「共同親権制の導入」か、「単独親権制の廃止」か?

(弁護士 後藤富士子)

1 民法は、父母が婚姻中のみ共同親権としており、父母が法律婚をしていない場合や離婚した場合、父母のどちらか片方の単独親権としている。婚姻中のみであっても父母の共同親権とされたのは、単に「両性の平等」というだけでなく、それが「子の福祉」に適うと考えられたからである。その根本には、「家」制度が否定され、夫婦・親子という家族構成員個人が尊重される「家庭」が措定されている(憲法24条)。
 一方、未婚や子の出生前に父母が離婚したときには、一義的に子を産んだ母の単独親権とされ、父母の協議または家裁の審判により父を親権者とすることができるが、いずれにせよ単独親権である。この場合、子が生まれた時点で父母が法律上の夫婦でないために、共同親権を是とする「家庭」が存在しない。これに対し、子が生まれた後に父母が離婚した場合、共同親権から単独親権に変更される。この場合には、共同親権を是としていた「家庭」が消失するのである。
 すなわち、共同親権か単独親権かの区別は、専ら父母が法律婚関係にあるか否かによっている。それは、法律婚のみを「正統な家庭」とみなし、「家庭の在り方」の多様性を許容しない。だから、父母が法律婚関係になくても、実質的に共同親権行使が可能か否かは一顧だにされない。そして、父母が法律婚関係にない場合には、法制度として単独親権制こそが子の福祉に適うと擬制されている。
 しかしながら、これでは、父母が法律婚関係にあるか否かで親権について極端な差を設けることになり、父母にとっても、子にとっても、社会的身分により社会的関係において差別されることにほかならず、憲法14条に違反する。また、別の視点でみれば、離婚や未婚を「家庭の在り方」として異端視することでもあり、個人の尊重と幸福追求権を定めた憲法13条にも違反する。

2 父母が婚姻中は共同親権とされたのは、それが子の福祉に適うとされたからである。それでは、父母が法律婚関係にない場合には、共同親権は例外なく子の福祉に反するのであろうか?
 1985年に日本でも発効した女性差別撤廃条約16条1項(d)は、子に関する事項についての親(婚姻をしているかいないかを問わない)としての同一の権利及び責任を定め、あらゆる場合において、子の利益は至上である、としている。また、1994年に日本でも発効した児童の権利条約18条では、①子どもの第一次的養育責任は親にあり、国はその責任の遂行を援助する立場にあるとする基本原理を定め、②子どもの発達・養育に対しては、親双方が共同の責任を有するとしている。
 これらの規定からすれば、父母が法律婚関係にないからといって共同親権制が排除される理由はなく、むしろ共同養育が子の福祉に適うと前提されている。そのうえで、親権の行使が子の福祉に反する場合には、父母が法律婚関係にあるか否かに関わらず、また、共同親権であるか単独親権であるかに関わらず、国の介入が認められる。実際、民法でも、親権喪失・停止や管理権喪失の審判が制度化されているが、離婚が親権喪失事由とはされていない。
 しかるに、婚姻中は父母の共同親権であったものが離婚により単独親権となるのは、父母のどちらか片方について離婚を親権喪失事由とするものであって、「子の福祉」が論じられる余地がない。換言すると、婚姻中は父母の共同親権が子の福祉に適うとされているのに、離婚によって単独親権となることが子の福祉に適うと論証することは不可能である。

3 ところで、昨年7月17日の記者会見で、上川陽子法務大臣は「親子法制の諸課題について、離婚後単独親権制度の見直しも含めて、広く検討していきたいと考えています」と述べた。私は、「離婚後単独親権制度の見直し」=「離婚後単独親権制の廃止」と受け止めたが、憲法学の木村草太教授は「共同親権制度導入」と言い換えて論難している。
 私がこの10年余り主張してきたのは、「離婚後単独親権制の廃止」である。それは、ある日突然に妻が幼い子を連れて失踪する「離婚事件」が頻発し、離婚紛争として想像を絶する悲惨な家庭破壊・人間破壊が繰り広げられるのを目の当たりにしたからである。すなわち、離婚が成立していないのに、事実上片親の親権行使が不可能になる事態が生じ、「婚姻中は父母の共同親権」という民法の規定は踏みにじられる。しかも、裁判所がそれを違法としないばかりか、離婚判決では連れ去った親を単独親権者に指定するのである。こうなると、「離婚後の共同親権制導入」などと寝言を言ってはいられない。「単独親権制の前倒し」を止めさせるしかないのである。しかし、離婚前に子を連れ去るのは、離婚後の単独親権者になるためである。したがって、「離婚後単独親権制」がある限り、「連れ去り」「引き離し」の横行を防ぐことはできない。
 また、離婚後単独親権制では、離婚と単独親権者指定が同時決着しなければならない。そのことが、離婚紛争の解決手続を荒廃させ、親にも子にも全く理不尽な辛苦を強いている。この理不尽で不合理な手続を解消するためには、離婚後単独親権制を廃止すれば足りる。すなわち、離婚後の共同親権の具体的なあり方について、家裁の手続により解決すればよいのである。民法766条は、それを想定している。
 こうしてみると、「共同親権制度の導入」と「単独親権制の廃止」と、問の立て方によって答えが正反対になりうることが見て取れる。実際に生起する「リアル」に基づいて論理を構築しなければ、理屈だけの「バーチャル」に打ち勝つことはできない。法律には素人の当事者が、「離婚後単独親権制の廃止」(民法改正)という正確な目標を掲げて運動することが極めて大切と思われる。

〔2019・4・7〕

2019年4月8日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 後藤富士子

自滅する「法科大学院」 ── 「法曹三者」養成との矛盾

(弁護士 後藤富士子)

1 「法曹コース」「在学中受験」への法改正が意味するもの
 「法科大学院」は、多様な経歴をもつ法曹(裁判官、検察官、弁護士)の育成を目指し、実務を担う専門職大学院として2004年以降に74校が開校した。法学部出身者らが進む既修者コース(2年間)のほか、未修者コース(3年間)もあり、他学部出身者や社会人も受け容れる。修了すれば司法試験の受験資格を得られるが、司法試験の合格率が低迷する中、志願者の減少で定員割れが深刻化し、本年3月までに39校が廃止や学生募集停止を決めている。
 この惨状に照らし、政府は、3月12日、法科大学院の最終学年で司法試験が受験できるようにするなど法曹養成に関する改正法案を一括して閣議決定した。最短5年で法学部入学から法科大学院修了に至る「法曹コース」も導入。受験生の時間的、経済的負担を軽減し、法曹の志願者減に歯止めをかける狙いという。
 しかし、司法試験受験生の時間的・経済的負担という見地からすれば、そもそも法科大学院の創設は、反対に負担が加重になる制度であった。だから、法科大学院を回避して予備試験が繁盛するのも当然である。

2 「法科大学院」が内蔵する制度的矛盾
 そもそも法科大学院が設置されたのは、法律家たる者は「大学院」の高度な専門教育によって養成されるべきだというのが原点である。
 実際、アメリカのロースクール制度をみれば、4年制の大学教育を受けた後に進学するものであり、4年制の大学には法学部がないから、「多様性」と「専門性」が制度自体に内蔵されている。そして、司法試験は、ロースクールの修了試験のようなもので、弁護士試験である。すなわち、ロースクール制度においては、裁判官・検察官・弁護士という「法曹三者」の育成を目的としていない。これを「出口」から見ると、裁判官は弁護士有資格者で経験を積んだ者の中から「成熟した法律家」が選任されるという「法曹一元」制度に直結している。
 ちなみに、韓国でも、ロースクール制度と法曹一元制度がセットになって実現している。ロースクールを設置する大学は法学部を廃止しなければならないし、修了者が受ける司法試験は「弁護士試験」である。「法曹三者」の育成を目的とする司法修習制度も廃止され、弁護士有資格者で経験を積んだ者の中から「成熟した法律家」として裁判官が選任される「法曹一元」制度に移行したのである。
 これに比べ、日本の法科大学院は、4年制の法学部を修了した者に「既修コース」のメリットを付与するだけのもので、法学部と連結されている限り「多様性」は期待できなかった。そして、何よりも問題なのは、司法試験が「司法修習生採用試験」であることにある。司法修習制度は「法曹三者」の育成を目的としており、修了者の中から「官僚司法の担い手」として適任者が「判事補」という半人前の裁判官に採用される。このように、「法学部」と「司法修習」に挟まれて法科大学院を設置したのだから、最初から制度的矛盾を抱えていたのである。
 私は、制度設計段階で、「統一修習廃止」「法科大学院生に給費奨学金を」と主張していた。だからこそ、いずれ法科大学院は行き詰るであろうと予見していたが、まさか「元の木阿弥」の方向へ向かうとは考えなかった。それは、「法曹人口増大」という基盤さえできれば、そこから生まれる「法律家」によって「統一修習廃止」と「法曹一元実現」に向かうはずだ、と考えたからである。すなわち、法科大学院こそ純化されて発展し、それが必然的に「統一修習廃止」と「法曹一元実現」を帰結すると期待された。
 しかるに、私が期待した方向で矛盾が止揚されるのではなく、法科大学院が自滅する方向に向かっている。その根幹にあるのは、「国営統一修習」に固執し、司法試験合格者減員を主張してやまない、弁護士の特権依存的体質ではないかと思われる。

3 裁判における「リアル」と「バーチャル」
 2014年5月21日に大飯原発の運転差止を命じた福井地裁の樋口英明・元裁判官は、「危険性に注目すれば結論は明らか」と述べている(週刊金曜日2019.3.15号)。ここでいう危険とは、事故被害の大きさだけでなく、事故の発生確率が高いことである。しかるに、多くの裁判官は、現実的な危険性の有無に目を向けないで、従前の裁判例を踏襲して「規制基準の辻褄が合っているかどうか」に着目している。しかも、踏襲される伊方原発に係る最高裁判決(1992年10月29日)の理解が間違っているという。すなわち、「規制基準の辻褄が合っているかどうか判断する」のではなく、「規制基準が真に国民の安全を確保する内容になっているかを裁判所が確認しなさい、それが確認できなければ住民側が勝つのだ」と言っていると樋口氏は解釈している。
 また、伊方最高裁判決が原発は専門技術訴訟だと指摘し、現在の法体系が原子力規制委員会に大きな権限を与えているため司法消極主義になりがちである点について、樋口氏は、その枠組みに立っても「司法が口出しできるほどおかしい」という立場があっていいはずだという。現に、樋口氏も大飯原発訴訟を担当するまで原発のことは全く知らないまま争点予想を立て、「震度7の地震に原発が耐えられるか」という耐震性に関わる専門性の高い論争になると考えていた。ところが、被告側は「将来にわたって原発の敷地には強い地震は来ない」と主張していたので、樋口氏は「えっ、強い地震が来ないなんて断言できるの」と驚いた。換言すると、「強い地震に原発は耐えられない」ことは前提とされており、「専門技術」訴訟というより、「強い地震は来ない」と断言できるかを判断すれば足りることになる。それで、審理の比較的早い段階で大飯原発が危険であることが分かったという。ちなみに、大飯原発の判決時の基準地震動は700ガルであり、日常的に起きているM5クラスでも700ガルを超えるのである。
 樋口氏は、大飯原発の基準地震動を超える地震が現に発生していたことを重視して「恐ろしい」と思うのが科学だという。ややこしい計算式で緻密そうに見える議論は単なる仮説にすぎないことを認識する大切さを、「私たちの命や生活をロシアンルーレットにまかせるわけにはいかない」と表現している。そして、原発を徐々に減らすという考えは一見穏当そうだが、次の地震の発生場所がわからない以上、この考えを採ることはできないとして、全原発の即時停止を求めている。民主主義の原理に照らせば、国民の過半数が全原発の即時停止を求めれば、全原発は止まるのである。
 法的紛争における真の争点が何かを、理性的にも感性的にも認識できる法律家の存在こそ希望である。法科大学院が、そのような法律家を社会に送り出す基地となることを願ってやまない。

〔2019・3・28〕

2019年3月29日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 後藤富士子

2015年 多摩川45キロウオーキング参加記

20151231多摩川45キロウォークこの年になると日々にわが身の老化が感じられる。腰がまがる、足元がふらつく。手すりなしには危なくて階段を下りることができない。<昨日できたこと明日できると思えば大間違いだ! >、だが他方で、<すべてが一度に変わることもない>。この矛盾した考えのなかで、10月17日(土)多摩川45kウオーキングを迎えた。

1週間まえに、マイクロバスの旅行に誘われ栃木の方に行ってきた。帰途、ながく座っていたためか右の股関節に違和感がうまれ、それが右膝頭の痛みになり、さらにそれが左膝に移ったのが、やっと消えた。

JR五反田駅のホームで5:00に娘と待合わせ、中央線快速をへて、青梅線の羽村駅で下り、小雨の駅前コンビニで明日の朝と昼のおむすびや稲荷、パン、お茶など2人分、1,480円を買い、予約していたプラザイン羽村で、個室@6、100円、2人で計12,200円を払った。このホテルのバイキングは@1,200円と大衆的で、トマト、胡瓜などの生野菜に、南瓜はフライ、蓮根は酢のもの、ポテトサラダ、ビーフン、さばの煮付け、鶏の唐揚げ、うずら金時、シュウマイ、餃子、春巻き……と、日頃自炊の定番と異なる小物がたくさんあるので、それを肴に、生ビールで乾杯し、なくなればまた皿にとり、仕上げは山菜ご飯とシジミの味噌汁、そしてコーヒー。2人で計3,780円だった。

21:50に消灯24:00に小用、そのあと目が冴えて眠れぬまま2:30に小用、恐怖に震えた。いつものインスタントではなく、レギュラーコーヒーを飲んだためか、3年前、千葉の土気で12時間耐久レースに参加したとき、前夜に一寝入りしたあと一睡もできないまま朝を迎えたことを思いだした。<神頼みをしても、羊の数を数えても、いつ眠りに入るかは誰にも分からない>と脅えながら、幸いにとろとろと眠り込み、4:40にカウンターからのベルで目覚めた。5:00にホテルの玄関を出るとき昨夜からの小雨のためにリュックの上からビニールのレインコートを被ったが、小糠雨にぬれたまま出て行くグループもあった。5:30のスタートに遅れないよう、まだ暗く人気のない街道の赤信号を渡っていると、後ろから「だめだよ!信号を無視しちゃあ」と怒鳴られた。ポリスかな、案内人かなと娘と話していると、後ろから追いついてきた男が「ウオーキングに参加するものがルールを守らなくてどうする!」とまた怒鳴って追い越していった。ただの参加者のようだった。悪い幕開けだ。

昨年は迷ってしまった夜道を、案内の看板をたよりに羽村取水堰玉川兄弟像にたどりつき、もう列をつくっている20人ほどの後に並ぶと、朝の弁当を食べる場所を目でさがし、東屋の庇のかげの腰掛けで、鮭の入ったむすびを1つ食べたところで列が動き出し、昆布の入ったむすびを食べながら、娘が順番をとっている列にもどった。

のろのろとした受付を終え、コースの地図と水をもらい、45kmコースと印刷されたゼッケンを安全ピンでリュックに付けたが、スタートの位置が分からない。「どこから出るの?」「赤いランプがあるでしょう」と係員が言うが、そのランプが見つからない。娘は係の人に何やら尋ねている風。やっと娘がよってきて「ランプはあそこよ」。スタートのラインを超えたのは5:40だった。小雨のせいか先をゆく人も、後の人もすくない。ポールをこのウオーキングで使うのは初めて。右側を流れる多摩川に朝靄が立っているようだが、それを確かめる余裕もない。レインコートに蒸されながら歩いていると、娘が「パパ1k、14分よ」。言われて愕然。「水をのむ?」「また後で」。

スタート5:30、ゴールは16:00。この10時間30分を45kで割ると1kちょうど14分。前半は1k12分以内が目安だ。この3月の伊豆大島マラソンで最初の5キロは55分だっことを思い、心が青ざめた。<やはり日々に老化している!>。

道は小さな公園に入り、舗道の水溜まりを避け、道の端の段差に足を掛けたり、ぬれた芝生を横切ったりしなければならず、両手のポールで慎重に転倒をふせぐ。急いだつもりなのに、この1kは13分、次の1kがやっと12分。見通しは暗い。雨が上がり、娘が後ろからレインコートを脱がせてくれ、彼女の手持ちのバッグに入れた。レインコートを脱ぐと身体と気分が晴れる。

また雨がふりはじめた。レインコートを歩きながら着せてもらい、思いは沈んだ。<加齢とともに速度が衰えるのは神の摂理だ。ウオーキングに挑戦できただけでも幸福と思わねばならない>。そう考えても心は晴れない。<先輩として若い人に大切にしてもらっているが、それもフルマラソン完走で重みが加わっている。このウオーキングでゴールできなければ、その重みも失われるだろう>。腰が曲がり、ひょろひょろ歩く情けない自分の姿を一瞬思い浮かべ、<命長ければ恥多し>、もう生きたくないような気になった。「最初の10分のロスは痛いね。まだスタートではないと思っていたの」と娘が悔む。速度を持続できれば10分のロスは取り返せるのだが。

雨が弱まり、中年で小柄な人としばらく並行した。<この人に付いて行こう>。昔のマラソンの記憶がよみがえった。スタートの号砲が鳴ると、みんな一斉に矢のように走りだし、その後に残されたランナーのなかで、ゆっくりと安定した速度の人を見つけて、その後につく。ここで離されればゴールは望めぬと、死に物狂いでついてゆく。5kごとのテーブルに、ランナーが立寄って水をのめば、それをチャンスに追い越して束の間のゆとりを楽しみ、やがてまた追いつかれる。

今は、黒いズボン、黒いジャンバー、灰色の帽子をかぶったその中年のランナーの足元を見つめ脇目もふらずについてゆく。五日市線の鉄橋下を通るとき、彼は橋を下からカメラで写していた、土木関係の人なのだろうか。そのとき彼を追い越し、助かった思いで歩き続ける。そのあとは1k12分が続いた。わずかに希望が湧いてきた。

少しでも気を緩めると、追いついた彼に間を空けられる。そこで彼のリズムに合せながら、やや大股にあるくと楽な気がした。しばく行くとまた離されたので小走りで後についた。すると歩くよりも、マラソンの小走りに慣れている気がした。

河川敷が行き詰って堤防にあがる階段では、両手のポールを支えに、一段ずつやっと上がらなければならない。堤防の上にあがると、後ろに参加者が三々五々に続いているのが見えたが、ここで先行者に離されたので、また追いすがる。

しばらくして今度は河川敷におりて、丈の高い草の間をぬけるコースに入った。多摩川緑地の30kコース・スタートの地点だ。先行者のかがとを見つめ、根をつめて歩いているうち、右膝頭に痛みがでた。右足を引きずる最悪の事態が脳裡をかすめる。<栃木の旅行の疲れがでたのか>。すると今度はその膝の力が抜けて空をふむ気がする。幸い大事にはならないようだが、気にすると、また痛む。30kスタート地点にはいると、去年は草地に寝転がって腰を伸ばしたが、今年は小雨が降っているので、それができず、立ち止まってポールを支えに腰をのばし、娘の出してくれたポカリスエットを4口5口飲み干して、彼を見ると、立ち止まりもせずに草地をぬけてゆく。あわてて娘とふたり、その後を追う。草地の一角にあつまっている人々は30kコース参加者のようだ。

30kコースのスタート地点となれば、すでに15k歩いている計算になる。ところが注意して見てきた路上の距離表はまだ15kになっていない。<どうせいい加減なんだから!>。昨年はこれで失敗した。ゴールの手前、最後の15kほどのところで、突然、旗をもったガイドに「48kコースの人はこの橋をわたって対岸に行き、次の橋でこちらの岸にもどり、その次の橋で対岸にゆき、その後こちらの岸にもどってください」といわれたのだ。これでがっくりきて意欲を失い、ついにタイムオーバー、失格となってしまった。

今年は去年より3k少ない45kコースに修正されているが、この後どうなるのか不安をかかえたまま、しばらくゆくと木の吊橋があった。去年はここで橋板のわずかな段差につまずき、他愛なく転倒、娘と鳥丸さんに手をとって起こしてもらった。警戒しながら橋をわたると、コースのなかでここだけ街中を通るせまい道で、タクシーをやっと避けられるほどだ。そこを抜けると多摩川の堤防にでる。

多摩川緑地で私たちを置き去りにした彼の姿はもう見つからない。雨はあがり明るくなりはじめコートを脱いだ。そこからが長い長い堤防上の道だ。30kコースのゼッケンをつけた若い男女に追い抜かれる。去年はこの道をサイクリストが猛烈なスピード走りぬけていた。今年は雨のせいか大学のランナーが一団となって駆け抜けるだけ。それでもぶつかると跳ねとばされかねない勢いがある。

腰が曲がっているため、はるか先のもやのなかの南武線鉄橋を上目に見て歩く。私はいつも朝食なしだが、腹がへっては歩けないので、早めの食事にした。娘が手提げからお稲荷さんを出し、関戸橋のトンネルに身をよせて食べると、ほのかな甘み、適度のしめり、さわやかな歯切れで、一つの稲荷を3口で食べた。この後は先で、と思っていたが、2度手間になるので、もう一つをついでに食べた。娘の出してくれるポカリスエットで口をゆすいだ。

元気をつけて歩いていると中年で大柄の太った男性がゆっくりと私たちに追いついてきた。しばらく並行して歩いているうち、この人の後につくことにした。彼のリュックには35kmコースのゼッケンが着いていたが、太っているので速度の上がる心配はないだろう。南武線の鉄橋を過ぎ、是政橋のたもとを過ぎ、稲城大橋を過ぎると、多摩川にそそぐ支流の橋にかかった。去年はこの橋の欄干で腰を伸ばしたものだが、今年はポールを使っているのでそのまま通り過ぎ、多摩川原橋の手前で河川敷におりると、ほどなく去年17kコースのスタート地点だった多摩川児童公園に入る(今年は17kmコースがなくなっていた)。去年はここで草地にすわって昼食を食べたが、今年はタイムオーバーを恐れて素通りすると、小石まじりで歩きにくい道になる。雨は上がり、陽が射してきた。コースは再び堤防に上がり、前方を見晴らすが、次の橋、いつもマラソン練習で親しんでいる多摩水道橋が見当たらない。多摩川が湾曲していているせいだ。

できるだけ早く多摩水道橋に着きたい。そしてゴール前の1~2kは余裕をもち、回りの景色を楽しみながら歩きたい。そのためには今のうちにできるだけ時間を稼がなければならない。2年前、あのときは50kmコースの設定だったが、多摩川大橋を折返してガス橋のゴールに向かったときは、娘と二人、河川敷の草を踏み、西に傾く陽にてらされながら、余裕をもって歩いた。三々五々、これから折り返しにむかう人たちとも行き合い、ゴールに入ったのはリミットの25分前だった。

堤防の並木の陰にいくつかのベンチがあり、そこに腰掛けている人々がいる。めざす多摩水道橋が見当たらず、疲れはてて立ち止まり、ポールを支えに一休みし、「お昼にしよう」娘を誘った。人のいないベンチを探し、いま出ていった人の後に腰を下ろし、足をのばす。

娘が手提げから出した赤飯のお結びと巻き寿司、お稲荷さんを食べると、よろよろしながら並木の陰で用をたし、すぐに出発する。あの先行者は私たちがやすむ前にどこかに寄り道して姿が見えなくなっていた。まえを歩いている中年の女性が、歩度を緩めながら、スタート地点でもらったコースマップを見ている。「多摩水道橋が見えませんね」と声をかけると「心配なんです」という。関門があって、そこを12:30までに通過しないと失格すると書いてあるという。それは初耳だ。そのマップをちらっと見て「もうずっと前に通過しましたよ」と言ってはみたものの、娘が手提げからマップを取り出して、関門の場所が良く分からないと言うのをきくと、つい不安になってしまった。時刻はまさに12:30になろうとしている。前方の三叉路に小旗をもった女性がいる。もしやあれが関門? 娘が小走りに駆けて行き、言葉を交わしていたが、こちらを見てにっこり笑った。もう関門は通過しているというのだ。40分ほどまえに通り過ぎた多摩川児童公園の近くにあったのだそうだが、通るときには何も気づかなかった。

三人で「良かった」と喜びながら歩いていると、ようやく見慣れた多摩水道橋が見えた。橋のたもとのトンネルをくぐり抜けたのは12:44。ここから二子橋まで5k、そこから丸子橋まで5k、さらにガス橋まで3kほど。ガス橋のどの辺りにゴールがあるか分からないが1k12分で行けばゴール時間の4時を30分前にクリアできそうだが、練習のとき、このコースは1kに16分かかっている。そのペースだと3時間28分かかり、28分のタイムオーバーになる。最後の1、2kmは余裕をもって景色を見ながら歩きたい、その思いは適いそうもない。

「どう?ゴールできそう?」娘が聞いた。「うーん、かつがつだ。この後は回り道を指示されても、もう二度と回らないよ!」と去年の悔しさが残っている。

コースは河川敷に下り、ほどなく狛江水辺の林のなかの土の道になると、主催者は気づかなかっただろうが、道は泥んこ、大きな水溜まりの縁を転ばぬように注意して行かねばならず、その先は犬1匹がやっと通りそうな小道で、濡れた草を踏み分ける。小道をでると警視庁のオートバイ練習場にそった運動場がひらける。「ちょっと寄るから先に行っといて」。簡易トイレを見つけて娘が近づくが扉に錠がかかっている。しばらく行って見つけたトイレにも錠。運動場をすぎると緑の原っぱで、先行者たちは野原の先の薮のなかに消えてしまった。薮のなかに小道を見つけ、高台になった河川敷に上り、そこを抜けるとラグビー場と2面の野球場がある。そこのトイレは開いていた。

娘のリュックと手提げをあずかり長椅子に腰掛けて束の間、足を休めた。用を足した娘とつれだってすすむと、サッカー場、テニスコート、5面の野球場をもつ世田谷区立の公園に入り、勝手を知ってる道なので大曲している参加者を横目に、芝生のなかを突っきり、やがて兵庫橋を渡って二子橋にでると14:11で、予定を大分オーバーした。新たに整地された多摩川台公園の道は歩みやすく、ここぞとばかり息をととのえ歩を速める。この先に「残り約5km!がんばろう」マップに書かれた地点があると娘がいう。公園を抜けると道は小石まじりで歩きにくい。去年、監視員に迫られてリタイヤした場所のあたりでは息が苦しく、<こんなに無理していいんだろうか>、と一瞬、恐怖に襲われた。「昨日まで元気そうだったのに急にポックリ逝くなんて!」。そんな噂が耳に聞こえた。思わず、立ち止まって息をつく。「ちょっと休憩しようか」。去年、座り込んだコンクリの台に身体をあずけ、娘のだしてくれたポカリスエットで喉をうるおす。大柄な夫婦が目のまえを行過ぎる。「みんな元気だなあ!」とつぶやいて後方をみると参加者がまだまだ散り散りに続いているが、気を許してはいられない。去年はリタイヤして、足を引きずりながら歩いた巨人多摩川練習場に沿った大きな曲がりを終えて、娘が小柄な監視員に後何キロかたずねた。これは半ば真面目に半ば気休めに聞くのだ。監視員に「あと5k」と言われてがっかりした。これはでたらめだ。今年初めてこの催しの協賛団体になった札付きの産経新聞のせいに思わずしてしまった。これまで経験した普通の新聞の共催するマラソン大会でこんないい加減なことはなかった。

調布取水堰に止められて水量豊かな岸に沿って新たにつくられた道をぬけ、丸子橋の下をくぐったところで娘が監視員に聞くと「あと3k」だった。「ここからゴール見えますか?」と問い直したが、歩きながらなので返事はなかった。

前方に白い横断幕があり、これかと思って近づくとどこかの学校の運動場の表示だった。丸子橋のたもとを過ぎたのが15:20、あとタイムリミットは40分ほどだ。私のせいで娘を失格させたくない。「あと10分したら、あなただけ先に行ってゴールして!」と娘に言うと、「うーん」と煮え切らない返事。

「パパ、速いよ1k12分できている」。

ゴールらしい天幕がようやく前方に見えてきた。タイムリミットまで15分になった。「かまわず先に行って」「一緒にゴールできるんじゃない」と娘。ここまできたらゴールしたい。ラストスパートで足を速めた。前を歩いていた黒のウエアを着たおっとりとした若者を抜いた。この若者も後続の人たちも、こんなにタイムリミットが迫っているのに、慌てたところがない。<タイムオーバーになったら後続の人たちと一緒に、完歩にせよと主催者に強訴しようか、雨降りを理由に>とは思ってみたものの、できれば自力で綺麗にゴールしたい。

あと5分になった。「先に行って!」。テープを張ったゴールが見えないので、娘は「どこがゴールなのか聞いてくる」、駆け出し監視員に近寄って言葉を交わし、こちらをむいて胸のあたりで手を横にふった。一瞬ぎくり、タイムオーバーの合図と思った。

「少し遅れても構わないんだって」。その監視員が神様に見えた。突き当たりを右におれ、また左に折れたところにゴールがあり、15時59分にすべりこんだ。タイムリミットの1分まえだ。最後の1- 2kmを余裕をもって歩くことはできなかったが、それでも自力で完歩できた。思えば、多くの人はこのように生涯の最後まで生活に追われているのだろう! スタート地点で確認印をおした案内葉書を提示して「45kmコース完歩証」をもらった。そこにはタイムも名前も入っていなかったが。

とりあえずゴールを去り、完歩者たちが座って休んでいる芝生で、空いたパイプの椅子に腰かけ、背をのばした。その間、後続の人たちが次々にゴールしている。これまで気づかなかったマラソンとの決定的な違いを、このとき知った。マラソンではテープ目前、10秒おくれても失格だ。(荒川マラソンで7時間制限を7:05:24でタイムオーバーになったが、スタート時点でのロスを減算して、ネットタイム6:59:08で完走、になったことがあった。2004年3月のこと。当時、私は80歳台で1k10分で走っていた。その後の10年間に1k12分になってしまった。)後続の人が慌てなかった意味が分かった。

タイムリミットの16:00から、関係者は片付けをはじめたが、その後、すくなくとも30分、後続の人たちがゴールしていた。これで、あれほど恐れていたタイムアウトに30分の余裕があることを確認した。来年の参加も可能という希望がわいた。一番嬉しかったのは、昨日までと同じ日々を、明日からもまた送れることだった。

電車を乗り継ぎ帰宅したのは7時ごろだった。夕食を済まし、10時半ごろに就寝、3時ごろ小用に立ち、7時に起床した。疲れが過ぎると掛け布団を夜中に重く感じることがあったが、この夜は案外安らかに眠り、疲労もとくに残らず、その次の日、両肩がやや凝ったような気がしたが、それも消えた。

辺野古バス体験談

20150712辺野古バス沖縄のイベントでこのバスのチラシを見て、私も行って来ようかと思ったら、乗車体験談が届きました。
魚住 昭さんのウェブマガジン「魚の目」からの抜粋です。
週刊現代に連載したもの。http://uonome.jp/article/uozumi-wakimichi/3007
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もし機会があったら、一度乗ってみられるといい。那覇市の沖縄県庁前から毎朝10時に出発する辺野古バス(「島ぐるみ会議」運行)に、である。 予約は不要で料金は往復1000円。たったそれだけで辺野古(那覇から約60㌔北東)の美ら海を眺め、新基地反対運動の現場を見ることができる。 私が乗ったバスの同乗者は30人。6割強が那覇市近辺の住民で、あとは北海道や東京、大阪などから来た人たちだった。 乗車前、私の気持ちは少し重かった。だって沖縄に基地を押しつけているのは「本土」の私たちだ。基地を引き取ろうともせず、現場を見学に行っても地元の人たちには迷惑なだけだろう。冷ややかな視線を向けられても仕方ないと思っていた。
ところが車内の空気はまるでちがった。和やかだ。60代後半と思しき沖縄女性が仲間とマイクを握る。「私たち、ぴちぴちの辺野古フラワーズです。ドライフラワーじゃないですよ(笑)。歌いたくてうずうずしてるんですが、いいですか」と断って、山本リンダのヒット曲「どうにも止まらない」の替え歌をノリノリで歌いだした。

♪噂はまったくその通り おいらの狙いは9条さ いつでも戦のできる国 それがおいらの夢なのさ ああ憲法は変えればいいさ お友達で決めればOKさ 魔法の言葉 解釈改憲 もう どうにも止まらない

これを皮切りに皆が替え歌を次々と歌う。その中には抵抗の志気を鼓舞する歌もあれば、自分たちの姿を戯画化して笑い飛ばす歌もある。傑作だったのはやはり辺野古フラワーズの「呆けない小唄」である。

♪辺野古 辺野古で今日もゆく 笑い忘れず よくしゃべり 頭と足腰使う人 辺野古大学 呆けません ♪入れ歯入れても 白髪でも 頭はげても まだ若い ゲート前での座り込み 座るだけなら まだできる♪ ゲート前での座り込み 後ろ機動隊迫り来る 駈けてるつもりが ノロノロと 息を切らして 呆けません

爆笑の渦である。ああ、こうして「本土」の人間をもてなしてくれているんだなと私は感じた。彼女たちにも心の底では言いたいことが一杯あるだろう。でも、そんな素振りは微塵も見せない。どこまでも朗らかだ。

2000万人「戦争法の廃止を求める統一署名」

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事務局からの郵送物に戦争法廃止を求める2000万人統一署名の紹介文を同封することになりました。
ホームページでも右サイドバーの一番に下に、チラシ、署名用紙がダウンロードできるサイトを紹介しました。
是非、ご活用ください。

2015年11月29日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 管理人

830国会議事堂集会

体調がお悪い野村共同代表からも参加されたとのメールがありました。
完全護憲の会は政治活動をする会ではないのでそれぞれ別行動ですが、編集委員全員が参加したようです。
激しいコールをあげる集会ても、子供連れも車椅子の方も一緒の和やかさ。
我が家の下宿人?の中国人は12万も集まって暴動にならないことに感嘆していました。
写真、動画は草野さんと私ものです。

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830ステージが見えるところまで行けなかったので、左はこちらからの借り物です。
8月26日緊急集会『ぶっ壊せ!アベ安保法制』@憲政記念館のタウンミーティングタイムで、小沢一郎が質問に答えて、
「党籍を離れる野党再編はむずかしい。党籍はそのままのオリーブの木しかない。12月には構想はできるだろう。」
と言っていたのを連想します。

福田共同代表(91才)が伊豆大島一周マラソンを完走されました

伊豆大島一周マラソンチラシ

「自然を食べる会」のメーリングリストで、福田さんのマラソン完走報告が添付されて届きました。福田さんは自然を食べる会の名誉会長、このマラソンに参加することを伝えていたので、その報告でした。

福田さんは完全護憲の会の共同代表なのですから、こちらの会の皆さまにも、この快挙をお知らせし、一緒に喜ぶと同時に、70、80はまだまだなのだという思いを新たにさせていただきましょう。

下記をクリックするとワード文章が開きます。
2015年伊豆大島1周フルマラソン報告

 

伊豆大島一周マラソンコース

会員の田中伸さんの講談が東京新聞で紹介されました

講談師田中伸さん自衛隊の海外活動を進める政府と、特定秘密保護法の問題点を分かりやすく伝えたいと、講談教室に通う東京都台東区の会社員、田中伸(しん)さん(48)が小話をつくった。国民と内閣の関係を殿様と旗本にたとえた講談は、主権者たる殿様が、旗本らに愚弄(ぐろう)される物語。さて、その内容とは!?(森川清志)

以下は東京新聞web版7月25日夕刊
でどうぞ

2015年7月29日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 管理人

7月18日(土)午後1時「安部政治を許さない」全国一斉行動!

政治の暴走を止めるのは、私たちの義務であり、権利です。

東京なら、国会前に13時、その他主要駅などで、13時きっかりに一斉に金子兜太さんが書いてくださった「安部政治を許さない」ポスターを掲げましょう。

写真を撮ってメールするメール参加もありです。
メールの送信先は yobikake0718@gmail.com

20150712sawachisho_fj

このポスターは呼びかけ人のひとり金子兜太さんが書いてくださったもの。
セブンイレブンのネットプリントでも印刷できるそう。
・予約番号 56685090   A3, 白黒
プリント有効期限 2015/07/12 (1枚20円)

・予約番号 89697099   A3, 白黒
プリント有効期限 2015/07/17 (1枚20円)

詳しくはホームページを。

この日、私は高尾山です。
ポスター持参で登って、1時になったら掲げて写真を撮ってメールで送りましょう。
これなら、誰でも参加できますね。

小さくして車に貼ったり、もっと小さくしてパウチしてカバンに下げたり、それぞれのアイディアで意思表示をしましょう。川本

2015年7月13日 | カテゴリー : ⑨その他 | 投稿者 : 管理人