完全護憲の会ニュース No.67 2019年7月10日
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目 次
【1】第66回 例会・勉強会の報告
(別紙1) 事務局報告
(別紙2) 第5回 上映に先立つ勉強会の報告(要旨)
(別紙3) 『テレビ報道の深刻な事態』(広瀬隆・著)より抜粋
【2】第65回 運営・編集委員会の報告
【3】第1回 新冊子8編集会議の報告
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【1】66回例会・勉強会の報告
6月23日、都内港区三田いきいきプラザで例会を開催。参加者10名。会員73名。
まず「事務局報告(別紙1)が提出され、ついで今夏発行予定の冊子『私の戦争体験記(仮題)』の仮綴じ本が筆者から紹介され検討された後、第5回「映画上映に先立つ勉強会」として、山岡聴子氏より『日本がおこなった戦争をこころに刻む11章』(映画『侵略』上映委員会・製作)の第8章と第9章についての報告(別紙2)があった。
休憩後、同上映委員会製作のドキュメンタリー映画『語られなかった戦争 侵略5 細菌戦部隊731』(60分)を上映した。これは中国各地・韓国・シンガポールおよび日本の5年間にわたる地味で丹念な取材を経て、加害と被害の両面から記録したものであり、初めて見る画期的な映像は参加者に衝撃を与えた。
その後、次のような意見が交わされた。
「慰安婦問題を扱ったドキュメント『主戦場』を見た。この作品を多くの人に見てもらいたい。公開の会場が20館から40館に増えたのは喜ばしい。『日本会議』の主張を論破している。テンポが速く淡々としている。若者向きだ」
「『私の戦争体験記』(仮綴じ本)を見たが第2部が読みにくい。『馬南歌集』は資料扱いにし、その掲載目的を解説した方がいい。当時の事情を知らないから分かりにくい。いつ武装解除されたのか、『捕虜』として労役中、英軍の管理に不満はなかったのか、敗戦後、上官に対する兵士の反乱はなかったのか」。
新冊子に対するこれらの意見については、機会を設けて検討することとした。
なお、次回例会7月28日(日)13:30~16:30(三田いきいきプラザ集会室C)では『語られなかった戦争 侵略6 細菌戦被害の人々』(58分)を上映する。1940年と42年の日本軍による中国での細菌戦を日本で初めて映像化し、第17回東京ビデオフェステバル賞を受賞。
(別紙1) 事務局報告 福田玲三(事務局)2019.6.23
1) 当会ニュース読者からの来信
*来信1 『週刊金曜日』東京南部読者会 馬場進氏より
毎回有意義なニュースを送って戴き感謝しています。
前回は、広瀬隆さんの『テレビ報道の深刻な事態』をリクエストしたところ素早く送って戴き、ありがとうございました。ほぼ10日間かかりましたが完読して、コピーを友人に渡したところ友人もたいへん参考になったと喜んでいました。
A 4で155ページ。その半分強が朝鮮・韓国事情で、友人も納得していました。その他は、広瀬隆さん独特の論調とその特異な?実業史観によるもので、私は初めてこれまでの広瀬隆さんの著作の数々が納得理解出来るようになりました。
私が初めて広瀬隆さんを認識したのは『東京に原発を』は置いといて、2011・3・11の福島原発事故をその直前にデイズジャパンに掲載した記事内容からでした。『原子炉時限爆弾』等々。その後、一昨年に手にした『文明開化は長崎から』で、キリシタン大名の改宗の由縁が理解できたことによります。
今回のでは広瀬隆さんが昨年の米朝首脳会談のおりは肉体的に大変だったこと、それまで見ていなかったテレビ報道にコメントせざるを得ない実態であること、等々、同じ目線のきわめて意味深長な内容であることでした。
*来信2 宮崎地方裁判所(安保法制違憲訴訟)あて陳述書
(2019年3月29日 宮崎市・馬場園孝次)
1.私は昭和13年、大分県佐伯市に生まれました。親の転勤で、太平洋戦争中の1945年8月頃は小倉市(現・北九州市)在住でした。戦後、父の故郷である鹿児島県に移りました。敗戦時は7歳でした。
高校を卒業してから、約25年間、国鉄に勤め、車掌として働いてきました。
戦中、小倉の空港の近くに住んでいて、兵舎や弾薬庫のあったのを覚えています。兵隊さんのお使いでパンを買いに行ったり、弾薬庫の爆発を見たり、B29が撃墜される瞬間も見ました。昭和5年生まれの姉は小倉工廠にて働かされていました。敗戦の8月15日だったのでしょう、近所の大人達が円陣を作り泣いていた姿は大人になった今でも鮮明によみがえってきます。
2.1945年8月9日、長崎市に原爆が投下され、筆舌に尽くせない多くの犠牲者が出ました。その原爆投下について、社会人になってから、小倉が米軍の最初の投下目標であったことを耳にしました。
計画通りの投下であったら今の自分は存在しなかったかもしれないと思うと、率直に言ってショックでした。当日、たまたま小倉周辺の天候が悪く、第2の候補地であった長崎に投下されたのだと、多くの資料を見て知りました。
この事実を知ってから「焼場にたつ少年」の写真を座右においています。少年がおんぶしている弟は既に命がなく、火葬の順番を待っている写真です。この写真を見る度、もし小倉だったらと自分と重ねてしまいます。被爆していたかもしれない、あるいは、果たして命はあっただろうかと。被爆したり、命を奪われた人々のことを、戦争だから、運命だからと片付けることは到底できません。
3.戦後、軍服を脱いだばかりの先生が日々口を酸っぱくして「民主主義」の大切さを訴えていたことは忘れることができません。大人になり、改めて憲法の歴史等に関心があり、関連するメディアに注目することが多くなりました。私の心に残ったのが、旧ソ連に抑留され帰国船の中で新憲法発布を知り、「もう戦争しなくていいのか」と、周りの人達と互いにうれし涙を流したと話した品川さん(故元経済同友会幹事)の言葉です。まさに、戦後の日本人の実感ではなかったでしょうか。
最近、日本国憲法改正を主張する人達も「押しつけ憲法」と言わなくなりつつあります。日本国憲法の基礎にある考え方や草案は国民の中に既にあったことが一般にも知られるよってきたからだと思います。私の親類縁者があきる野市におりますが、明治時代の「五日市憲法」、あるいは戦前鈴木安蔵を中心とする「憲法研究会」等、源流となるものがしっかりあったことははっきりしております。
4.こうした歴史的事実、経過を見るにつけ、戦争を体験したものにとっては“生かされてきた”と思わざるを得ません。同時にどう生きていくかが、おのずと問われます。
私達戦争を体験し「生かされてきた者達」は、再び戦争への道につながる過ちを政府に繰り返させない責任があると思います。そして、そのために努力しなければなりません。私も微力ながら、これまで様々な場面で戦争につながる匂いや雰囲気を感じたときに、反対しくい止める活動に参加してきました。戦争の道に行くとき、その何年も前からたくさんの準備がなされます。私は国鉄労働者として労働組合活動を長年していましたが、それを理由に国によって差別され職を失いました。よくよく考えてみると、労働者の団結権行使に制限が加えられ、何となく社会が息苦しくなり、政治的なことなどに意見が言いにくい世の中になってきた動きと、着々と戦争のできる国になるための法整備の動きは並行して進んできたと思います。新安保法制はその集大成であり、さらには9条2項を空文化させる改憲さえ憲法を守る義務のある総理大臣の口から言われています。
再び戦争ができるようにする準備が法的にも着々と進んでいる今こそ声を上げるべきと思い、私はこの訴訟に参加しました。残る人生、どこから見ても憲法違反の新安保法制をなくすために力を注ぎたいと思っています。
ずっと以前から裁判所は人権の砦でした。国鉄労働者の裁判でも国労組合員に対する国の差別的取扱は断罪されています。
政府も国会も多数決の横暴で憲法と人権をないがしろにするなら、頼みは司法しかないと思います。私は裁判所が、ごく当たり前にその使命に従って憲法に違反する新安保法制を断罪してくれることを確信し、強く願っております。
最後に、歌人の永田和宏氏の歌を引用させていただきます。(「今」でなければ間に合いません。) 「権力にきっと容易く屈するだろう。弱き我ゆえ 今 発言す。」
2)冊子『日本がおこなった戦争をこころに刻む11章』
前々号ニュースで紹介した上記冊子の追加注文が1件10冊あり、計4件22冊となった。
3)老後「2000万円不足」で官邸が火消し
安倍首相が出席した参院決算委員会で「2千万円不足」問題が追及された6月10日、首相は周辺に「金融庁は大バカ者だな。こんなことを書いて」と漏らした。首相の激怒を背景に、首相官邸は事態の収拾に動き、審議会の報告書を受け取らないという異例の対応を指示した。(『朝日』6月19日分)
4)冊子『私の戦争体験記』(福田玲三)の発行
上記の冊子の原稿が到着。例会その他で内容を検討し7月中の発行を予定。
5) 集会の案内
① 「軍隊を捨てた国」上映と杉浦ひとみ弁護士のコスタリカ報告
7月13日(土)13:30~
東大和市市民会館会議室
参加費1000円 学生・障害者500円
主催:サンホセの会 090-1884-5757
② 安倍9条改憲NO! 総がかり行動
7月19日(水)18:30~20:00
衆院第2議員会館前
共催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
安倍9条改憲NO!全国市民アクション 03-3221-4668
③ 『週刊金曜日』東京南部読者会
7月26日(金) 18:30~20:30
大田区消費者生活センター 会議室(
JR蒲田駅東口徒歩3分)
④ 第11回講演学習会 黒い雨と白い雪の正体
7月27日(土)13:30~17:00
キリスト友会(港区三田4―8―19)
資料代800円(学生は無料)
講師:金野銀蔵氏
主催:米国の原爆投下の責任を問う会 090-1769-6565
⑤ 日本軍はアジアで何をしたのか!
7月28日(日)14:00~
全国教育文化会館エデュカス東京(千代田区二番町)
資料代800円
講師:高島伸欣氏(中高生無料)
主催:日本中国友好協会東京都連合会 03-3261-0433
6)当面の日程について
第67回例会・勉強会
7月28日(日)13:30~16:30
三田いきいきプラザ 集会室C
第66回運営・編集委員会
7月31日(水)14:00~
三田いきいきプラザ 講習室
第68回例会・勉強会
8月25日(日)13:30~16:30
三田いきいきプラザ 集会室A
第67回運営・編集委員会
8月28日(水)14:00~
三田いきいきプラザ 講習室
7)「事務局報告」補足:草野運営・編集委員長の近況
7月上旬に退院。今回の入院治療の効果診断は11月頃に出る予定。今は体力の回復に努め、日々その成果が出てきているため、28日の7月例会には久しぶりに出席できるかもしれないとのこと。
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(別紙 2) 第5回 上映に先立つ勉強会の報告(要旨)
『日本がおこなった戦争をこころに刻む11章』第8章と第9章
8章 昭和天皇の戦争責任
0.侵略の象徴としての日の丸 (旗は対外的に示すものである以上、対外的に示された時の状況―“侵略”―と合わせて印象付けられ記憶されるのは当然のこと)
残虐行為と日の丸 ⇒ 日の丸は残虐行為の象徴 ⇒ 日の丸を使い続ける恥(被侵略国は日丸を見るたびに残虐行為を思い出すことになる)(※戦前は国旗としての扱いは法的にはあいまい)
1. 認める
1931年9月18日 満洲事変勃発
9月22日 臨参命第一号(昭和天皇の最初の最高軍事命令)
朝鮮軍の独断出兵の事後承認
10月8日 錦州爆撃
10月9日 「事件の拡大は止むを得さるへきか、若し必要なれば余は事件の拡大に同意するも可なり」
12月17日 臨参命第九号
事変勃発以来、最大規模の兵力増強
1932年1月4日 「軍人に賜はりたる勅語」五十周年記念の勅語を下賜
2.ほめる、悼む
1932年1月8日 「関東軍へ勅語」
「満洲に於て事変の勃発するや自衛の必要上関東軍の将兵は果断神速寡克く衆を制し速に之を芟討せり爾来艱苦を凌き祁寒に堪へ各地に蜂起せる匪賊を掃蕩し克く警備の任を完うし…皇軍の威武を中外に宣揚せり朕深く其忠烈を嘉す…」
〔芟討(さんとう):草を刈り取るように敵を討ち平らげる〕
〔祁寒(きかん):厳しい寒さ〕
1937年11月12日 「北支及内蒙派遣軍に賜はりたる勅語」
「困苦と欠乏とに堪へ…敵陣を撃砕し皇威を中外に宣揚せり朕深く其忠烈を佳尚す思うて敵丸に殪れ病瘴に僵れたる者に及へは寔に忡怛に勝へす…東洋長久の平和の確立せむこと前程尚遼遠なり爾来益々志気を淬厲し艱難を克服し以て朕の信倚に副はむことを期せよ」
〔淬厲(さいれい):きたえみがく。心を奮い起こして励む〕
〔信倚(しんき、しんい):信じ頼ること〕
〔瘴(しょう):山川の毒気にあたって起こる熱病〕
〔忡怛(ちゅうたん):憂え悼む〕
11月20日 「上海派遣軍に賜はりたる勅語」
3.「特殊資材」(毒ガス)の使用について
対ソ戦を念頭に、中国各地で毒ガス(催涙性、窒息性、嘔吐性、糜爛性の毒ガスや血液中毒性の青酸など)の頻回にわたる使用
毒ガスの使用に際し参謀本部に許可を申請
「大陸命」による都市の攻略命令
武漢攻略作戦(1938年)、修水渡河作戦(1939年)など
浙贛作戦(1942年)…細菌戦(ペスト蚤、コレラ菌、チフス菌など。大本営の指導)
その遺棄・投棄
中国各地(黒龍江省、河北省ほか南京など)、日本各地(広島県大久野島近海、青森県陸奥湾、千葉県銚子沖など)
4.現人神から象徴へ
「億兆心を一にして…國體の精華」、まさに権力と暴力の成せる業
旧武士階級にとっては主従関係の主を天皇に変更、貧しい一般庶民にとっては宗教としての天皇制(貧困ゆえの生存の困難=死と隣り合わせ、無常観。 死んだら神になれる)
天皇の系譜は器を変えながら存続(平安の藤原、鎌倉の源、室町の足利、江戸の徳川、長州の明治政府、戦後はアメリカによる天皇制の担保)・・・軍事的後ろ盾との親和性
ポツダム宣言(軍国主義勢力の永久除去か、日本国本土の完全な破壊か)
13条「日本国軍隊の無条件降伏」を日本国政府に要求…米国・中国・英国
5.軍国の国家構造
憲法も国会も形式であり、建前のみという出自
天皇と赤子は封建の主従関係 + 統帥権の独立
征夷大将軍の国内征伐、海外への「侵略」は、全国統一の拡大版という時代錯誤
9章 「談話」
1. 内閣総理大臣談話2015年8月14日(「安倍談話」抜粋)
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
2. 日の丸の是非
(筋書きその1)反省型
戦争の加害の歴史を直視する → 侵略の象徴である日の丸を我が事として引き受ける(隠蔽せずに恥じらいつつも使い続ける) → 侵略を謝罪し続ける
(筋書きその2)無視・隠蔽型
戦争の侵略の事実を否定する → 侵略の象徴である日の丸を隠蔽し刷新する → 謝罪をしない
(筋書きその3)恥さらし型(自覚無し)、威嚇・示威型(自覚有り)
戦争の侵略の事実を否定する → 侵略の象徴である日の丸を臆面もなく使い続ける → 謝罪しない
(筋書きその4)未来型
戦争の加害の歴史を直視する → 日の丸で思い起こす辛辣な過去の記憶に配慮し新たな国旗を作る → 謝罪は続ける、あるいはいつか許される日が来るなら謝罪の必要はなくなるかもしれない
おわりに
◇日露戦争(1904年2月~1905年)とノモンハン事件(1939年5月~8月)
歴史の教え方の問題
ロシアとの関係
「日露戦争」戦勝の誇張
多数の戦死者
世界的認知度(ドイツの教科書では対馬海峡における開戦1905年。トランプ大統領 “知らない”)
ノモンハン事件は単に「事件」と呼べるものか(死傷率はおよそ半数以上となる大敗北)。
◇平和主義とその他の主義との関係
キリスト教信者で殺戮を拒んだ日本兵としての渡部良三を例に、大勢とは異なる視点で物事を捉える重要性
「天皇制」信奉者は、異文化の中でどのような態度を示し得るか。
◇天皇制を憲法の枠組みの中でどう捉えるべきか
1章(天皇)と9条の関係
共産党、女性・女系天皇を容認との見解。「天皇の条項も含め現行憲法を順守していく」(朝日6月4日朝刊)
(考察)
異なる意見の折り合った地点が、法の成立という着地点である。つまり、議論して出来た法は、せめぎ合う意見の紙一重の成果であって、本来的に矛盾を内包するもの
◇仮に憲法外の天皇という事態は、国民の権利にとって危険性が上がるか下がるか
天皇の存在さえ意識しなかった過去と、逆に、統帥権独立の暗い過去という二つの要素
◇緊急事態条項ひとつで憲法そのものの無効化(麻生氏の “ナチスの手口に学んだらどうか” )
一旦緩急と同様の効果
⇒ 日本の再軍国化(憲法が機能せず、天皇とその軍の下に国民が編成される)
選挙前の有権者への「あめ」も、憲法改正で無効にすることも可能か
◇戦争の責任を取らない国家元首は、この先あり得るか
(参考文献)
世界史との対話(下)(小川幸司、地歴社)
毒ガス戦と日本軍(吉見義明、岩波書店)
マンガ 日本人と天皇 新装増補版(雁屋哲、イソップ社)
駿台史学第108号 満洲事変と昭和天皇(山田朗)
天皇・天皇制をよむ(歴史科学協議会編、東京大学出版会)
歌集 小さな抵抗(渡部良三、岩波現代文庫)
福沢諭吉の戦争論と天皇制論(安川寿之輔、高文研)
(2019.6.23報告 山岡)
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(別紙 3)『テレビ報道の深刻な事態』(広瀬隆・著)より抜粋
※以下、前ニュース66号の抜粋に続く項目のみ転載(「0503改訂版」よりP38~41)。
ルビはすべて行内の()に移した。
◆南北朝鮮で二つの独立国家が成立し、朝鮮戦争の開戦に向かった
さて、済州島の虐殺が進行する中で、1948年5月10日には、ロックフェラー財団理事長でアメリカ国連首席代表となるジョン・フォスター・ダレスの工作によって、国連に「朝鮮委員会」なるものが登場して、アメリカが国連を国際的な政治儀式に悪用し始めた。この日、国連の朝鮮委員会が監視し、米軍が戦闘準備態勢をとる中で、南朝鮮の憲法制定議会の議員選挙が実施され、議長にアメリカ軍政の木戸番・李承晩が選出された。以上述べたように夥しい数の南朝鮮の民衆の怒りを買う危機的状況のアメリカ軍政下で、この足固めの前準備を整えてから、7月20日に、制憲国会が大韓民国(だいかんみんこく)の「憲法」を制定して間接選挙による大統領選挙が実施されたのである。この時、李承晩の政敵がことごとく軍部のテロによって殺害され、大統領選挙中に謎の急死を遂げていたので、当然のように李承晩が大統領に当選した。かくして翌月の1948年8月13日に南朝鮮に韓国(大韓民国(だいかんみんこく)という新国家が誕生し、初代大統領に李承晩(イスンマン)が就任したのである。
こうしてアメリカ軍政の手の中で転がされるままに韓国という国家が成立すると共に、国軍組織法が誕生し、先に創設されていた国防警備隊が「陸軍」と改称され、海岸警備隊が「海軍」と改称され、韓国の正式軍隊が発足した。その中で、韓国全土の警察幹部に、日本の植民地統治時代の特高関係者が登用されるようになったのだ。
この建国時には、アメリカ軍政から韓国政府に政権が移譲されていなかったが、1ヶ月後の9月11日に「アメリカ・韓国間の財政および財産に関する初の協定」が締結され、アメリカ軍政から韓国に政権が移譲された。ところが、韓国の軍隊に対する指揮権は米軍が掌握していたので、韓国軍はアメリカの傭兵(ようへい)のままであり、発足した韓国政府は、初からアメリカの言いなりに動くマリオネット(操り人形)たる傀儡(かいらい)政権であった。
一方、この少し前の1948年2月8日には、北朝鮮でも人民軍が創設されていた。韓国成立直後の8月25日には、北朝鮮でも南に対抗して、国会にあたる高人民会議の代議員の総選挙が施行され、9月8日に朝鮮高人民会議の第一次会議で憲法を採択して、翌日9月9日に「朝鮮民主主義人民共和国」が樹立された。首相に金日成(キム・イルソン)が就任して、こちらは共産主義国・ソ連の傀儡(かいらい)国家となった。
こうして1948年に、南に韓国、北に朝鮮共和国がほぼ同時に誕生したのである。
ちょうどそこに、これまでの民衆グループや組合運動が起こした反政府運動と違って、〝韓国の軍隊〟が李承晩に対して反乱を起こすという大事件が勃発したのである!! 1948年10月19日に、先述の済州島(チェジュド)蜂起を鎮圧するために派遣される予定だった韓国南端、全羅道(チョルラド)の麗水(ヨス)に駐屯する軍隊が、出動を拒否して反乱に決起したのだ。というのは、済州島では、韓国政府の成立後も警察と軍に対する島民の激しい衝突が続いていたので、李承晩はアメリカと組んで済州島の焦土化作戦を進めようとしていた。そのため10月19日夜から、済州島の抗争鎮圧に反対する麗水(ヨス)の南朝鮮労働党の軍隊・第14連隊が、「朝鮮人同胞に対する虐殺を拒否し、米軍の即時撤退を求めて」反乱を起こしたのだ。数千人の軍人が同調して行動したのだから、組織的にも、ケタ違いの人数においても、これまでの反政府・反米行動とは違っていた。「李承晩打倒!」を掲げたこの反乱は、翌日10月20日に麗水(ヨス)郡から隣の順天(スンチョン)郡にも拡大したので、この反乱は麗順(ヨスン)件と呼ばれた。
10月24日には、麗水へ向かう韓国正規軍が反乱軍の待ち伏せに遭い、正規軍270人以上が戦死し、この間に反乱軍の主力1000人が北部の智異(チリ)山へ移動し、反乱軍がパルチザンとなって山中に潜伏して長期的なゲリラ闘争を展開した。ちょうどキューバ革命の成功前に、カストロとチェ・ゲバラが独裁者バティスタに山中からゲリラ戦を挑んだような大事件であった。
李承晩大統領と米軍は、大規模な軍部の反乱に衝撃を受け、韓国に駐在するアメリカの軍隊が鎮圧に乗り出した。この時の李承晩は、この反乱を利用して左翼を撲滅する絶好機ととらえて、直ちに米軍と共に鎮圧部隊を投入したため、10月27日までに反乱部隊を鎮圧し、反乱部隊だけでなく非武装の民間人8000人を殺害する大事件となった。反乱軍に加担した嫌疑で1万7000人以上の市民が裁判にかけられ、866人に死刑が宣告されたのだ。さらに、終身刑を言い渡された568人の将兵は、1950年の朝鮮戦争勃発と同時に、全員処刑されたのである【この「麗順事件」の犠牲者に関しても、前述の過去事委員会が調査をおこなった結果、不法に逮捕・監禁された事実が明らかにされ、今年2019年3月21日に韓国最高裁(大法院)で71年ぶりの再審開始が決定されたばかりである】。
1948年には麗順事件のあとも大邱(テグ)や光州(クァンジュ)、馬山(マサン)などの各地で反乱軍の決起が続発した。これら一連の反政府・反米事件では、いずれも、死者など被害者の数があまりに大きいことに驚かされるばかりである。
このように国民虐殺が横行する不穏な形で韓国という国家がスタートしたのが1948年であった。そのため済州島事件・麗順事件直後の11月30日に、李承晩が韓国国会で「米軍の長期駐屯案」を強行採決して、いよいよ北朝鮮との戦争に備える準備に入り、翌日の12月1日には、軍隊内の粛清に乗り出した。彼は自分に反対する人間を根こそぎ弾圧できるよう、「国家保安法」を公布したのだ。この法によって、「米軍の撤退」もしくは「南北朝鮮統一」を主張する〝平和主義者〟は無期懲役に処せられ、翌年には国家保安法が改悪されて死刑が含まれるようになった。
この国家保安法は、北朝鮮を国家と認めず「反国家組織」と規定して、韓国の国民が許可なく(家族であっても)北朝鮮の人間や資料に接することを禁じ、高刑は死刑に処すという鬼畜に等しい野蛮な法律であったため、1年間で逮捕者が11万人にも達し、軍隊内部では軍人4749人が摘発され、そのおよそ半数が銃殺刑で処刑されたのである。この処刑された者の中には、日本の植民地統治時代の1940年9月に創設された朝鮮の独立軍「光復軍」出身者が多数含まれていた。「光復軍」は、日本に宣戦布告して抗日運動を激しく展開した真の愛国者であった。1910年に韓国(朝鮮)が日本に併合され、朝鮮の民衆が一斉蜂起して日本に対して反乱を起こした1919年の〝三・一独立運動〟の指導者も、李承晩はアメリカのCIAと手を組んで次々と投獄し、暗殺したのである。この粛軍の先頭に立ったのが、陸軍本部情報局大尉の金昌竜(キム・チャンリョン)であり、彼はのちに陸軍特務隊長となるが、またしても元日本軍の憲兵伍長であった。こうして韓国の大統領が、信じられないことに日本の植民地統治時代の売国奴を使って、朝鮮/韓国独立運動の英雄を惨殺しながら、軍事独裁者に成り上がっていったのである。またそれが、アメリカの指示によるものであった。このようにしてアメリカに支持された李承晩は、絶大な権力を持つ独裁者としての政権を確立したが、事実上、韓国内は無政府状態であった。
こうして1948年に成立した韓国の国家保安法は、日本が1925年に公布した悪の法律「治安維持法」の条文をほとんどそのまま受け継いだものであった。つまり戦時中に日本国民の意見表明さえ弾圧して許さなかった「思想」を裁く民衆弾圧法であり、物証を必要とせず、拷問による嘘の自白だけで好きなように罪を問うことができるこの悪法が、韓国では現在まで生き続けてきた。同じ時期に日本を占領したGHQマッカーサー指揮下のアメリカは、大日本帝国時代の軍国主義を日本社会から根絶しようと、1945年10月4日に日本の治安維持法を撤廃して、特高警察を廃止させ、財閥解体のために活動しながら、一方で韓国の米軍は、まったく逆のファシズムを実行していたのだ。共産主義撲滅というイデオロギー実現のために……
私自身を含めて、われわれ日本人、とりわけ戦後世代に欠けているのが、この時代に〝アメリカ人によって苦しめられていた韓国人〟に関する知識だったのである。それは、戦後日本の重要な変革期なので、われわれの目は、当時の日本国憲法の成立など日本の変化だけに注がれて、朝鮮半島にまで頭が回らなかったからである。
しかし韓国でも近年、1998年に「国民の政府」を謳う金大中(キム・デジュン)が大統領に就任して民主化を強く推進するようになり、彼を継いだ盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が「国家保安法は博物館に送らなければならない」と力説し、市民運動もあらゆる努力を傾け、何度も国家保安法の廃止が試みられた。若き弁護士時代の盧武鉉が韓国映画『弁護人』で「釜林(プリム)事件」の無実の学生を守ろうとした時に痛烈に批判して戦った相手が、この国家保安法であり、人間の思想まで統制し、拷問でも何でも警察に許したのが、この悪法であった。しかし盧武鉉大統領時代に与党が過半数を占めていながら、朝鮮民族に対する反逆者が〝反共〟を叫んで愛国者に変身し、韓国経済の資本を動かす財閥が支配層を形成しているため、これら既得権を握った勢力の抵抗は強かった。その時、国家保安法の廃止を食い止めるファシズム運動の先頭に立ったのが、朴槿恵(パク・クネ)であり、2019年現在に至るも国家保安法の廃止が実現されていない。
日本人から見れば韓国は、人権の尊重を謳う近代国家であるはずだが、韓国映画界が製作する一連の歴史ドラマを見れば分るように、そこに横行する朝鮮王朝時代の官僚機構を支配した上層階級の両班(ヤンバン)と、老論(ノロン)派たちによる身分差別主義は、日本の江戸時代の士農工商による差別どころではなかった。現在まで、その封建時代の身分制度と、何事にも父親の了解を求めなければならない家父長制度を引きずっていると言われるのが韓国である。一方で、学歴重視社会が企業内にはびこって、高校卒・中学卒の会社員が大学卒から激しいイジメを受けるという、韓国の会社員の差別問題も深刻である。そうしたサラリーマンとオフィスレディーの正視に耐えない姿は、現代の韓国ドラマ『未生(ミセン)』など数々の作品に描かれている。
言い換えれば、このような朝鮮・韓国の身分制度や、生まれつきの貧富の差と、学歴が人生を決めるという国民の学歴差別主義を痛烈に批判して描くのが、現代の韓国ドラマの脚本の柱であり、それを演ずる韓国トップスターである芸能人・文化人のすぐれた反骨精神がそこに見事に表われているのである。またその著名な役者とストーリーに拍手を送って喜ぶのが現在の韓国の6~7割を占める国民である。
それら歴史ドラマ・現代ドラマのすぐれた映像に加えて、韓国民の進歩的な動きを加速させるのに大きな役割を果たしたものがあった。それが先に必読書として挙げた『韓国大統領実録』(朴永圭(パク・ヨンギュ)著、金重明(キム・チュンミョン)訳、キネマ旬報社)であった。李承晩・朴正熙・全斗煥・盧泰愚らの歴代大統領の強権政治の腐敗の軌跡と、中途半端な大統領・金泳三(キム・ヨンサム)のあと、金大中・盧武鉉大統領時代からの民主的改革と、李明博(イ・ミョンバク)大統領による再保守化が貴重なドキュメントとして詳細に記述され、同書後の「未完の章」の大統領が朴槿恵(パク・クネ)にあたり、韓国民がそのあと、文在寅大統領を迎えて韓国の歴史的変化を体現しているところである。したがって文在寅は、そうした知性的な反骨精神の流れに乗って登場した人物であり、歴史の清算に取り組む彼の誠実な姿勢が多くの韓国民から支持されてきた所以はそこにあった。
日本人の新聞記者・テレビ記者は、こうした現在の韓国の激動を知らずに、過去の古い知識に基づいて語る自称・専門家や、もと外交官と称する肩書人間にものを尋ねている。韓国民と共に活動したことがなく、韓国の国民の意識の変化をまったく読むことさえできないこれらの人間が解説者・コメンテイターとなって、朴槿恵を退陣させた2016~2017年以降の韓国情勢をテレビ報道が解説しても、出がらしの茶のように、ほとんど意味がないのである。
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【2】第65回 運営・編集委員会の報告
6月26日 14:00~ 出席:大西、鹿島、福田
1.次回のドキュメンタリー作品上映について
映画『語られなかった戦争 侵略6 細菌戦被害の人々』(58分)のDVDを取り寄せる。
2.冊子『私の戦争体験記』の仮綴じ本検討
P7「朝鮮人であれば、逮捕後の拷問のすさまじさは言わずと知れる」:リンチの具体例を挙げよ。
P27「(オランダ民間人)男女の抑留所」:分かりにくい。説明を加えよ。
冊子のタイトル:「私の戦争体験記」は副題にし、主題にJSPを出す。
などの意見を受けて、7月初めに新冊子編集委員会で検討することとした。
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【3】第1回 新冊子8編集会議の報告
7月2日13:00~16:30 出席:鹿島、大野、大西、福田
1)闘病中の草野編集長が自発的に冊子の朱入れをしたものの無理は禁物なので、実務は大野・鹿島委員が中心となって担当する。
2)発行は8月のお盆前とする。(なるべく7月中に印刷と変更)
3)第Ⅰ部を大野、第Ⅱ部を鹿島委員が校正・校閲をし、引用文は原典資料と照合する。
4)著者による最初の原稿の修正を速やかに行う。
5)これらの作業進行に伴い、次の編集会議を設定する