風とともに去ったのか立法府の優位

 このごろ衆院予算委員会のTV中継放映を見ていると立法府の行政府に対する卑屈さが感じられて仕方がない。「政府寄りでない」野党議員が首相に、「お願いします」とか、質問の締めくくりに「有難うございました」と礼を言っている。
 憲法前文第1項第1文の「正当に選挙された国会における代表者を通じて」国民が行動するのが、わが憲法の最高政治原則であり、これに対比して、政府には、その「行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」、国会は厳格に憲法を適用して政府を統御しなければならない。
 憲法によって、国会が国権の最高機関であって、内閣は国会によって、その職を与えられる下級機関でありながら、国会のひな壇に大臣が座り、議員は平場に座らせられている。アメリカでは国務長官ですら平場にあって、ひな壇にいる議員の質問に答えている。
 これらのことはパンフ『日本国憲法が求める国の形』作成の過程で、私が教わったことだが、アメリカの大統領制、日本の議院内閣制という政治制度の違いが、国会と政府の重み逆転の原因なのだろうか。どうしてもそうとは考えられない。
 日本の議員は自分で行政府の立法府に対する優位を日本の常識にしようとしているとしか見えない。だから2月10日の衆院予算委員会で「次の選挙前に議員定数削減を決めよ」と迫る野党議員に、首相は2021年以降に先送りすると答弁する過程で、「総理の国会解散権は何ら制約されるものではありませんが」との片言をぬけぬけと公言しても、会場になんの風波も立たないほど、行政権の立法権に対する優位が常識にまでなっている、と憤慨するのは、古風過ぎるのだろうか。
 憲法制定時にあったと思われる立法府の優位は風とともに去ったのだろうか。

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2016年2月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 福田 玲三