「愛国」か、それとも「売国」か? ── 国とは国民だ!

                          (弁護士 後藤富士子)
1 「愛国心」をめぐる奇妙な攻防
 教育現場で起きている「日の丸」「君が代」をめぐる紛争は、日本会議と一体化した政権側が推進している「愛国教育」との軋轢である。ちなみに、自民党の改憲草案3条1項は「国旗は日章旗、国歌は君が代」と定め、第2項で「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と義務付ける。一方、個人の側とすれば、かつて日本軍国主義の象徴とされた「日の丸」「君が代」を敬う気持ちになれないという理由で、起立や斉唱という「尊重」行為をとれない人もいる。その人たちは、憲法19条の「思想信条の自由」を援用して強制に抵抗する。
 この構図の中で、政権側は、「日の丸」「君が代」を尊重しない個人を「愛国心がない」と指弾し、これに抵抗する側は「愛国心の強制反対」を叫ぶことになる。こうなると、「愛国心」は、あたかも政権側の美徳となり、反対する者は「愛国心なんていらない」と主張しているように見えることになる。すなわち、単に「日の丸」「君が代」を礼賛する歴史修正主義が「愛国」を僭称するのである。ちなみに、「歴史修正主義」は、反対者のことを「自虐史観」と言っている。
 しかし、果たして「愛国心のない人」に国の政治を任せられるだろうか? また、「日の丸」「君が代」を敬う気持ちになれない人が、進んで国政を担おうとするだろうか?
 この点で、「魂の政治家」と国民から敬われた故翁長雄志沖縄県知事の足跡が示唆に富む。2007年9月29日、宜野湾海浜公園で「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催された。文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除修正されたことに対する抗議集会に、復帰後最大となった11万6千人が結集した。翁長沖縄県市長会長(当時)は、「ウチナーの先祖があれほどつらい目に遭った歴史の事実がなかったことにされるのか」と憤り、集会では「国は県民の平和を希求する思いに対し、正しい過去の歴史認識こそが未来の道しるべになることを知るべきだ。沖縄戦の実相を正しく後世に伝え、子どもたちが平和な国家や社会の形成者として育つためにも、県民一丸となって強力な運動を展開しよう」と訴えている。県議で自民党県連幹事長だった99年当時、辺野古移設に関しては推進派だった翁長氏が自民党と距離を置き始めたきっかけが、この教科書検定問題だったという。
 過去の歴史の事実、それも国家と国民の間で生じた事実を「なかった」ことにする歴史修正主義は、「愛国」でありえないことを、翁長氏の足跡が示している。

2 盧武鉉のテーマ「人が暮らす世の中」(サラム・サヌン・セサン)
 1988年4月の第13代総選挙で初当選した盧武鉉の選挙スローガンは「サラム・サヌン・セサン(人が暮らす世の中)」であり、大統領になってからも退任後も変わらぬ目標であった。2002年、盧武鉉は大統領選を制し、翌年1月、文在寅は、「権威主義の打破」を掲げる参与政府(盧武鉉政権)の民情首席秘書官就任を要請された。それは「君臨しない青瓦台」を作るためであった。文は、悩みに悩んだ末、民情首席秘書官だけで辞めること、政治家になれと言わないことを条件に引き受けた。
 任期初年の2003年、苦渋のイラク派兵を決めた。外交・国防・安保ラインは、韓国軍だけで1区域を担当して独自作戦を遂行できるようにするために「1万人以上(師団級)の戦闘部隊の派遣」を主張した。しかし、大統領の苦悩を熟知していたNSC(憲法に明示された機関で、安保・統一・外交に関する最高議決機構)事務処次長が妙案を出した。米国の派兵要求は受け入れるが、規模は最小限にし、非戦闘部隊3000人とする。つまり、戦闘作戦の遂行ではなく、戦後再建事業の支援とする「平和再建支援部隊」とすることであった。外交部が作成した派兵方針を発表する文案は「イラクの大量破壊兵器によって引き起こされた今般の戦争は正義の戦いであり、我々の派兵は今後の戦後復興事業などで有利な位置を占めることによって経済的にも大きく貢献する」などの内容が含まれていた。大統領は、「私にはこの戦争が正義の戦いであるかどうかわからない」と言って、その表現を使わせないようにした。また、「経済的に役立つかどうかもわからないが、経済的利益のためにわが国の若者たちを死地に追いやることはできない」とも言った。代わりに、国民には「朝鮮半島の平和と韓米同盟という現実的利害ゆえに派兵するのだ」と正直に発表するように指示した。
 任期末の韓米FTA(自由貿易協定)をめぐっては、世論も賛成と反対に二分された。大統領は、「商人の論理」を強調し、交渉チームに「交渉がうまくいっても、うまくいかなくても私の責任だ。本部長は商人の論理に徹して、交渉では韓米の同盟関係や政治的な要素については絶対に考えるな。すべての政治責任は私が取る」と100%国益を基準に考えることを求めた。交渉チームは「今晩、米国側が席を立っても私たちは一向に構わない」という姿勢を堅持し、譲歩カードを使うことなく合意に持ち込んでいる。
 米国との関係の2例を挙げたが、いずれも極めて「愛国」的である。国家経営、政権運営は、担当者個人の主義主張だけで断行できるものではない。しかし、個人の信念によって、現実には少なくない差が出てくるのも明らかなように思われる。ちなみに、米国が不義をなせば、「反米感情を少しもって何が悪い」という盧武鉉の有名な発言も、公正・公平に価値を置くリベラル層に健全と受け止められているという。

3 「キャンドル大統領」の「愛国」
 2012年大統領選で政権に就いた朴槿恵大統領は、国民統合、経済民主化という公約を反故にし、相次ぐ失政により政権の機能不全が露呈すると、外交面での2015年末「慰安婦問題合意」、THAAD(終末高高度防衛)ミサイル導入、開城公団閉鎖など国民の理解を得られない政策を強行しては、「北の脅威」を煽ることで状況を乗り切ろうとした。このような中、朴大統領の「友人」崔順実が国政に不当に介入し、権力を私物化するという「国政壟断」の事実が明るみに出た。国民によって選ばれた大統領が、実は一人では何もできない「操り人形」であることが明らかになったのだ。
 ソウルの光化門広場を始め、人々は各地でキャンドルを手に街へ繰り出し、「これが国か」というメッセージを投げかけた。集会は2016年秋から朴槿恵が弾劾される翌年3月まで続いた。デモに参加した1700万のキャンドル市民は、「国民が主人公となる政府」を求め、民主的参与権の平和的行使と平和的集会の自由という民主主義の根幹を体現したのである。ちなみに、韓国の憲法第1条は「大韓民国は民主共和国である」「主権は国民にあり、すべての権力は、国民から発する」と規定している。
 名門大学に不正入学した崔順実の娘は、「金持ちの親をもつのも実力」とSNSへ投稿し、これに憤慨する少女は、「誰よりも一所懸命働いているお父さん、お母さんが、貧しいという理由で子どもにすまないと思わなくてもいい社会へ」と書いて広場に残した。また、ある参加者は、「人をお金や利益に換算することなく」「激しい競争の中で、他人を踏み台にのし上がっていかないと生きていけない社会ではなく」「人間らしく生きられる世の中」を、と訴えた。これらは、キャンドルをもつ一市民として広場にいた文在寅の「人が先」という哲学そのものだった。
 高校生ら304人もの死者・行方不明者を出したセウオル号事件は、文在寅を再び政治の世界に召喚する契機となった。子どもたちを救えない国家、事故発覚から「7時間」何もしなかった大統領は、文在寅の存在を際立たせた。当時、光化門広場では事件の真相究明を求める集会が続いていた。文在寅は、遺族による長期のハンガーストに参加し、インタビューにこう答えている。「国民は多くの子どもたちがセウオル号とともに沈んでいくのを、なす術もなく見守ることしかできなかった。子どもを亡くし、真相究明のための法を求めて断食する父親が弱っていく姿を、またも傍観することはできない」と。
 2017年、文在寅は、その姿勢ゆえにキャンドル革命で大統領に押し上げられた。「就任の辞」では、「尊敬し、敬愛する国民の皆さん」と繰り返し呼びかけ、「大韓民国の偉大さは、国民の偉大さです」「苦しかった過去の日々において、国民は『これが国か』と問いました。大統領である文在寅は、まさにこの問いから始めます。今日から国を国らしくつくる大統領になります」「特権と反則のない世の中をつくります。常識どおりにする人が、きちんと利益を得られる世の中をつくります」「国民の悲しみの涙を拭う大統領になります」「2017年5月10日の今日、大韓民国が再出発します。国を国らしくつくる一大プロジェクトが始まるのです。この道をともに歩んでください。私の身命を賭して働きます」と締めくくられる。「国」は「国民」と同義であり、熱い「愛国」が語られている。

4 「愛国」の奪還
 盧武鉉や文在寅の「愛国」に接すると、その対極にある「安倍=日本会議政権」にむざむざ「愛国」を僭称させておくことに憤激を覚える。彼らは、まがうことなき「売国」である。私たち護憲派は、「愛国」を奪還しなければならない。

       【参考文献】
        琉球新報社『魂の政治家/沖縄県知事翁長雄志発言録』
        岩波書店『運命 文在寅自伝』

                        〔2018・11・21〕      

2018年11月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : henshu

国営「司法修習」の廃止について──「法科大学院」制度への責任

                             (弁護士 後藤富士子)
1 「法科大学院」創設と法曹養成制度
 2004年に「法科大学院」制度がスタートする前は、国営「統一修習」(裁判官、検事、弁護士の養成)だけが法曹養成制度であった。したがって、司法試験は、「司法修習生採用試験」であり、司法修習修了時の「二回試験」合格によって法曹資格が付与された。司法試験の受験資格についていえば、大学法学部履修はおろか大学卒業さえ要件とされていなかった。私自身が大学法学部を履修していないし、東大闘争の影響で卒業せず中退して司法修習生になった人もいる。
 しかし、法曹人口増員の流れの中で、既に修習期間短縮や多人数修習など、唯一の法曹養成制度である「統一修習」の機能不全が露呈していた。そこで、専門的な法曹教育により法曹の数と質を確保するために、法科大学院制度が創設された。すなわち、法科大学院制度は、旧制度に代わるべき「新しい法曹養成制度」として必然的に生まれたのである。
 ところが、法科大学院修了者が受ける「新司法試験」は、「司法修習生採用試験」であることに変わりはなかった。そのうえ、新司法試験の受験資格に「法科大学院修了」という要件が加えられた。但し、経過措置が必要であり、2010年までは旧試験(法科大学院修了を要しない)が行われることになった。さらに、経済的事情などで法科大学院に進学・修了できない者のために、旧試験が「予備試験」として併存することになった。
 その結果、法科大学院の数は創設時の6割に減り、47都道府県中33県(7割)に法科大学院が存在しなくなった。法科大学院受験出願者の数は激減し、法科大学院修了を受験要件としない「予備試験」に高校生、大学生、法科大学院生が殺到している。
 「時間もお金も節約できる」抜け道があれば、法科大学院を修了する意味は希薄化する。むしろ、若年の「一発勝負」試験合格者が、法曹資格を取得していく。旧制度に代わるべき「新しい法曹養成制度」として法科大学院制度が生まれたにもかかわらず、この有様はどうしたことか。
 考えてみれば、こうなるのは容易に予見できたことである。法科大学院は、統一修習に代わる法曹養成制度なのだから、法科大学院修了者に「司法修習生採用試験」を受験させること自体、制度矛盾である。法科大学院は「司法試験受験予備校」ではないのである。また、法科大学院修了を司法試験の受験要件としない道を残せば、法科大学院が回避されるのも当然である。そして、こうなったのは、偏に弁護士の「統一修習」への妄執が原因としか考えられない。
 
2 韓国のロースクール制度
 韓国では、金泳三大統領が、国際競争力を高めるために法曹人口増と専門性を備えた弁護士需要に応ずるためロースクール導入を決め、その延長線上に司法の民主化の中核となる法曹一元を予定し、経過的にキャリアシステムの下での弁護士からの裁判官任用を求めた。
 ロースクールの概要は、①ロースクールの設置は許可制で、その大学は法学部を廃止しなければならない、②ロースクールの定員は全体で2000名と定められ、修了者が受ける「弁護士試験」の合格者は75%(1500名)と決められている、③「弁護士試験」のほかに旧来の司法試験(合格率3%で日本の予備試験のようなもの)があるが、廃止の方向で議論されている、という。
 その後、2011年7月に「経歴法官制度」(裁判官は弁護士・検事などを10年以上経験した法曹から任用される制度。「法曹一元」ともいう)を制度化する法改正が行われ、2013年1月1日から実施された。経過措置を経て、2017年に司法修習制度と従来の司法試験制度が廃止され、法曹養成制度はロースクールに一本化されることになった。すなわち、ロースクール修了者が受験するのは「弁護士試験」であり、司法修習を要しないのである。
 なお、文在寅自伝『運命』によれば、文は、1982年8月、司法研修院を修了するにあたり判事を志望した。当時は司法試験の合格者数が多くなかった時代で、希望者全員が判事か検事になれたうえ、文は、成績は次席、修了式で法務部長官(法務大臣)賞をもらったから、判事に採用されない可能性など考えてもみなかった。ところが、学生時代にデモを主導して逮捕された経歴が問題とされ、判事任用の審査に落ちた。それを知って有名な複数の法律事務所から破格の報酬、アメリカ留学などのオファーを受けたが、実家の釜山に戻ることにし、盧武鉉と出会った。盧は、1946年に貧しい農家に生まれ、兄の援助で商業高校を卒業したが大学に進学できず、日雇い仕事などしながら独学で司法試験を目指し、29歳で合格した。司法研修院を修了して判事に任用され、78年に弁護士開業していた。

3 法科大学院生に給費奨学金を
 父母が北から南に避難してきて1953年に生れた文の家庭も貧しかった。72年慶煕大学法学部に入学し、75年学生運動を主導、維新憲法に反対するデモで逮捕され、大学を除籍される。強制徴集を受け兵役に就き、78年軍除隊。80年ソウルの春により慶煕大学に復学するも、反独裁民主化闘争で拘束され、留置所で司法試験合格の知らせを聞く。同年8月、大学卒業。その間、文はいろいろな奨学金を得ている。
 一方、盧は、82年に文と合同事務所を経営するようになるまでの数年間は弁護士として成功し、収入も豊かであった。しかし、文と合同事務所を経営するにあたって、事件紹介料や判事接待などの悪習を排除する「クリーンな弁護士」を標榜し、また、業務の専門化、分業化により事務所を大きくしていきたいと考えていた。そんな中、時代の要請ともいえる「時局事件」(労働公安事件、弾圧事件)が殺到し、弁護士事務所は地域の労働・人権センターのようになってしまった。さらに、盧は、労働問題専門の弁護士になることを決意し、事務所内に労働法律相談所まで作ってしまった。当時最も進歩的な労働法学者の論文集に助けられたものの、実際に直面するのはその論文集で取り上げられていない問題の方がずっと多く、結局、自分で勉強するほかなかったという。
 盧と文の弁護士としての「生き様」をみるにつけ、「法曹」の基本は弁護士であり、その数も多くなければ国民の需要に応えられないし、さらに、専門化や分業化が必要ということを痛感する。それを「法曹養成制度」の設計図に落としてみれば、法科大学院になるはずである。
 すなわち、法科大学院修了者が受けるべき試験は「弁護士試験」であり、司法修習は無用である。そして、法科大学院で高い志と専門技能を備える多様な法曹を養成するためには、給費奨学金の充実が不可欠である。一方、現行の司法修習生に対する「給費」は、社会的身分に伴う類例のない特権的優遇であり、憲法14条に違反するのではなかろうか。
 
                      〔2018・11・12〕      

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2018年11月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : henshu

憲法9条の「主語」は誰か?――日本国憲法における国民の主体性

                           (弁護士 後藤富士子)

1 日本国民の信念と決意 ― 憲法前文
 日本国憲法は、日本国民の総意に基づく新日本建設の礎として、帝国議会の議決を経た大日本帝国憲法の改正を昭和天皇が裁可し、昭和21年11月3日に公布されたものである。
 その前文で、日本国民は、1つの信念と3つの決意を表明している。
 まず、第1の決意は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること、である(第1段落)。
 第2の決意は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持すること、である(第2段落)。
 そして、信念は、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である」というものである(第3段落)。
 最後の決意は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することの誓い、である(第4段落)。

2 憲法9条で日本国民が宣言した内容
 憲法9条の「主語」は、1項2項を通じて、「日本国民」である。そして、日本国民が9条で宣明した内容を箇条書きにすると、次のとおりである。
(1) 正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。
(2) 国際紛争を解決する手段として、①国権の発動たる戦争、②武力による威嚇、③武力の行使、の永久放棄。
(3) 前記(2)の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持しない。
(4) 国の交戦権は認めない。

3 安倍9条改憲(案)
  現在の9条1項2項には手を触れず、「9条の2」として次のような条文を加えるという。
(1) 第1項は、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を執ることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」
(2) 第2項は、「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」
 ここでは、9条の「主語」である「日本国民」が消えている。
 そうすると、どういうことになるのか。
 日本国民は、諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持することを決意し(前文第2段落)、国際紛争を解決する手段として、①国権の発動たる戦争、②武力による威嚇、③武力の行使を永久に放棄した(9条1項)。また、自国の主権を維持するには、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という普遍的な政治道徳の法則に従うと宣明している(前文第3段落)。さらに、日本国民は、陸海空軍その他の戦力を保持しないとも宣明している(9条2項)。
 しかるに、同じ「日本国民」が他方で、「9条の2」によって、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な実力組織として自衛隊を保持する」などという、全く相容れないことを表明することになる。ちなみに、自衛隊は、国連海洋法条約で「軍隊」と定義されている。保持しないと宣明した自衛隊の行動を、「9条の2」の第2項で「法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」と、猿芝居のような「シビリアン・コントロール」をかけているつもりのようである。
 すなわち、「安倍9条改憲」は、日本国民をジキル・ハイドのような二重人格者に貶めるものである。また、安倍首相は、臨時国会の所信表明演説で、「国家の理想を語るのが憲法」と述べているが、日本国民は、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ことを誓っている(前文第4段落)。これを否定して、安倍首相の「国家の理想」を国民に強要して、日本国民の名誉を台無しにしようというのである。こうなると、安倍首相は、もはや「国賊」というほかない。

4 「9条主体名誉裁判」を闘おう!
 「安倍改憲」の本質は、「立憲主義」というより「法治主義」の問題であると思われる。そして、素晴らしい日本国憲法の主体である日本国民の一人として、この憲法を誇りに思う。それを、あまりにも低能な「日本語」の濫用によって、日本国民の名誉を完膚なきまで毀損しようとする「安倍9条改憲」は、許すことができない。
 そこで、安倍晋三首相個人と自由民主党を被告にして、名誉毀損の損害賠償訴訟を提起しようではないか。原告は、日本国民なら誰でもなれる。自民党が改憲案を国会に提出したら、直ちに提訴できるように準備したい。
 「国会の発議を阻止する」などといっていたら、改憲を阻止することはできない。「国会の議決」という正当性が付与される段階に勝負を構える前に、提案者の責任を徹底的に追及すべきである。そして、そのことこそ、「国会の発議を阻止する」力にほかならない。

                           (2018.11.5) 

2018年11月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : henshu

憲法9条2項と自衛隊――法律文言のメルトダウン

                       (弁護士 後藤富士子)

1 去る10月10~14日に韓国済州島で「国際観艦式」が開かれた。日本は自衛艦旗をめぐる悶着が原因で、参加を中止した。自衛艦旗の「旭日旗」は旧日本軍で使われたもの。だから韓国内にはこの旗に対して「日本軍国主義の象徴」との批判があり、日本に自衛艦旗を使わないよう間接的に要請したのである。
 自衛艦旗は、国連海洋法条約で掲揚を義務付けられている、所属を示す「外部標識」である。日本は当初、旭日旗を掲げて参加する方針であった。しかし、韓国世論が「戦犯国の戦犯旗だ」などと「旭日旗」に対する抵抗が強かったこともあって、「旭日旗を降ろすなら参加しない」と参加を見送った。
 ところで、問題の国連海洋法条約29条は「軍艦」の定義規定であり、「この条約の適用上、『軍艦』とは、一の国の軍隊に属する船舶であって、当該国の国籍を有するそのような船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿又はこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ、正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているものをいう。」と定められている。すなわち、「自衛艦」は、国際法上「軍艦」にほかならない。そうすると、自衛隊も「軍隊」ということになる。

2 日本国憲法9条1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定め、第2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と定めている。すなわち、9条2項によれば、自衛隊は「軍隊」であってはならない、のである。一方、国際法上、自衛隊は「軍隊」である。
 こうなると、憲法9条2項は法規範として死滅している。法律文言のメルトダウン!

3 同じような「法律文言のメルトダウン」現象は、日本では随所に見られ、法治国家というより「放置国家」の様相が顕著である。
 たとえば、民法818条3項で「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」と定められているのに、ある日突然に妻が子どもを拉致同然に連れ去って父子関係を断絶させても、父の親権妨害として不法行為責任が追及されることはない。それどころか、離婚後の単独親権者指定に際しては、連れ去った親が「監護の継続性」を理由に、親権者と指定される。むしろ、離婚後の単独親権者指定を目指して、離婚前の婚姻中に「連れ去り」「引き離し」をするのである。こうなると、民法818条3項の規定はメルトダウンしてしまう。
 また、婚姻費用分担について、民法760条は「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。」と定めている。ところが、実務では、収入だけで算出する「標準算定方式」という「算定表」で決する。すなわち、「資産」も「その他一切の事情」も考慮されないのだから、条文がメルトダウン。
 さらに、離婚に伴う財産分与について、夫婦間で協議が調わない場合、民法768条3項は「家庭裁判所は、当事者双方がその協力によって得た財産の額その他一切の事情を考慮して、分与させるべきかどうか並びに分与の額及び方法を定める。」と規定している。しかるに、実務では、「婚姻関係財産一覧表」を作成させて、夫婦の財産の合計の半分から分与をうける側の財産を控除した残額を分与させる。つまり、機械的に夫婦の名義の財産を2分の1に清算するのである。ここでも、条文がメルトダウン。
 憲法でも、同じ現象がある。憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めている。しかるに、裁判所法では、司法修習を終えて採用される裁判官を「判事補」とし、27条で、判事補は、「他の法律に特別の定めのある場合を除いて、一人で裁判をすることができない」とか、「同時に二人以上合議体に加わり、又は裁判長となることができない」と規定されている。すなわち、日本では、憲法76条3項の裁判官ではない「裁判官」が存在するのである。
 このように条文がメルトダウンしたのでは、「法の支配」も「法治」もあり得ない。

4 ところで、安倍政権は、憲法9条について改正を企図している。まず、9条1項2項には手を触れず、「9条の2」として次のような条文を加えるという。その1項は「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を執ることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」とし、第2項は「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」である。
 すなわち、自衛隊は「自衛の措置をとるための実力組織」であって、9条2項が保持しないとしている「軍隊」ではない、という論理である。だからこそ、安倍首相は、「自衛隊を憲法に明記するだけで何も変わらない」と説明するのである。
 しかし、少なくとも国際法上、自衛隊は「軍隊」である。したがって、国際法上の「軍隊」を国内法で「自衛の措置をとるための実力組織」と言い換えても、「軍隊」でなくなるはずがない。このような、法律文言をメルトダウンさせることが横行したのでは、もはや日本は法治国家とはいえない。
 「安倍改憲」問題は、根の深いところで、私たち市民の日常生活を律する法規範のメルトダウンと繋がっているのである。

                           (2018.11.2) 

2018年11月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : henshu