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違憲性に対する緊急警告

緊急警告017号 天皇の生前退位に特例法は憲法違反!

皇位は「皇室典範」によると憲法に明記

 天皇陛下が「生前退位」の意向をにじませたお気持ちを表明された。安倍政権は、天皇陛下の高齢化に絞って問題を矮小化し、特例法で対応しようと画策しているが、憲法第2条に「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と明記されており、皇室典範以外の法律で皇位の継承を変更することはできない。皇室典範を改正し、生前退位を正式に認める以外に対応策はない。
 例えば、憲法第10条で「国民たる要件は、法律でこれを定める。」とあるなど、他の全ての事案に対しては、特に法律名は決められていないが、天皇に関してのみ「皇室典範」と限定されている。これを他の法律で誤魔化そうというのは明確に憲法違反である。
 天皇陛下の「皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」という「お言葉」を汲みとるなら、皇室典範を改正して正式に生前退位を認めるべきである。
 さらに皇室典範の改正にあたっては、「男系男子」に限る男女差別は憲法違反であるので、これを改め、女性天皇を認め、女性宮家も認める方向に改めるべきである。現在のままでは宮家がなくなり、皇位継承者も絶えてしまう可能性があるからである。
 憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあり、皇籍を離れ、一般人となった人を「男系男子」にこだわるあまり、再び皇籍に戻し、皇位継承者にするというのも、国民の信頼が得られず、現在のような良好な象徴天皇になり得ないであろう。
 「生前退位」や「女性天皇」を認めると、戦前のように天皇を、「万世一系の現人神」である「元首」として祭り上げ、国民を戦争に駆り立てることが難しくなる。戦前回帰を目指す安倍政権と右翼保守勢力にとっては、非常に都合が悪い。つまり、皇室典範を変えたくないが故に、特例法の制定でしのごうとしているのである。
 天皇陛下の想いと、憲法と、皇室典範をないがしろにする、このような違憲の特例法制定を許してはならない。
 

緊急警告016号 防災を名乗って小学生に配布、国防冊子の危険性

国防冊子カラー2 「我が国と郷土を愛する」という、何やら物々しい文言の盛り込まれた2006年の教育基本法の改正(第一次安倍内閣)から10年が経とうとしている。このところ、安保法の違憲問題だけでなく、戦後私たちの平和を支え、抑圧された人権の回復を誓った日本国憲法に改憲の危機が迫りつつある。そんななか最近、あたかも教育勅語の復活を思わせるような「『防災まちづくり・くにづくり』を考える」(内閣官房国土強靭化推進室)という冊子(「学習ワークブック」)が小学校を通して配布された。

 この冊子は、初めの数ページこそ大雨や地震などの災害について絵や写真付きで解説しているものの、途中から「災害の本当の恐怖は、その『後遺症』にあります。」とした上で、「地域の消滅の危機」や「日本全体の凋落(ちょうらく)」(※注:衰えること,落ちぶれること)を語り、ついには「国防」にまで話が及ぶという驚きの資料である。
 防災のための「学習ワークブック」というこの冊子には、「災害に強いまち」という言葉とともに、何度も「強いくに」という言葉が用いられており、そのためにはどうするべきか、「このことを常に忘れずに考えて」いくことを提起しているのだ。「一億総~」という戦時中に国民を総動員した忌まわしい言葉をよみがえらせた安倍政権の「総活躍」の数字には子供も含まれるという事実を改めて認識し、その是非を問い直す必要がありそうだ。何より、災害に結びつけて外交や国防といった問題を持ち出すという方法は、個人の命よりも国家を優先するものであって受け入れ難い。

 冊子の最後には物語「稲むらの火」が紹介されている。これは1854(安政元)年、安政南海地震の際に濱口梧陵なる人物が私財を投じて大津波から村を守ったというお話で、「自分の財産を投げ打った犠牲的精神により、多くの命が救われた」と解説し、そこには「※この物語は1937(昭和12)年から10年間にわたり小学校国語読本(5年生)に掲載されました。」という注書きまで付けられている。1937年と言えば戦争の本格化した年であり、翌1938年には国家総動員体制で戦争に突入していくことになる。
 ここで注意すべきは「犠牲的精神」という言葉で、この言葉は「日本軍人が常々大言壮語して言った」(木村久夫『きけ わだつみのこえ』岩波文庫)ものであり、戦争を推し進めるためには個人を押しつぶす、まさにそういう使われ方をした用語だったのだ。なぜいま、こうした背景のある言葉が復権させられようとしているのだろうか。

 そもそも明治憲法には教育に関する規定はなく、運営に関しては教育令や学校令などがあったが、当時の教育理念の指針となったのは1890(明治23)年に発布された教育勅語であった。この教育勅語は、その中段で、一旦緩急あれば(差し迫った事態のあった時は)義勇公に奉し(自ら進んで国や社会のために自分を犠牲にしてお仕えし)以て天壌無窮の皇運(天地存在の限り長く繁栄し続ける皇室)を扶翼すべし(お助けしなければならない)と示していた。
 このように一見あいまいな表現は、組織において上意下達が成される過程では、命をも捧げる覚悟として捉えられた。子供たちは学校で教育勅語を暗唱し、皇国のために自らを犠牲とする精神を身につけ、学徒動員として軍需工場での労働などに従事させられていった。
 上記防災冊子は、この教育勅語の精神と非常に似通ったものと言える。防災冊子が2006年改正の教育基本法に基づき作成されたことを考えると、2006年教育基本法が既に日本国憲法の理念を逸脱する危険性を十分に持ったものであると見るべきである。憲法26条で教育を受ける権利を保障し、23条で学問の自由を、19条で思想及び良心の自由を定め、13条で個人が尊重され、11条で基本的人権が保障された、この日本国憲法にことごとく反するものと言わなければならない。

 それだけではない。こうした話は災害に絡めて憲法に緊急事態条項を作ろうとする論調と符合している。自民党改憲草案は、その98条、99条で武力攻撃や内乱、地震などの大規模災害時に内閣総理大臣が緊急事態宣言をできるとし、この場合、何人も国その他公の機関の指示に従う義務が生じるとしている。国民の権利は最大限尊重するとしつつも、つまりは国民の権利を制限するための条項に他ならない。
 1882(明治15)年に制定された戒厳令は、軍人勅諭および徴発令と並び、日本の軍事体制を支える不動の支柱として機能した。実際、1923(大正12)年の関東大震災発生翌日の9月2日、政府は緊急勅令による戒厳宣告を行ったが、その時起こったのは、戒厳司令官に隷属する軍隊、警察や自警団などの末端組織による「不逞団体」への軍事的制圧であり、「殺しても差支えなきもの」とされ、「昼夜の別なく家屋立入検察」や「時勢に妨害となる集会、新聞紙雑誌広告の停止」など、政府にとって不都合な思想の弾圧、逮捕や虐殺が「さながら戦争気分!」で遂行されたのだ。戒厳立法、非常事態立法の真の意図は、国内民衆に対する軍事的制圧に向けられており、すぐにでも振り下ろすことのできる刀を常時、権力者の手中にあずけることを意味し、こうした立法は極度に有害、危険(大江志乃夫『戒厳令』岩波新書)と考えられる。これらの事実を考えれば地震などの災害が緊急事態条項で解決するものではないことは明白だ。

 日本全体の「凋落」につながるような大災害があるとすれば、考えられるのは原発事故を含む大規模複合災害であろう。だが、この冊子には原発事故についての記載は一切ない。土石流や洪水などの項目について「流れ落ちる」「崩れ落ちる」「命が失われる」「水没する」「使えなくなる」「不足する」などの危機的な言葉を並べるだけで、そのための対応策も記されていない。このような冊子は、とても防災のための資料とは言えないであろう。
 防災を考えるならば、個別の災害において、どのような避難や対応ができるのか、これまでに集積した災害情報から、手がかりになることを少しでも提示することができたはずである。防災冊子を名乗ったこのような国防冊子は、決して現在の教育にふさわしいものとは言えず、有害、かつ、危険なものと言わなければならない。

緊急警告015号 自白のみによる無期懲役有罪判決は憲法違反!

 2005年の栃木県今市市(現日光市)小1女児殺害事件の犯人として殺人罪に問われた被告(33歳)の裁判員裁判で、さる4月8日、宇都宮地裁は、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。
 この裁判では、直接証拠はなく、取り調べの録音・録画が7時間以上にわたって法廷で再生された。松原里美裁判長は判決文において「被告人が犯人でないとしたなら説明できない事実関係が含まれているとまではいえず、客観的な事実のみからは被告人の犯人性を認定することはできない」と述べつつ、商標法違反での逮捕後に行なった取り調べに違法性はなく、取り調べの録音・録画などからも、取調官により恫喝や暴行が加えられた事実はなかったと判断。
 その上で、捜査段階での自白について「取調官の誘導に合う内容もある」としながらも、録音・録画を根拠にして「取調官による誘導を受けた形跡がない」「あらぬ疑いをかけられた者の態度としては極めて不自然」「被告は処罰について強い関心を示し、処罰の重さに対する恐れから自白するかどうか逡巡、葛藤している様子がうかがえる」とまで述べている。
 裁判長の認定のほとんどは、別件の商標法違反での逮捕から約5カ月間拘束、その「代用監獄」でとった自白調書を前提にしている。有罪にした根拠は、法廷で再生した録音・録画での心証だ。裁判官と裁判員が物証のないことを認めた上で、想像、推測で判示したのは自白について規定した憲法38条に違反していると言わねばならない。何故なら、同条は次のように定めているからである。
 第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
 2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
 3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
 
 まさにこの無期懲役判決は、第38条の3項目すべてに絵に描いたように違反しているのである。また、取り調べの一部可視化の危険性も示している。
 弁護人の一木明弁護士らは閉廷後、記者団に対し「自白で判決を書くのは危険だと言われているのに、自白を重視した判決を書かれたことが一番納得できない」と批判した。また、「録画のないところで圧倒的な権力関係を利用して被告人を自白に追い込んだ。取り調べが全面的に録画されていればこのような判決にはならなかった」と語った。
 弁護団(国選)によると、被告は控訴する意向を示している、ということだが、控訴審においては憲法第38条に違反しない裁判を行わなければならない。

緊急警告014号 首相は「最高権力者」か、「立法府の長」と発言!

 安倍首相はさる5月16日の衆院予算委員会で、民進党の山尾志桜里政調会長の質問に「議会の運営について少し勉強していただいた方がいい」と指摘。続けて「私は立法府、立法府の長であります。国会は行政府とは別の権威として、どのように審議するかは各党・各会派で議論している」と答弁した。
 翌17日の参院予算委員会でも、民進党の福山哲郎幹事長代理が安全保障関連法採決時の議事録について質問した際、「立法府の私としてはお答えのしようがない」と答えた。
 立法府の長にあたるのは衆参両院の議長で、いずれも首相は「行政府」とすべき部分の「失言」だが、単なる「言い間違い」ではすまされない根深いものがある。 (さらに…)