意味を誤解しているのではないか、と思い、この文章を書くことにした。
小学生でも知っているように、日本語の文章においては、指示語の指すものはたいていその前にある。そこで、「これは人類普遍の原理であり」云々の前の文を見ると、そこには、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と書いてある。ああ、なるほど。「その(=国政の)権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が享受する」というのだから、これは民主主義の原理を表しているのだな、と思った人が多いのではないか。現に「完全護憲の会」のパンフレットもそのような理解に立っているようである。しかし、それは早計というものだ。子供の頃、「あわてる乞食はもらいが少ない」とよく言われたものだ。もう少し落ち着いて考えてみよう。すると、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって」という文があることに気付く。政府は人民の信託によるものである、という思想は、ジョン・ロックが『市民政府論』(1690年)の中で明らかにしたものである。ロックは同書の中で、国家の最高権力である「立法権は、ある特定の目的のために行動する信託的権力にすぎない。・・・ある目的を達成するために信託された一切の権力は、その目的によって制限されており、もしその目的が明らかに無視され違反された場合はいつでも、信託は必然的に剥奪されなければならない」と述べ、革命権さえ正当化している。そして、信託によって政府を創設する目的は、「人々の生命・自由および財産、すなわち総括的に私がプロパティと呼ぶものの相互維持」であると述べている。このロックの社会契約論はアメリカ独立革命やフランス革命にも引き継がれ、1789年のフランス人権宣言は、第2条で「すべての政治的結合の目的は、人間の自然的で時効によって消滅することのない権利を保全することである」、第16条で「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法を持つものではない」と謳っている。ここに至って、人民が政府を設立する目的は人権保障にあり、そのために憲法を制定して政治権力を統制する、という近代立憲主義思想が明瞭に登場することになった。そして日本国憲法がアメリカ独立宣言やフランス人権宣言の立憲主義思想を継承していることは言うまでもない。したがって、「そもそも国政は」で始まる一文は、前半が立憲主義思想、後半が民主主義原理を表しており、全体として立憲民主主義原理を表したものである。
しかし、それはこじつけではないか、と疑う人もいるだろう。懐疑的精神、大いに結構。「健全なる精神に健全なる懐疑心宿る」(by遊民)、である。それでは、ここでいったん、「人類普遍の原理」が民主主義原理を意味している、と仮定してみよう。そうすると、次の「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という一文は、民主主義原理に反する憲法・法令・詔勅は排除される、という意味だから、人権を制約するような憲法改正や法令は民主主義的手続に則ったものである限り排除されない、という意味に解釈するしかなくなってしまう。しかし、そうすると、この憲法が立憲主義憲法であることを明らかにした第11条や第97条との整合性がとれないことになってしまう。第11条は次のような条文である。
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
この中で、この憲法が保障する人権が「永久の権利」として、現在の国民のみならず、「将来の国民」にも保障される、と謳っているのは、「この憲法が保障する人権」を制約するような憲法改正は認めない、という意味である。これは憲法学では「憲法改正権の限界」と呼ばれており、ほとんどの憲法学者が承認している理論である。また同じような(しかしより詳細な)文言は第97条にも登場する。11条と同じような条文が97条にも登場するのは重複ではないか、と思う人もいるかもしれないが、97条が「最高法規」を定めた章の最初に置かれているのは、憲法が最高法規であることの根拠を示したものであって、決して「うっかりダブってしまった」というような条文ではないのである。つまり、憲法の存在理由が人権保障にあることを97条は示しているのである。
このように、日本国憲法は第11条や第97条で、人権保障を目的とする立憲主義憲法であることを明示しているのに、民主主義的手続に則りさえすれば、人権を制約するような憲法改正や法令も排除されないというのでは、明らかに矛盾が生じてしまう。では、なぜ矛盾が生じたのか。それは、最初の仮定が間違っていたからだ、と判断するしかない(背理法)。すなわち、「人類普遍の原理」は民主主義原理を意味している、という仮定は誤りだったのだ。逆に、私が最初に述べたように、「人類普遍の原理」を立憲民主主義原理と理解するなら、全く矛盾は生じない。人権を制約するような憲法改正や法令は明らかに立憲主義に反するものだから、当然、立憲民主主義原理にも違反することになり、それゆえ、立憲民主主義原理に立脚する日本国憲法は、そのような憲法改正や法令を「排除する」のである。
繰り返すと、立憲主義とは、人権保障を目的として、この目的のために憲法を定め、権力を制約しようとする思想のことである。それゆえ、立憲主義は憲法よりも上位にある理念であり、立憲主義は立憲主義に反する憲法を認めない。そして日本国憲法は立憲主義を採用した立憲主義憲法であるから、立憲主義の目的である人権保障に違反するような憲法改正を認めない。一方で、日本国憲法は前文で民主主義原理の国内法的表現である国民主権原理を採用することを明言しており、立憲主義原理と民主主義原理を総合した立憲民主主義原理を「人類普遍の原理」と呼び、この原理に立脚することを宣言したのが、冒頭に引用した一文の意味なのである。
(これは会員個人の見解です。)
本エッセイはまず、精緻な論理の展開によって現憲法が立憲主義思想と民主主義原理に基づいていることを証明している。
次いで、立憲主義は立憲主義の目的である人権を制約するような憲法改訂を許さないが、民主主義は民主主義的手続きに藉口した憲法改悪を排除しないとする論旨もまた明快だ。
ただ1点、立論の途中で民主主義が突然、民主主義的手続きに変容されているのが奇異に感じられる。民主主義は辞書によれば、国民主権、基本的人権、法の支配、権力の分立など重い内容を担うものとされており、これを単なる民主主義的手続きに単純化できないものと思われ、この疑問点については今後の検討を待ちたい。
福田様、コメントありがとうございます。
よく知られておりますように、「民主主義(democracy)」の語源はdemos(人民)とkratia(権力)とを結びつけたギリシア語のdemokratiaです。このことからも明らかなように、民主主義思想の“祖国”は古代アテネであり、民主主義の原意は「人民の権力」すなわち、人民による自己統治という意味です。一方、国民主権と人権思想は、近代の産物であり、それを人類史上初めて制度化したのは、18世紀末のフランスとアメリカにおける市民革命後に誕生した国民国家においてであります。しかるに、仮に民主主義に国民主権や基本的人権といった意味まで含まれるとしたならば、民主主義は近代市民革命を経て初めて誕生したことになり、古代アテネに民主主義は存在しなかった、という奇妙奇天烈奇想天外な結論が導きだされてしまいます。
ではなぜ、日本人が愛好する国語辞典にそのような奇妙奇天烈奇想天外な説明、端的に言って誤った定義が載っているのかと申しますと、民主主義の思想と制度の歴史的な発展の経緯を無視したうえに、民主主義(democracy)の固有の本質と、現在存在している民主主義諸体制(democracies)とその理念型とを区別することなく、ごた混ぜにした説明をしているからです。今日の世界における民主主義諸国(democracies)を特徴づける制度や理念を挙げよ、と言われれば、国民主権や基本的人権の保障や権力の分立など様々な特徴を挙げることができるでしょう。しかしながら、人権や権力分立といった思想は、近代初期(近世)の宗教戦争の解決策への模索や、王権の制限を求める自由主義思想の中から生まれてきたものであって、決して民主主義思想に基づくものではないのです。一方で、国民主権は確かに、直接民主制が不可能な近代国家において民主主義をなんとか実現しようとするものであって、民主主義思想に由来するものです。このように、複数の思想的源泉に由来する近代市民革命を経て成立した近代立憲民主主義体制の成果を、すべて民主主義であるとする国語辞典の説明は、思想史に対する無知に基づくものであり、議論に無用な混乱を招くだけでなく、日本人の民主主義理解を混迷させる罪深いものであると言わざるを得ません。
ウィーン生まれの、20世紀の偉大な法学者であるハンス・ケルゼンは、1920年に著した『民主主義の本質と価値』の中で、「民主主義は、19世紀と20世紀の精神をほとんど普遍的に支配した標語である。しかし、まさにそのゆえにこそ、あらゆる標語と同様に、民主主義という言葉はその確乎たる意味を喪失してしまった。人々は政治的流行に押し流されて、ありとあらゆる機会に、ありとあらゆる目的のためにこの言葉を用いなければならないと思いこみ、民主主義はあらゆる政治概念の中で最も濫用された概念となった。こうしてこの概念は多様極まる意味、時に相矛盾する意味をもつようになり、ついには俗流政治用語の常として、何ら特定の意味をもたず、ただ何となく口にされる決まり文句に堕してしまいそうである」と嘆いています。ケルゼンのこの嘆きは、21世紀の日本において、一層よく当てはまるのは悲しいことです。
台湾最終日、チェックアウト時間が遅いので会員ブログを読んでいます。
昨年から武田康弘(タケセン)という哲学者が主宰する白樺教育館の「白樺恋知の会」に参加しています。ギリシャ民主主義の実践教育「自分で見て、聞いて、感じて、自分を確立する」訓練をする私塾で、
「人間が自分で考えることを放棄させる一神教がギリシャ民主主義を破壊した。天皇教も一神教、ヨーロッパの強さはキリスト教にあると日本におけるキリスト教に代わるものとして考え出したのが天皇教だ。」
と言います。
これに対し、大学で哲学を専攻した私より一世代若い友人(女性)は、「逍遙学派の女達」を例に、ギリシャ民主主義議は男達だけのもの。議論の場に同席を許されたのは議論する男達にサービスする女性達だけ。では、女は何をしていたかと問えば、答えは「いつも妊娠していた」だそう。
そうだとするなら、世界に先駆けて女性の参政権を認めた日本国憲法の歴史的価値をもっと評価すべきかもしれない。
kumie様、台湾からのコメントありがとうございます。
台湾旅行は楽しめましたでしょうか?
そうですか。武田先生の会に参加なさっていたのですね。私は今から10年ほど前、武田先生のブログ(今はなきDoblog)をときどき拝見していました。もちろん一面識もございませんし、コメントをしたこともほとんどなかったかと思いますが。
私は一神教が自分で考えることを放棄させるとは、必ずしも思いません。私の友人のクリスチャンは実によく考える人です。
古代ギリシャの偉大な哲学者たち―ソクラテス、プラトン、アリストテレス―はいずれも民主主義に懐疑的もしくは批判的でしたし、女性蔑視の思想を持っていたように思います。それに比べて、「女の平和」や「女の議会」を書いた喜劇詩人アリストパネスは反戦指向と男女平等指向を持っていたのではないかと思います。
>世界に先駆けて女性の参政権を認めた日本国憲法
Wikipediaによると、女性の選挙権を世界で初めて認めたのは1893年の英領ニュージーランドのようです。そのほか、日本より早く(第2次大戦以前に)女性の参政権を認めた国は25カ国ほどあるようです。